グレイはじっとセルルトの返答を待った。
セルルトの周囲に居る者は、使用人から護衛まで、揃ってオブラ侯爵家側の人間である可能性がある。本当にリスクを考えるのならば、〈リガルド〉に到着する前に全員殺しておいたほうが良いくらいの面々だ。
それでもクルムがセルルトを生かしているのは、そのリスクに気が付いていないからではない。他の仲直りした兄や姉たちのように、どこかで和解して手を取り合えるかもしれないとひそかに期待しているからであると、グレイは考えている。
本当にただの腑抜けで、何の役にも立たないのならば、まとめて処理してしまった方がクルムのためである。
王宮にいた時のように悠長に判断をしている時間はないのだ。
少しでも足が引っ張られれば、その分クルムが勝てる可能性は下がり、犠牲者が増えることになる。
「……まだ、ヘグニが生きている可能性はある」
「ほう? ジグラを担ぎ上げているのに?」
「生きていて、こちらに対する人質としている可能性がある。私がこちらに同道していることで、誰が主体となって動いているかが曖昧になっているはず。クルムに対しての人質とはならなくても、私に対する人質とはなるはずだ」
「それで?」
「……ヘグニは……、私とは違ってクルムや他の兄弟たちの命も大事にしようとするような優しい奴だ。だからと言って、決して愚鈍なわけではない! 助け出すことができれば、きっとクルムに感謝をして、喜んで手を貸すようになるはずだ! だから……、どうか救出のために力を貸してはもらえないだろうか……、頼む」
セルルトは床に膝をつくと手を組んで額にこすりつけた。
グレイは揺り椅子を揺らしながら、もう一度盛大なため息を吐いた。
「儂に言われても知らん。明日直接クルムに相談するが良い」
もしそれで動くとすれば、それに最も適した人材はグレイである。
それが分かるからこそ、セルルトはこうしてグレイに希《こいねが》っているのだが、グレイはそれを快諾することはなかった。
セルルトの周囲にはまだまだ警戒すべき人物が残っている。
それをどうするかは、クルムの決めることであった。
「わかりました、では、また明日に」
セルルトが先ほどよりも随分と引き締まった表情になって出て行ったのを確認して、グレイは揺り椅子を止めて立ち上がり、大欠伸をしながらベッドに体を投げ出す。
あの思いは本物か偽物か。
実の兄に裏切られた経験のあるグレイとしては、何とも判断が難しいところであった。
翌朝、誰よりも早く目を覚ましたグレイは、訓練場で勝手に訓練を行い、朝一番で肉を食べてたんぱく質を補給してから、クルムの部屋へと向かう。
するとすっかり良く寝たクルムも、既に目を覚ましており、準備万端の状態でグレイを待っていた。
いつも通りの訓練。
今日は訓練場が使えるので広い場所で走り込み。
その端に置いてあるテーブルセットでクルムがぐったりと体を休める。
「クルムよ、人が来るぞ」
いつも絶妙に限界まで訓練をさせられているクルムは、表情を引きつらせながら姿勢を正してその人を迎え入れる。
グレイに『折角だから広いところで訓練をするぞ』と言われてつい了承してしまったが、部屋でやればよかったと後悔しているところだ。
現れたのはセルルトだった。
クルムがいつもより質素な服で僅かに汗を流していることに目ざとく気付き、こんな朝早くから何か運動をしていたらしいと察する。
「運動か?」
「ええ、習慣なので」
毒に蝕まれたセルルトの体では、習慣にするわけにはいかないものだ。
爽やかに答えるクルムを見たセルルトは、もし自分も自由に体を動かすことができたならばと悔しく思う。
「クルム、話がある」
「はい。改まってなんでしょうか?」
「……もし、ヘグニ兄上が生きているならば、何とかして助け出したいと思っている。図々しいことと分かっているが、何とか協力をしてもらえないだろうか」
「もとよりそのつもりですが」
グレイがピクリと眉を動かした。
「いいのか……?」
セルルトも、あまりの話の速さに一瞬グレイが何か根回ししてくれたのかと視線を送るが、特に反応があるようには見えない。
これから助けることのメリットを提示し、しっかりと頭を下げて、恥を捨てでも頼み込むつもりでいたのに、あまりに拍子抜けしてしまった。
「ええ、そのためにはセルルトお兄様にも、色々と協力していただかなければならないことはありますが。そもそも元々はヘグニ兄上が最有力候補とされていた以上、助け出して恩を売っておいた方が、内乱を鎮めた後の統治がしやすいでしょう。セルルトお兄様のお話によれば、お優しい性格をしていらっしゃるそうですし」
クルムは目を細めて、戦の先のことを語る。
目の前の戦いはもちろん大事であるが、それに勝ったらすべてが終わるわけではないのだ。むしろそこからこそが本番である。
「私は年齢的にも甘く見られがちです。後ろ盾になる兄や姉は多いほうが良いに決まっています。セルルトお兄様もですが、内乱を鎮めた時点で私を王に奉じることを約束してください。そして……、馬車馬のごとく働くこともです」
「っはは……馬車馬、か」
クルムは冗談めかしてそう言ったが、もちろん本気である。
セルルトはすっかり睡眠をとって完全復活し、調子よく悪戯っぽく笑ってみせたクルムに、思わず乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。