オブラ侯爵は、レッズ公爵の腹立たしい自信満々な言葉と表情を思い出して、もう一度ため息を吐いた。
アハーバ王国は周辺の諸国を打ち破ったり、取り返されたりしながら力を蓄えている中堅国家である。歴史の中ではハルシ王国を脅かすほどの規模になったことも幾度かあった。
だが、ハルシ王国との間には山脈が連なっており、これがまた互いの侵攻の妨げになっており、本格的な戦に至らないできたのだ。
今の規模感は、ハルシ王国の四分の一から三分の一程度。
ハルシ王国の南西方面をほぼ手中に収めていたオブラ侯爵からすれば、丁度釣り合いがとれるくらいの規模の国である。
アハーバ王国はその戦の頻度から、傭兵たちとの付き合いが盛んだ。
今回レッズ公爵は、様々な方面から、個人の武力や能力の高い傭兵をかき集めてきたらしく、それらはあちらこちらに配備されていた。
その中でも暗殺に特化した傭兵が一人いたようで、偉そうにクルム王女の暗殺は任せろと言って去っていったのが、オブラ侯爵とレッズ公爵との最後の会話であった。
レッズ公爵が命を落とした今、その護衛としてこっそりと王都に忍び込ませていた傭兵の数の残りはおおよそ百程度。その多くが腕の立つものであることは事実であるが、それと同時に、雇い主であるレッズ公爵の言うことしか聞かないのも、また事実である。
目の前にいるミニョン子爵は、レッズ公爵の死を受けて完全に及び腰。
何とかしてこの王都から生きて帰りたいとしか思っていないのは丸見えだ。
「……ミニョン子爵はさぁ、まだ勝つつもりはあるの?」
「も、もちろんでございます!」
言葉を発したのはジグラであった。
元々ジグラの後見はアハーバ王国の者たちだ。
レッズ公爵家こそがジグラの母の実家であり、そのレッズ公爵が命を落とした今、最もうろたえるべきはジグラであるはずだった。
それなのに妙に落ち着いている。
オブラ侯爵がここ数カ月ジグラと接して特に感じているのは、その扱いづらさであった。
焦りがない。
戸惑いがない。
ノーガードである上に、鋭く切り込んでくる。
そのまるで自分のことなどどうでもいいかのような姿勢は、王位継承争いに参加する者としては異様で、考えが読みにくかった。
元々オブラ侯爵が潰したいと思っていた者を、積極的に、リスクを冒して潰していたのはこのジグラの勢力だ。
てっきり好戦的なレッズ公爵の操り人形だとばかり思っていたのだが、そのレッズ公爵が亡くなってなお変わらぬ様子であるところを見ると、これまでの行動の全てが、ジグラが主導であった可能性も出てくる。
「オブラ侯爵閣下はどうです?」
「勝たずに未来はないでしょう」
「ふーん」
ジグラは頬杖をついた。
そしてじろじろとオブラ侯爵の表情を見て、また口を開く。
「ミニョン子爵が逃げたくてしょうがないのは分かったよ。でも、もうちょっとだけわがままに付き合ってほしい」
「そ、そのようなことは、決して……」
ミニョン子爵は顔を青くして言い訳をしたが、ジグラはそれを見ることすらしなかった。
「オブラ侯爵閣下は、生き残る道があるのならば逃げたい。でも逃げたら将来的に滅亡する可能性があるから、戦うしかない、みたいな考え?」
「どちらにせよ戦わねばならぬと理解しているのだからいいでしょう。ジグラ王子殿下こそ、どのようにお考えなのですか?」
ジグラは両肘をついて指を組み、その上に顎を乗せてにっこりと笑った。
「もちろん、このままで終わるつもりはないよ。ねぇ、ミニョン子爵」
「な、何でしょうか?」
「明日、騎士団の訓練場に傭兵たちをみんな集めてほしい。そこで話をしたいんだ。改めて雇用に応じてくれるか、それとも今のうちに敵に降参するかを選んでもらう。途中で寝返られても困るからさ。一応勝算はあるしね」
「はっ、はっ! 身命を賭して!」
「じゃ、もう時間もないだろうし、今から向かって。頼りにしてるからね、頼むよ?」
「はい!」
ミニョン子爵が転がるようにして去っていくと、ジグラはそのまま笑ってオブラ侯爵の方に向き直った。
「身命を賭してだってさ。何とかして助かることしか考えてないくせに」
オブラ侯爵は嘆息しただけで何とも答えない。
ジグラが不気味であった。
「返事もなしか、寂しいね。でもヘグニ兄上を取り返されてしまった今、閣下が助かるためには僕を擁立するほかない。そう嫌そうな顔をしないで、仲良くするべきだと思うのだけれど」
「……もともと、殿下を王に据えるべく動いておりました」
「それは嘘だね。だったらヘグニ兄上は殺すべきだった」
「万が一に備えてのことです」
「そういう、思い切りの悪いところは、良くないところだと思うのだけれどね。叔父上……レッズ公爵とは対極的だ。最後まで足並みがそろわなかったのは残念なことだと思うよ」
ぬめりとした、嫌な話し方であった。
確かに慎重派のオブラ侯爵と、自信家のレッズ公爵の相性は悪かった。
どちらかに振り切っていれば、違う展開もあったのかもしれない。
ジグラはそれを責めている、訳でもない。
ただ事実を淡々と報告しているような調子であるのだ。
ただ、本当にそうだとしたら、わざわざその事実をオブラ侯爵に伝える必要はない。
すごく迂遠に、お前のせいだと自覚しろ、と迫ってきているのだ。
君主として仰ぎたくない資質の持ち主であった。
名状しがたい気味の悪さ。
レッズ公爵が亡くなってなお変わらないのではない。
ジグラの気味の悪さは加速していた。
「閣下も明日の朝は部下を全員連れて集まってほしい。なに、決起集会みたいなものだからさ」
そう言ってジグラは立ち上がり、その場を後にした。
その背中を見送ってから、オブラ侯爵はぽつりとつぶやく。
「後をつけろ。訓練場を見張れ」
オブラ侯爵の使う影の者が数人、音もなくジグラの後を追って消えていった。