馬車とともに歩きながら頭を悩ませていたクルムは、どうにもいい考えが浮かばずに深くため息を吐いた。
ファルボドに対する情報が足りない。
「先生、ファルボド子爵について何かご存じのようでしたね。知っていることだけで結構ですから教えていただけませんか?」
「昔の話だからのう」
「思い出してください。当時のことでも構いませんので教えていただけると」
頼りは他にない。
僅かな糸口でも良いので、見つけて手繰り寄せたいクルムは必死だ。
「……ふむ、ま、よかろう」
グレイは昔のことを思い出して、どこから語るべきか考える。
そうしてまず、試練の塔についての話を始めた。
「王国北東に湖があるな?」
「その湖に接している王国の貴族は、ファルボド子爵のみです。湖を使っての交易を独占しているおかげで、子爵であるにもかかわらず強い権力を持っています」
王位継承争いには一切かかわらず、むしろそのどさくさに紛れて力を蓄え、金を生み出すことに注力し続けてきたファルボド家である。クルムも外枠の知識を持っているのだが、問題は内面の方である。
「その湖のさらに北東方面に、山脈と湖に囲まれた盆地がある」
「試練の塔がある街ですね? どこにも属さず、学問にだけ己を捧げた者だけが暮らすことのできる場所」
「実際は学問に取りつかれた亡者共の住処じゃがな。その中でも特に認められた一部の学者が、試練の塔に研究室を与えられる。その中でも化学に長けた者たちを、錬金術師という。ジェイロ=ノームはそんな試練の塔の中でも、サイエンスとケミストリーの二分野でその道の頂点に立った糞爺じゃった」
「……化学……? さいえんすと、けみすとりーとは?」
「つまり、錬金術及び、世界の法則についてを学ぶ学問じゃ。この世にある全ての不思議を法則として解明しようとした傲慢な糞爺じゃ」
ジェイロ=ノームは実際に偉大な男であった。
世界における様々な法則を見つけて発表した伝説的な錬金術師であり、もし大量の借金を残して死んだとしても、後世に名を残す大人物であったはずだ。
「糞爺じゃが、あの糞爺の腕は確かじゃった。世界の誰もが作れぬような配分で、薬を作ることができた。……そういえばあれじゃな、あの、セルルトとかいうのおったじゃろ」
「お兄様ですか?」
「ウィクトを治すためにジェイロ=ノームの下へ行ったときにのう、もう一人治療を望む者がいたのだ。今思えばあれが、王子だ何だ言うておったから、セルルトであったんじゃろうな」
「はい?」
「つまり儂がウィクトを優先して治させたから、あ奴の体は万全に治らんかった。まぁ、仕方のないことじゃ」
思いもつかないところで線がつながった。
しかしセルルトを治すために送りこまれるほど、ジェイロ=ノームが優れた人物であったことは確かである。
「まぁそんなことはどうでも良い」
グレイにとって、セルルトの病状はもはや仕方のないことであり、過去に通り過ぎた話だ。そもそも、グレイたちが治療のために必要な素材を取ってきていなければ、セルルトを治すための薬を作ることができず、どちらにしても死んでいたのだから。
「そのジェイロ=ノームが試練の塔の予算を勝手に使いこんだうえ、まだ足りぬと言って金を借りていた相手がファルボドであった。首を回らなくして、兵器を作らせようとしてたようじゃな。儂が金を工面したせいで、ファルボドが求めていた研究結果は、全てジェイロ=ノームが焼いて捨てたようじゃが」
グレイが財産をジェイロ=ノームへ譲った時、老衰で正に死に掛けであった老人はむくりと起き上がったかと思うと、並外れた集中力でウィクトのための薬を作り上げた。
それが終わったかと思うと、もう一人の治療に行く前に、近くに置いてあった紙の束に火をつけて小躍りし始めたのだ。
ちなみにその時にジェイロ=ノームが残した言葉が以下のとおりである。
『おっほほぉ、ざまぁみさらせ高利貸しのファルボドめぇ。なぁにが街の後援者じゃ! 天才に投資するなら無期限無利息が当たり前じゃろうが。全部返して鼻を明かしてやるぞぉ。頼まれた兵器の資料も全部燃やしちゃうもんねぇ。錬金王ジェイロ=ノーム様をなめるんじゃあない! おほほっほぉい』
こんな糞爺にだけはならないと思ったグレイも、今やすっかり糞爺である。
「……なるほど」
クルムは頷いた。
そもそも試練の塔がある街自体が、ファルボド家の投資によって成り立っているのだ。つまり試練の塔へのダメージは、そのままファルボド家へ跳ね返る。
「つまり、先生がお金を失ったのは、ファルボド家がジェイロ=ノームに、暴利でお金を貸していたせいということになりますね」
そうしてクルムはとんでもないことを口にした。
「……ふぅむ、言われてみればそうなるのう」
そしてグレイは納得した。
「もしかすると、今もファルボド家は試練の塔にお金をつぎ込んで、兵器の準備をしているかもしれませんね。ジェイロ=ノームがなくした、兵器の遺産の幻影を追いかけて」
「ありえなくはない」
「次の戦いに役立つかもしれません」
「……あまり使わんほうが良いと思うがのう。ありゃあ多分……、ろくなもんではないぞ」
「では使わないとして、一度そのろくでもない研究について確認に行きませんか?」
クルムはグレイに言われてあっさりと兵器の情報を手に入れることを諦める。
「急いでいるのではないのか?」
「そうですね。しかし、急げば北西方面貴族たちが兵を準備するまでには間に合うはずです。……そうですね、湖を渡るのならばファルボド子爵の協力が必要でしょうから、今晩相談をしてみます」
「まぁ、よかろう」
グレイも利子の分だけでもファルボドから金を取り戻してやろうかと考えていたところだ。
当然、その相談には同席するつもりでいた。