「頂に立つものよ。吼えるものよ。空を舞うものよ。鷲掴むものよ――」
男がすごんでいる最中にも、アンはすでに次の詠唱を始めていた。
それを補助するかのように、キーズの自己紹介の終わる頃、何の予備動作もなくナイフを投げつけたのはモーリスの手の者である。
投げつけると同時に、即座に左右の木の影や茂みの中へと姿を隠した。
逃走したのではない。
戦いのために、敵の目を散らしたのだ。
投げナイフの多くはキーズ傭兵団の剣に弾かれたが、二人ほど腕に刺さってしまったものがいたようであった。
毒づきながらもナイフを抜いて投げ捨てた傭兵は、隠れた者たちに目を走らせながら構えようとした剣を、手からポロリと地面に落とした。
手が震えはじめた内の一人は、胸を押さえしゃがみこみ、もう一人は傷口に吸い付いた。
ナイフに毒がしみ込んでいたことに気が付いたのだ。
毒を吸いだしたものは、その直後、呼吸が困難になりじたばたと手足を動かしながら倒れ、もう一人もゆっくりとその場に倒れて痙攣するのみとなった。
傭兵団は動揺していたが、その間に黙っているグレイたちではない。
アンはすでに新たな詠唱を始めていたし、アンの義娘や、孫娘たちも先ほどのアンと同じ詠唱を始めている。
まだ敵が隠れているかどうかを疑って念を入れているのだ。
「よちよち歩きの焔の精よ……」
「——誇り高きものよ。強きものよ。只管に強きものよ。乞う、乞う、乞う。覇者たる其方の息吹の欠片を、卑小なる我が手に貸し与え給え」
グレイたちが一斉に切り込んでいく中、そのわずかな隙間を縫ってアンが杖の先を向けたのは、キーズ傭兵団の親玉、キーズの胸のあたり。
杖の先に光が集まり、収縮し、放たれる。
そのまばゆさに目を細め、キーズが体を躱した直後、そこに真っすぐ光線が伸びていく。
背後にいた数人の傭兵の胸や肩を焼き焦がし、貫き、光線は一瞬にして消滅した。
そんな傭兵たちの下へ、サッシャー家の子供たちが弓なりに放った矢が降ってくる。
ここまで傭兵団のキーズが名乗りを上げている途中から始まり、わずか数秒のことである。
卑怯も何もあったものではなかった。
遭遇戦で、人数が多いからと名乗りを上げているような愚か者を待ってやるほど優しいものはここにいない。
「クルム、伏せよ!」
敵の頭部を殴り抜いた直後、グレイが叫んだ。
クルムはその声を何一つ疑うことなく、その場にしゃがみこんだ。
直後、頭の上を鋭い岩石が音を立てて飛んでいく。
まだ森の中に魔法使いの伏兵が隠れていたのだ。
次の詠唱が始まったところで、魔法使いの足元に集まった小さな火種たちが、足元からその男の身体を舐めるように上っていく。
悲鳴が上がり、男が地面に転がった。
一つでは火傷で済む火種も、集まれば人一人を燃やし尽くす業火となる。
「ロブス、大将首は譲ってやろう!」
「あざっす!」
ロブスがトンファーで殴りかかると、キーズは剣のガードでそれを受け止め、押し返した。腕前を見るための一撃であったが、押し返されたことにロブスは驚き、楽しそうに「へぇ!」と声を上げる。
「死ね!」
キーズはそんなロブスの反応に構うことなく、すぐさま攻撃に転じた。
目の前にいる相手が、精鋭であることに今更気付いたのだ。
最初の口上は守られる場所にいるクルムを狙うためのものであったが、そんな小細工を使っている余裕がないと、ここまで一方的にやられて思い知ったのである。
部下たちが次々とやられている。
伏兵は次々と燃やされている。
早く目の前の敵を倒して次の奴を殺さねば全滅だ。
幅広の剣を嵐のように振り回し、首でも四肢でも腹でもどこでもいいからと、致命傷を狙っていくが、ロブスは冷静にトンファーというみょうちくりんな武器でそれをはじき続ける。
受け止め、受け流し、じっとキーズの隙を窺い続ける。
痺れを切らしたキーズは、連撃を叩き込んだ勢いを利用して、剣を大上段に振り上げた。
キーズはこれでも名の知れた傭兵だ。
兜も鎧も無視して、敵を撫で斬りにして生き残ってきた実績がある。
斬鉄はキーズの得意とするところだ。
トンファーごと頭をかち割ってやろうと渾身の一撃を叩き込む。
「見えたっす」
腕に沿わすようにトンファーを構えたロブスは、体を斜めにしつつその一撃を受け流す。そうしてキーズの横に回り込みながら持ち手をくるりと回し、その頭部を前後から挟み込むようにしてトンファーで打ち据えた。
砕ける音がした。
あまりに残酷な一撃であった。
丈夫な魔物の頭部を一撃で破壊する男の、挟み込みの一撃。
原形は残っていなかった。
幸か不幸か、それを目撃した傭兵は一人もいなかった。
キーズ傭兵団を残らず始末した一行は、それらをそのまま置いて、道を先に進んでいく。モーリスの手の者のうちの一人が、報告のため一度本隊へ戻ったが、変わったことと言えばそれだけだ。
大人はもちろん、サッシャー家の子供たちも、誰一人として動揺していなかった。
皆がそんな世界に生きてきたからだ。
この中で一番動揺が激しいものがいるとすれば、それは間違いなくクルムである。
しかしクルムもまた、きりっと表情を引き締めて、それを誰にも悟られぬようにグレイの横に並んで再び歩き出したのであった。