『生まれた……だとぉ!?』
私が電話で事実を端的に伝えると、遠いシュタルフクス王国で今も執務中であろうお父様が絶叫しました。
「お父様、あまり大きな声を出さないでください。また私の子であることは隠すのでしょう? 組織の者以外に聞かれたらどうするのですか」
私の注意を受けてお父様は声を落とします。
『あ、ああ……だがおまっ、まだかなり早いだろ!? 赤ん坊は無事なのか!?』
妊娠週数的には流産寄りの早産といったところです。
通常であれば赤子の生存は非常に困難ですけど、そこは私なのでどうにかできました。
「万が一に備えて私が作った特別な保育器を持ち込んでいましたので大丈夫ですよ」
『そうか……で、どっちだ?』
「今回も女の子です」
『…………………………そうか』
声音からしてお父様は酷く気落ちした様子です。
「男女平等の時代ですし、女王でも問題ないと思いますけど?」
『駄目だ。出産で若くして死ぬかもしれねえ女に王位はやれねえ』
お母様のことがあったのでお父様は出産が凄まじく危険な行為だと思い込んでいます。
確かに出血多量とか子宮破裂とか羊水塞栓とか色々な要因で母子共に命を落とす可能性はありますけど、いくらなんでもお父様の場合は怖がり過ぎだと思います。
それに……解決策自体は簡単なものがあります。
「子供を作らなければいい話では?」
そうすれば絶対に誰も死にません。
『それじゃ王族の血が途絶えちまうだろうが!』
お父様の怒鳴り声に加えて、何か硬いものを叩き割る音が聞こえてきました。
おそらく机に握り拳を振り下ろしてしまったのでしょうね。
王になっても反社時代の荒っぽい部分は残っていますから、時々こういう事態が起こります。
『あっ、クソ……お前がふざけたこと言うから、またやっちまったじゃねえか』
「すぐに手が出るお父様がいけないのですよ。そもそもお父様の言う王族の血って、私たちではなく先代王族の血ですよね? 今となってはお父様が壊した机ほどの価値もないと思うのですけど、なぜそこまでこだわるのですか?」
旧王族の血を取り込むことが大昔から侵略者の習わしだったとしても、普通そのために娘の純潔捨てさせますか?
当時どうでもよかったとしても、愛すべき人を知った今では少し後悔していますし、その原因であるお父様への恨みもあります。
『いや、それは……まあ、なんだ……ああクソっ、さすがにもう隠せねえか』
それからお父様が語ったのは、私の知らないシュタルフクス家の本当の姿に関する話でした。
かつて敵国との戦で活躍したご先祖様は、当時の王から王族の守護者に任命されました。
それ以来、シュタルフクス家は代々王族の身を守るため、王族にとって不都合な人間を殺してきました。
しかし近年、たとえ相手が王族に敵対的であったとしても自国民の処刑は国際社会において非常に外聞が悪い行為となりました。
そこでシュタルフクス家は反社会的勢力に偽装することにしました。
DAのように殺しを隠蔽するのではなく、殺し自体は隠さずにその悪評をシュタルフクス家に押し付ける形にしたのです。
『ただこのやり方は色々と問題が多くてな……エルが死んだのもそのせいだった』
真実が広く知られては反社に偽装した意味がありませんでしたから、シュタルフクス家は社会から排除すべき存在として扱われていました。
病院すらも気軽に利用できない状況で、お父様は出産程度ならわざわざ医者を頼るまでもないだろうとお母様を放置して……結果、死なせてしまいました。
『出産を甘く見てた俺も悪いんだが、あの時の俺は冷静じゃなかったからな……勢いに任せて王に文句を言っちまった。それがきっかけで関係を完全に絶たれて、国からの資金提供がなくなったうちは一気に貧乏になった』
私は物心ついた時からお金に困っているシュタルフクス家しか見ていませんでしたけど、そうでなかった時代もあったのですね。
