「ナイフは先生が持っていてください」
わずか数日で遠出の準備を整えたクルムは、最後に隠し通路から持ち出したナイフをグレイに手渡した。
流石に月単位で留守にするとなると、置いて出かけるわけにはいかない。
「ま、よかろう」
グレイは常日頃から纏っているローブの内側にナイフを仕舞い込む。
ふわりとしたローブの内側には収納がたくさんあるのだ。ナイフの二本くらい隠すのはわけない。
「それにしても、本当にこちらで準備をしなくてよかったのですか?」
「うむ。パクスと、この間知り合ったスリップという商人が万事用意するそうじゃ。無駄に金を使う必要もないじゃろう」
「そうですね……。これを作ってくれた加工職人さんも同行するのですよね?」
「うむ、そうじゃな」
加工屋の二人は、王宮でクルムに会わせると言ったら、こんな格好じゃ王宮には入れないと、グレイの話を断ってきたのだ。グレイの薄汚れているように見えるローブを見て、「あんたのように無神経じゃないんだ」と言ってのけたのはヴァモスである。
よく知らぬ輩であれば首根っこをひっ捕まえて引きずっていくところだ。
しかし教え子の手前、グレイは多少感情を抑え、どうせこれから長旅で話をするのだから、今連れて行かなくてもよいかと自分を納得させた。
結果、クルムと加工屋の二人は、今日まで顔を合わせていなかったのだ。
さて、部屋から出て王宮内の廊下を歩いていると、途中にある欄干にファンファがポーズをとって座りながら待っていた。
もちろんこれから〈要塞軍〉の方へ向かうことは話してある。
ファンファは自分も行くのだと、姉というプライドを全て捨て去って散々に駄々をこねたが、クルムはこれを拒否。
「クルム、気が変わったのなら一緒に行ってあげてもよくてよ?」
「ありがとうございます」
クルムが礼を言うと、ファンファはきらりと目を輝かせる。
すぐ横で控えている冒険者二人組はすでに苦笑気味だ。
「しかし、お姉様には何としても王宮に残っていただきたく。二人して離れては、その間に王宮で起こったことが分かりません。それでは帰ってきたときに困ってしまいます」
「それなら私のところの子たちに……」
「私はお姉様を信頼しているのです。どうか帰ってきたときに、お姉様の見聞きしたことを教えてください」
「……仕方ないわね、そこまで言われたら」
ファンファはちょっとだけ照れながら髪の毛を指にくるくるとまきつける。
かわいらしい仕草に控えている二人の冒険者もご満悦だ。
クルムもうまいこと説得できそうだと一安心である。
色々と駆け回らねばならないだろうに、ファンファについてこられたら一日の大半は付きまとわれて仕事にならない可能性が高い。
「でも気を付けるのよ。〈要塞軍〉は元々命知らずの荒くれ者の集まり。武力でまとめ上げられて大人しくなっているらしいけど、いるのは王都のように上品な人間ばかりじゃないの。あそこの一番上は、王宮に反抗的だとも聞くし……、お兄様お姉様方も、手紙を送っても返事が返ってこないそうなの。それに、今〈要塞軍〉が拠点としている旧アルムガルド領は、魔物の巣窟と聞くし……、やっぱり私も付いていって……」
そんな場所ならばなおさら、戦えるわけではないファンファがついてきたところで足手まといである。
「お姉様、行ってまいります。朗報をお待ちください」
「あ、ちょっと……、もう」
頭を下げて早足で歩いていくクルムを見送って、ファンファは拗ねた顔をした。
クルム同様、ファンファも基本的には兄姉にはあまり相手にしてもらえない。
最近ではクルムのところへ行って時間を潰すのが日課となっていたのだ。
「いない間何をしようかしら? ……最近声をかけてなかったけれど、ハップスのことを構いに行くのもいいかもしれないわね。昔は一緒に遊んだこともあるし……。そうね、そうしましょう」
その日の夕暮れには、ハップスに全く相手をされず不機嫌に自分の区画に戻ったファンファがいたらしいが、それはクルムのあずかり知らぬところの話である。
さて、クルムとグレイは二人並んで街を歩く。
年齢差を見れば、お爺ちゃんと孫だが、それにしてはお爺ちゃんのガタイが良いので少々目立つ。クルムがいくら地味な格好をしたところで、グレイがいつも通り堂々と歩いている限りそれは避けられないので仕方がない。
ちなみにウェスカとビアットは留守番だ。
どうしてもクルムが決めなければいけないこと以外の判断は、ウェスカに全面的に委任している。ビアットはそれのお手伝いだ。
こうなるとビアットを拾っておいてよかったという話になる。
もし拾っていなければ、クルムが外遊している間に、ウェスカは過労死してしまっていたかもしれない。
グレイは途中で潰した芋を焼いたものを買って、もさもさと食べている。
朝食はきちんととって来たはずなのに、本当によく食べる老人である。
「美味しいですか?」
「やらんぞ」
片手に三つも持っているので一つくらいくれるのかと思って聞いたらこの返事である。
「……いりません」
全部一人で食べるつもりなのかと呆れた顔で答えたクルムに、グレイは持っていた芋を差し出して笑う。
「冗談じゃ、一つ食ってみるといい」
「いりませんってば」
「意地を張るな、ほれ」
しつこく言われて仕方なく受け取ったクルムは、ギトギトのポテトを見てしばし躊躇していたが、やがて思い切ってかぶりついてみた。
ジワリと広がる脂と粒粒とした芋の食感。
これまで食べたことのないような体に悪そうな味だが、思っていたよりはずっと美味しい。二口、三口食べてから、グレイを見上げると、グレイが指をぺろりと舐めたのが見える。
全て食べきった後に、クルムも周囲の様子を窺ってから指をぺろりと舐めてみる。
ただの塩の味なのだが、悪いことをしたような気持ちも相まってか、なんとなく美味しいような気もする。
不思議に思いながら首をかしげるクルム。
横目でそれを見ていたグレイは、声を抑え、肩を揺らして笑うのだった。