オブラ侯爵は当然そんな怪力の持ち主ではない。
多少身体は鍛えているようであったが、ロープを無理やり引きちぎるような曲芸をやってのけるのは、グレイをはじめとする逸脱した武芸者たちの一部くらいだ。
みちみちと音がしたときには、既にメナスは剣を構えてスペルティアとクルムを庇う位置に立っていた。
「何が、食事か、飲料か……!」
最早半分意識を失いかけているような状態となっても、オブラ侯爵はぎりぎりまでこの事態の原因を探っているようであった。もはやそれを解明したところで誰も助かる者はいないし、逆転の目もないというのに。
やがてオブラ侯爵が言葉を失い、ロープを引きちぎった直後、その首が宙を舞った。
メナスは冷静だった。
自由に動く敵をこれ以上増やすつもりはない。
オブラ侯爵の首から血が噴き出し、その場に倒れると、浮かび上がっていた魔法陣は、また一段階不気味に色を増した。
「は!?」
「むっ」
直後声を挙げたのはロブスとグレイであった。
突然、体にかかっていたはずのバフの力が消失したのだ。
一瞬バランスを崩したロブスは、トンファーを交差して敵の攻撃を受け止め、そのまま壁まで殴り飛ばされた。
グレイは舌打ちを一つすると、振りかざされた拳を左手の甲で受け流しつつ、右手の甲で相手の顎を強かに打ち据えると同時に、無詠唱で破裂の魔法を行使し、目の前の敵の頭部を吹き飛ばす。
それと同時に詠唱を行い、ロブスの身体に再び身体強化を施す。
さらに、三歩の特殊な踏み込みを通して自身の身体から消失していた身体への強化も再度かけ直し、戦いを再開する。
これらの呪文が阻害されなかったことから、グレイは先ほどの魔法解除が、一時的なものであったと判断し、そのまま戦いを継続。埋もれた壁から復活したロブスも、頭からだらだらと血を流しながらも「こんにゃろ、やりやがったっすね……」と呟き再び参戦する。
クルムはその間もじっとジグラの表情を観察していた。
ロブスが復活した瞬間には目を大きく見開いたジグラであったが、結局変化はそれくらいなもので、逃げ出すわけでもなく、ただじっと戦いの行く末を見守っている。
「ロブスよ! どこかでまた解呪されるかもしれん、十分に気を付けよ!」
「同じ手は食わないっす」
二人とも攻撃を受け流しながら反撃をすることに専念するようになったため、敵の殲滅速度が下がる。
その分数体の薬物兵がメナスの方へと向かい、乱戦状態が悪化。
流石にメナスもそこより先に敵を進ませることはなかったが、スペルティアとクルムは、やや後方で周囲を警戒しながら待機することになった。
これに気付いたグレイは舌打ちを一つして、殲滅の速度を一段上げる。
受けを省略し、回避からの攻撃。
隙間を見て魔法を投げつけて牽制。
ゆっくりと詠唱している暇がないので大規模な魔法を撃つのは難しい上に、確実に首を落とさないとアンデッドとしてまた戦いに参加してくる。
それはそれで足元への警戒を高めなければならないリスクが加わるので、グレイはできるだけ丁寧に一体ずつを処理しているのだ。
身体にちょっと穴を開けたり、腕を一本飛ばしたりする程度で戦意喪失する人間相手とはわけが違う。それがこの薬物兵とアンデッドを相手にするときの煩わしさであった。
それぞれが最後の一体を始末する瞬間であった。
グレイは拳を振り切って薬物兵の頭部を弾き飛ばした瞬間に、後方で一瞬殺気が膨らむのに気づいた。
振り返った瞬間には、スペルティアが首元に手を動かしつつ、がくりと床に膝をつくのが見えた。
グレイはそのまま今倒した薬物兵の身体をガシリと掴むと、膨らんだ殺気の方向に向けて全力で投げつける。天井が破れ、無残な死体がそこにぶら下がることになったが、殺気の主はすでに姿を消したあとのようであった。
「スペルティア様!」
声を上げたメナスがしゃがみこむと、スペルティアが何でもないような顔をしてすっと立ち上がる。
指には細く小さな針がつままれている。
「……なんじゃそれ」
「毒針。百蠍と、安楽蝶の毒を合わせて濃縮したもの。身体の痺れと意識混濁まで数秒、死ぬまで十数秒。魔法で血の流れを少し遅らせて、解析して、解毒した。危ない危ない、死ぬところ。ちゃんと守ってほしい」
「も、申し訳ございません……!」
メナスがびしっと姿勢を正して謝罪をすると、スペルティアはいつもと変わらぬ表情で、ちらりとグレイの方を見た。
「ほー……先日の一件でクルムに遠隔攻撃が利かぬと見て、スペルティアを狙ったか……」
「何か言うこと、他に」
「うむ。お主が死ぬとバミが悲しむかもしれん。よく生き残った、褒めてやろう」
「そうじゃない」
内心ははらわたが煮えくり返っていて、犯人が消えていった方をものすごい形相で睨みつけている癖に、グレイの言葉はいつもと変わらなかった。スペルティアはグレイからの謝罪が来なかったことに、納得のいかない様子で目を細めている。
ついでスペルティアは、玉座に座るジグラを指さして言った。
「あの人、もうすぐ死ぬ」
「え?」
まるで死神の宣告のようなスペルティアの言葉に、一行は一斉にジグラの方を向いた。