「ああああああ!」
ゾエとグンナイが声を上げる中、片手でロープを掴んだのはグレイであった。
足を踏ん張り、「ぬんっ」と気合を入れるとロープがぴんと張る。
片腕だけで大人二人がぶら下がっているロープを維持している形だ。
「さっさと渡らぬか」
そう声をかけたグレイへ、森の中からまたナイフが襲い掛かって来る。
グレイは舌打ちをしてナイフを数本躱したが、その度ロープが揺れてゾエとグンナイが悲鳴を上げた。
そんなことをしているうちに森から現れた敵は四人。
「俺はこいつをやる!」
一人の剣士は余裕綽々なロブスに斬りかかると、残りの二人は舌打ちをしてロンヌスとメロディエ、そしてサッシャー家の方へと躍りかかる。
妙に自信があるようで、それぞれが好き勝手なことをやっていて、連携がない。
「じゃあ俺たちはこっちだ」
にやっと笑ってグレイの前に立ったのは、手足が長く、しなやかに鍛え上げられた筋肉を持つ男であった。
「お前が噂の、グレイ=アルムガルドだな? 俺は武人、【崩天流】のリー。片手でどれだけ抗えるか、やってみな」
リーが地面を蹴った。
その場に足跡が残るほどの鋭い踏み込みを数歩すると、最後の一歩で一気に距離を詰めてくる。右腕を突き出した構えから、突撃してくる勢いに合わせて、身体を捻り、左手の拳を突き出す。
ボッ、と空気が弾けるような音がして、リーの拳に炎が宿った。
グレイが軽く体を躱すと、拳がグレイのローブの一部をかすり、激しくはためかせた。本来であればちぎれて炎に包まれるような一撃であるのだが、特別製のローブであったからこそ、その程度で済んだのだろう。
グレイは左手の指先に掴んでいたナイフを、手首だけでリーに向けて投げつける。
リーからの攻撃の瞬間に、クルムに向けて森の中から飛んできていたものだ。
どうやら最後の一人は姿を見せるつもりもないらしい。
リーが舌打ちをして距離を取ったところで、またも投げナイフが飛んできて、グレイはそれを指先でつまんだ。
今度の攻撃もクルムを狙ったもので、おそらくリーが態勢を立て直すための時間稼ぎを狙ってのことであり、それは見事に成功していた。
グレイが飛び道具を防ぐための魔法を展開しようと呪文を口にした瞬間、リーが再び踏み込んでくる。いったん詠唱を中断し、即座に身体強化の呪文を唱えたグレイは、左手一本でリーの攻撃を迎え撃つ。
絶え間なく繰り出される拳は、先ほどのように一撃必殺を狙ったものではなく、グレイの行動を制限するための、そして、隙を探るための攻撃であった。
そうはいえども、普通の人間であれば一撃でぐしゃりと体が陥没するような攻撃ばかりである。
両腕から放たれる攻撃を、グレイは受け、払い、流し、時に躱しながらクルムに向けて投げられるナイフを叩き落とす。
そもそも、本来ならばグレイは、歩行や手の動きなどで、自身への身体強化については完了できるのだが、今回は片手がふさがっている上にクルムを守れる位置から動くことができないせいで、なかなか面倒なことになっている。
確かに敵は精鋭のようで、ロブスも戦いを優勢に進めてはいるものの、未だ仕留められていないし、サッシャー家の方は前衛がやや押され気味なのを、魔法使いで何とか補助しているような形である。
「おらおらおら、王族殺しの実力はそんなもんかぁ!?」
無限に拳を繰り出してくるリーが調子に乗ってグレイを煽った。
ぴきりと、グレイの額に青筋が浮かび上がる。
「それだけ拳を振るって一撃も当てられないへたれが吠えよるわ」
「あ、かっちーん。本気出しちゃうぜ……」
「今まで本気ではなかったとでもいうのか? ほぅれ、変身でも何でもしてみればよかろう」
一瞬上体を大きく逸らしたリーは、その反動を利用して、グレイの顔面に向けて右こぶしを叩き込みにいく。そしてその陰に隠すようにして、同時に左の拳でグレイの胴体をぶち抜かんと試みた。
グレイの腹から重厚な音が響き、その重たい体が跳ね上がる。
「先生!?」
クルムは、グレイがまともに攻撃を貰ったところを初めて見て、思わず声を上げていた。
時を同じくして、グレイに向かって投げナイフが幾本も迫っている。
リーは追撃のために両腕を引いてすでに次の攻撃動作に移っていた。
これはまずい、とクルムが思った瞬間だった。
「本気というのはのう……」
低い低い声が聞こえた。
グレイの右腕がみしりと音を立て、クルムには、その体がボッと音を立てて、勢いよく回転したように見えた。
丈夫なロープが悲鳴を上げる。
直後、リーの身体が吹き飛び、対岸から根っこごと抜けて飛んできた大木が森の中に突き刺さり、ゾエとグンナイが情けない声を上げながら、どこか森の奥の方へと飛んでいった。
「こういうもんじゃ!」
グレイがやったことは単純だ。
力任せに対岸の木を引き抜き、その木を森の中にいるナイフ使いに激突させて仕留め、引き抜くために入れた力を利用して体を回転させつつ、リーの頭部に蹴りを放った。
攻撃をさばきつつ、ぶつぶつと呪文を唱えて身体強化はある程度完了している。
これくらいはお手の物だ。
一手で逆転。
「くそ……!」
リーは何とか立ち上がったが、防御のために間に入れた腕が完全にへし折れていることに気が付いて顔を青くした。
攻撃に気が付いた瞬間に、思いきり反対方向に飛び退いてこれだ。
まともに受けていれば頭部が吹き飛んでばらばらになっていたはずである。
「早くお主の本気とやらを見せてみよ」
先ほど攻撃を受けた腹を片手でパンパンと払いながら、グレイは凶悪な顔で笑う。
「死ぬ前にのぅ」
そういった瞬間、グレイはすでに走りだしていた。