利用するだけ利用しておいて、腹が立ったからと気軽に切り捨てるなんて……許せません。
殺してやりたくなります。
もう殺していました。
むしろ殺したことに正当な理由ができて良かったです。
「そんな事情があったのですね……では結局のところ絶やして問題のない血筋ということでは?」
『お前と違って俺は親父から王族の尊さを教え込まれて育ってんだよ! そこまで割り切れねえよ!』
ちなみにお祖父様は私が生まれるよりも前に、他国の要人を殺害した罪で国に処刑されて死んでいます。
お父様よりも強かったというお祖父様を誰が捕らえられたのか長年の疑問だったのですけど、自分から死を受け入れたというのが真相でしたか。
嫌な話です……一歩間違えていたら私も洗脳教育を受けて王族大好き人間になっていたかもしれません。
お母様の死によるショック療法で洗脳から解放されたお父様でさえも、まだ王族への思いを引きずっているくらいですもの……あっ、もしかして。
「私の四肢を潰したのはお父様ですか?」
『……すまん』
ずっと見つけられなかった犯人が自白しました。
お父様が侵入者を取り逃がしたなんて話、おかしいとは思っていたのです。
『少しばかり痛い目を見れば王に手をかける前に止まってくれると思ったんだ。それで、軽く骨折でもしてもらおうかと……』
「少し? 軽く? 弾けた骨が突き刺さって神経が完全に断裂していましたけど?」
『……いや、まさか俺の娘があんなに脆いとは思わなくてだな』
「そもそも四肢全て潰す必要ありましたか? どれか一本で十分だったのでは?」
『それはお前がちっとも反応しねえから……』
「それこそお父様のせいですよ。生まれつき刺激に疎い身体だったのですから」
聞く限り不慮の事故だったようですけど、どう言い訳してもこの件で悪いのはお父様です。
お父様も観念したようで、素直に謝ってきました。
『悪かった! だがこの負い目があったからお前のやることに全面的に協力することにしたんだ! それで勘弁してくれ!』
……まあ、その辺りが落し所ですね。
お父様が本格的に王の側についていたらVロボでは突破できませんでしたから。
機械で代用できる四肢を代償としてお父様を完全な味方にできたと考えれば安いものでした。
「わかりました、私の手足の件については許します。お父様がかつての王族の血を残したがる理由も理解しましたので、男の子をもうける努力もしてあげます」
『おお、そうか! なら早く帰ってすぐに次の仕込みを……』
「ただし! 今回の無理な出産で私の身体はぼろぼろです! 航空機で移動すれば気圧の影響で子宮が破裂する恐れがありますから、こちらの国で長期的な休養を取らせていただきます!」
実際は至って健康体ですし、航空機での移動も平気だと思いますけど、あえて誇張して伝えました。
『船と鉄道じゃ無理か?』
「どちらも酷く揺れますからね、悪い影響がないとは思えません。何より時間がかかります」
『公務はどうすんだよ?』
「私と区別のつかない見た目のVロボが完成していますから、こちらからの遠隔操作で行いますよ」
まあ、本当は遠隔操作のふりをしてAIにほとんど任せ切りにするつもりですけど。
大切なのは王族が重要業務の監督を担っているという事実であり、私がその場で難しい何かを判断するということはあまりないので、事後報告さえ受ければ大丈夫でしょう。
『……まあ、仕方ねぇか。いつまでだ?』
「最低一年は欲しいですね」
『いっ……おま、さすがになげぇだろ!?』
「長くないです。私にも、当面保育器から出られない赤子にも、短く見積もってなおそのくらいの時間が必要です。お父様も頑張って勉強しているようですけど、果たして私とお父様、どちらが正しい判断を下せると思いますか?」
私には医療分野に世界規模で多大な貢献をしてきた実績があります。
その私が断言すればお父様が異論を持てるはずがありません。
ちなみに本当に急いで帰ろうと思えば今からでも帰れます。
