【
密かなる殺しを請け負って数十年。
失敗は一度たりともない。
既に老いた体ではあるが、それでも鍛え続けているおかげで、屋根の上を跳び回って定位置に着くくらいのことはできる。いくつかある時計台の一つに陣取って、寝そべり、【静寂】は血走った右目をぐりっと動かした。
身体強化を一点に施す。
左の目をパチッと閉じると、右の目がぎょろりと前にせり出した。
両腕を前に伸ばし、左手で右の手首を固定。
人差し指の先に、特別目立つ場所で声を発しているクルムを定める。
肩車などして、殺してくださいと言っているようなものだ。
【静寂】の殺しに殺意はいらない。
ルーティン通りに準備をして、狙いを定め、放つだけだ。
威力はそこそこでいい。
人一人の頭を吹っ飛ばす程度で十分。
【静寂】はぎりぎりまで時を待つ。
ターゲットが動きを止める瞬間を。
最も多くの者が、それを目撃する瞬間を。
◇
クルムは人々を連れて門へと向かっていた。
どうやら後方には敵方の増援も来ているようなのだが、時折妙な声が上がって、その度、部隊が混乱しているようだ。
クルムのところからは見えていないけれど、それも全てヴェルバの仕業である。
「しかし面白い……。閉じ込められてつまらんつまらんと思っていたが、どうやら面白い現場に立ち会えたようだ」
くくくと声を漏らして笑っているのは、魔物の革を肩から下げ、マントのようにした人物であった。
それに追随して笑う者が数人、迷惑そうに目を背ける者が数人。
誰もがしばらくの間王都に閉じ込められていた、各国の要人たちである。
「何か起こるのではないかと思っていたが、こうなったか!」
「……カルサ同盟のリューゼル様ですね」
ハルシ王国から見て、北西方面の島々でカルサ同盟という交易網を広げているうちの一人で、小国の主でもあり、やり手の商人でもある女性だ。
周りで同意している者たちは、きっとこの同盟関係者であり、迷惑そうにしている者たちは、また別の勢力なのだろう。
「クルム王女殿下だったか。この騒ぎには私の冒険者も関わっている。どうかそれを忘れてくれるなよ」
「もちろん、皆さんの顔とお名前はしっかりと覚えております」
「それは良かった。ハルシ王国は外交も貿易も渋いところがあるからな。代替わりしたら是非ともその辺りを変えていただきたいものだ」
ハルシ王国の国土は広く、この辺りでは頭一つ抜けて強い国だ。
内部での貴族の力も強く、逆に言えば内部だけで全てが回ってしまうので、あまり積極的に他国と関わろうとしないのだ。
どうやらリューゼルはこれを機にクルムに期待をしているらしい。
落ち着いている時ならば、それこそ腰を据えて話してみたいものだが、今この場所でじっくり喋っているわけにはいかない。
クルムは苦笑してまた手を上げ、声を張り上げた。
「クルム=ハルシはここにいます! 王都の民よ、私に続きなさい!」
随分と規模も大きくなった。
数十人から始まったこの集団は、今や千人規模に膨れ上がっている。
彼らを連れて帰ったからと言って、別に戦力が増すわけではなく、むしろ足手まといになるくらいなのだが、それでも民意は自分たちの方にあると示すことができる。
それ以上に、先ほど話していたリューゼルのような他国の要人を連れ出せたことも大きかった。
これで、国際的に正しいのはどちらかという話をすることもできる。
うまくいっている。
まもなく門に到達したら、後はそれを破って外へ出るだけだ。
兵士さえいなければ落ち着いて閂を外して出ることができるだろう。
あと少し。
そんな気持ちでクルムがもう一度声を張り上げようとした瞬間だった。
グレイが妙な気配を感じて体をひねる。
本人だけならば、ローブがその体を守ったのかもしれない。
ただ、その攻撃の狙いはクルムであった。
ぎりぎりのところで回避が間に合わず、クルムの肩のあたりに何かが着弾し、身体がグレイの肩の上から吹き飛んだ。
グレイはヒィン!と音がしたその一瞬、パッとクルムの足を支えていた手を離した。支え続けることではなく、衝撃を逃がすことを優先したのだ。
そのせいで後についてきていた者は皆、クルムが吹き飛ぶ姿を目撃して息を飲むことになった。
皆が一斉に思ったのだ。
終わった、と。
クルムの身体が地面に転がり、悲鳴が上がった。
直後、グレイはクルムが吹き飛んだのと反対側を睨みつけると、僅かな詠唱の後、そちらに向けて魔法を放つ。いつものように放り投げるのではなく、ただ真っすぐに飛ぶ竜をかたどった水の魔法であった。
悲鳴が上がった。
どよめきが広がった。
クルムは、それを聞きながら、地面に手をついてゆっくりと立ち上がる。
そうしてグレイの方を向いて、ぽつりとつぶやいた。
「……受け身の練習、しておいてよかったみたいです」
「そうじゃろう。儂は無駄なことなど教えんのだ」
時計台を水の竜が半ばから食い破り、破壊した。
そこには既に【静寂】の姿はなかったが、これで同じ場所からもう一度狙われる心配はなくなる。
「壊れてしまいましたか」
クルムは首飾りを外すと、残念そうにポケットに詰め込んだ。
宝石にひびが入り、もはや効果を為さなくなったそれは、グレイが誕生日プレゼントにクルムへ贈った魔道具である。
役目を果たしたとはいえ、贈り物が壊れてしまったことが酷く切なかった。
「ほれ、新しいのをつけておけ」
しかしその直後、グレイはローブの内ポケットに入っていた同じものを取り出す。
紐が絡まっていて三つほどまとめて出てきたが、どれもラーヴァが材料のある限り作り続けた、『致命傷にいたる魔法攻撃から、一度だけ身を守ってくれる』魔道具である。
これ一つで貴族の邸宅が建つような代物を、グレイはクルムのために雑にポケットに突っ込んで持ち歩いていた。
「それ……いくつもあるようなものなのですか……?」
思わず尋ねたクルムの首に、グレイは勝手に魔道具をひっかけると質問に答えずにクルムに背を向けて屈んだ。
「さっさと乗らんかい。周りの奴らが嘆いているじゃろうが」
「……分かってます!」
クルムはグレイの背中に乗ると、そのまま肩車をされて再び民衆から見える場所で腕を大きく振った。
「さぁ! もう一息です!! 皆、私について来てください!」
ざわめきが広がる。
攻撃を受けたのは誰の目からも明らかであった。
それだというのに、クルムは怪我をした様子もなく、そして恐れることなく、また先頭の目立つ場所で腕を振っている。
民が歓声を上げた。
彼らからすればそれは、正に奇跡の瞬間であったのだから。