ぎりぎりまでその場に残っていたクルムは、対面の丘の上に陣取る軍勢ではなく、王都の方をじっと見つめていた。丘の上の軍勢が動くとすれば、王都からの軍が出てきたその時だ。
丘とはいってもそれほど標高が高いものではないため、王都の門までは見渡せない。じっと目を細め、耳を澄ませ、撤退最中に横っ腹を突かれないことを祈る。
「……まだ来ないか」
隣に立ったセルルトが声をかけてくる。
首を横に向けてその顔を確認したクルムは、やや冷めた表情で答える。
「まだいらっしゃったのですか? お兄様ではいざという時に逃げ遅れますよ」
「その時は置いて行けばよかろう。ヘグニ兄上も父も見捨てるのだから、もう一人くらい増えても変わるまい」
「捕まって敵方につかれると面倒なのですが」
「捕まってもどうせ密かに殺されるだけだ」
「いい大人が屁理屈こねないでください。……そろそろ出発しますので、お兄様も準備を」
セルルトと話していると、後ろ向きなグレイと話しているような気分になるクルムである。ついつい口調がきつくなる。
「まずいな」
セルルトが呟いたところで、クルムも再び森に目を向ける。
すると僅かに見える森の隙間に、偽兵士たちが歩いているのが見えた。
「まずいですね」
「このままだと丁度奴らとぶつかるかもしれんのう」
「行きましょう」
呑気に笑っているグレイを置いて、クルムは早足で歩きだす。
ゆったりとついてきたグレイだが、その一歩一歩が広いため、すぐにクルムに追いついてくる。
セルルトも、数人の護衛だけを連れて、クルムと共に動き出す。
すでに動き出していた殿の者たちに向けて、クルムは声を張る。
「このままですと、王都から出た者たちと接触する可能性があります。戦いながら撤退する覚悟だけしておいてください」
「さて、儂はちょっとばかり足止めしてくるとするかのう」
「足止め、ですか?」
そんな予定はなかったが、できるというのならばお願いしたいところだ。
敵が早く動き出してしまったせいで、このままでは撤退戦ではなく、本格的に戦わなければならなくなる。
「うむ。メナス、クルムの護衛を頼む」
「わかった」
「ラウンド、一緒に来い!」
「おう!」
ラウンドはグレイの呼びかけに、その内容も聞かずにやって来る。
緊急事態で、信頼のできる相手からの申し出に、いちいち異議を唱えるのは時間の無駄だ。
グレイはラウンドを引き連れると、森へ向かうようなコースで、丘を跳ねるようにして下っていき、あっという間に見えなくなってしまった。
それを眺めていたセルルトがぽつりと漏らす。
「なんだ、あの化け物のような動きは」
クルムは、それを否定する言葉を持たなかった。
丘を飛び降りながら、グレイはラウンドに話しかける。
「できるだけたくさんの木を倒して、追っ手の行く手を阻む!」
「よかろう!」
「儂は向こう、お主は手前! どちらが面倒な障害物を作れるか勝負じゃ!」
「望むところ!」
丘を完全に下った二人は、それぞれ道を挟んで反対の森へと飛び込んでいく。
グレイは破裂の魔法を使いつつ、ラウンドは素手で殴りつけて、次々と木々をなぎ倒していく。
さっさと二本の木をなぎ倒したラウンドが、それを抱えて道へと向かうと、既に道には三本の木が乱雑に転がっている。そうしている間にも森の奥から、道へと木が投げ込まれて手前の茂みに引っ掛かった。
「おいずるいぞ! ちゃんと並べなくていいのか!?」
「適当に道塞げばそれでいいんじゃ! ぐっちゃぐちゃの方が通りにくかろうが! この調子じゃ儂の勝ちじゃなぁ!」
「ぐっ、見てろ!」
ラウンドはその場に木を放り捨てると、グレイ同様、無秩序な自然破壊を開始する。
メキメキバキバキという音と共に、破裂音。
丘の上を歩いていたゾエが「おいおいおいおい……、何してんだよ……」と思わず声を上げたほどであった。
グレイは作業をしながらちらりと丘の方をみて、クルムたちの位置を確認する。
そろそろ丘を下りきる頃だ。
積みあがった木々の向こうでは、馬のいななきが聞こえ、偽兵士たちがざわめき始める。そこでグレイは森を出ると、乱雑に重なってダムになったような木々の上にぴょんと飛び乗った。
「何だ貴様は!」
敵の誰何を無視して、グレイはラウンドに声をかける。
「ラウンド、これで終わりじゃ!」
「まだだ!」
未だ自分の方がやや不利だという自覚があるのだろう、ラウンドは大木を殴りつけてへし折り、それを肩口に構える。
「射殺せ!」
「どりゃ!」
矢が放たれるのと同時に、ラウンドが気合いと共に投げた木がグレイのいるところへ飛んでくる。グレイはにやりと笑うと、「ナイスパス!」と言って、大木を偽兵士たちがいる方へと蹴り飛ばした。
矢が大木に叩き落とされ、地面を転がる大木が、偽兵士たちをなぎ倒していく。
「追ってきてみろ、こんなもんじゃ済まぬぞ!」
グレイはそう言って木から飛び降りると、未だ木を殴りつけているラウンドに怒鳴りつける。
「おい、もう戻るぞ!」
「これで俺の勝ちだ!」
そう言ってラウンドが投げた木が、積み上げた木にあたって、ガラガラと崩れて偽兵士たちに襲い掛かる。
「馬鹿が、まだ儂の方が三本多いわ!」
「じゃあ何本倒した、言ってみろ!」
合流したラウンドが、グレイに言い返す。
「お主こそ何本倒したんじゃ!」
「三十八本!」
「儂は四十一本じゃ!」
「聞いてから言ったな! ずるいぞ!」
「ずるくない! ちゃんと数えていた!」
二人の怪物老人は、まるで子供のような程度の低い言い争いをしながら、クルムたちの後を追いかける。