首刈コリス   作:ことのはだいり

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第9話 Describe yourself by what you like rather than what you dislike

 千束の行動原理は病で幼くして死ぬはずだった自分を救ってくれた名前も知らないアラン機関の誰か……千束にとっての救世主の影響で形作られた。

 その人ともう一度会いたかったからDAを離れた。

 命を失う恐怖を知っているからというのもあるが、憧れの人のように人を殺すのではなく生かしたい……救いたいから、リコリスでありながら人殺しを拒んだ。

 ミカが千束のために作ってくれた喫茶リコリコという居場所で、いつか恩人に再会してお礼を言える日を夢見ながら、ご近所さんの悩みを解決するような小さな人助けで満足する。

 これまではそんな在り方を正しいと信じて疑わなかった千束に、今になって迷いが生じている。

 千束がそれを自覚したのはリコリス反乱事件からしばらく経ったある日、なんとなく見ていたテレビ番組の途中、とあるコマーシャルが流れた時であった。

 

『大切な家族とずっと一緒にいたい。そんな家族愛溢れる皆様に、訪問介護の活用をお勧めしますわ』

 

 それは初めて聞く名前の訪問介護業者のコマーシャルだった。

 

『ファレノプシスには、厳しい訓練をくぐり抜け、いかなる汚れ仕事も恐れない、若く優秀な選りすぐりの人員が集まっていますわ』

 

 続けて画面に映ったのは、初めて見る制服に身を包んで整列した少女たちだ。

 その中には少し前に千束がDA本部で見た顔がいくつも混じっていた。

 

『訪問介護はファレノプシス。ご依頼は、こちらの電話番号でお気軽にご相談くださいまし』

 

 あとナレーションの声が明らかにカリスのものだった。

 つまりこのファレノプシスという訪問介護業者は、カリスが引き取った元リコリスたちのために用意してくれた新しい職場なのだ。

 死の恐怖を知ったリコリスの少女たちを救うために最初に行動したのはカリスが作ったAIで、アフターケアはカリス自身の手で完璧にこなして、しかもカリスが元リコリスたちに新しく与えた仕事は人を救う介護職だ。

 殺人鬼なのに。

 罪のない人を何人も殺しているくせに。

 その傍らで、カリスは殺した数よりもずっと多くの人を救っている。

 まるで救世主のように。

 それなのに自分は?

 恩人を探して何年経った?

 手がかりなんてひとつも見つかっていない。

 小さな人助けで満足?

 命を奪う方法しか学んでないから、それ以上は何もできないだけ。

 電波塔事件を解決した英雄?

 そんなの嘘。

 爆破テロは防げず、電波塔は折れた。

 爆発でその場にいたテロリストも他のリコリスもみんな死んで、千束だけが生き残った。

 そんな有り様なのにDAは事件を無事に解決したと言い張って、公式の記録では千束がたったひとりで事件を解決したことになった。

 

「……ははっ。何やってんだろ、私」

 

 リコリス反乱事件でも千束は苦しみを抱えるリコリスの少女たちの救いにはなれなかった。

 それどころか彼女たちの苦しみの根源となったDAを崩壊から守ってしまった。

 他のアランチルドレンがそうであるように、千束にも誰かを幸せにする素敵な才能があるはずなのに、千束にできたことは今も昔もDAに……孤児の女の子たちを使って人殺しをする組織に貢献することだけ。

 

「…………………………寝よ」

 

 映画を見るために夜更かしすることの多い千束であっても、気持ちが極限まで沈んだ状態では何もする気が起きず、早々に就寝した。

 だから千束は、いつもは見ることのない長い夢を見た。

 その夢は追い詰められた人間にありがちな悪夢で……夢の中の千束は他の大勢のふくろうのチャームを身に着けた人たちと一緒に恐ろしい何かから逃げていた。

 千束は異様に重い足を必死に前へと動かすが、なぜか身体が進まない。

 そうしている間に恐ろしい何かはどんどん近付いてきて、ついに千束の真後ろに立った。

 その時、千束は自分が拳銃を持っていることに気付いた。

 千束は瞬時に振り向き、拳銃を構えて、銃弾を放った。

 乾いた銃声に遅れて、恐ろしい存在が倒れ伏した。

 額にぽっかりと空いた穴から血を流すその死体の正体は……カリスだった。

 

