オブラ侯爵の長い語りが、何を目的としていたものであるか、クルムは一応理解をしている。
手ごまもなければ打つ手もない。
だから何か、なんでもいいから機会が訪れるのを待っているのだ。
ただ、部屋の外ではロブスとメナスが、集まってきた薬物兵とアンデッドを端から戦闘不能に追い込んでいるし、それ以外のイレギュラーが発生する様子はまるでない。
「ジグラお兄様か、【人形遣い】……先ほど話していた老婆がいる場所に心当たりはありますか?」
「……ジグラ王子殿下は、暇さえあれば玉座に座られていましたが、今どこにいらっしゃるかまでは知りません」
本当のことを言っているかはわからない。
ただ、当てがないのも事実であるから、向かってみるほかないだろう。
今のオブラ侯爵の状況が望まぬものであるとするのならば、玉座の間に罠が仕掛けてあるとも思えない。
「……先生、向かいましょうか」
「この男はどうする?」
グレイが顎で示したのは、片足を失った男、フィデスである。
放っておけばやがて命を落とすだろう。
しかし、直して戦闘力を取り戻させても厄介だ。
しかもこのまま死ねばアンデッド化する。
「…………スペルティア様、この方の傷は治せますか?」
「私様にならできる」
「治せばまた襲ってくるぞ」
「分かっています。フィデス殿。選択肢は三つ。今すぐ首を落として殺される。自害するか、放置でアンデッドになる。この状態のまま私たちが戻ってくるまで生き抜いて、怪我を治したのちに私に仕える」
フィデスは青白い顔のまま、自嘲するように笑った。
それからちらりとオブラ侯爵の方を見て口を開く。
「閣下を裏切れって言ってますよ、お姫様が」
「……裏切ればいいだろう。生き残りのために主を変えることが悪いことだとは、私は思わん」
「へぇ、いっちょ前なことを……」
フィデスはオブラ侯爵が子供のころから世話をしてきた、いわばオブラ侯爵の武術の師範でもある。血を失ってやや朦朧とする意識のなか、そんな長い付き合いのオブラ侯爵が、生き残ればいいと言ってくれたのが嬉しかった。
「今ので、ここで死んでやろうって気になりましたよ。さ、首を落として殺してくれ」
フィデスは杖を突きながら器用にその場に座り込んで、残っている足を伸ばしたまま、満足そうに目を閉じた。
オブラ侯爵は不愉快そうに眉間にしわを寄せたし、グレイはちらりとクルムの表情を確認する。そのクルムの表情もまた、渋り切っていた。
「先生、オブラ侯爵を縛って下さい。このまま玉座まで連れていきます」
「任せておけ」
オブラ侯爵も事ここにいたっては抵抗もしない。
素直に縛られている間に、フィデスが目を開く。
「……あまり先延ばしにされると、先にアンデッドになってしまいそうなんですかね」
クルムはじろりとフィデスを見下ろして、平静を保ったまま言葉を降らせる。
「その時はその時で。生きてまた再会できることを期待しています」
咄嗟に槍を取って自害を図ろうとしたフィデスであったが、その前にグレイが足でその槍を部屋の外まで蹴り飛ばす。
「ふっ、簡単に死ねると思うな」
「……ろくでもない師弟だなぁ、あんたらぁ」
最早怒りを通り越して面白くなったのか、フィデスは肩を震わして笑った。
死に掛けの面にしては活きのいい反応である。
「武人に向かって戦った結果死ね、じゃなくて、じわじわ死ねって、そりゃあ酷ってもんだ」
「……愚かな」
「何がだい」
フィデスはポツリとつぶやいたスペルティアを鋭い目で睨みつける。
グレイが足を庇いながら歩くオブラ侯爵と共に歩き始め、先に動いたクルムが部屋から出るところであった。
「お前が惜しいから、絶対に死なずにここで待っていろと言っている。生きていれば必ず足を生やしてまた戦えるようにしてやる」
「…………分かりにくいんだよなぁ、お偉い人たちってのはよ」
グレイはその辺の廊下にある棚を適当に引っ張ってくると、一応扉の前にいくつか並べてバリケードを作り上げる。
グレイからしても、フィデスという男は、なかなかの鋭い不意打ちをかましてくる良い武人であった。油断はなく、侮りはなく、技は冴え、忠誠心に厚い。
クルムが欲しがるのも理解できる。
音に寄って来ていた薬物兵やアンデッドは、一通りロブスとメナスによって始末されている。
一行は足を引きずるオブラ侯爵を先頭にして、玉座の間へと歩き出した。
部屋に残されたフィデスは、半分ぼやけた視界でしばらくその背中を眺めていたが、やがてため息交じりに首を横に振って、ぐっと丹田に力を込める。
負けたが、誰も自分の死を望んでいない。
普通ならば死んでしまうような大怪我であるが、どうやらクルムが自分の生き残れる方にかけていることがわかると、それに応えてやろうという活力もわいてくる。
「それにしてもよ……」
フィデスは声に出ているのか出ていないか、そんな微妙な、小さな声で呟く。
「閣下も、最初からあの王女様に味方しときゃあ良かったんだ。ちょっと雰囲気も似てるし、息もあったんじゃないかって、思うけどね、俺は……」
手遅れである。
始まりから掛け違っているのだから、そんな未来は絶対にありえなかった。
老武術者の呟きは誰にも届かず、血塗れの床に吸い込まれていくばかりである。