グレイが眉をひそめて盛大に舌打ちをしたときには、セルルトを差した従者の首は飛ばされていた。
ひねりを入れられているのか、それとも刺さっただけなのか。
グレイの目からの判断はできなかったが、ただでさえ体が弱そうなセルルトが、そう長い時間生きていられるとは思えない。
「つまらん真似を……、馬鹿者! 触るな! お主らも止めんか!」
震える手で短刀に手を伸ばしたセルルトを見て、グレイは一喝する。
周囲の者がその愚行を黙ってただ見守っているのも、グレイにはまったく理解できなかった。
抜けばそこからするすると命と等価の血液が漏れていく。
下手にいじくるより、短刀で蓋をしているままの方がまだましだ。
「ええい、胸糞悪い……、行くぞクルム!」
「っ、はい!」
駆けだしたグレイを見て、調子づいたのか、背後にいる偽兵士らの指揮官が下知を飛ばす。
「今だ! 一斉にかかれ!!」
「なぁにが『今だぁ』じゃ! 足手まといがいなければ貴様らなど今頃皆殺しじゃ、糞共が!」
振り返って言い返したグレイは、近くにあった荷車を手に取ると、今にも倒れそうなセルルトに足を掛け、腕で支えながらふわりとその上に寝かせた。
声をかけて自発的に寝かせる時間ももったいなかったらしい。
その間もグレイは怒りに満ちた表情で、口の中でぶつぶつと何かを言っている。
「逃がすな! 追え!」
「腹立つのう! やっぱ死ね!」
逃げると言われてカチンときた、というよりも、背中を向けて呪文を唱えていたのだろう。
振り返り様に偽兵士たちに向けた指先から、水で形作られた竜が飛び出していく。
その竜は大口を開けて近付くもの全てに噛みつき、見る間に血で赤く染まっていく。これまでクルムが見たことのない、グレイが昔から得意としている、凶悪な魔法であった。
グレイは魔法を放ち終えると、荷車の持ち手を掴み、寝転がっているセルルトを怒鳴りつける。
「ナイフが抜けぬよう、良く押さえておけ! 今回だけは特別に、できるだけ揺らさぬよう、超特急で運んでやるわ! クルムも乗れ!」
「はい!」
「全員ついてこい!」
先頭を走るグレイは、荷車を押しているにもかかわらず風のように速い。
時折段差があると、腕にぐっと力を込めて車輪が跳ねないように荷車を持ち上げる。
おかげで、宣言通り荷車の上は極めて快適であった。
その間に、クルムはただでさえ白い顔色を、いっそう青白くしているセルルトに話しかける。
「セルルトお兄様、他に裏切り者の心当たりは?」
「刺されている兄に……容赦のない……」
「そんな暇はありません。あるのですか、ないのですか」
「……私を刺した者は、昔から傍にいた従者だ。かれこれ、二十年来の付き合いになる」
「誰だって裏切り者の可能性があると」
「ある……。そうならぬよう、特に近しい者は取り込んできたつもりであったが……」
グレイの後ろを追ってくるセルルトの従者や護衛たちを見て、クルムはため息を吐いた。いっそセルルトだけ攫って連れてくればよかったとも思う。
「ご自身の身辺くらい、きちんと整理しておいていただきたいところです」
「勝手なことを……私がどれだけ苦労したか……」
今まで想像もしてこなかったが、この様子だとセルルトはただただオブラ侯爵家の操り人形として生きてきたわけではないのだろうとクルムは思う。あくまで推測の域を出ないが、それでも荷車に座ってやることがないと、どうしたって頭が働く。
ヘグニがやってきたときに感じた違和感。
敵愾心のなさと、妙にぬるい雰囲気。
そしてセルルトの言葉。
オブラ侯爵家と、ヘグニ派閥の関係が、常に良好であったとは限らない。
少なくともセルルトが、この内乱にオブラ侯爵家が加担しているかもしれないというのだから、それは間違いないのだろう。
「よぅし、追いついた。クルム、降りて走れ! スペルティア、乗れ!」
どうやら先に逃げていたスペルティアに追いついたらしい。
クルムは思考を停止して荷車から飛び降りる。
「私様のために車を用意するとは感心」
「馬鹿言っておらんで、そこの部下に刺された人望のない糞王族を治してやれ!」
「支払い」
スペルティアは荷車に乗ると、傷口を四方から眺めながらいつも通りの要求をしてくる。
「そいつが払う。払わなかったら、儂が小突き回して払わせてやる」
「うん」
グレイの言葉に納得したのか、スペルティアは短刀の柄を握り、ゆっくりとそれを抜き取りながら、空いた手で治癒魔法をかけていく。
グレイはその間も荷車を持ち上げて、揺らさないように運んでいた。
後ろから続々と人々が追い付いてくるが、今のところ偽兵士らしい追っ手は見当たらない。
少しばかり歩みを緩めたハップスを先頭に、一行は元貧民街へと向かう。
区画が整理されて、以前よりは随分明るくなった道を進み、〈要塞軍〉が勝手に駐屯地にしている辺りに到着する。
そこには既にラウンドが珍しく難しい顔をして待っていて、クルムたちの姿を見ると目を丸くして駆け寄ってくるのであった。