改めてジグラの表情を観察してみると、先ほどよりも随分と顔色が悪くなってきていることが分かる。
ぼんやりと浮かび上がっている魔法陣は未だ消えていない。
乱暴に玉座に歩み寄ったグレイは、逃げ出そうともしないジグラの胸倉をつかんで引き寄せた。
「乱暴だな、グレイ=アルムガルド。一応僕は今、ハルシ王国の国王だよ」
「知るかクソガキが」
その言葉はグレイに対して何の効力ももたらさなかった。
ジグラがそれを名乗るということは、やはりクルムたちの父であるところのルアーノ=ハルシはすでに命を落としているということになるのだろう。
もし正式な手続きを踏んでそうなのだとしても、結局のところグレイは相手が国王だからと言って遠慮をする男ではない。むしろ積極的に毒づくタイプの、天邪鬼を極め切った老人だ。
足が地面から浮いているジグラの右腕はだらりとしており、絶え間なく血が流れだしている。
どうやら怪我をしているようであった。
この場にいた薬物兵たちがジグラを襲っていなかったことを考えると、何か他の者にやられた可能性はある。
「その怪我はなんです」
「さぁ、なんだろうね」
クルムの質問に答えるつもりはないようで、ジグラは質問を適当にはぐらかした。
首が締まって苦しいはずなのに、へらへらとした笑みは消えない。
ジグラの腕からぽたりぽたりと垂れ続ける血液が、魔法陣に干渉してその色を濃くしているのが分かる。
「何でも良い、知っていることを吐け。【人形遣い】はどこにおる」
「さぁ、空の上から見守ってくれてるんじゃないかな?」
目を細めたグレイは空いている右手でジグラの肩を鷲掴みにすると、そのままぐっと力を込めて骨を砕いた。痛みに冷や汗を流して苦悶の声を上げたジグラであったが、不敵な表情だけは変わらない。
「舐めておるのか? 殺されぬと高をくくっておるのか?」
「……まさか。殺すなら殺せばいいじゃないか」
無言で拳を握ったグレイを見て、ジグラはやはり笑っているままであった。
何かがおかしい。
全員がそう思っていた。
グレイも引っかかるものがあって、握った拳を振るうことができていない。
「殺さないの? 意外と臆病だな、グレイ=アルムガルド。それともクルムに飼いならされて、命令されないと殺すこともできなくなった?」
「黙れ」
拳が振るわれた。
「待ってください!」
「待て、グレイ!」
「待って」
女性が三人同時に声を上げた時には、既にグレイの拳はジグラの頭部をこつりと打ち抜いていた。そう、優しく、意識だけを刈り取っていた。
「なんじゃい、声を揃えて。こんな明らかに怪しいやつ殺すわけないじゃろうが」
「いえ、先生ならやりかねないなと」
「殺してあとで問題になったことは以前もあった」
「調子が悪い? 治癒魔法掛ける?」
「え、実は頭の中だけぐしゃぐしゃにして殺したとかじゃないんすか?」
最初の二人は疑ったことを間違っていないと確信しているし、続くスペルティアは、殺さないなんてどこか調子が悪いのかと心配する振りをして、最後のロブスは、殺したに決まっているだろうと信じている。
「……儂を考え無しのあほと一緒にするな」
気絶したジグラを引きずってきたグレイは、スペルティアの前に差し出す。
「治せばすぐには死なぬだろう? こ奴が死ねば何かが起こりそうだ。ろくでもないことがな」
「ん、治しておく」
「治したら死ねないように縛って口に布でも突っ込んでおけ。つまらん挑発してきよってからに、そのうち首を引っこ抜いてやる……」
殺すのはとどまったが、先ほどまでの失礼な物言いを許したわけではないようだ。
ジグラを睨みつけるグレイの眼光の鋭さと殺気は本物だ。
グレイに対して堂々と悪口を言い散らして、骨折と気絶だけで済まされている敵など実に珍しい。
手を当てたスペルティアが治癒魔法を使用すると、ジグラの顔色は戻っていったが、だからと言ってこの場に発動している魔法陣が消えるわけではなかった。
「何なんすかねぇこれ」
手持無沙汰なロブスが、玉座の間の床をがつがつと叩いて描かれた魔法陣を削ってみるが、浮かび上がった魔法陣自体が消えるわけでもない。
「スペルティア、これは消せんのか?」
「浄化が必要。おそらく血で描かれた魔法陣。場所に染みついているから、描かれている魔法陣を消しても無駄。普通とは違う、非常に高度な魔法技術が使われている。多分、【人形遣い】の」
「お主じゃ浄化できんのか?」
「できない。聖人が必要。私様は聖女と言われることがあるけれど、実際にはその儀式はしていないし、神の啓示も受けていない」
「神の啓示ぃ? そんなものでまかせじゃろ」
「でまかせでも魔法現象において、正しい信仰心が邪を払うのは事実」
一応呪いのスペシャリストとして連れてきたスペルティアは、この魔法陣の解析まではできるようだ。
ただ、それを何とかするとなると別問題らしい。
「ルミネお姉様ならどうでしょう?」
「あの子は意外と俗なところがあるからわからない」
「じゃあ誰ならいいんじゃ!」
「知らない」
「役に立たんのう!」
「うるさい、馬鹿、役に立ってる。私様は賢い。君が理解できないことも理解してる」
しょうもない言い争いが始まってしまったところで、メナスがジグラの拘束を終えた。
「先生、スペルティア様、そんなことより【人形遣い】を探しましょう」
「あてがない」
「玉座の間の奥にも、部屋があります。こうなったら片っ端から当たっていくしかないでしょう。アンデッドや薬物兵の騒動が続いているのならば、まだ【人形遣い】もどこかにいるということなのでしょう?」
「……まぁ、そうじゃな」
「そうだ、ちゃんと仕事をしろ、グレイ。私様は私様の仕事をちゃんとしてる」
クルムのおかげで話が落ち着きそうになったところで、スペルティアがさらにグレイを煽った。
歩きながらであったが口喧嘩が再開される。
「黙れ腐れ耳長長命種」
「筋肉だけが自慢の短命種。死んだあとたくさん悪口広めてやる」
「減らず口を……儂が死ぬ前に息の根止めてやるからな……」
「野蛮人」
「先生、スペルティア様、お願いします!」
「……ん」
流石にまずいと思ったのか、スペルティアが目を逸らし、グレイも苦虫を噛み潰したような顔をしてため息を吐く。
「まったく、この魔法陣はそれほど厄介か」
「その通り。多分、王都に埋められた大きな魔法陣も、そう」
「面倒な話じゃ」
途端グレイとスペルティアがまともな会話を再開する。
二人とも現状の面倒さをよく理解しているからこそ、とげとげしくなる気持ちを、言い争いによって馬鹿らしい日常に変えて気を紛らわしていたのだ。
王都に仕掛けられた魔法陣の謎はまだ分からず、【人形遣い】の行方は未だ知れない。