「ふぅむ……」
しばらくうろうろとしてみたグレイであったが、流石に宮中はどこも人がうろついていて、なかなか隙が見当たらない。
「こりゃあやるしかないのう」
グレイがわざわざ呟いたのはクルムのためであったが、同時にクルムに反論の隙を与えるつもりはなかった。
すぐさま足音を消して歩きだしたかと思うと、巡回している者がグレイの方を見た瞬間に欄干に飛び乗り、引き倒し、口を押さえてきゅっと首を絞め、そのまま廊下の下に放り投げる。
その間わずか数秒。
そうしてすぐさま屋根の上に飛び乗ると、素早くヘグニがいるであろう区域へ向かう。
いずれ兵士が締め落とされていることに気付く者もいるだろうけれど、即座にというほどではないはずだ。
ただし、これで先ほどよりも時間制限がタイトになったことは間違いない。
機会は待つものではなく作るもの。
グレイらしい動きであった。
たどり着いた中庭には、人の気配がない。
しかし、中庭を挟んで、セルルトと話した時とは逆側の棟へとコッソリ入り込めば、廊下にも仕えている者らしき人物が待機していた。
しかしまぁ、セルルトの部下たちのことを思えば、彼らもまた敵側と内通している可能性が非常に高い。
グレイは背中に乗っていたクルムを下ろすと、抜き足差し足で近付いて、首をキュッと絞め、誰一人として悲鳴を上げさせることなく仕留めていく。
殺してはいないけれど、本当に暗殺者さながらである。
しかしさすがに、中には護衛も混じっていたようで、首をキュッとした時の僅かな音を聞きつけて、何奴とばかりに飛び出してきた。
その出会いがしら、グレイは顔面を手のひらで捕まえたかと思うと、後頭部にも手を回し、素早く頭を揺さぶった。
剣を抜いていた男がだらりと全身を弛緩させて、そのまま武器を取り落とす。
「……何したんですか?」
後ろから追いついたクルムは、敵の服で手を拭っているグレイに尋ねる。
「何って、脳みそ揺さぶってやっただけじゃ」
「脳みそ……?」
人が意識を失う仕組みをよく理解していないクルムは首をかしげたが、グレイのやることは大体いつも突拍子もない。
いつまでも気にしていても仕方がないかと、クルムは質問を切り上げた。
どうやら今晩の護衛はその人物一人だけであったようで、それ以上敵が現れる様子はない。
グレイが次々とドアをあけ放ちながら先へ進んでいったところ、四つ目の扉に外から閂がかかっているのが見えた。どうやら急造したらしく、まだ新しい。
グレイがそれを外して中へ入ると、そこには何やら物思いにふけっているヘグニの姿があった。
随分とやつれているけれど、怪我があるようには見えない。
こうなると、本当にセルルトと見た目がよく似ている。
閂が外れた僅かな音に気が付いたのか、扉を開けてやってきたグレイとクルムを見て、目を丸くしていた。
「クルム、か……。どうして……」
「ジグラお兄様の下へ行って捕まりましたか?」
何を言うべきか迷っているヘグニに対して、何を言うべきか定めてきていたクルムが質問をかぶせて黙らせる。
ヘグニが頷いたのを確認して、クルムはさらに続ける。
「父上は生きていますか」
「分からない」
「状況は理解していますか?」
「わからない。ここしばらくずっと、この中に監禁されている。ジグラに捕まった場所から移動する際に耳にした話では、王宮が占領されたと」
どうやらオブラ侯爵からもろくに接触がなされていないらしい。
そうなると、オブラ侯爵とアハーバ王国側の勢力バランスは、特別オブラ侯爵側が勝っているというわけではないように思える。
全てが自由に動けるのであれば、もう少しヘグニに情報を吹き込み、ジグラとの対立を匂わせるくらいのことはしそうなものである。
「何でも良い、行くぞ、ついてこい」
「どこへ」
「面倒じゃ、説明を聞きながらついてくるが良い」
グレイが廊下を歩きだす。
中庭に戻る方ではなく、そのまま外廊下に繋がる方へ向かっていた。
「……ジグラ王子がアハーバ王国と手を組んで王都を占拠しました。お兄様やお姉様たちと協力して、各地から兵士を集めてきています。……セルルトお兄様が怒っていましたよ。言うことを聞かずに、ジグラお兄様の下へ行ったと」
「セルルトが?」
これまでクルムが知っているヘグニの表情は厳めしいものばかりであったが、初めて僅かに緩んだ。
久々に知っている者の顔を見て、久々にセルルトの名前を聞いたおかげなのか。
「とにかく……無事で何よりです。逃げましょう」
「私は……お前の敵だぞ」
プライドなのか、それともジグラの下へ行ったときに何かを言われたのか。
ヘグニは俯いて変な顔をしながらそう言った。
「…………他のお兄様やお姉様は皆私を支持してくれています。今更敵ではありません。この件が片付いたら存分に働いていただきますので、そのつもりでいてください。死なれるとセルルトお兄様が悲しんで働きが悪くなりそうなので、ちゃんと助かってもらわねば困ります」
「そう……か……」
すぐに全て受け止めるには、あまりにも衝撃的で、無茶苦茶な話だったはずだ。
それでもヘグニは混乱したりせずに、何やらかみ砕くように、納得するように、頷きながら小さな声で呟くのであった。