私は健康体ですし、赤子も保育器ごと問題なく輸送できますから。
『……分かった。一年だな』
「最低一年です。状況次第で延長もありえます。では、また後ほど」
『待て待て! まだ話は終わってねえ!』
「だから早く帰れと言われても無理ですってば」
『それはもういい! そうじゃなくて、まだ大事なことひとつ聞いてねえぞ!』
「……なんのことですか?」
本当に心当たりがありません。
『名前だ名前! 赤ん坊の名前はもう決めたのか? また物騒な名前つけてねえだろうな!?』
ああ……そんなことですか。
「リタです」
『……意外と普通だな』
「愛しの妻に名付けてもらいましたから」
『は? おい待て、妻ってな……』
私は通話を打ち切りました。
◯
DA本部にて楠木は彼女よりも上の立場の者たちとリモート会議を行っている。
「リリベルは……」
『そのようなものは我が国に存在しない』
「……失礼しました。身元不明の少年たちはひとり残らず死亡が確認されました。地下の下水管からの有毒ガス噴出のため封鎖していた区画の浄化作業については、DAとクリーナーの共同で行い、先程完了したので封鎖を解除しました」
『錦木千束は?』
楠木は顔が緩まぬよう気を張って、無感情を装いながら事実だけを報告する。
「……今回もしぶとく生き残ったようです」
『姫君の機嫌を損ねていないだろうな?』
「むしろ上機嫌でした。どうやら心境の変化があったようで……彼女と一緒に働きたいからリコリスの身分をよこせと要求されましたが、どうしますか?」
『姫君の秘匿技術と引き換えに用意すると交渉しろ』
『軍事的な利用価値の高い技術が優先だ』
「……かしこまりました」
楠木の専門ではない軍事における利用価値の高さを見極めろと言われても困るのだが、上の者たちはカリスのような危険人物と直接交渉したがらないので楠木がやるしかない。
中間管理職の辛いところだ。
「では、続いてリコリスの補充についてですが……」
『それなんだがね、もちろん地方の人員を転属させてある程度補うつもりではあるが、それで地方が人員不足になっては意味がないだろう? そこで提案なのだが……例の無人兵器に業務を代行させてみてはどうだね?』
カリスはリリベルの代用品として無人兵器技術を提供したので、兵器の外見は機械感丸出しのロボットではなく、よく観察しなければ人間と区別できないものになっている。
女性らしい形に改造して、制服と拳銃を装備させれば、リコリスの暗殺業務の代行は容易だろう。
「……暴走の危険はありませんか?」
『それは生きた人間でも同じことだろう。我々が何も知らないと思っているのかね?』
リコリス反乱事件は上層部にも隠蔽したはずだが、上の者たちは把握しているらしい。
だからといってそれを認めるわけにはいかないために楠木が何も言えずにいると、上の者たちは楠木の言葉を待たずに話を進めた。
『まあ、確かに全てを入れ替えては万が一の時に面倒だからな。全体の半数程度で十分だろう。そうすればどちらかが使えなくなっても残った方で業務を回せる』
『となると、育成中の人員を将来的に持て余すことになりますな』
『別の仕事を与えればいいでしょう。姫君がちょうどいい事業を持っていたはずです』
『我が国の少子高齢化は深刻ですからな。さすが姫君は先見の明がある。我々も後追いさせてもらいましょう』
形式上は会議でありながら、上の者たちは決定事項を一方的に押し付けるだけで楠木の話をまったく聞いてくれない。
これに比べたら千束はまだ話を聞く方だったなと一瞬思いかけた楠木であったが、よく考えたら千束が話を聞かずにDAから逃げ出したからこそ今の状況があるのだ。
どうか補充人員として地方から送られてくるリコリスたちは人の話をしっかり聞いてくれますようにと願いながら、楠木はひたすら黙って上の者たちの沙汰を待った。
◯
