もし鬼滅の刃に本物のガチ鬼がいたら   作:物体Zさん

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良くないもんがきたんじゃ

 

 

 空気が、止まった。

 

 風も、音も、影すらも――すう、と引いた。

 

 嫌な予感が、骨の奥でじわりと鳴る。

 

 

 

 その時、戸の向こうから声がした。

 

 

 

 「ごめんくださぁい。……旅の者なんですが」

 

 

 

 やけに軽い調子じゃった。

 

 けど、その声音に宿る“湿り気”が、耳の裏にへばりついてくる。

 

 わしはすぐに、息を吸い込んで確かめた。

 

 

 ……くせぇ。

 

 

 表面は人の声じゃ。言葉も柔らかい。

 

 けど、その奥に渦巻いとる匂いが――あれは、人やない。

 

 血と、肉と、飢えと、欲。腐った肉に湧いた虫みたいな気配が、声の裏から滲み出とる。

 

 

 「……はい!」

 

 うたが立ち上がろうとする。

 

 

 

 「待て」

 

 

 

 わしはその声を押さえつけるように言うた。

 

 低く、短く。

 

 

 うたが驚いた顔でわしを見る。

 

 わしは目だけで制した。

 

 「下がれ。奥へ入っとけ」

 

 「……あれ、なに?」

 

 「わからん。けど良くないもんじゃ。

 

 

 

 うたは、唇を噛んで頷いた。

 

 そっと畳を滑るようにして奥へ引き、襖を閉める。

 

 わしは息を整えて、戸の前に立った。

 

 そして、音もなく開けた。

 

 

 

 目の前におったのは――汚れた旅装束の男。

 

 髪はぼさぼさ、服は土と雨にまみれておる。袴は擦り切れ、足元は裸足。

 

 襤褸をまとった、乞食にも似た風体じゃった。

 

 けど、目だけが異様じゃ。

 

 ギラギラしとるわけでもない。

 

 むしろ、妙に澄んどる。

 

 ……澄みすぎて、中身が無ぇ。命を感じん。器だけのような目じゃ。

 

 

 男はにこにこと笑うて言うた。

 

 「いやぁ、すみません。日が暮れちまって。ちょっと雨宿りでも、と思いましてね」

 

 こいつ、自分がなんの前に立っとるか分かってねぇな。

 

 わしの中身は今、赤い血潮がぶくぶくと沸騰しとる。

 

 皮の内側では、鬼の肌がぬらりと熱を帯びとる。

 

 が、それを悟らせんように、わしも静かに応える。

 

 

 「……ここには、妊婦がおる。静かにしていけ」

 

 「おや、それはそれは。おめでたい……」

 

 

 

 男の目が、ぴくりと揺れた。

 

 そのまま、わしの肩越しに“奥”を見ようとする。

 

 

 

 あかん。

 

 

 

 奴の眼が、うたのいる方角に向いた瞬間――わしの中で、何かがきしんだ。

 

 おまえ、見とるな。腹の中まで、見とるような目しやがって。

 

 わしは、男の視界を遮るように半歩、前へ出た。

 

 「なにか、用か?」

 

 「いえいえ。ただの通りすがりでして……はは、にしても、いい匂いがしますねぇ。煮炊きの匂いというか……こう、あったかい感じで」

 

 男の鼻がぴくぴくと動いとる。

 

 まるで獣じゃ。

 

 わしは静かに笑うた。

 

 「悪いが、飯は無い。泊まる場所も、貸さん」

 

 「そんな、つれない。いいじゃないですか、少しだけ。ほら、俺みたいなもんが野垂れ死にしても……」

 

 

 

 ぴた。

 

 

 

 わしの笑みが、消えた。

 

 その瞬間、男の顔がわずかに凍りついた。

 

 ようやく分かったか。

 

 わしが、なんで“立ってるだけ”で山の空気を止めるか。

 

 なんで“声ひとつ”で鳥が鳴かんようになるか。

 

 「……あんた、なに者で?」

 

 男が、ようやく訊いた。

 

 

 

 わしは、一歩、踏み出した。

 

 足音が、地面に重く響く。

 

 

 

 「わしか?」

 

 「……ええ」

 

 

 

 わしは、にやりと笑うてみせた。

 

 「ただの“じいちゃん”じゃ」

 

 

 

 その瞬間、男の背筋がぴしりと緊張した。

 

 

 

 わしはまだ知らん。こいつが何者かも、どこから来たかも。けど一つだけはっきりしとる。

 

 こいつは、うたの腹の子を狙うておる。そしてうたも

 

 

 

