クルムは、グレイとサッシャー家の面々、それからロブスと、バッハ侯爵家の手の者を連れて、軍を先行していく。
サッシャー家の中では長老であるアンはグレイよりも年上で、間もなく八十になる老婆であるが、その足腰に弱った様子は少しも見られない。
ロブスを魔物たちを押さえる最前線から連れてくることができたのは、実はアンの働きが大きかった。
以前にクルムが〈リガルド〉を離れて以来、アンは旧アルムガルド領に暮らしていた狩人たちを、各地から呼び戻していたのだ。彼らは今、旧アルムガルド領の都に前線を築き始め、〈要塞軍〉の兵士たちに、魔物たちと戦うための術を教えている。
おかげで防衛をするだけならば、人数をそれほど前線に残しておかなくても良くなったのだ。
そんな諸々があったおかげか、サッシャー家とロブスは共に戦うことが多く、副産物としてサッシャー家の戦闘能力は全体的に向上しているらしい。子供たちも以前よりも足取りは確かになっているし、キリリと引き締まった表情をしていた。
「待ち伏せがいる可能性があるとか?」
まだ空が薄暗い中を進みながら、アンの息子である家長の男がグレイに尋ねる。
鍛えられた肉体と十分な経験によって、冒険者の中でもかなり上位に食い込む腕前を持った男だ。
対魔物のスペシャリストであるアンとは違って、人との戦いもお手のものである。
「それよりも罠じゃろうな。そっちの方はこれが見るそうじゃ」
グレイが顎で示したのは、珍しく人前に普通に姿を現している、バッハ侯爵家の手の者である。グレイが示したのは、その中でも以前のグレイとの戦いにも参戦していたベテランの一人だ。
今はまとめ役をしているらしく、数人の供を連れている。
人を仕留めるための罠を探すのにも長けているらしく、昨晩の話し合いで、モーリスが連れて行ってほしいと提案してきたのである。
「罠と言っても、士気を下げるためのものです。数人が死ねば先に歩きたくなくなり、それでも無理に歩かせれば恨みに繋がる。不和を生むためだけの罠でしょう。例えばこんな」
男は話をしながら足元に伸びていた蔓を、棒で引き上げる。
すると森の方から矢が飛んできて、それをパシッと男が掴む。
いつだかは大人数で襲い掛かってグレイに返り討ちにされた男だが、一般的な観点でいえば十分な達人クラスの強さを持っている。
悪だくみを得意とした、あの先代バッハ侯爵が手塩にかけて育てた者たちなのだ。
これくらいの芸当は朝飯前にやってのける。
「……こんな感じで、大した罠ではありません。刺さっても痛い、くらいなものでしょう。毒は塗ってあるでしょうけれど。私たちは道を避けて敵陣の様子を観察しに行ってますから、そこで見つけたものはもう解除してあります。ただ、このような感じで見落としもあるようですから、今日は道に張っている罠を解除しながら進みます」
「つまり俺たちは、人の待ち伏せだけ警戒すればいいってことか」
「そういうことです。お願いします」
夜明けから早足で進んでいく間に、モーリスの手の者は次々と罠を解除していく。
道を半分ほど進んだ頃だろうか。
クルム以外の全てがぴたりと足を止めた。
何かあるのだろうかとじっと周囲を観察したクルムは、あることに気が付く。
ここから少し先の地面の土の色が、微妙に変わっているのだ。
クルムにはそれがなんであるかすぐには分からなかったが、他の面々には理解ができたらしい。
「待ち伏せじゃな。付近に隠れておる」
「魔物と大して変わらない浅知恵っすね」
グレイが呟くと、ロブスも肩をすくめて馬鹿にするように呟く。
グレイたちがそう判断した理由は、少し先の地面が最近多くの人間に踏まれて色が変わっていたからである。
「賊がよく使う手だ」
「息を殺している者の気配がする」
サッシャー家の家長が言えば、バッハ侯爵家の手の者も小さな声で呟く。
ここにいる大人たちは、兵士以上に殺し合うことに慣れたベテランである。
「よちよち歩きの焔の精よ。おお、哀れなる零れた種火よ。すがるべき者を探せ」
アンが杖をぐるりと振るって呪文を唱える。
ぽっぽっぽっぽっと、小さな炎の塊が地面に散らばると、ゆらりゆらりと前方へ移動していく。
敵の姿はまだ見えない。
しかしその炎は茂みに入り、枝や葉を焦がして小さくなりながらも進んでいく。
やがて、悲鳴が上がった。
「なんだ、おい、なんだこれ! ぐっ、くそ!」
悲鳴が上がるのと時を同じくして、森の中に姿を隠していたであろう者たちがぞろぞろと姿を現す。
その数およそ三十人。
それぞれの装備はバラバラだが、遠慮のない不躾な目つきだけはよく似ていた。
「くそっ、くそ!」
数人が服についた火をようやく消し終わったようで、小さなやけどにいら立ちの声を上げている。アンの魔法は威力がない代わりに、見事に敵を炙り出すことに成功したようだった。
「てめぇの仕業か、婆……」
男は幅広で片刃の剣の切っ先をアンに向けて、低い声ですごんだ。
「俺たちはキーズ傭兵団。少人数で先行してきたのが運の突きだな。皆殺しにして、特別報奨金に変えてやるよ。殺す前に教えてくれや。こんなかで一番偉い奴はどいつだ?」