川を渡ろうとする敵に対して、弓兵が矢を射かけるが、敵は敵で木を束ねたものを盾としているので、損害らしいものを与えることができていない。
セナト侯爵はこの際魔法使いも使って、一斉に攻撃してはどうかと提案してみたものの、ボレアスには反対されてしまった。
ボレアス曰く、時間が稼げているので今のままで良い。
隠しているからこそ意味のある兵科もあるとのことだった。
じりじりとした戦いが続く。
敵の方が戦える兵士の数が多いと分かっただけでも腹立たしいのに、ボレアスは逆らうし、天気は段々と悪くなってきている。
敵がいつ本気で川を渡ってこようとするのか。
それが気になって気になって、ろくに眠ることすらできやしない。
突破されてしまえば自分の命だって危うくなるのだ。
楽々勝てる戦だろうと勝手に思い込んで出てきたのに、こんなぎりぎりの戦いになっているせいで、刻一刻と精神が削られていく。
だからこそセナト侯爵は、青髭が生えてきた顔で、いらだたしげに椅子を揺らし続けていたのだ。
そんなセナト侯爵の元へ、息せき切って伝令が入って来る。
「なんだっ、敵に損害を与えたか!? 弓兵か!? それともやはり魔法使いを出したのか!?」
セナト侯爵はそれだけ急いできたのだから朗報だろうと身を乗り出した。
当然その反対の報告である可能性もあるというのに、楽観的なこの男はそんなことは想像もしなかったらしい。
「あ、いえ、何やら山の方へ向かっていた傭兵の一人が、怪我をして戻ってきていまして……」
「……捨ておけ。適当に治療してやれ」
急につまらなさそうな顔をしたセナト侯爵は、ため息を吐いて伝令を追い払うように手を振った。
「それが、ここに報告があると……」
「負け犬となど会いたくもない」
アハーバ王国の貴族か何か知らないが、オブラ侯爵と対等に話し、セナト侯爵のことを見下したような目で見てきた男から預かった奴らである。
精鋭だと偉ぶったくせに何かに敗れて戻って来たらしい。
きっと大した腕ではなかったのだろうと思いつつ、しかしそうなると、山の方からやってくる敵に対しての警戒をせねばならんかと、セナト侯爵は首をひねる。とすると、面倒であるが負け犬から話を聞いたほうが無難だ。
仕方がないから会ってやるかと考え直したところで、陣の奥から声が聞こえてくる。
「おまちください! セナト侯爵閣下はお会いにならないと……!」
「うるせぇ、どけ!」
乱暴に陣地に乗り込んできたのは、傭兵の一人【崩天拳】のリー。
片腕が完全にひしゃげて出血しており、それを無理やりに真っすぐにして添え木をつけている。自分でやったのだとすれば恐ろしい胆力だ。
「無礼な」
「警告しとくぜ。俺は負けた。【青天の隠者】グレイの実力は本物だ。川上で何か企んでやがったぜ」
「つまらん報告を……。敵は何人だ」
リーはセナト侯爵が自分を見くびっていることを正確に感じ取った。
それはそれとして重要な情報を持ち帰ってきてこの扱いはいただけない。
「ボレアスの旦那はいねぇのか?」
話の通じない男のことは放っておいて、本命に連絡をしておきたい。
負けてしまったので、もちろん報酬は少ないが、それでも自分が味方した側が戦に勝った方がいいに決まっている。
情報を大切に扱ってくれるボレアスに会った方が話が早い。
「私が聞いてやっているのだからそれで十分だろう。敵はどれくらい残っている。何人やったのだ?」
「二人か。敵も少人数の精鋭だ。そんなことよりもボレアスの旦那に今の話を伝えてくれ」
今の言葉でセナト侯爵もまた、リーが自分よりもボレアスのことを慕っていることに気が付いた。
互いに互いを馬鹿にしていることに気付いてしまったわけである。
「戻ってきたときに伝えればよかろう。それよりもお前は、その敵がやって来るかもしれない場所の警備につけ」
「は……? 万全の状態で負けたんだぞ……?」
「だから名誉挽回の機会をやると言っているのだ。まさか逃げるのか?」
冷たいセナト侯爵の視線を受けて、リーも目を細めた。
だが、冷静にため息を吐いて答える。
「……ちっ、分かったよ。兵士を借りるぜ」
「駄目だ。来るのが分かっているのだから準備すればよかろう。尻拭いにうちの兵士はだせん」
「ざけんな、俺が負ければお前らだって……!」
「敵が来そうな方面はどちらだ。警戒だけはしておこう」
堂々と言い放ったセナト侯爵に、リーはついに閉口した。
長年戦場を駆け回ってきたが、傭兵をここまで軽んじる雇い主を見るのは初めてだった。
いや、正確にはセナト侯爵は雇い主ではない。
リーは雇い主からセナト侯爵に貸し出されてここに来ただけだ。
「……山の裏手にでも気を付けろよ」
ぼそっと警告したリーは陣を離れ、兵士の一人に告げる。
「ボレアス殿に伝えろ。川上で敵が何か企んでた。川上に配備した部隊は全滅だと」
「し、しかし、勝手に持ち場を離れるわけには……」
「いけ、ぶち殺されてぇか」
リーは兵士の首を締めあげて片手で持ち上げて脅しをかける。
そうしてキッチリと頷かせ、伝令に向かわせたところでため息を吐いた。
「最低限の義理は果たしたぜ、ボレアスの旦那。俺はこれで撤退だ」
リーが丘を下り、森を抜けたあたりで、地面が揺れた。
振り返ったリーの目に映ったのは、川に飲み込まれていく弓兵たちの姿。
すぐにまた走りだしたリーは呟く。
「こりゃあ、逃げて正解だったようだな」