オブラ侯爵を連れていくと言っても、別に囮にして敵をおびき寄せようとか、そういう話ではない。
単純に目を離して逃げられたくないだけだ。
ぎりぎりのところでも常に次の手を探り続けるオブラ侯爵の目に、クルムは自分に近いものを感じていた。自分であれば、置いていかれたら何としてでも脱出の手段を探るし、万が一機会があれば必ず脱出するはずだ。
今は紛れが起きやすい状況である以上、オブラ侯爵を放置しておいていくわけにはいかなかった。
布陣としては、グレイとロブスが前に出て、メナスがロープを持っているような形である。二人が襲い掛かってくる敵と戦っていても、メナスが護衛に残っているので、オブラ侯爵は逃げ出すことができない。
薬物兵たちと戦っている二人の背中を眺めながら、クルムはオブラ侯爵に問いかける。
「……もし、今回の反乱がうまくいっていたら、あなたはどうするつもりだったのですか」
オブラ侯爵はクルムにとっての長年の敵だ。
先ほど話を聞いた限り、知的な人物であることには違いない。
だからこそクルムは問いかける。
何をどうしようとして、あんなことになったのか、どうするつもりだったのかが気になる。
「そもそも本来は、もう少し機会を待って仕掛けるつもりでした。決行するのならば、あなた方二人とホワイト騎士団長が外出中、かつ他王族の大半が王宮にいる状況。絶対に逃がしてはならない相手として、クルム王女殿下とグレイ=アルムガルドを挙げていたのですが、レッズ公爵陣営はそれを、私が過剰に恐れていると判断したようですね。ルアーノ陛下だけを間違いなく殺せば、それで十分混乱を起こせると。そして私にすら優勢を取るために、ヘグニ王子を人質に取った瞬間に事を起こした。本当は王宮の方をレッズ公爵に任せ、あなた方がいる屋敷に魔法で火を放ち、強者で十分に囲い込み、飛び出してくるところを殺すつもりでした」
クルムの背筋が冷やりとした。
オブラ侯爵が待っていたのは、そう難しい条件ではない。
いずれどこかで必ず訪れていたはずだ。
そうなっていれば、敵軍の連携はとれていたはずだから、なんとかその場は脱出できたとしても、他の誰かを救って王都から逃げ出すことは難しかっただろう。
「それが終わったら取って返して、ジグラ王子、レッズ公爵共に滅ぼすつもりでいました。もう用はないので。あなた方を殺したことも、そちらに押し付けるつもりでいました。本来はそれで終わりだったのですよ。……だからある意味、レッズ公爵の判断は間違っていなかった。その場での死を避ける、という意味では」
「……そのような姿勢だから、裏切られたのではないですか?」
「いいえ。もし私がきちんとレッズ公爵との約束を履行するつもりでいても、きっとレッズ公爵は私を信じずに、同じことをしたでしょうね。主家を裏切って殺そうとしている貴族の言葉などだれも信じるはずがありません。そこにある繋がりは、互いの利だけですよ」
冷めた言葉であるが、それは確かに真理であった。
乱暴な手段を取らざるを得ない状況になった時点で、オブラ侯爵は常に裏切られることを覚悟して動かなければいけなくなっていたのである。
「……うまくいっていたら、ヘグニお兄様を国王に?」
「はい、そうしたでしょうね。ヘグニ王子殿下は、善良であらせられるので」
その言葉はするりと出てきて違和感もなかったが、間違いなく侮りも含まれている。オブラ侯爵がそのようにヘグニを育てたのだから、それも当然のことだ。
「……王位継承争いは今回で終わり。ハルシ王家を象徴としていただき、オブラ侯爵家が代々宰相としてそれを支える。そんな形に落ち着けるつもりでいました。直轄地を増やし、それに反対をする勢力、例えばファルボド子爵なんかと戦いながら生涯を終えることになっていたでしょうね。私の予定では、ベゼルフッド辺境伯は、当代さえ王都でしっかりと始末してしまえば、次代からは素直に言うことを聞く予定でしたので」
「……〈要塞軍〉はどうするつもりだったのです?」
「領土ごと切り離し、別国とするつもりでした。呪い谷、竜食山の管理を押し付け、流通を制限すれば四方をハルシ王国に囲まれることになり、逆らうことができなくなります。流石に背中に魔物たちを抱えながら、長期戦もできないでしょうし、それで何とでもなるはずでした」
理論的には間違っていなかった。
話している間に敵を屠り終えたグレイたちも話を聞いている。
「最後の詰めがうまくいかなかった」
「馬鹿じゃな、お主」
「……グレイ殿から見れば、そうなのでしょうね。あなたの腕力に全て敗北したようなものですから」
自嘲の笑みを浮かべたオブラ侯爵が負けを認めたが、それでもなおグレイは更に口を開いた。
「違うな。それだけぐちぐちと面倒くさい頭を回す男ならば、気づいていたのではないか? 何をどうしても勝ちの目が見えないと。例えば、儂が館に火をかけられて、万が一脱出しようものなら、どこかで必ずお主の首を引っこ抜いていたぞ。そんなことでこの儂が死ぬわけがなかろうに。それだけ儂のことを警戒しているということは、きっとお主は何かでわしのことを知っておったんじゃろう? そ奴は何と言った。グレイ=アルムガルドは入念に準備をして、殺そうと思えば殺せる相手と言っていたか?」
「…………絶対に、刺激をするなと」
「お主は、間違えただけじゃ。最後の詰めがうまくいかなかったのではない。尻尾を巻いて逃げ出すべきところを、これまで投資した分を失うことを恐れて、希望にすがり、命を投げ出したんじゃ」
オブラ侯爵はじっと地面を見つめて黙り込む。
改めて祖父の言葉を思い出していた。
『あれは化け物だ。必ず自分の意思を貫き通し、その過程にいる全てを破壊する災厄だ。絶対に近寄るな、刺激するな。姿を現したのならば、息を潜めて通り過ぎるのを待て』
その頃よりは随分と大きな権力を手に入れていた。
もうとっくに中興の祖である祖父を越えたと思っていた。
今の自分ならば、とおごりがあった。
それらが、『逃げるべきだ』と気づいていた本能を誤魔化し、判断を誤らせた。
「おぬし、儂を舐めたな?」
低い声が、ズシリとオブラ侯爵の肩にのしかかる。
オブラ侯爵はここでようやく理解したのである。
間違えたのだと。
これで終わりなのだと。
「クルムよ、物事は最後の詰めが大事じゃ。百里を行く者は九十を半ばとすという言葉がある。九十進んでも勝てぬと思ったら、諦めて歩き始めた時点に一回逃げ帰ることも大事じゃ。あるいはその場で隠れて機会を待つとかのう。こ奴を反面教師にするんじゃな」
「それは初めて聞く言葉ですね……」
グレイの偉そうな適当な講釈を、クルムが話半分に、しかししっかりと自分なりに解釈して心に留める。
そんな師弟のやり取りが、オブラ侯爵にはどこか遠くの、違う世界で行われているように聞こえていた。