母に『あなただけ』と言って育てられてきたジグラは、その言葉を信じて生きてきた。母のためにやらねばならないと思ったし、奮起していたし、何とかしてどこかで地位を築かなければならないと努力してきた。
ジグラの母は生家を恨んでいた。
自分がハルシ王国の人質のような扱いをされていると。
見捨てられたのだと。
王女として育てられた本人の感覚からすれば、大した支援ももらえず放り出されたと。だからいつか見返してやるためにもと、小さなころからジグラによくよく言って聞かせた。
子供に聞かせるような話ではない。
ジグラは賢い子供であったが、それを信じ切った。
ある種の呪いであった。
しかし、レッズ公爵がやって来てからというもの、生家を恨んでいたはずの母は、公爵にべったりになった。
ジグラとしては、ハルシ王になるために、これまで以上に支援をしてもらうために、舐められないように対等に交渉に臨むつもりでいたのだが、母はその態度を良しとしなかった。
レッズを敬うように、強制してきたのだ。
違和感があった。
母は自分だけと言っていたのに、なぜレッズ公爵に媚びを売るのか。
これも作戦の内なのか。
ジグラは人の裏をかくような作戦や、その心理を利用して人を陥れるようなことを得意としてきた。いくら母に幼いころから呪いを吹き込まれて育ってきた身としても、少しばかりの疑問は抱く。
共に行動するうちに、それはますます大きくなった。
レッズ公爵は野心家だった。
王子であるジグラよりも多くの者を自由に動かすことができた。
この国の裏の顔であるオブラ侯爵とも対等以上にわたり合い、それは堂々たる態度であった。
やがてレッズ公爵はジグラに対しても命令を下すようになる。
ハルシ王となり、母と共に祖国であるアハーバ王国を見返すためには、従ってばかりはいられない。胸を張り自身の意見を述べたところ、ジグラの母は怒り、ジグラを激しく叱責した。
黙って言うことを聞けと。
何もできないのだからと。
ジグラはそこでようやく母の本音に気が付いた。
母は本当はアハーバ王国に帰りたかっただけだ。
帰れないから、ジグラに権力を持たせ、気持ちを慰めようとしていただけだと。
だが信じたくなかった。
ジグラは少しばかり母と距離を取るようになった。
誰もついてこなかった。
今権力を握っているのが誰かは、明らかであった。
その代わりにジグラは自由に動くことができた。
こっそりと連絡を取り合っていた、【人形遣い】を王宮に招き、ジグラはこれからの作戦を練った。
どうしたら母の気持ちを自分の下へ取り戻せるか。
【人形遣い】は不気味に笑いながら、ジグラの相談に乗って協力をした。
オブラ侯爵と、レッズ公爵を失脚させ、全ての権力を握って王になればいい。
それで母の気持ちは自分に傾く。
母は自分しか頼れる者がいなくなる。
母親に依存したジグラの、歪んだ結論であった。
【人形遣い】をつかって、少しずつ手ごまを増やす。
表向きは大人しく言うことを聞いているようなふりをして、密かに【人形遣い】が発動させる大規模魔術のための準備を進めていた。
そんな折、レッズ公爵が急逝した。
ジグラにとっては都合のいいことであった。
やはり頼れるのは自分だけだろうと、すぐに母に会いに行って事実を伝えたところ、母は半狂乱になって暴れた。
いくら自分がついていると言っても関係がなかった。
もう死ぬしかないと言って、自死をしようとするのを、ジグラは初めのうちは必死で止めていた。
自分がいるではないかと。
手は打ってある、ここからでも巻き返せると。
だが母は僅かにも信じようとしなかった。
もう終わりだ、どうにもならないと喚き続けた。
それほどに兄であるレッズ公爵のことを信頼していて、実の息子であるジグラのことは信頼していなかったのだ。
なまじ一度希望を持ったのが良くなかったのかもしれない。
気付けばジグラは、母の自死を手伝っていた。
短剣を首にずぶりと押し込まれた時、ジグラの母はなぜだか驚いたような顔をしていたが、ジグラの気持ちは穏やかであった。
ジグラはそのままいつも通り、玉座に座り、平静に今あったことを【人形遣い】に話す。
色々なことがどうでも良かった。
【人形遣い】は『やはりそうなったか』とジグラのことを馬鹿にするように嫌な笑い方をしたが、今となってはジグラ本人も、自身が酷く滑稽な馬鹿に思えたので一緒に笑ってやった。
【人形遣い】とは話が合った。気が合った。
本音のところ聡いジグラは最初から気付いていたのだ。
自分が代替品でしかないことにも、愛されていないことにも、誰にも必要とされていないことにも。
ただ、気付いていないふりをしていただけだ。
だから、母を失った今の感情は納得だった。
どうでも良かった。
陥れた。殺した。利用した。利用された。
どうでも良かった。
自分が不幸だと思っていたし、そうでないという者も、同じようにどうでも良かった。
だから【人形遣い】の馬鹿な計画に同意した。
ジグラはそれを冷静な判断の結果だと思っていたようだったが、実のところそれは、ただ癇癪を起こした子供とさして変わらない決断であった。