ここで以前書いた短編に合流する形になります。
そして――
二年後。
タケシは、陽気に夜道を歩いていた。
まさかあの団子屋がまだ残っとるとは思わなんだ。
焼きたての団子を七本ぺろりと平らげ、熱い茶をぐびぐび。わしはすっかり上機嫌じゃ。
「も〜もたろさん、ももたろさん〜♪」
「お腰につけた〜きびだんご〜♪ ひ〜とつ、わしにくだっさ〜いな〜♪」
しっかりと自分の分だけ団子を買い込み、紙袋のなかで蜜の染みた団子を揺らしながら、竹林に囲まれた道をぶらぶら歩く。口の端には蜜がついたまんまじゃし、手にはもう一串、最後の団子をくわえとる。
(ふむ……昔、桃と一緒に食うた団子はもうちょい硬かったのぉ。あの時は猿が喧嘩して、犬が引き裂いて、雉が空から爆撃しよったな……楽しかったのぉ)
そうやって口元を緩ませとった矢先――鼻が反応した。
(……ん?)
わしはピタリと足を止めた。
空気の流れが変わっとる。いや、流れっちゅうより……《濁り》じゃ。
竹の間を抜けてきた風が、妙な匂いを運んできよる。血の匂い。内臓の匂い。……腐りかけの皮の下に、無理やり人の匂いを塗りつけたような、どえらい“臭さ”じゃ。
(ほう……これはアレじゃな。鬼が人を喰うた後の臭い)
甘い蜜の残る串をくわえながら、わしは竹林の先を見た。
そこから歩いてくるは、白い着物の男と女。
皮膚はやけに白く、血の気がない。化粧でもしとるんかと思うほど無機質な顔。けど、鼻が全部を告げとる。
(これは……がっつり喰うとるな。数で言うたら十や二十やないぞ。百超えとるかもしれん。まさかな…)
ふらりふらりと揺れるように歩いてくるが、足取りは重たくない。
まるで人の姿を借りた、別の“何か”。
(はあ〜……せっかくええ団子食うて気分よかったのに、ほんま……気ぃ悪いわぁ)
わしは唇の端で竹串を噛んで、ニィと笑った。団子は残ってへん。これからが“お口直し”じゃ。
「おい、お前くっさいのぉ!それになんや白くて弱そうじゃのぉ!大丈夫か?ちゃんと飯食ってんのかぁ?」
通りすがりの市井の者が言う言葉ではない。
けど、わしは黙ってられんのじゃ。あの臭いに黙っとるような奴は、きっと“美味い団子の尊さ”を知らん奴じゃ。
男の顔が変わった。
「なっ!? なんだと…! お前、今なんと言った?」
声は低く、だが裏返っとる。怒っとる。いや――“歪んどる”。
次の瞬間、眉間に深い皺が寄り、顔面に血管が浮き出し、瞳の色が――変わった。
(あーあ、出た出た。素が出てもうたな。それにこの気配…嫌な気配じゃぁ…あん時のに…)
奴の腕が変形する。白い皮膚が裂けて中から赤い筋肉、鋭い棘の生えた腕がむちのようにしなりながらこちらへ突き出された。
速い。常人には到底見えん速さ。
だが、わしには――見えすぎて困るんじゃ。
――バァンッ!!
音がした。そりゃあ見事な一撃じゃ。腕の鞭がわしの胸を叩いた。
だが――
「んあ? なんやおめぇ……今、わしになんかしたか?」
竹串を咥えたまま、わしは首を傾げる。
胸元の着物がビリついとるが、皮膚の下からじわりと赤黒い血が浮かんできとるだけ。まだ皮は破れとらん。人の姿もギリ保っとる。
男が唖然とする。
「な、なんだ……と?」
「おんし、弱いくせに見栄張って人の皮かぶっとるような臭いがするのぉ。
せめてもう少し気配消すとか、なんかあるじゃろうが。……こっちはまだ酔いが抜けとらんのじゃ、付き合う気も起きんわ」
わしは串をぽいと放り投げ、腕を組んだ。
その背後で、女の方がかすかに笑っとった気がした。
不穏の気配が、確実に深まっていく。
――鬼との“戦”は、また始まる。
ただ、それを嗅ぎ取って先に動いたのは、“鬼より鬼じみた”――わしじゃ。
じゃが………風に乗って、ひらり――と、何かが落ちた。
切れ端だった。
わしの、半纏のな。
肌に冷たい風が当たる。見れば胸のとこが裂けとる。着物の下、薄くなった肌の色が覗いて見えとる。
……静かになった。
男も女も、わしも、皆してその布の舞い落ちる様を見とった。団子の匂いも消えた。酔いも、もう残っとらん。
「……」
「……」
「……」
ヒラリ、と。
切れ端が地面に触れた瞬間、わしはしゃがみ込んでそれを拾うた。
手の中で、ゆっくり握る。…くしゃ、と音がした。
「おめェ……」
喉の奥から言葉が漏れた。怒鳴ったわけやない。けど、間違いなく、声は震えとった。
わしは、その切れ端を、無言で青白い男の顔の前に突き出した。
開いた掌の中、裂けた布が見えた。焦げ茶に染まり、ほつれた糸がぶらさがっとる。
「……これを見ろや、オイ。アホンダラ」
握った拳が、ギチギチ鳴った。
わしはゆっくりと立ち上がって、顔を近づけた。
「わしの一張羅が……破れちまったじゃねーかァ!!!」
地面を揺るがす怒号。
竹林がガサリとざわめいた。
「馬鹿野郎ォォオ!!!!」
吠えながら、わしは拳を振るった。
力を込めて、遠慮もせず、手加減もせず、ただ“当たり前”のように。
――ゴシャッ!!
