もし鬼滅の刃に本物のガチ鬼がいたら   作:物体Zさん

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似とるからこそ、見過ごせんもんがあるんじゃ

 

 

 夜が明けきる寸前。

 藤の屋敷の見張りに立っていた鬼殺隊士・結城は、ふと、ぞくりと背中を撫でる何かを感じた。

 

 空はまだ暗い。だが、耳の奥がきゅうっと締め付けられるような、異常な空気の動きがあった。

 

 「……なんだ、今の音……?」

 

 空気が一瞬で薄くなった気がした。肺に吸い込むはずの風が、どこかへ“奪われた”ような――そんな感覚。

 

 直後、屋敷の東側で“低く吸い込むような音”が響いた。

 ごぉぉぉぉぉ、と地鳴りにも似た空気の振動が一瞬だけ屋敷全体を揺らす。

 

 周囲を巡回していた別の隊士が、木陰から飛び出してきた。

 

 「結城! 今の……聞こえたか?」

 

 「ああ……音だけじゃない、空気が、全部一方向に引っ張られた感じだ。あれは……普通じゃない」

 

 「屋根の方からだった。何が起きた?」

 

 「わからない。けど、嫌な感じがする。すぐに報告を……!」

 

 

 

 結城は走った。草をかき分け、回廊を抜け、屋敷の奥へ。

 

 空気が張り詰め、音が消え、気配が切り取られる。

 何かが“起きて”、そして“消えた”のだと、直感だけが告げていた。

 

 

 

 奥の詰所で筆をとっていた煉獄寛寿郎は、戸が開いた瞬間に顔を上げた。

 

 「来たか」

 

 「……明確な敵襲ではありません。ですが、東の空から“強烈な何か”が……あれは、鬼が消えた痕かと。

 その直前、屋根上から大きな吸い込み音と振動がありました。まるで空気ごと引っ張られるような……」

 

 寛寿郎は目を細め、立ち上がる。

 床の巻物を一枚取り上げながら、ゆっくりと息を吐いた。

 

 「……ここから鬼が焼かれるなど、常識では起き得ない」

 

 「では……」

 

 「何者かが“やった”のだ。――恐らく…あの御方が」

 

 彼らの知らぬところで、すでに太陽は空の端を焼き始めていた。

 それは、ただの夜明けではない。

 鬼がひとつ、空から消え去った証だった。

 

 中庭に出ると、空にはわずかに土埃が残っていた。

 屋根の一部はかすかに崩れ、瓦に熱の痕が残っている。

 

 下にある庭に目を向ければ地面には蜘蛛の巣状のひび割れがあった。

 

 寛寿郎はその傷を手で撫でながら、わずかに笑みを浮かべた。

 

 「無茶をなさる……まさか、あのまま空を越えるとは」

 

 傍にいた結城が目を丸くした。

 

 「そ、空……? 空を飛んだ、というのですか?」

 

 「いや、落ちてきたかもしれん。上か下かは関係ない。ただ、太陽が焼いた。あの鬼を、確かにな」

 

 その時、縁側から縁壱が歩いてきた。

 

 「……ご迷惑をおかけしました」

 

 「いえ、逆です。守っていただいています。我々はただ、驚いているだけです」

 

 縁壱は少しうつむいてから、ぽつりと言った。

 

 「……陽を狙った鬼が、夢に手を伸ばしてきたのです。タケシさんがそれを察して、空へ……」

 

 「そ、そのようですね」

 

 寛寿郎の声は柔らかかった。

 

 「詰所から見えました。空に駆け昇る光。落ちてくる煙の尾。すべてを焼き尽くして戻る姿――あれは、もはや鬼などではない。“護り神”のようでした」

 

 縁壱はそれを聞きふと、遠くを見るように目を細めた。

 

 「……ただ、あれで終わりではありません。あれは、“門”でした。陽の力に引かれて、もっと深く入り込もうとする者が、必ずまた……」

 

 「わかっています」

 

 寛寿郎は腰を下ろし、藤の花を見上げた。

 

 「その時のために、私たちも“変わらねばならない”。剣だけではない。呼吸も、心も、力も」

 

 縁壱は、その横顔を見つめたまま小さく頷いた。

 

 

 

 その頃、陽はまだ眠っていた。

 その寝顔は穏やかで、何の影もなかった。

 

 うたがそっと、額の髪を撫でていた。

 

 「……ありがとう、タケシさん」

 

 

 

 タケシは、その声が届いているとも知らず、

 廊下に座って茶をすすっていた。

 

 「ふぅー……空行くのはやっぱ疲れるのう。腰がちぃと冷えよる」

 

 誰にでもない独り言に、陽が寝返りを打った。

 

 その笑顔に、ほんの少しだけ、陽の光が差していた。

 

 この件は後に、鬼殺隊のなかでこう語られるようになる。

 

 「藤の屋敷で見張っていたある夜、空気がごっそり消えた」

 「屋根の上で、あの巨人が息を吸っただけで、周囲の風が逆流した」

 「その直後、鬼の気配がまるごと空から消えた。しかも、焼かれた痕跡だけが残った」

 