「リコリスのライセンスを取得してきましたわ。これでワタクシもリコリコの雇用条件を満たせましたでしょう?」
軽やかに一回転して身に纏ったファースト・リコリスの赤い制服を見せびらかしてくるカリスを前に、ミカと千束が苦い顔を見合わせた。
「……まさか本当にリコリスになっちゃうなんて」
「……楠木め、すっかり言いなりだな」
リリベルが死に絶え、その渦中でひとつの新しい命が生み落とされたあの日を境にカリスは変わった。
まず人の首を切ることへの興味を完全に失った。
それは千束にとっても、世界にとっても非常に喜ばしいことだった。
しかしその代償なのだろうか……カリスは千束に首を絞めてもらうことに執着するようになった。
千束はめちゃくちゃ引いた。
はっきり言って首刈り殺人鬼だった時よりも近寄りたくないと思った。
千束は人殺しの犯罪者には慣れていても、マゾの変態には慣れていなかったのだ。
そんなカリスが唐突にリコリコで働きたいと言ってきたものだから、千束は咄嗟に「リコリスになってから出直してこい!」と言って拒絶した。
そして現在、カリスはリコリスになって出直してきた。
「さあ千束さん、ワタクシにリコリコでのお仕事を手取り足取り教えてくださいませ。そして……至らない点があれば首を絞めて罰してくださいまし!」
「しねーよ! 今の時代は体罰NGなの!」
「では良い仕事ぶりに対するご褒美として首を絞めてくださいまし」
「もうやだこの新人! 先生こいつ店長権限でクビにしてよ!」
千束に泣きつかれたミカはできることなら応じてやりたかったのだが、できなかった。
「……今見たら楠木からメールが来ていた。どうやら彼女の配属はDA本部の正式な決定ということになってるらしくてな。すまんが俺の立場では拒否できん」
「そういうことですわ! 諦めてワタクシを受け入れてくださいまし!」
「こんにゃろ……あーもう! わかったよ!」
千束は更衣室の方を指差して叫んだ。
「もう店開くからさっさと着替えてこい! どうせリコリコの制服も自前で用意してんでしょ!?」
「よくわかりましたわね」
カリスは手持ちの袋から紫の衣装を引っ張り出した。
なお千束と同じ赤色にしなかったのは、夏祭りの時に千束から似合ってると言われて以来ずっと愛用している髪紐の色に合わせたためである。
「ではしばしお待ちくださいませ」
カリスが更衣室に消えた後、残された千束は天を仰いだ。
「なんか……想像してた結末と違う」
確かに千束はカリスに人殺し以外の幸せを教えてやりたいと思っていた。
しかしそれは恋愛ものの映画で描かれるような、普通に人を愛して、普通に人に愛される、一般的な幸せのはずだった。
決して……こんなにも倒錯した理解不能な性癖を開花させるつもりではなかったのだ。
「結果オーライじゃない? あの様子なら千束が首絞めて命令すれば何でも言うこと聞くでしょ」
ぐったりしている千束に相変わらず酒を飲んでにやにやしているミズキが茶化すように言った。
「私にそんな趣味はねえ」
「あんたになくてもあいつにあるんだから仕方ないでしょ〜? とりあえず一発絞めて、手始めに……男を魅了する装置とか作れんのかしら?」
「んなもん作らせるくらいなら別のもん作らせるわ」
そう、例えば……と考えた千束は、彼女にとって非常に重要なとある機械を思い浮かべた。
それはミカも同じだったようで、二人で顔を見合わせた後、酔っ払いを置き去りにして大急ぎで更衣室へと走った。
「いや先生は来ちゃ駄目でしょ!」
「すまん!」
扉の前にミカを残して単身で更衣室に突入した千束が、慣れない構造であるために着付けに手間取っていた半裸のカリスの肩を左右から掴んで顔を迫らせた。
「きゃっ、千束さん!? 何事ですの!? まさか……!」
「いやちょーっと聞きたいんだけど……無理なら無理で全然いいんだけどね? でもできたら嬉しいなっていうかすっごく助かるっていうかなんていうか……」