「えっ、あっ……ちがっ……私、殺すつもりは……!」

 

「救世主だ!」

 

「……えっ?」

 

 死体を見下ろして動揺する千束に、一緒に逃げていた人々が群がった。

 人々は口々に千束を讃えた。

 

「悪い人殺しを殺してくれてありがとう!」

 

「おかげで私たちは救われた!」

 

「……でも、私、カリスを殺しちゃったのに」

 

「いいじゃん別に!」

 

 千束が称賛を受け入れられずにいると、群衆は笑顔で千束に言い聞かせた。

 群衆の顔は、いつの間にか千束と同じ顔に変わっていた。

 

「悪い奴なんて殺しちゃってもいいじゃん!」

 

「カリスが生きてると沢山の人が殺される!」

 

「でもカリスを殺せば、その人たちが救われる!」

 

「だから、そんな偽物の人形じゃなくて、本物のカリスを殺して救世主になろう!」

 

 気付くとカリスの死体が壊れたロボットにすり替わっていた。

 遠くから悲鳴が聞こえてきた。

 目に映るのは、逃げ惑う人々を追い回すカリスの姿。

 手には実弾が装填された拳銃。

 千束の意思を無視して身体が勝手に動き、銃口をカリスに向けた。

 

「駄目……」

 

 千束の指がゆっくりと引き金に沈んでいく。

 

「駄目だよ……」

 

 そして大きな銃声が聞こえて……。

 

「駄目ぇぇぇぇぇえええええ!」

 

 そこで千束は飛び起きた。

 

「はぁ……はぁ…………………………ははっ、ひっどい夢」

 

 ひとり暮らしをしている千束に、寄り添う者は誰もいない。

 今は、まだ。

 

          ◯

 

「聞いたか? リコリスの連中が百だか二百だか、登録抹消になったって話」

 

 どこかの施設の休憩スペースと思しき場所で、二人の少年が噂話で盛り上がっている。

 

「いや初めて聞いた。お前それどこから聞いたんだよ」

 

「俺も伝え聞いただけだが……なんか誰かが司令と隊長が話してんのを聞いたらしいぜ」

 

「じゃあ噂に尾ひれが付いただけじゃねえの? そんだけ死ぬなんて電波塔レベルだぞ?」

 

「まあそんなとこなんだろうけどよ……マジで女どもがそんだけ減ってたら、ようやく俺らの出番なんじゃねえかと期待しちまうよ」

 

「俺らがリリベルになってから今まで、訓練しかしてねえもんな」

 

 このように情報を制限されている少年たち……末端のリリベルたちにすら噂話として広まっているリコリス反乱事件。

 楠木は全力で隠蔽を試みたが、あれだけの大事件の痕跡を完全に消し去ることはできず、話は多くの人間の耳に届いてしまった。

 しかも厄介なことに、中途半端に形を変えて。

 

『今日、集まってもらったのは他でもない。例の件についてだ』

 

 リリベルの関連施設の一室で、リリベルの司令を担う男が組織の幹部を集めて会議を行っている。

 

『百を超えるリコリスが登録抹消……すなわち死亡した原因だが、やはりあの殺人鬼だろうという結論に達した』

 

「ギロチンでしたっけ? 上からは絶対に手を出すなと言われているんですよね」

 

「錦木千束を執拗に狙っては、その度に撃退されていたと聞いていましたが……」

 

『おそらく上は無用な刺激を加えて錦木千束以外にギロチンの矛先が向くことを警戒していたのだろう。だが楠木の奴は功を焦り、錦木千束とギロチンの争いに他のリコリスで横槍を入れたのだ。その結果がこれだ』

 

 リリベルを運用する組織の幹部たちは楠木の失態を嘲笑った。

 

「ふっ、楠木氏はどうやら勘違いなされていたようで」

 