 誰も戦いを見たわけではない。剣戟も、怒声もなかった。

 あったのは、ただの“吸い込み音”と、その後の“静寂”。

 

 「空に跳んで、太陽まで持っていったらしいぞ」

 「空を超えたとか、戻ってきたときに庭にひびが入ったとか……」

 

 話は膨らみ、尾ひれがつき、やがてこう呼ばれるようになる。

 

 《藤の巨鬼》――人でも鬼でもない、何かを守るために現れる、夜空の守護者。

 

 そしてそれが、陽という小さな命を照らすために“太陽さえも利用する”存在だと知るのは、

 もう少し先のことになる。

 

———

 

 

 ええ天気じゃった。

 

 中庭に陽ぃ差して、どこぞの隊士らが木陰で涼んどる。あいつら、よう鍛えとるせいかすぐ汗だくになるんよの。

 

 わしはというと、縁側で胡坐かいて、陽と向き合っとった。

 

 「……ほい、投げてみぃ」

 

 手鞠をぽいと出してやると、陽はうんしょうんしょとちいさな手で抱えて、なんとか転がしてくる。

 転がるっちゅうより、転がされとる感じじゃが、それがまたかわいらしいんじゃ。

 

 「おお、ええ筋じゃ。まっすぐ来とる来とる」

 

 転がってきた手鞠を、わしがぽんと返す。

 それだけのやりとりなんじゃけど、これがええ。静かで、あったかくて、腹の底が落ち着く。

 

 

 

 ……思えば、こんな時間、いつぶりじゃろうか。

 

 桃太郎と団子を分け合って、猿と犬っころと雉と川辺で昼寝した日もあった。

 けど、あいつらはもうおらん。桃太郎も、最後には……いや、やめとこ。今は陽の番じゃ。

 

 

 

 「おう、陽。おんしもよう笑うようになったの」

 

 陽はにへらと笑って、また手鞠を抱えた。

 でっかい目ぇでわしの顔を見ながら、何か言いたげに口を動かしよる。

 

 「……ん?」

 

 「……た、け……」

 

 「……え?」

 

 「……たけ、ち……」

 

 わしは一瞬、固まった。耳を疑うっちゅうのは、こういうときのことを言うんじゃろな。

 

 「……たけち……ゃ……!」

 

 その瞬間、陽がぱちぱちと手ぇ叩いて、嬉しそうに笑った。

 

 わしは、もう、どうしてええかわからんかった。

 心臓がごんごん鳴っとる。顔は……顔は、にやけとった思う。

 

 「……お、おんし、今……わしのこと……」

 

 「たけちゃ!」

 

 「や、やめぇや、そがぁかわいく呼ばんでも!」

 

 慌てて照れ隠しに茶をすすってごまかしたが、もう耳まで赤うなっとるのがわかった。

 

 「……じいじ、ちゃうぞ。わしは、たけしじゃ。た・け・し!」

 

 「たけち!」

 

 「ち、じゃない、し! たけし! はっきり言わんか!」

 

 けどまぁ、なんでもええ。名前がなんであれ――

 

 

 

 わしは、生まれて初めて、“誰かに呼ばれた”気がしたんじゃ。

 

 今まで、呼ばれたことなんてなかった。

 桃太郎はわしを「おまえ」とか「おに」とか言うとったし、坂上田村麻呂も「そなた」じゃった。

 

 でも――

 

 「たけち!」

 

 陽のその声は、なんでかわからんが、胸ん中にずどんと落ちた。

 

 

 「……ありがとな、陽」

 

 小さくつぶやいたつもりが、涙がにじんどった。

 

 くそぅ、こんなわしが泣くとはな……

 けど、なんか、やっと“名を持てた”ような気ぃがしてな。

 

 名前っちゅうのは、呼ばれて初めて芽ぇ出るんじゃの。ほんまに。

 

 そっからお外出ることになった。

 

 屋敷の食材も薬草も減ってきとったけぇ、わしとうたと陽で町へ買い出しに出ることになった。

 藤の屋敷から山を下り、道なりに三里ばかし。古い街道沿いに開けた、小さな町じゃ。

 

 「陽、振り落とされんようにしっかり掴まっとけよー」

 

 「たけちー!」

 

 背中にしがみついた陽が嬉しそうに笑う。

 わしは背中に風を浴びながら、ぽくぽく歩いとった。ウタはその隣で、買い物袋を肩に下げてついてくる。

 

 「ええ天気やなあ。洗濯物もよぅ乾きそうや」

 

 「ほんなら、今日は干した布団の匂いがええ夜になりそうじゃの」

 

 そうやってしばし雑談しながら町の門をくぐった。

 

 

 

 市場はちぃとした賑わいじゃった。

 

 野菜売り、干し魚、味噌の樽。陽は珍しげにきょろきょろしては「たけちー」と指さして教えてくる。

 

