「あの、申し訳ありません、ここに来るまでにだれもおらず……、その、失礼いたします……ひっ」
言い訳を募らせながら陣へ入ってきた男は、直後、悲鳴のような声を上げた。
抜き身の武器を持った者たちが自分を待ち受けていたのだから、驚くのも仕方のないことだ。
状況を把握することなく、その場で平伏して命乞いを始める。
「も、申し訳ございません、勝手にこんなところまでやってきて……! 今すぐ立ち去りますので、どうか命だけは……!」
「あの、リゼルクおじさん……ですよね」
「俺には妻とまだ小さい子供も……へ?」
クルムが声をかけてからも言い訳をしていた男は、どこかで聞いたことのある声を聴いてそーっと顔を上げた。
「クルム王女様……?」
「はい、どうしたんです、こんなところで。あなたは兵士ではなく街の家具屋でしょうに」
「あ、え? こりゃ、ええ? 王女様がどうしてこんなところに? ここは、あの、セナト侯爵様のいらっしゃる場所では……?」
驚きのあまり尋ねられたことにもこたえられないリゼルクは、いたって普通の、どこにだっている街の人である。
「リゼルクおじさん、落ち着いて聞いてください。いいですか?」
混乱しているところ申し訳ないとは思ったクルムだが、真面目な顔でいったんリゼルクを黙らせることにした。今は時間が惜しいのだ。
いつもニコニコして話しかけてくれていたクルムが、真面目な顔をして注意をしてきている。
それだけでリゼルクはカチコチに固まってから、黙って何度も頷いた。
「なぜ王都の住民でしかないあなたたちが兵士を?」
「あの、王都に敵が迫っているから、一人でも多くの兵士が欲しいといわれまして……。王様や王女様たちが殺されてしまって、大変なことになっているとも……。それで、兵士は他のところに向かわせるから、数合わせでもいいから、家族を守るためについてこいって言われて……」
「なるほど……私たちは殺されたことにされていましたか」
普通に暮らしている王都の民に、敵が誰かなんてことは分からない。
いくら旗を掲げようと、それが何家の者であるか理解する知識もないのだ。
まして王族と関わりのある平民などほとんどいない。
平民とお互いに顔をしっかり覚えている王族など、クルムかルミネくらいなものだろう。
デマを流せば捨て駒として徴兵し、戦わせるくらい訳ないことだ。
「リゼルクおじさん、事実は違います。オブラ侯爵家が、他国と組んで権力を意のままに操ろうとしているのです。それを何とかするために、私たちは一度王都を離れ、兵を率いて戻ってきました」
「え、ええ……。お、俺たちは、じゃあ、クルム王女様と戦わされそうになっていたんですか……?」
「はい。……急いでおりて、こちらの軍とぶつかる前に状況を説明しましょう」
陣から出て外を見れば、既に水が放出された後の川に、北西方面軍の兵士たちが木を組んで作ったいかだを渡す準備をしている。
それを見て王都の民たちも動揺している風であるし、ぶつかってしまえば無駄な犠牲が出ることだろう。
グレイはそう言いながら山を駆け下り始めたクルムの横にぴったりとついていく。
後ろではゾエがぽつりとつぶやく。
「これが敵の罠だったらどうするのかねぇ、王女様は……まったく」
警戒心の高い貧民街の住人ならではの発言であるし、それは間違っていなかった。
たまたま今回はそうでなかっただけである。
だからこそ、グレイも警戒を外さずにぴったりとクルムについて走りだしたのであるが。
しかし時には、慎重に動きすぎて機を逸することだってもちろんある。
結局のところ、どこで踏み込んで、どこで退くべきかの勝負勘が大事になってくるのだ。
状況が拮抗している時や、不利な時ほど、ここぞという時には前に出なければならない。
クルムの良いところは、いざという時の決断、踏み出しの早さにある。
それは諸刃の剣であるが、適切であれば常に刃は敵に向くのである。
「武器を下ろしなさい!」
丘の上から武装集団が駆け下りてくる。
山のふもとに布陣していた王都の民たちからすれば、上からくるものは自分たちの指揮官だ。
すぐさまその指示に従ったが、先頭にいるのが偉そうにふんぞり返っていたセナト侯爵家の兵士や、軍師のボレアスでもないことにすぐ気が付く。
「王女様……?」
「クルム様だ!」
「どうして、死んだんじゃ……」
動揺が広がる中、クルムはひたすら大きな声を上げる。
指揮官に必要なものは、意外とよく通る大きな声なのだ。
静かな丘には少女の高い声がよく響いた。
「私は生きています! 武器を下ろしなさい! 川を渡ってくる者は敵ではありません! 武器を下ろしなさい!」
無勢のクルム王女が、真っすぐに王都の民の真ん中を駆け抜ける。
彼らとほとんどつながりのない、貧民街四天王らやサッシャー家の住人らは警戒をしていたが、結局山のふもとにたどり着くまでただの一度も襲われることはなかった。
クルムは駆け抜け終えると振り返ってずらりと並ぶ王都の民らを見つめる。
粗末な防具に槍。
使い捨てのために連れてこられたのは明らかだ。
皆が黙りこくっていた。
そしてパラパラと振り続ける雨に体を冷やしていた。
「私の顔を見たことのある者もいるでしょう! 私、クルム=ハルシは生きています! オブラ侯爵家の裏切りと他国への内通により王宮を襲われましたが、難を逃れ、兵を連れ、戻ってきました! あなたたちを連れてきたセナト侯爵は、我々の軍に恐れをなして、あなたたちを置いて逃げ出しました!」
王都の民たちはぽかんと口を開ける。
家族を守るためにと動員されてきたのに、自分たちを無理やり戦場に連れてきた味方がいち早く逃げ出した。
そうしてどういうわけだか、死んだと思っていたクルムが雨に降られながら声を張り上げ、手を振って自分たちに呼びかけている。
「今まさに川をわたらんとしている彼らは、王国の北西方面軍。お兄様やお姉様たちとも手を組み、北東方面軍、南東方面軍をまとめ、私は今! 王都へ戻ってきました! 王都の民を傷付けるつもりはありません! 武器を下ろしなさい! 私はクルム=ハルシ! 王族の一人として、王都の民を守ることを約束します! 私と共に歩む者は、腕を上げ、声を聞かせなさい!」
大将であるというのに一番最初に後ろからやってきたラウンドが、拳を天に突き上げて「おう!」と低い声を響かせると、そのすぐ横にいたケルンがクルムの隣までやってきて同じように剣を抜き、空へと突き上げる。
「お、おおお!」
転げるようにしてついてきていたリゼルクが腕を突きあげながら声を上げると、段々とその声が広がり、置いていかれた王都の民の心を温め、奮い立たせる。
随分と遠くに逃げていたはずのセナト侯爵は、遠くで王都の民たちの雄たけびを聞いた。
戦いが始まったのだと思った。
そうして、精々つぶし合えばいいと現実を知ることなくほくそ笑むのであった。