夜になれば足は止まる。
動物でも人でも、夜は休むようにできている。
たき火を囲んでいる場所にぬっと姿を現したのは、妖怪のようにも見える老人グレイと、一応その雇い主であるクルムである。
そこに集まって暗い顔をしていた北東方面貴族たちは、思わずびくっと肩を揺らした。
「こんばんは、皆さま。……時に、ファルボド子爵はいらっしゃいますか?」
クルムがにっこりと笑って挨拶をすると、貴族たちはほっとした顔をする。
護衛たちから、昼間のグレイの暴れっぷりについて聞いて、あれは何だと密かに話し合っていたのだ。
「ええ……、疲れたからと先におやすみに」
「馬車の中にいらっしゃるのではないかな」
位の高い貴族たちが外で火に当たっているというのに、本人は馬車の中にいるらしい。やはり北東方面で面と向かってファルボドに文句を言える者はないのだろう。
もし対抗勢力がいるようならば、ファルボドについての話を聞いてみたいと思っていたクルムであるが、どうやらその必要はないようだ。
そもそもファルボドと違う派閥の貴族であれば、同じ馬車には乗ってきていないだろう。
クルムはさらりと礼を言って、グレイを引き連れて馬車へと向かう。
まだ夜は始まったばかりだ。
早々に馬車の中に引っ込んだのは、疲労のせいもあるかもしれないけれど、それ以上にクルムと、いや、グレイと話をする機会をできるだけ減らすためであると考えられる。
馬車付近までやってくると護衛が行く手を阻んできたが、現れたのが王女であるクルムであることに気が付くと、困惑した様子で武器を下げる。
「ファルボド子爵にお話があります」
「……いらしたらお通しするよう申しつかっております」
意外なことにファルボドはこの展開を想像していたのか、兵士たちは素直にクルムたちを馬車まで案内した。
入る前にノックはあったが、馬車の扉はファルボド自身が開けて、「どうぞ」と言ってクルムたちを中へ招いた。
こうなってくるとおそらくファルボドは、何が何でもクルムたちと話さないというよりも、できれば話したくないという意思を示していただけなのだろう。
それだけでも王女に対しては十分失礼な話なのであるけれど。
馬車は広い。
胴体と足の太い特別な馬にひかせているこの馬車の中は、ソファのような長椅子が向き合って置かれた豪華仕様であった。
今は中にランタンが一つともされており、ぼんやりと内装が照らされている。
ファルボドはクルムをソファに座らせると、自身もその対面に腰かける。
「夜に訪ねていらっしゃるとは、急ぎの用事でしょうか?」
「私たちが来ることをあらかじめ予測されていたようですね」
「いえ。万が一殿下方に失礼があってはいけないと思い、あらかじめ護衛に申し付けていただけです」
何かやましいところがあるのではないか。
そんなカマかけというよりも、相手の立場をぐっと後ろに追いやるような目的の発言であったが、ファルボドにさらりとかわされてしまった。
「ファルボド子爵は、学術の発展に力を注いでいらっしゃるとか」
クルムもここにいたってあまり言葉を選んで遠回りして話をするつもりはない。
「……自領にとって、ひいては世の中にとって役立つことに関しては、支援したいと考えております」
知らぬ存ぜぬで通さずに、ぬるりと受けとめるような話し方であった。
クルムがやってきた時点である程度の痛みは覚悟しているのであろう。
「湖のほとりに、試練の塔という学術機関を擁する学問の都があるそうですね。子爵はそちらの後援者であられるとか」
「よくご存じですね。他にも幾人か出資者はいらっしゃいますが。例えば、ハルシ王家をはじめとした各国も資金援助をしております」
事実ではあるが、ファルボド子爵領が出している支援金と比べれば微々たるものであるはずだ。のらりくらりとファルボドはクルムの言葉を受け止め続ける。
「儂の金返さんかい」
そんなじれったいやり取りを見ていられなくなったグレイが、突然会話に割り込んだ。ファルボドが大きくため息を吐いて、何かを諦めたようにじろりとグレイの方を見た。
「……当家にグレイ殿のお金をいただいた記録はございません」
「ジェイロ=ノームに金を貸しとっただろうが。無茶苦茶な金利で。その金を返したのは儂じゃ。無茶苦茶な金利分くらい寄越せ」
裏社会の人間も真っ青になるような難癖である。
そもそもグレイは金持ちの貴族が好きじゃない。
クルムの状況的に、この男に難癖をつけることが自分の仕事だと思っているので、容赦なく無茶苦茶なことを言ってのけた。
筋も道理もあったものではない。
「あれはジェイロ=ノーム氏が納得して借りたものであったと、父から聞かされております」
「ほう。では儂は代わりに試練の塔から金を取り立てるとするか。足りない分は研究資料を全部貰うことで賄ってやろう」
「試練の塔は関係がないでしょう」
ファルボドは目の前にいるこの老人が、千年に一度の大天才ともてはやされたジェイロ=ノームが作った試練の塔を、一度ならず二度までも力技で破壊し尽くしたことを知っている。
だからどうしたって強気に出る気にはならないのだ。
今も怒りを堪えながら返事をしている。
「いいや、ある。儂はな、ジェイロ=ノームが借金を返すための金を渡したんじゃ。死ぬ間際にな。それが何だ? ジェイロ=ノームの遺産じゃぁ? 聞いておらん。その辺全部儂の金じゃ。お主からは取り立てん。じゃが儂は試練の塔へ行くぞ。またぶっ壊して上まで登って、金を取り立てるぞ」
「街に支援している各国が黙っていませんよ……?」
辛うじて脅しの言葉を投げてみたファルボドであるが、グレイはそれを鼻で笑った。
「そりゃあお主も儂の敵に回るって宣戦布告か?」
顔を寄せられてさっと目をそらしてしまった時点で、ファルボドの負けであった。
グレイの暴力を正しく知っている人物というのは、それだけで動きがとりづらくなる。
暴力は抑止力だ。
クルムと話している際に、グレイが試練の塔を破壊したグレイであると認識して、そこから逃げてしまったファルボドは、その時点で詰んでしまっていたというわけだ。