 わしの皮膚の下、赤黒い肌がぶつぶつと泡立ち始めた。

 

 もう、半分は剥がれかけとる。

 

 中の鬼が目を覚ましとる。

 

 けど、まだや。

 

 ここで始めてしまえば、庵が戦場になる。

 

 わしは、この家を守るために立っとる。

 

 

 

 だから――

 

 まだ笑える。

 

 

 

 「なあ、おんし。ここへ来た目的、ほんまに“雨宿り”か?」

 

 「……ええ。もちろんですよ」

 

 

 

 嘘じゃ。

 

 目が、笑ってない。

 

 

 

 わしの中の鬼が、そろそろ拳を欲しがり始めとる。

 

 ……もうちぃとだけ、泳がせるか。

 

 気を落ち着かせようとゆっくり息を吐いた。

 

 だが——男は笑ったまま、わしの脇をすり抜けようとした。

 

 まるでそこに人間など立っていないかのように、堂々と。滑るような足取りで。

 

 「おい」

 

 わしは静かに声をかけたが、奴は止まらん。

 

 庵の中――うたのいる方へ、足を進めた。

 

 

 あかん。こいつ、“人間”の常識が通じん。

 

 

 瞬間、わしの手が動いとった。

 

 男の肩をがっしと掴む。 

 

 「ぐっ……!」

 

 男の身体が、ぴたりと止まる。

 

 「……あ、あつ……」 

 

 奴が呻く。

 

 わしの手から滲む《熱》――それは皮膚の温度じゃない。わしの血そのものが煮えたぎっとる

 

 中におる“鬼”が、目を覚まし、皮を下から押し広げとる。

 

 

 「入んなや」

 

 

 わしは一言、そう言った。

 

 

 男の身体がびくりと震える。

 

 そのまま、わしは肩を掴み外へ放り投げた。

 

 

 ――どん!

 

 

 男の身体が地面に吹っ飛ぶ。

 

 塵を巻き上げ、襤褸の着物が宙に浮いた。

 

 背中から転がり、数尺先まで弾き飛ばされる。

 

 

 「……おめえさん、何者……」

 

 

 男が、地面を這いながら、わしを睨んだ。

 

 さっきまでの猫撫で声が消え失せとる。

 

 目が、血走っとる。黒目が縮み、白目が濁ってきた。

 

 口元が裂けるように開き、歯が――いや、が露わになる。

 

 爪が、びきびきと音を立てて伸び、黒ずんだ血管が腕を這う。

 

 

 「……てめえ、邪魔すんじゃねえぞ……」

 

 

 わしはじっと見とる。

 

 その変化を。

 

 

 やっぱり、おんし……人間やないな。

 

 

 鬼じゃ。

 

 けど……わしとは違う。

 

 なんじゃこの匂い……汚ぇ。

 

 血と肉の臭いだけじゃねえ。欲望と怨念と、淀んだ水を腐らせたような“ぬめり”が、気配の奥にまとわりついとる。

 

 気持ちわりぃ。

 

 

 胸の奥が、ぞわりと泡立つ。

 

 背骨が熱くなる。

 

 歯の根が噛み合わんほど、腹の底がイライラしとる。

 

 

 「……何を、そんな怒ってるんです?」

 

 男が立ち上がる。

 

 笑っとる。舌を覗かせて、唾を飛ばして。

 

 

 「女が一人、腹に子を抱えて寝てる家がある。そこへ“入らせろ”って頼んでるだけじゃねぇか」

 

 「……」

 

 「俺がどうなろうが、お前に関係ねぇだろうがよ。ああ?」

 

 

 わしの爪が、きしきしと音を立てる。

 

 皮膚の下で血が煮える。

 

 頭のてっぺんから、皮を突き破って角が生えそうなほど、怒りが突き上げる。

 

 

 違う。わしは“それ”が気に入らんのじゃ。

 

 

 女を狙うその眼。

 

 腹の中まで喰う気でいる気配。

 

 そして、なにより――

 

 

 

 弱いもんを真っ先に狙おうとするんが

 

 ムカつくんじゃァ!!!!

