ウタの修正ありがとうございます。
やっぱりうたがいいですよね…結構書いちゃったんで、な、直すのが…
十年――言葉にすれば短う聞こえるかもしれんが、わしにとってはなかなか濃ゆい年月じゃった。
縁壱と出会うたのは、山道の途中。走るだけの童を「おもれぇやつじゃ」とつけ回したのが始まりじゃが……まさかこんなに長う一緒におることになるとは、誰が予想したかのう。
今や、縁壱はわしと打ち合っても一歩も引かん。
いや――下手すりゃ、わしのほうが押されとる瞬間もある。
「よいしょ……っと!」
薪を担いで庵へ戻る縁壱の背中は、かつての細っこい童の面影などどこにも無ぇ。
肩幅が広がり、筋は厚く締まり、姿勢は山の木のようにまっすぐじゃ。
わしの拳を真正面から受けても、涼しい顔で立っとるんじゃからのう。はじめは七割の力で様子見して、それから八、九……とうとう、今じゃわしも全力に近い。
正直、追い抜かれる日が来るかもしれん……そう思い始めとる。
わしは何千年と生きとる鬼じゃ。
じゃが、時々おるんよ――“時代の節目”に現れる、異様な人間が。
桃太郎もそうじゃった。
あやつは刀ひとつで鬼ヶ島へ殴り込みをかけて、気づけばわしと膝を突き合わせて団子を食うとった。
おかしな奴じゃが、心根がまっすぐで、眼が逸れんかった。
坂上田村麻呂も、あの類いじゃ。
軍神と謳われながら、酒の席では涙もろうて、情け深い男じゃった。――最後に、わしを封じるために刃を振るうた時の顔……今でも忘れられん。
そして今。
縁壱の背を見とると、あのふたりを思い出す。
こいつも……時代の節目に遣わされた、人の形をした何かじゃ。
「ただいま」
穏やかな声が庵に届くと、中からぱたぱたと駆け寄ってくる足音がした。
「おかえりなさい、縁壱さん。寒かったでしょう?」
うたの声は、いっそう優しゅうなっとった。
腹のふくらみは、もうしっかりと命を抱えとる形になっとる。指でそっと撫でるように、赤子の名もまだ無いその存在を大切にしておる。
「大丈夫。薪も、山菜も取れた」
「ありがとう……じいちゃんも、お疲れさま」
「……だからじいちゃん言うな!」
「えへへ」
うたも、よう笑うようになった。
最初のころの静けさと孤独の影は、すっかり消えてしもうた。代わりに、今の彼女は“家”というものの中心に立っとる。
縁壱がわしに稽古をせがんでくることもある。
ただ、「教えてくれ」とは言わん。あくまで「身体が鈍る」とか「昨日の動きに迷いがあった」とか、もっともらしい理由をつけてくる。
ほんまは、斬らんようになった自分が――それでも強く在ろうとしとるんじゃろう。
うたと、腹の子を守るために。
「ほれ、そろそろ湯も沸いとるぞ。風邪ひいたらえらいことになるけえの」
「はい。じいちゃんも、ちゃんと着替えてくださいね」
「……だからじいちゃ(略)」
笑い声が響く。
囲炉裏の火がぴちぴちと弾ける。
ふたりの空気は、変わらずやわらかい。
時折思うんよ。こいつが、家を捨ててまで手に入れたこの場所を……わしは、守らにゃあならんのじゃろうな、って。
風の匂いが、少し変わった気がした。
季節の変わり目か。それとも、別の……?
わからん。ただ――わしの勘が、ざわつきはじめとった。
けど今はまだ、笑ってええ。
縁壱は強い。うたはあたたかい。
そして、わしは今日も、稽古にかこつけて本気でぶん殴れる相手に出会えたことに、少しだけ感謝しとるんよ。
しっかしの〜……どこで道を間違えたんじゃろうなあ――いや、間違えたわけやない。けど、なんやこう……想像を越えとるんよ。
――こいつ、ほんまに人間か?
朝靄の山の中、稽古の合間にわしは一歩下がって縁壱を見とった。
構えひとつ取っても、動きに一切の無駄が無い。呼吸と気配が一致しとる。もはや“構える”という行為自体が、こいつの身体に溶け込んどる。
「いくぞ、タケシさん」
縁壱の声が風に溶けた瞬間――姿が、消えた。
……ッ!?
目にも止まらん、どころじゃねぇ。
風が一歩遅れて通り過ぎるほどの速さ。わしの鬼の目をもってして、ほんの“影”しか見えんかった。
刹那、背後に気配を感じて振り向く。拳を振り上げる間もなく、肘でわしの脇を狙って打ち込んできた。
ぐぅッ――!
