ベゼルフッド辺境伯から下された決定は、南東貴族たちに衝撃を与えたが、意見を述べる者は然程いなかった。長年アハーバ王国と対峙してきた貴族たちだからこそ、このままやられたままでは終われないという強い憤りがあった。
ほどなくして準備を整えた南東貴族たちを代表して、ベゼルフッドがクルムに挨拶をする。
「無事領土へたどり着けば、五年でも十年でもアハーバ王国の侵攻を阻んでみせましょう」
「私が共にいくのだから、必ず無事に送り届けてみせる」
腕を組んでむすっとした顔をしたホワイトが言い放つ。
老年のベゼルフッドはそれを聞いて小さく笑い、クルムもそれに合わせて笑った。
「私もそうなると確信しています。ただ、五年も十年もかけるつもりはありません。王都の民が今の状況に慣れてしまう前に、奪還に動くつもりです。北東方面の貴族たちの中には、領主が王都に取り残されている者も多いでしょう。そちらも上手く、動かしてみせます」
「楽しみにしております。到着次第使者を出しましょう」
ベゼルフッドとホワイトが踵を返すと、残ったルミネが穏やかに微笑みながら口を開く。
「叶わないと思っていた生活が手に入りかけているの。私も、全力を尽くすわ。……北東貴族の攻略に関しては、私の方でも手を打ってみます」
「お願いします」
クルムはルミネという王女を高く評価している。
もしルミネが【人形遣い】に操られていなかったら、ジグラなんかよりもよっぽど厄介な敵になっていただろうと思っているくらいだ。
だからルミネのその言葉と穏やかな微笑みは、今のクルムにとってとても心強いものであった。
ルミネがジグを連れて去っていくと、最後にハップスだけが何か言いたげにクルムを見下ろしている。相変わらず言葉少なく不器用な兄である。
だからクルムは自分から言ってやることにした。
「心配しなくとも私は死にません。次に会う時にはもう少し状況が良くなっているでしょう」
「…………グレイ先生、クルムを頼みます」
「ま、一応覚えておいてやろう」
教育係という身分しか持たない、貴族でもない、元国賊ともいえるグレイに、ハップスは深々と頭を下げた。
グレイもこういうタイプは嫌いでないので、一応願いに関しては聞き入れてやる。
ハップスは少し安心したように笑うと、クルムの頭に手をポンと置いて、「あまり無茶はするな」とだけ言い残して去っていった。
「子供ではないのですが」
「まだまだ子供じゃ」
クルムの呟きに、グレイが間を置かずに言い返す。
「ああいうのを人前でされると、指示を出す時の説得力がなくなるので困りますね」
「お主あの堅物相手になると、妙に反抗的になるのう」
そんな軽口を交わしながら、クルムとグレイは去っていく軍勢を見送る。
彼らは丘を裏手から降りて、森の中へと消えていった。
そこからできるだけ身を隠して、王都の北を大回りして自領へと向かう予定である。
さて、彼らが見えなくなったところで、クルムは改めて残された戦力を確認する。
ホワイト率いる騎士団と兵士らを切り離したクルムたちの手元に残っている戦力は、ファンファ率いる冒険者達とメナス。
ラウンド率いる要塞軍の一部。
そしてグレイくらいなものである。
貧民街の民や、王都の貴族たちに北西貴族らが連れてきた護衛を含めてよければそれなりの人数にはなるが、どうしたって心もとない。
「それで、儂らはどうする」
グレイがクルムに問いかける。
クルムの答えに、その場にいる全員が耳を傾けていた。
「……これからゆっくりと丘を下りて、北西を目指します。先頭を北西方面に領地を持つ貴族の方々に担っていただき、それを要塞軍に護衛していただきます。デモンズ閣下、お任せしてもよろしいですね?」
「ふむ、良かろう、承った」
真っ先に逃がしてくれるというのだから否やはない。
騎士団がいなくなってしまったことを不安に思っていたデモンズであるが、これは胸を張って引き受ける。
「ファンファお姉様とその護衛、それにケルンお兄様はそちらで問題が起こった場合の対処をお願いいたします。バミ大臣とスペルティア様もそちらに。困った時はバミ大臣に判断を仰いでください。バミ大臣、どうか皆さんをお導き下さい。休息の判断もお任せいたします」
「構いませんが、クルム王女殿下は……」
「大丈夫です、ちゃんと後からついていきます」
クルムは首を横に振って更に話を続ける。
「その後ろに王都の貴族たちと、民を挟み、最後尾に私と先生。それにラウンド様とメナス様、それから貧民街の戦える方々で応戦しつつ進む形としましょう。ああ、ブルトン殿は、ラウンド様と一緒の場所で構いませんね?」
「ったりめぇよ」
ブルトンが鼻息を荒くしてごつんと両拳をぶつける。
「……クルム王女様よ、お言葉ですけどね、王女様は前の方にいたほうが良いっすよ? なんかあったらどうするんすか」
ゾエが手を上げて控えめに進言する。
「何もありませんよ。それに、あなた方と私が共に殿を務めることにも意味はあります」
「そりゃあ、分かってるが!」
貧民街の住民は、いくら共に行動していようと貧民街の住民だ。
今現在、圧倒的に身分が高い集団に紛れているせいで、やや居心地の悪い思いをしている。この緊急事態であからさまに差別する者もいないが、状況が切羽詰まれば話は別だ。
クルムは、この行軍でそんな貧民街出身の住民たちへの偏見を払しょくするつもりでいた。
王位を目指しているクルムを守り、共に戦い抜いた戦士たちとして、だ。
「分かっているのならば、あなた方が守ってください。期待しています」
「……あぁ、くそ、そこまで言われちゃあ、分かったよ!」
「まったく……。期待、期待か……。私たちには長らく無縁のものであったな……」
ゾエが頭をがりがりとかきながら言うと、グンナイが曇り空を見上げながら呟く。
その端の方では、メロディエがロンヌスに耳打ちをする。
「私たちも本気でやるわよ」
ロンヌスが眉間にしわを寄せたままこくりと頷く。
「では、後ろは私たちに任せて、堂々と、悠々と、北西方面へと向かいましょう! 出発の準備をしてください!」
丘の上にクルムの言葉に応じて大きな声が上がった。