 

 

 

 「タケシさん……?」

 

 戸の奥から、うたのか細い声が聞こえた。

 

 

 それが、決定打になった。

 

 

 わしは、一歩前に出た。

 

 足の裏が地を踏む音に、地面が震えた。

 

 皮が、ずるりと剥がれ、肩口から赤黒い肌が露出した。

 

 そこから、じわりと熱を帯びる。

 

 血が、沸騰しておる。

 

 

 「なあ、おんし」

 

 「……なんだよ」

 

 「おんし、いま、すげえ怒っとるわしを見て、まだ“喰える”と思うとるか?」

 

 男が、一瞬だけ言葉を失った。

 

 

 「入ってきたら……喰うぞ」

 

 

 笑いながら、わしは牙を見せた。

 

 そうじゃ。喰うたる。どっちが“鬼”か教えたる。

 

 

 

 男が突っ込んできた。

 

 爪を振り上げ、喉元を狙って一直線。

 

 叫びもせず、ただ息を荒げて。

 

 その動きは粗く、荒く、むき出しの欲望そのものじゃ。

 

 

 

 じゃが――

 

 

 

 遅い。

 

 

 

 わしの目には、すべてが見えとった。

 

 左脚の踏み込み、肩の開き、爪の角度、そして背中の緊張。

 

 甘い。

 

 

 

 「……ほれ」

 

 

 

 わしは伸びてきた腕を軽く捌き、手首をがっちりと掴んだ。

 

 ぴたり、と動きが止まる。

 

 「なっ……」

 

 男が目を見開く。

 

 その隙に、わしの右手が伸びた。

 

 すう、と。まるで風でも掬うように、男の首を包み込む。

 

 「っぐ……!」

 

 喉が圧され、息が詰まる。

 

 わしは、そいつを片手でぶら下げた。

 

 

 「庵は、戦場にする場所ちゃうけぇの」

 

 

 家を背にしながら、ゆっくりと歩き出す。

 

 男は暴れる。

 

 脚を蹴り出し、爪を振るう。

 

 けど、わしの拘束からは一歩も逃れられん。 

 

 木々の間を抜け、大きな楠の下へ出る。

 

 静かな木陰。ここなら、何があっても響かん。

 

 

 わしは、ゆっくりと地面に男を叩きつけた。

 

 

 「がっ……げほっ……!」

 

 

 

 地に転がり、土を吐く。わしはしゃがみ込み、その目を覗き込んだ。 

 

 血走った眼。

 

 けれど、その奥に――もっと濃い、もっと深い“異物”の気配があった。

 

 目の中に“誰か”がいる。

 

 いや、意識の奥に、染みついたように巣くっとる“何か”。男自身の欲望じゃない。

 

 もっと汚い。もっと、悍ましい。 

 

 これは……“何者かに作られた”気配じゃ。

 

 意志や意識じゃなく、“支配”や。自ら望んで化け物になったんやない。誰かが、こうした。

 

 

 

 ぞわりと、背筋が泡立つ。

 

 この気配――わしは、知らん。

 

 鬼のものでも、人のものでもない。

 

 “ねじ曲がった業”が、男を通して漂ってくる。 

 

 「おい」 

 

 わしは静かに、肩を掴んだ。

 

 ぎしり、と骨が鳴る音。

 

 爪が食い込む。

 

 「お前は、なんじゃ?」

 

 問いと同時に、ぐっと力を入れる。

 

 

 

 べきっ!!

 

 

 

 腕が――男の肩から、もぎ取れた。

 

 骨ごと、筋ごと、引きちぎる。

 

 鮮血が噴き出し、男が絶叫する。 

 

 「ぎゃあああああ!! あああああああっ!!」

 

 のたうち、地面を転がる。けど、わしは止めん。

 

 頭を掴み、強引に引き起こす。

 

 

 「まだ答えとらんぞ。お前は、なんじゃ?」

 

 

 男は痙攣しながら、叫ぶ。

 

 「てめぇ……化け物……ッ!」

 

 「それはこっちの台詞じゃ」

 

 わしの肩から、皮膚がずるりと落ちた。けど、まだ見えとらん。

 

 着物の下に隠れた鬼の肌が、じわじわと熱を帯びとる。

 

 ああ、もうアカンな。これ以上、こいつの気配を嗅ぎ続けとるのが耐えられん。

 

 イライラする。気持ち悪ぅてたまらん。心が逆立つ。血が騒ぐんじゃなく、魂が“拒絶”しとる。

 

 男は涙と鼻水を垂らしながら、必死にわしを睨んだ。

 

 「な、なんなんだよお前ぇ……っ!」

 

 わしは静かに息を吐いた。

 

 

 

 「知らん」

 

 

 

 「は……?」

 

 

 

 「わしも知らん。けどの――」

 

 

 

 ぐぐっ、と、わしの額の奥で角が疼いた。 

 

 「お前の中におる“そいつ”には、腹が立っとるんじゃ」

 

 風が止まる。

 

 木々がざわめきを忘れる。

 

 静けさの中で、何かが――裂ける音を待っていた。

 

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