音が、遅れて響いた。肋が軋む。
「ふはっ……なんちゅう速さじゃ」
「まだ遠慮してる。全力ではない」
「……やかましい。おんしが遠慮せんかったら、山が割れるわ!」
実際、一度だけ、縁壱が本気で岩を打ったことがある。
あれは、畑の拡張で「この岩だけ動かん」言うとった時じゃ。わしが面白がって「一発殴ってみいや」言うたら……
――岩が真っ二つになった。
いや、ほんまに真っ二つ。切ったみたいにスパーン!と。
あれは力だけじゃない。動きの精度と、力の伝導と、なにより“迷いの無さ”があった。力とは、迷わぬ心に宿るもんじゃと、わしはあれで悟ったんよ。
そして何より、わしが密かに怖れとるのは――あの目じゃ。
「……タケシ。さっき、右足に重さが寄ってた」
「ほうか」
「腰の内側が、わずかに張ってる。昨日より、左脚がうまく使えてない」
縁壱は、わしの動きだけでそれを言い当てた。
いや、違う。ただ“見て”るだけやない。こいつは、わしの身体の内側を“感じとる”んじゃ。
肉の張り、骨の歪み、呼吸の流れ。まるで、身体の中を透かし見るように。
まるで、神仏の目じゃ。
「おんし、なんでそんなもんが見えるんじゃ」
「……分からない。けど、小さい頃からずっと。人の身体の中が……“色”で見える」
「色、じゃと?」
「流れが滞ってるところは濁る。整っているところは、光って見える」
ぞくり、と背筋を冷たいものが這うた。
そりゃもう、“剣士”の域やない。“医者”でもない。“戦神”か“祓い人”じゃ。
ほんまに、時代が変わる時には、こういう化け物が人間の皮を被って現れるんじゃ。
「――縁壱」
「うん?」
「ちぃと、立ってみぃ」
わしがそう言うて、間合いを詰める。
力も気も抜かん。わしの拳は、鬼の力じゃ。喰らえば骨も砕ける。
だけど――
縁壱は、微動だにせず、目だけでわしの動きを見切っとった。
拳が届く刹那、まるで風に乗るように首をそらし、体をずらし、わしの拳は虚しく空を裂いた。
「……ふっ」
その瞬間、確信した。
――わし、こいつにゃあもう勝てんかもしれん。
けど、不思議と悔しゅうなかった。
ああ、そうか。これはもう、競うもんじゃない。
桃太郎も、田村麻呂も、縁壱も。
こいつらは、“時”そのものなんじゃ。
わしら鬼が生き永らえる時間の中に、ぽつりと現れて、世界を変えて、そして――去っていく。
「稽古、終わり」
「もうか。ちぃと悔しいけぇ、団子三つはもらうぞ」
「……じいちゃん、子どもみたい」
「誰がじいちゃんじゃ!!」
わしの叫びが、森にこだました。
けどその背中に、縁壱とうたが並んで笑うとる。
――まだ、大丈夫じゃ。
こいつらの時間は、まだ、ここにある。
けど、風の色は少しずつ変わりはじめとる。
そろそろ、“次”の音が聞こえてきそうじゃ。
けど、ほんまに、そう思うた。
わしも、ここにおるべきやったんじゃ――そう思うようになっとる。
そっから日が四度ほど登った。
その日、風は重たかった。
空は曇り、雲の底が低い。鳥の声も鳴り止み、森はいつもより静まり返っていた。
「――ッ……」
うたが腹を抱えて、小さく呻いた。
湯を沸かしていた縁側のわしは、すぐに駆け寄った。
「来たか?」
うたは浅く息を吐き、頷く。
「……間違いないと思う。まだ間隔は長いけど……これが“はじまり”じゃと思う」
十年――
長いようで、あっという間じゃった。
あの透き通るような眼の童が、いつの間にか頼もしい男になり、家族を持ち、命を授かり、それが今、産まれようとしとる。
わしは静かに、湯をくべ直す。
緊張はしていなかった。けど、ある種のざわつきが、皮膚の奥でじんわりと広がっとった。
「……産婆を呼んでくる」
縁壱が、そう言った。
「ええの?」
「このままじゃ、うたが……。俺一人の手では、足りない気がする」
わしは短く頷いた。
「なら急げ。おんしがいちばん早い」
「頼みます」
縁壱は、うたの手を一度だけ握ってから、すぐに戸を出た。走り去る背に、うたがそっと微笑む。一度振り返り、あっという間に消えた。それを見てからわしは言った。
「……外になんかおる」
「え?」
うたが問い返す。
わしはゆっくり立ち上がって、戸口へ向かう。
嫌な風が、吹いとる。匂いが違う。
風の流れ、空の気配、森の沈黙。
全部がわしに告げとる。
何かが、こっちへ向かっとる。
まだ遠い。姿も形も見えん。けど、わかる。
山が、怯えとる。これは……あかん匂いや。魂が嫌がっとる。
「タケシさん……なにか来てるの?」
「……まだじゃ。けど、風の音が……違うてきた」
あの感覚は、わしにも覚えが無い。
わしは鬼じゃ。山の鬼。岩から生まれたもんじゃけぇ、人の気配も、鬼の気配もよう分かる。
けど、今吹いてくる風には、何かこう……汚れた“におい”がある。
血か? それとも、もっと濃いもんか。
ようわからん。ただ、わしの腹の底が冷えとるんよ。
「わしは、外で見張っとく。何かあったら大声出せ」
「……はい」
戸の外に出た瞬間、木々がざわめいた。
わしは腕を組み、庵の前に腰を下ろした。
遠くで、鳥が鳴かなくなったのを感じた。
こいつは……なにかが始まる気配じゃ。
わしは、拳を軽く握る。
皮膚が、わずかに軋んだ。
中の“わし”が、皮の奥で蠢く。
――まだや。まだ出る時じゃねぇ。
けど、もしも奴らがここへ踏み込むなら。
その時は、
本物の鬼の牙を、思い知らせちゃる。