【静寂】は大聖堂の横にある背の高い建物の屋根に寝そべっていた。
隣には誰とも知れぬ白骨死体が放置されているが、そんなものは静寂の知ったことではなかった。
ぎょろりとした血走った目に、イラついた様子の男が、使者から報告を聞いている姿が映っている。
◇
「殺しそこなった……? そんな馬鹿な話があるか……!」
レッズ公爵は王宮の庭で、報告をしてきた者の胸倉をつかんだ。
「【静寂】は世に名の知れた殺し屋だぞ? 高い金も払っている! 失敗したことは一度もないと評判なのだぞ!」
【静寂】は、万が一敵の主要人物が王都に紛れ込んだ場合の切り札であった。
レッズ公爵本人の前にすら姿を見せたことのない徹底ぶりで、戦場で重要人物を殺すためだけに魔法を放つ暗殺者である。
【静寂】に二撃目はない。
そう噂されて久しい、伝説中の伝説だ。
「し、しかし、実際にクルム王女は立ち上がり! 人を連れて王都を出て行ったのです!」
「くそっ!」
レッズ公爵は胸倉から手を離すと、イラついた様子で庭と外廊下を行ったり来たりしている。
完全に計算外であった。
もともと妹をハルシ王国に送り込み、ジグラ王子を誕生させたところまでは作戦通りであった。地道に活動をさせ、敵を減らし、あわよくばハルシ王国を乗っ取ってやるつもりであったけれど、そのためには第一子であるヘグニが邪魔であった。
いくつか策を仕込んで、そのうちの一つでも成功すればいいと思って動いていたのだが、どれもこれもうまくいかなかった。
いよいよこれはもう駄目かと、諦めも視野に入れ始めた時にやってきたのが、オブラ侯爵家からの使者であった。
レッズ公爵からは見えていなかったが、どうやらハルシ王国内では新たな勢力として、第十一子のクルムという王女が台頭してきているらしく、オブラ侯爵家としてはそれを酷く警戒しているというのだ。
どのような手を使ってでもいいから、クルム王女及び、その教育係のグレイ=アルムガルドという老人を排除したいと。
それはレッズ公爵には理解しがたい、大変な警戒のしようであった。
レッズ公爵は慎重にオブラ侯爵家や、クルムの周囲を探りつつ兵を集め、そしてついにはオブラ侯爵家からの申し出を受け入れた。
王宮へ踏み入る機を探っていたレッズ公爵であるが、ある日、ヘグニというオブラ侯爵家への人質となる人物がのこのこと面談を申し入れてきた。
もしやオブラ侯爵家からの罠なのではないかと疑ったレッズ公爵であったが、どうやらこのヘグニは、以前にクルム王女とも勝手に面会を果たしている。
だからレッズ公爵は行動に移した。
既に王宮内部の構造は渡されている。
王子王女を皆殺しにして、ついでにそのグレイという老人も殺してしまうつもりであった。本国の精鋭に雇い入れた強者を加え、十分な精鋭を送り込んだつもりであった。特に名の知れた者たちは部隊を組ませて王宮の奥へ向かわせ、王であるルアーノを襲わせた。
レッズ公爵は、そこで初めてオブラ侯爵家がクルム陣営を警戒する理由を、半分くらい理解した。問題はクルム王女本人の能力だけではなく、そのおまけのように言われていた爺の方であったのだと。
レッズ公爵がぎりぎりまで決行日を知らせなかったことが、完全に裏目に出ていた。
それでもなお、オブラ侯爵は慌てて各地域に網を張り、王都郊外に軍を置いて見張っていた。しかしクルム王女をはじめとした集団は、その網も難なく突破して北上をはじめてしまった。
レッズ公爵はヘグニ王子を人質にとりつつ、改めてオブラ侯爵家と交渉。
かなり強気に交渉を進めるつもりであったのだが、グレイとクルム王女他、その仲間たちを数人取り逃がしたことを聞いたオブラ侯爵から、王国各方面から討伐軍が来る恐れを聞かされてそれどころではなくなった。
今この瞬間に知らん顔をして本国へ逃げ帰るか、それともオブラ侯爵と改めてがっちりと手を組んで、ハルシ王国の中枢に食らいつくかを選ばされることになったのである。
既に傭兵団をいくつか招聘しているし、本国にも王国南東部を突っつく好機であると伝えて、軍を動かすよう使者を送った後だ。
今芋を引けば、アハーバ王国貴族内での評判がガクッと落ち込むことだろう。
だからレッズ公爵は、オブラ侯爵の手を取った。
ヘグニを一時的に返還。
本国の軍を本格的に動かす代わりに、ジグラ王子を後継者に据えることを、オブラ侯爵に無理やり納得させた。その代わりに飲まされた条件が、何としてでもクルムと、あのグレイ=アルムガルドを殺せ、だ。
レッズ公爵はイライラとしながら庭を歩く。
今北西方面軍は川の付近で足止めをされているはずだ。
だとすると、クルム王女とグレイ=アルムガルドが王都へ来たのは、完全なる別動隊。
レッズ公爵は今すぐ追っ手を放つよう部下に指示を出した。
どうやら王都に閉じ込めていた他国の要人と冒険者共が余計なことをしているとの報告もあるから、残っている要人は皆王宮に監禁するように手配をする。
それにしても腹立たしいのは【静寂】だ。
顔も見せぬ無礼は、その腕を信用していたからこそであるというのに、失敗した後の報告にすら現れない。
許せない。
場合によっては顔を出したらすぐに殺してくれようと、レッズ公爵がぎりっと奥歯を噛みしめた瞬間だった。
その頭部に、小さな小さな穴が開いた。
それはレッズ公爵の頭を貫通し、脳漿をぶちまけて、王宮の外廊下に穴をあけて地面に潜って消滅した。
音はなかった。
指示を出し、手配をし終えたばかりで、周囲に人の姿はない。
◇
【静寂】は仕事を終えると、背の高い建物から、ひょいっと窓枠に捕まりながら飛び降りて、そのまま王都の闇の中へと消えていった。
失敗したことを広められても困る。
【静寂】に失敗がないのは、失敗したと言いふらす者がいないからだ。
【静寂】に二撃目がないのは、身の安全を大事にするからだ。
いつも通りのスマートな仕事であった。
レッズ公爵の死が確認されたのは、それから随分と時間が経ってからのことであった。