「あっ、違いますのね……」
カリスを逃さぬようにしっかり捕まえたまま何度か深呼吸を繰り返してから、期待と不安で声を震わせながら千束はカリスに尋ねる。
「心臓の代わりになる機械作れる?」
「え……まあ、はい」
◯
「よく来てくれた……シンジ」
会員制のとある高級バーにて、隣の席に座ったスーツの似合う男にミカが話しかけた。
「ミカ……いったいどうしたと言うんだ」
「シンジに会いたかったのさ」
「……それだけではないだろう? 機関のルールを知っているはずの君がわざわざ私を呼び出したのだから」
ミカと話すこの男の名は吉松シンジ。
彼はアラン機関のエージェントであり……かつて千束の命を救った救世主さんの正体だ。
「まさか、千束が死んだのか!?」
狼狽を見せたシンジを落ち着かせるように、ミカがゆっくりと首を横に振った。
「千束は今も元気にやってるよ。シンジのおかげでな」
「そうか……良かった」
「だが千束に関する話というのは間違いない」
「……新しい心臓を用意しろということか?」
シンジが千束に与えた機械の心臓は耐用年数が十年程度と想定されていたので、何もしなければ千束は長くても成人する前に死んでしまう運命にある。
かつてミカは千束がリコリスとして活動できる十八歳まで生きれば十分だと言ったが、おそらく長く一緒にいるうちに気が変わったのだろうとシンジは推測した。
「……できるのか?」
「ミカ、君の気持ちはよくわかる。私も個人的には同じ気持ちだ」
シンジにとって千束は仕事で関わった支援対象の中のひとりでしかないはずだった。
それなのに千束は、ほんの短い期間、ほんの少し言葉を交わしただけでシンジの心を奪った。
シンジは千束をミカとの間に生まれた娘と思っているし、できることなら長生きしてほしいと願っている。
「だが機関に属する者としてはその気持ちには応えられない」
しかし千束への支援を決めるのはシンジではない。
「聞いているよ。千束はリコリスでありながら人を殺さずにいたそうじゃないか」
「……すまない」
千束の殺しの才能を世界に届ける。
ミカはシンジとそんな約束を交わしていた。
しかし千束は人殺しを拒み、ミカはそれを許していた。
「謝る必要はない。千束の才能に釣り合う敵がいなかっただけなんだろう?」
「……何の話だ?」
「隠すなよ。私たちの仲じゃないか」
シンジは大声で笑いながらミカの背を叩きたくなる気持ちを抑えた。
それでも千束の偉業に口元が緩むのを止められなかった。
「千束が仕留めてくれたんだろう? あの忌々しい殺人鬼を」
アランチルドレンを狙う連続殺人鬼ギロチン。
その存在をアラン機関は認識していたし、積極的な排除を試みてアランチルドレンの護衛として機関の息がかかった殺し屋をけしかけては尽く返り討ちとなっていた。
そんなギロチンの犯行が千束を標的とした後から止まった。
そのことからアラン機関では千束がギロチンを仕留めたと見なされているのだ。
「いや、奴は……まあ、うん、そうだな」
首刈り殺人鬼から一転して千束に首絞めを懇願するマゾの変態となったカリスの姿を思い浮かべたミカの苦々しい表情を見たシンジは、それ程までにギロチンの死に様は無惨だったのだろうと考えてますます笑みをこぼした。
「……本当によくやってくれたよ。機関では使命を果たさない千束の抹殺も検討されていたんだ」
「何だと!?」
「安心してくれ。既にこの話は流れた」
「……ならば、なぜ新しい心臓を用意できないという話になる?」
ミカの疑問はもっともだ。
確かに機関の方でも英雄に追加の支援を行うべきという声はあった。
しかしアラン機関の理念がそれを許さなかった。
「千束はもう使命を果たした。それだけだよ」
アラン機関が支援するのは世界に届けられることなく燻っている才能だ。
関わるのは最初だけ。
既に結果を残した者に、さらなる支援は必要ない。
「すまないね」
「いや、いい」
