「お帰りなさい。何ですか、あの破壊音は」
追いついてきたグレイにクルムが尋ねる。
同じく気になっていた周囲の者たちももちろん耳を澄ませていた。
「木をぶっ倒して道塞いできただけじゃ。ただの時間稼ぎじゃな。ついでに何人か死んだか戦闘不能になっておるはずじゃが」
「そうですか、ありがとうございます」
周囲の者、特に貧民街出身の者の多くが、この爺が敵じゃなくてよかったと胸をなでおろしているところで、ヒュルルルという妙な音が周囲に響き渡る。
見れば空に妙な形をした矢が打ち上げられていた。
グレイは舌打ちをして即座に手のひらに石を生み出し、その矢に向けて投擲。
見事に打ち下ろしたが、どうやら手遅れであったようだ。
空気がざわりと蠢き、対面の丘の上にいた軍勢の形が崩れ、ぞろりと丘を下り始めた。王都から出てきた者たちから発せられた戦いの合図が、丘の上の軍勢に届いてしまったのだ。
「やはり王都から出てきた者らは、もう少し痛めつけておくべきだったか」
「すみません、合図は警戒すべきでした」
「後の祭りじゃな」
「祭り?」
「派手にやるしかないってことじゃ」
クルムのことを責めるつもりもないグレイは、しょうもない適当な嘘を吐く。
クルムも、グレイも、セルルトも、ラウンドも、そしてバミですら、基本的には人相手の戦には慣れていない。ベゼルフッド辺境伯であれば、これくらいの合図が発せられることは想定していたのだろうが、警戒したところで、普通は対応手段がないので何も言わなかったのだろう。
残念ながらベゼルフッドのほうには、クルムが持っている『グレイならばなんとかできるかもしれない』という感覚が足りなかった。
今グレイたちが歩いている場所はまだまだ開けている。
少しばかり時間を稼げれば、森の中の狭い道に入り込むことができるので、そうなれば追撃をかわすことは難しくない。
グレイとラウンドに、先ほどの自然破壊を再現してもらえばそれでいい話だ。
「盾がいる! 最初に矢を射かけてくるぞ!」
セルルトが珍しく声を張る。
弧を描いて頭の上から降ってくる矢を防ぐためには、木製でも構わないので盾が必要だ。狙って放たれたものではないそれらは、誰でもいいから死ねばいいという無差別の殺意だ。
クルムは素早くそれぞれの装備と周囲を確認するが、当然人数分の盾になりそうな物などない。
そうこうしているうちに、敵軍勢は丘を下りてくる。
「俺の体は矢くらいじゃ傷つかんがな」
手のひらに拳を打ち付けながら言ったのはラウンドである。
普通の人間は死ぬのだ。
毎日のように魔物とステゴロを繰り返し、すっかり人間から逸脱してしまっているこの老人には危機感がまるでない。
そんな反応に笑ったのはメナスだった。
「後ろを任されたのだ。今度は私が何とかしてみせよう。流石のグレイも数百の矢を受け止めるとなると、魔力の消費が激しいだろう?」
「全然余裕じゃが?」
「まあ、そう言うな」
グレイの強がりに、メナスは楽しそうに笑った。
「私も久々にグレイと肩を並べて剣を振るいたい」
グレイは左の眉だけを上げて変な顔をしたが、小さくため息を吐いてクルムに伝える。
「こ奴がそう言っておるのだ。気にせず進むといい」
「……進みます! 矢のことは気にせず、少しでも距離を稼ぎます」
クルムの指示に動揺していた者たちが再び前を向いて歩き始める。
振り返りたい気持ちをぐっとこらえての進軍であった。
それを確認して、メナスは細剣を何もない空間に振るい始める。
そのやや後方にはグレイが腕を組んで立っており、すぐ横にクルムも待機。
そしてなぜかそのさらに横ではセルルトも足を止めていた。
護衛が二人、戸惑いつつも、剣を構えてセルルトの前へ出る。
「セルルト様、早くこの場を離れたほうが」
「逃げたければお前らは先に行けばいい」
「邪魔くさいのう、この陰気王子は……。揃ってさっさとどっかいかんかい」
護衛とセルルトの会話に、グレイが渋面を作って文句を言った。
「戦力の確認をしたい」
しかしセルルトはすまし顔で悪口を無視する。
いちいちグレイの悪口に腹を立てても仕方がないと、早々に学んだようである。
「お主の戦力じゃないじゃろうが。むしろ敵じゃ。見るな、引っ込め」
グレイからすれば、敵になるかもしれない相手にメナスの動きを見せたくない。
マジでさっさとどっか行ってのたれ死んでくれないかと願っているところだ。
「私の戦力でなくとも、王都を取り戻すために動く戦力だ。知らねば何もできん」
「それは王都の奪還に協力してくださるということですか? その時には、セルルトお兄様にも、もちろん、ヘグニお兄様にも、王位は譲りませんが」
「協力する。大事なことは私が王位を継ぐことでも、ヘグニ兄上が王位を継ぐことでもない。ハルシの血統の者が、正しくハルシ王国を導くことだ」
「つまらんことを言う。だから王族ってのはしょうもないというのだ」
セルルトの降参宣言は、クルムには思うところがあったが、グレイにはさっぱり刺さらなかったらしい。そもそもグレイは、個でなく一族、という考え方自体大嫌いなのだから仕方がない。
その間にもメナスは剣を虚空に振り続ける。
「先生、あれは……?」
「秘密じゃ」
たとえ相手がクルムといえども、友人の戦い方を詳細に語る気にはなれない。
グレイは質問を跳ねのけると、自身もぶつぶつと呪文を唱え始めた。
「水、絶えることなき流れ。逆さ瀑布、地より生え、天突くもの。壁、揺らめく薄絹の如く、靡き広がりはためき、飛来する矢弾を阻むもの……」
魔法は詠唱を長く、より具体的にするほど、魔力の消費を少なく、そして明確な効果をもたらすようになる。
『糞』とか『殺す』とか、端的な悪い言葉ばかり発している人物とは思えぬほど、流ちょうに呪文を唱え続けたグレイは、矢の発射を確認するとともに指を地面から天へと動かして、横広な水流の盾を顕現させる。