「ファルボドのう。どこかで聞いたことがあるような名じゃが……」
グレイがぽつりと独り言をつぶやく。
クルムは一瞬そちらをちらりと見て口止めをしようかと考えたが、とりあえずスルーしておくことにした。余計なことを言うと、意地でも思い出しかねない。
ここでグレイが妙なことを思い出した結果何が起こるかをクルムは予測していた。
グレイが過去やったことなど、大抵は人に迷惑をかけることである。
特に金持ちの貴族相手と来たら、それはもう、十中八九何かしている。
まだ気づいていないファルボドが、グレイが余計なことを言ったことによりそれに気づいてしまったら、ただただ交渉が不利になるだけだ。
クルムとしては、グレイにはぜひともできる限り黙ってていただきたいところであった。
「ファルボド子爵は、この内乱にどう関わるおつもりですか?」
「静観が一番無難ではありますね。なにせファルボド領は王都から遠いですから。もちろん金銭支援は致しますが」
「兵は出していただけませんか」
「ファルボド子爵領は、爵位の割に領土が広く、抱えられる兵士の数にも、王国から直々制限を掛けられております。他国に接している手前、領内の兵士を削っては、外患を招くことになりましょう。この有事に新たな火種を作る必要もありますまい」
さらりと語った事情は対外的なものだ。
ファルボド子爵は実際のところ、湖周辺に王国に隠れた領土を持っており、そこに十分な兵士を蓄えている。
金だけを出して兵士の維持さえできれば、どちらが勝ったとて今まで通り。
万が一戦になったとしても、遠方からわざわざ攻め寄せて疲弊した者たちを返り討ちにすればいいだけだ。ファルボド子爵領の優位性は覆らない。
ここで厄介なのは、ファルボドが王国に何も求めていないという点だ。
国家規模の資金と、十分な軍事力と中央から遠い領土。
実質湖を押さえている王のような存在であるファルボドに、王国から出せる条件はないに等しい。国内が落ち着いていれば、まだハルシ王国の軍事力を背景に脅すこともできるかもしれないが、内乱中ではそれも不可能だ。
スムーズに内乱を鎮めたとしても、ファルボドを不届き者として軍を出すためには、十年以上の準備期間が必要になるだろう。
その上で、相当な被害が出る。
「……では、お連れの皆様は兵を出してくださるでしょうか?」
「それは私からは何ともお答えできません。なにせ皆さま、私なんかよりもずっとお偉い方でいらっしゃいますから」
正論ではある。
正論であるからこそ腹立たしい。
クルムが思わず唇を噛みたくなるのを堪えているところで、グレイがぽんと手を叩いた。
「おお、思い出した。ファルボドとかいう子爵は、ジェイロ=ノームの奴にとんでもない金利で金を貸していた悪徳領主じゃ!」
「……ジェイロ=ノーム?」
ファルボドが眉をひそめた。
余裕の表情が崩れたのは初めてのことだ。
話をこれ以上広げたくないクルムは、慌てて口を挟む。
「そんなことよりも、まだお尋ねしたいことがあります」
「殿下、もちろん、何でもお答えしましょう。しかし一つ確認したいことがあります。この方は、噂によると旧アルムガルド家の生き残りの方だとか……?」
「ほう、儂を知っておるか」
「……ええ、王都にいる間にそのような噂を聞きました。武芸の達人であるとか。しかし、お名前はグレイ=アルムガルド殿でお間違いないでしょうか?」
「ふむ、勤勉じゃな」
名が知られていてグレイはご機嫌である。
ファルボドも王都にしばらく滞在している間、情報収集は怠らなかったのだろう。
クルム勢力が急激に台頭した背景に、今は無き辺境伯家の息子であり、大殺戮事件の犯人であるグレイ=アルムガルドという老人がいるという情報までは手にしていたようだ。
「……グレイ殿は、まさかと思いますが、冒険者をしていた時期がおありですか? いえ、この際だからお聞きしましょう。二十五年ほど前に、試練の塔をぶっ壊し……力技で攻略された冒険者のグレイ殿と同一人物ですか?」
「詳しいのう。なんじゃ、儂のファンか?」
ファルボドは、グレイに背中を叩かれるとげんなりした顔で空を見上げた。
「王女殿下。申し訳ありませんが、先ほどお答えした通りです。私はお力になれそうにありません。精一杯北東方面貴族の皆様に声をおかけさせていただきますが、微々たるものとお思い下さい。申し訳ございません、気分がすぐれなくなったのでこれにて……」
「な……、ファルボド子爵、まだ話が」
「申し訳ございません、急激にひどい頭痛がしてきたのです」
「うむ、大事にするが良い」
グレイがそのまま見送ってしまえば、クルムにファルボドの行動を止める手立てはない。
一度止まった馬車の中にファルボドが乗り込んでいく姿を呆然と見つめたクルムは、馬がパカパカと歩き出したところで額を押さえて呟く。
「私も……、ひどい頭痛がしてきました」
「なるほど、馬車に乗せてもらってはどうじゃ?」
「原因がはっきりとわかっているのでやめておきます」
あの調子ではファルボドは、一切クルムのことを手伝ったりしないだろう。
それどころか北東方面貴族が兵を出さないように手配する可能性すらありそうだった。