鈍い音。骨の砕ける音。血が弾ける音。
青白い男の顔面が粉砕され、歪み、歯ごと肉が飛んでった。頭蓋が捩じれ、片頬の筋肉が逆に裂け、口が耳の方まで避けた。
音もなく、その身体は後方へ吹き飛び、地面に叩きつけられた。まるで“人形”のように。
「なっ――!」
横におった女が小さく叫んだ。けれど、動かん。いや、動けんかったんじゃろう。
地に転がった青白い男は、しばらくの間、自分の身に何が起きたのかも理解できてなかった。
(な……にが……!? なぜ私は、倒れている?)
(私の攻撃は避けられたのか? 反撃された? ――いや、そもそも、攻撃を“見た覚え”がない!?)
(あれは一体、何だった……!?)
肉が蠢き始めた。
潰れた頭蓋が脈打ち、骨のかけらが再び形を成していく。眼球が歪み、歯がぎしぎしと生え直す。だがその間も、わしは見下ろしとった。
「なんじゃオメェ……死んどらんのか。うおぉ……気持ち悪いのぉ」
わしは顔をしかめ、鼻をつまみかけた。
ほんまに、不快じゃった。
「臭いし顔色悪いし、グニョグニョと気色悪いのぉ。オメェまるで……
ぐぅ、っと鬼の歯が噛みしめられる音が聞こえた。
「グギッ……私が、死人だと……!? もう一度、言ってみろ!!」
怒気が、明確に空気を震わせた。
けど、それがどうした。わしの半纏が破れたんじゃ。
平安の頃、山の中で出会った“金太郎”が、木の実と魚と一緒に持ってきてくれたんじゃ。
「オジサン寒いでしょ〜! これ、うちの母ちゃんが作ってくれたやつ〜!」っちゅうて、無邪気に渡してくれた、手縫いの半纏。
なあ……
誰がそれを、破れ言うた?
「オメェ、死ぬ覚悟あんのか?」
問うたわけやない。
確認しただけじゃ。次の瞬間には、また手が出る。それだけの話じゃ。
青白い男が、明確な殺意を纏って動いた。
その両腕が音を立てて裂け、赤黒い筋肉と鋭い骨の刃がむき出しになった。今度はそれだけでは終わらん。背中が膨らみ、皮膚が裂け、異形の触手が――四本、生えた。
ぐちゅ、ぐちゅ、と粘液を滴らせながら動くそれらには、所狭しと乱雑に棘が生え、口のような穴がいくつも付いとる。牙が、舌のように蠢いとる。
(おいおい……悪趣味にも程があるじゃろ)
次の瞬間、六本の攻撃が同時に、わしを目掛けて飛んできた。
腕の振り、触手のうねり、それぞれが別の角度から同時に。速い。範囲も広い。誰であっても、これを防ぎきるのは難しいやろう。――普通は、の話じゃ。
――ズドォン!!!
六本すべてが地面を抉った。
竹が揺れ、地鳴りが起きた。地面がざくりと陥没し、土が盛り上がった。
だが、そこにわしの姿はない。
「……!?」
青白い男が探す。だがすぐに見つかった。
わしは数歩後ろに退き、竹の根元に静かに立っとった。
まだ息も整えたままじゃ。手も出しとらん。ただ、破れた半纏と、その切れ端を丁寧に畳んどった。
ふう、と息をひとつ吐き、わしはそれをそっと街道脇の平らな石の上に置いた。
まるで墓に花を供えるような、静かな所作じゃった。
「……酔うてて分からなんだが、ようやっと思い出したわ」
「……なに?」
わしはふっと目を細めて、男を見据えた。
声の調子は先ほどまでとは違う。重く、低く、地の底から響いとる。
「オメェ……あん時の気配じゃな?」
「“あん時”? 何を――」
「最初にわしが殺した偽物の……もっと奥におった気配じゃ」
男の目が、かすかに揺れた。
わしは見逃さん。
「顔も知らんかったがの、匂いは覚えとる。……あの時、産気づいた女を守りながら、わしは感じとった。あいつだけやない、もっと、もっと奥に……もっと腐ったモンがおる、思うた」
「……」
「それが、オメェじゃろが」
男の口元が、にたりと歪んだ。
睨む目、血管の浮いた額、むき出しの歯列――どれも人の形を借りただけの醜さじゃ。
「おい……“偽物”っちゅうのは、そっちや」
「……何?」
「わしが、本物の鬼じゃ。……おんしらみたいな“人を喰って化けた死体”と一緒にされる筋合いはないんじゃ」
竹が鳴った。風が吹いた。
――それが、戦の号砲じゃった。