 「おぉ、それは大根じゃ。でけぇのう」

 

 「たけちー、あれー!」

 

 「そっちは人参じゃ。ちょっとは学習せぇや」

 

 うたが笑いながら口に布を当てて小声で言う。

 

 「……タケシさん、だいぶお父ちゃんやな」

 

 「ちがうわ、兄ちゃんじゃ兄ちゃん」

 

 「うそばっか」

 

 

 

 そんときじゃ。

 

 陽が急に指を止めた。

 

 目が固まったように、ある一点をじっと見つめとる。

 

 「……陽? どした?」

 

 わしが背中を振り返ると、陽の視線の先、雑踏の向こう側――

 

 そこに立っとる男がひとり。

 

 羽織を着て、髪は長い、背は高く、目元が鋭い。

 そしてなにより――《縁壱に、よう似とった》。

 

 だが、縁壱と違って目の奥が暗い。

 笑わん顔。感情を押し殺したような、刀身のような冷たい気配があった。

 

 陽が小さく震えた。

 背中から伝わる鼓動が早まっとる。

 

 「うた」

 

 「……見えとる。……あの人……」

 

 「おんしも感じたか。似とる……が、ちゃう。あれは“影”じゃ。縁壱が“陽”なら、あれは“影”のような」

 

 うたが陽をそっと撫でた。

 

 「大丈夫やで。おかあちゃんも、おとう――いや、タケチもおるからな」

 

 「おん、今“おとう”って言おうとしたやろ。というかタケチはやめい」

 

 「黙ってください」

 

 

 

 わしらはしばらくそこに立ち止まっておったが、やがてその男――は、何も気づかぬまま群れに紛れ、歩き去っていった。

 

 陽の小さな指が、まだ震えながらそっちを指しておる。

 

 「……にぃに、いた……」

 

 その言葉に、うたもわしも、ほんの少しだけ眉を寄せた。

 

 “にぃに”――縁壱のことをそう呼ぶ陽の口から、それが出たっちゅうことは……

 

 「……やっぱ、見えとったんか」

 

 陽の感応は、ただの勘じゃない。

 あれは、“血が応える何か”を感じとる力なんじゃ。

 

 町の賑わいのなかで、ほんの一瞬だけ、空気が変わった。

 それは、まだ見ぬ“縁”の糸が、微かに揺れた音じゃった。

 

 町から戻った夜、わしは縁側で茶をすする縁壱の隣に、どっかと腰を下ろした。

 

 静かな夜じゃった。虫の声と、遠くで揺れる藤の葉音だけが響いとる。

 

 「……陽が、似とる言うとった。町で見た男にな」

 

 縁壱は、茶を口に含んだまま、少しだけ目を伏せた。

 

 「……見たんですね」

 

 「おんしのこと、“にぃに”っちゅうて呼んどる子が、黙って震えとったわ。……よっぽど、よう似とったらしいのう」

 

 「……たぶん、それは、兄です。巌勝。俺と同じ顔をしてます。でも……」

 

 「でも?」

 

 「同じにはなれなかった」

 

 わしは頷いた。そうじゃろうの。

 

 「似とるだけで、同じじゃねえんじゃ。それが“人”っちゅうもんじゃ」

 

 

 

 しばし沈黙が流れた。

 風が揺らすように、ふと目に入った。

 

 縁壱の腰。帯の中――小さな笛がぶら下がっとった。

 

 「……おんし、いつもそれ、持っとるよな」

 

 縁壱が視線を落とした。

 

 「……これは、兄が作ってくれたものです。……昔、俺がまだ小さかった頃、兄が、俺のために……」

 

 言葉が、少しだけ、詰まった。

 

 「縁壱……」

 

 「その時、兄は笑っていました。嬉しそうに。俺は……あの笑顔を、守りたかっただけなのに」

 

 茶碗を置いて、縁壱は小さく頭を振った。

 

 「でも、俺が強くなればなるほど、兄は……遠ざかっていった。笛は、ずっと持ってます。……もう、渡せないけれど……この笛を兄だと思っています」

 

 

 

 わしは背中を伸ばして、ぽん、と膝を打った。

 

 「ほんなら、わしが睨んどく。似とっても、陽に泣かすような真似したら、わしが天までぶっ飛ばしたるけんな」

 

 縁壱が、ふっとだけ微笑んだ。

 

 「……ぶっ飛ばさないで下さい。でも……ありがとうございます」

 

 

 

 そのころ――

 

 

 

 町の外れ、小道をひとり歩く男がいた。

 羽織をまとい、背をまっすぐに、足取りだけは迷いなく。

 

 巌勝。

 

 賑わいのなかで、ほんの一瞬だけ目が合った、あの子ども。

 

 「……にぃに」

 

 幻のようなその声が、なぜか耳から離れなかった。

 

 彼は一度も振り返らず、ただまっすぐに進んだ。

 だがその掌は――小さく、震えていた。

 

 

 

 腰の笛は、今日も鳴らなかった。

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