千束の延命が叶わないと知ればもっと落ち込みそうなものだが、ミカは意外にも平然としていた。
「できれば確実に安全な方法が良かったというだけだからな」
「それはどういう……」
「見つけたんだ。千束の新しい心臓を作れる人間を」
シンジは驚いて目を見開いた。
「確かなのか?」
「工学の腕は確かだ。ただ……なんというか、人格面で非常に不安がある。何か余計な機能を付け加えそうだと千束が心配するから、これまでと同じものを用意できるならその方がいいと思っていたんだが……無理と分かれば千束も諦めるだろう。死ぬよりましだ」
ついさっき見たものと同じくらい苦々しいミカの表情を見て、シンジも非常に不安になった。
「それはいったい誰なんだ? まさかあの心臓の開発者と同一人物ということはないはずだが……名前は?」
「カリス・シュタルフクス。知ってるだろ?」
ミカはカリスもアランチルドレンという話だからアラン機関のシンジは当然知っているはずだと思っていた。
「……あの凡人か」
そしてシンジはカリスの存在を確かに認知していたが、それはアランチルドレンであるからという理由ではなく、普通に有名だからという理由であった。
「凡人だと? 彼女も機関に支援された天才だろう?」
「あれが天才?」
困惑するミカにシンジは断言する。
「そんなはずはない」
世間はカリスをもてはやしているが、アラン機関はそれを滑稽なものと見下している。
カリスが作るものはいつだって既に誰かが想像していたものでしかなく、新たな発想は一切含まれていない。
例えばコンピューターがなかった時代にそれを作り出した者。
例えばスマートフォンのなかった時代にそれを作り出した者。
機械工学においてアラン機関が支援するに足る才能とはそういった者たちであって、決してそれらの発展型を作り出す程度の者たちではないのだ。
そんなことをシンジに力説されたミカは、シンジの話を理解する一方で、カリスに関する大きな疑問を抱いた。
「だとすると……彼女が支援を受けたという話は千束を揺さぶるための虚言だったのか?」
「……あの女は千束とどういう関係なんだい?」
自分の質問に対して非常に言いづらそうにしているミカの様子から、DAの機密が関与するのだろうとシンジは予想した。
「言えないなら無理に言わなくていいよ」
「……すまん」
「まあ……あの女が支援を受けたという話については、おそらく誰かが機関の名を騙ったんじゃないか? 機関が定義する天才とは違うが、発明家として大成する類ではある。パトロンとして取り入るために機関の名声を利用したんだろう」
ミカはまだ納得できていないようだったが、シンジとしてはこれ以上カリスの話など広げたくないので、話題を千束の心臓に戻した。
「何にせよ、君たちが千束の心臓について情報提供したのであれば、あの女は容易く再現するだろうね。自分では何も思い付かないくせに、他人の発想を踏み台に既存の技術を寄せ集めて張りぼてのガラクタを作り出し、アランチルドレンが手にするはずだった栄誉を奪い取る……イノベーションの概念から最も遠い存在だ」
アランチルドレンの中にはカリスのせいで世界に才能を届けられなくなった者たちがいる。
例えばレントゲン、CT、MRIに匹敵する、これまで存在しなかった新しい医療用画像撮影機器を研究していた者がいたのだが、カリスがMRIの性能を極限まで向上させた結果、それは世間に広まる前に埋もれてしまった。
輝かしい未来を閉ざされたそのアランチルドレンは人知れず首を吊ったらしい。
「……だいたい、あの国は認可されるまでが早過ぎるんだ。治験の概念がないんじゃないか? こっちは千束で安全性が確認されたとしても公にできず苦労しているというのに」
おそらく千束の心臓の開発者もそうなるのだろうなと予見したシンジはカリスへの呪詛を垂れ流し始めた。
「だっ、大丈夫だシンジ! 千束の分を作った後は公開しないように頼んでおく!」
