薄暗い廊下と部屋を歩いている時のパクスは、そのまま闇にとけてしまうのではないかというほど全身が真っ黒だ。
いつも話をしている部屋についても、パクスはテーブルの上の燭台に一つ火をつけただけで、それ以上部屋を明るくしようとはしなかった。
クルムはパクスと随分長く話をしてきたおかげで、パクスが会話をするのに際し相手の表情やしぐさをこまめに確認していることを知っている。そうして相手の反応を窺いながら条件を決めていくやり方は、クルムも真似して参考にさせてもらっていた。
だからこそこの暗い部屋で話し始めようとしたパクスが、自分に対してある程度の信用をしてくれていることをクルムは感じる。
表情は見えなくてもいい。
ただ、今の状況を共有し、ともに戦おうという意思。
なんだかジンと感じ入っていたクルムに、横からグレイの声がかかる。
「何変な顔してるんじゃお主」
「あ、いえ……」
「ホントですね、なんというか、何かを誤解されているような気がして落ち着きませんが」
二人から似たような反応をされたクルムは、おかしいぞと少し考えてから、目の前にいるパクスの顔を目を細めて眺める。
当然その表情はうかがえない。
「……お二人とも、この暗がりで私の表情が見えるのですか?」
「見えるじゃろ、これくらいの明かりがあれば」
「魔道具を使っているので」
「…………こちらの事情からお伝えします」
何のことはない。
パクスは一方的にクルムの表情から情報を得るために部屋を暗くしているだけであると判断したクルムは、しばし黙り込んだのち、完全に無表情に変わった。
何が信用だ。
何が共に戦う意思だ。
クルムとパクスの関係はあくまでビジネスライクなものである。
そこに友情やら師弟関係やら信頼なんてものはない。
クルムは淡々とこれまで起こったことに関する説明を始める。
グレイとパクスはちらりと目配せをして、何を怒ってるんだこいつはと二人して思ったが、いったん黙って話を聞いてやることにした。なぜならその方がスムーズに話が進むからである。
決してクルムの気持ちをいたわってのことではない。
ろくでもないところでばかり以心伝心するいやな師弟である。
「……おおむね順調に話が進んでいるようですね。特にファルボド子爵を取り込めたのは大きい。ま、この戦いが終わった後どうなるかはわかりませんが、そんなことは先々考えればいいでしょう。そうなるとほしいのは、ルアーノ陛下とヘグニ王子の行方ですか」
「はい、そうです」
「陛下は亡くなっているでしょうね。そうでなければ、ジグラ王子に王位継承の話が出るはずがありませんから」
クルムは黙って頷いた。
表情を変えたつもりはない。
ただ、複雑な気持ちだった。
ルアーノは血のつながったクルムの父であるが、父らしいことは何もしてもらわなかった。クルムはそんなルアーノを、母を救ってくれなかった敵であるくらいに思っていた。
しかし王宮の状況を知れば知るほど、それがただ一つの真実であったと信じ続けるほど、クルムは愚かではない。
ルアーノもまた、ハルシ王国の貴族に翻弄された者の一人だった。
それでも本来クルムの境遇を思えば、死を告げられたからと言って動揺するほどの関係はないはずだ。
クルムの気持ちをかき回したのは、今の兄弟たちとの関係である。
殺し合いをするつもりだった、ハップス、ファンファ。
敵か味方かも分からぬような恐ろしい存在であったルミネ。
常にクルムに八つ当たりのように嫌味を言い続けてきたケルン。
ヘグニのスペアでしかないと思っていたセルルト。
そして、オブラ侯爵家に担ぎ上げられて圧倒的に優勢だと思っていたのにもかかわらず、本当は弟や妹を何とか守りたいと考えていたらしいヘグニ。
知らないからただ恨んでいられた。
クルムは伝え聞いた話から、ルアーノはどんな人物であったのかを想像していた。
こんな風に争わなくていい環境であったら、ルアーノはどのように自分に接していたのだろうと考えた日がなかったとは言えない。
だが、クルムはほんの一瞬でそれを思考の端へと追いやった。
その感傷に浸るのは、今この瞬間にやることではない。
「ヘグニお兄様は?」
パクスはつらつらと可能性を述べていく。
話が始まってからじっとクルムの表情を観察していたパクスは、その表情が一瞬、僅かに歪んだことにも気づいていた。だが、この年でポーカーフェイスをほぼ完ぺきにこなすクルムのあり方には脱帽する。
もちろん褒めたりはしないが。
「私だったら、殺しています。後顧の憂いにしかなりませんから。しかし生きている可能性もあります。例えば、ルアーノ陛下が第一王子であるヘグニ王子にしか伝えていないことがあって殺せない。あるいはジグラ王子とアハーバ王国が扱いにくい場合に、オブラ侯爵家が担ぎ出すための予備として。本来その方が正統性も高い。もしくは、ジグラ王子がヘグニ王子の説得にほだされている可能性だってある」
パクスは、そうしてさらに続けた。
「ただし、私なら迷うことなく見捨てますが」
パクスの発言は、きっと知恵のある者の選択として、間違いなく正解であった。