頭を抱えたシンジを慰めようと、ミカが彼に寄り添った。
「ミカ……君は今でも私を好きでいてくれるかい?」
シンジは潤んだ瞳でミカを見つめた。
「当然だろう。なぜそんなことを聞くんだ」
「実は少し仕事がうまくいってなくてね……自信を持てなくなっているんだ」
新たな支援は殺人鬼ギロチンを恐れて断られる。
既に支援していた者たちはカリスのせいで首を括る。
機関においてシンジに限ったことではないが、シンジの管轄でそのような事態が多いのも確かだ。
「……この後、時間はあるかな?」
顔を赤らめて聞いてくるシンジにミカは身体を火照らせた。
◯
私が喫茶リコリコのバイト店員となってから一年の月日が流れました。
「……名残惜しいですが、しばらくお別れですわ。ですがすぐにお父様を言いくるめて、必ずここに戻ってきますので……その時は再会を祝してワタクシの首を絞めてくださいまし」
お父様がうるさいことに加えて、いつまでもリタをこちらの国に置いたままにはできないという事情もあり、私はシュタルフクス王国への帰国を決めました。
「あっそ。まあゆっくりしといでよ……別に無理に戻って来なくていいからね?」
私との別れに対する千束さんの反応は非常に淡白なものでした。
悲しいですけど順当です。
だって私が開発した恋愛対象としての好感度を数値化するコンタクトレンズ型の装置によると、千束さんから私への好感度はゼロと表示されていますから。
この装置は人の感情が目に現れることを利用して、目つきからその人が視線を向けている相手に抱いている好感度を判定し数値化するもので、精度は完璧とまでは言えませんが決して的外れではありません。
ちなみに装置を開発した当初は大幅にマイナスだったので、これでも上がってはいます……牛の歩みよりも遅い速度で。
なぜでしょう……千束さんの心臓を作って移植手術を成功させた時とか、大半の末期がん患者を治療可能な免疫細胞型ナノマシンを開発した時とか、機械の心臓を公表せず独占しているせいで他の心臓病患者が救われない状況を悲しんでいた千束さんのために生体臓器の培養装置を開発した時とか、大きくプラス側に振れたことは何度もあったのに、ご褒美の首絞めによる気持ちの良い気絶から目覚めた後で再測定するといつもゼロに戻っているのです……本当に何が駄目なのか分かりません。
「ご冗談を……アイル! ビー! バック! ですわ~~~~~!」
とにもかくにも帰国は既に決定事項です。
名残惜しさを振り払うために千束さんが好みそうな言葉だけを残して私は全力で走り出しました。
私は戻ってきます。
その宣言を実現するまでに半年の時間がかかりました。
そう、ほんの半年……たったそれだけの時間で、本来私がいるべき場所は、私の知らない異物に奪われていたのです。
「お待たせいたしましたわ千束さん! 朱雁こりす、本日よりリコリコに復……」
「ほ〜ら〜! たきなもこっち来て一緒にボドゲやろ!」
「もう……まだ営業時間ですよ。千束」
その黒髪の女はリコリコ店員の格好をしています。
「い〜じゃんどうせ誰も来ないんだからさ〜」
「いえ、今誰か御新規で……」
その黒髪の女は私の千束さんとべたべたしています。
「誰ですの……」
「えっ?」
「あっ」
その黒髪の女は……私なんかとは比べ物にならないくらい大幅にプラスの好感度を千束さんから抱かれています。
「誰ですの!? その女の子!」
私の絶叫で静まり返った店内に、見知らぬ小柄な少女が発した「おっ? 修羅場か?」と茶化す声が嫌に大きく響きました。
ここまでお読みくださりありがとうございます。
vs千束編は今回で完結となります。
次回よりvsたきな編を予定しておりますが、全て書き終えてから出そうと思っているので、しばらくお待ちください。
ちなみにこちらの井ノ上たきなさんは、つい先日までトランクスを履いていたようですが、今は違うみたいです。