「所詮リコリスなど暗殺以外に能のない連中です。錦木千束が例外なのであって、高い戦闘技術を有する凶悪犯の始末は本来ならリリベルが担うべき案件だ」

 

「今が好機では? リリベルによってギロチンの首を取り、錦木千束のせいで狂っていた力関係を元に戻すのです!」

 

『ふむ……』

 

 司令の男はしばらく考える素振りを見せた後、首を横に振った。

 

『いや、上から止められている現状でギロチンに手を出すのはまずい』

 

「しかし……時間が経てば地方からリコリスが集められ、今回の件で生じた傷が埋まってしまいます」

 

「事を起こすには、今しかありませんぞ!」

 

『落ち着きたまえ』

 

 司令の男は今にも立ち上がりそうな程に興奮している幹部職員たちを制し、これまで唯一発言していなかった赤い服のリリベルに問いかける。

 

『君はどう思う? 何をするにせよ、実際に動くのは君たちリリベルであり、現場で指揮するのは君だ』

 

 会議の参加者たちが視線で圧をかけてくるが、赤い服のリリベルは臆することなく自分の意見を述べ始めた。

 

「仕掛けるのであればギロチンよりも錦木千束の方が良いかと」

 

『ほう……なぜだね?』

 

「殺人鬼ギロチンへの手出しを止めているのは上ですが、あの裏切り者への手出しを止めているのは同格の組織の長ですから」

 

 上と楠木、喧嘩を売るならどちらにすべきか……どちらに売ってはいけないのか、この場にいる誰もが言わずとも理解している。

 

「道理ですな!」

 

「そもそも処分が原則の離反者を生かしている楠木が異常なのだ!」

 

「正当性は我々にある! 規定に従い、今度こそ錦木千束を抹殺しなければならない!」

 

 先程ギロチンを狙うという話が出た時は渋い顔をしていた司令の男も今度は乗り気な様子だ。

 彼も他の幹部同様、あるいはそれ以上に、自分の組織が蔑ろにされている現状への不満を抱いているのだろう。

 

『では諸君、これより我ら組織は一丸となり、錦木千束討伐作戦に備えるとしよう』

 

 実際に戦場に立つリリベルはもちろん、大人の職員たちも戦場の用意や情報統制の準備などやらなければならないことが沢山ある。

 

『錦木千束は銃弾の当たらない化け物だ! ゆえに今回の作戦ではとにかく数をぶつけることに注力する! リリベルを集められるだけ集めろ! 蟻の這い出る隙間すらない飽和射撃を浴びせてやれ!』

 

 司令の男は語気を強めて宣言する。

 

『ぽっと出の殺人鬼なんぞに先を越されるな! 我々の手で錦木千束の首を取るぞ!』

 

 所属する組織は違えども同じ国を守っているはずの同志を手にかける。

 そんな蛮行に疑念を抱く者は、残念ながらこの場にはひとりもいなかった。

 

          ◯

 

「千束さんに会わせろー!」

 

「喫茶リコリコに行かせろー!」

 

『お黙りなさい! ワタクシが会いに行けないのに、あなたたちだけ好きな時に会いに行けるなんて許しませんわ!』

 

 十二月の半ば、いよいよ新しい仕事に慣れてきて、余暇を楽しむことを覚え始めた元リコリス……現ファレノプシス社員たちは、何を勘違いしたのか大勢で千束さんの働く喫茶リコリコに押しかけようとしていました。

 喫茶リコリコはSNSをやっていますがDAの支部ということもあって住所を載せておらず、あまり繁盛しているわけでもないのでネット上にもろくな情報が存在しないため、ファレノプシスの少女たちは不躾にも祖国で王族業務に励んでいる私に緊急時用の電話回線まで使ってリコリコの場所を聞いてきたのです。

 もちろん教えるわけがありません。

 私が千束さんと会いたいのを我慢して真面目に働いている時に、仮にも私の所有物であるはずの連中が好き勝手に千束さんと遊ぶなんて許容できるはずがないでしょう!

 

「だいたい、千束さんもDAから解放されたはずなのに、なんでファレノプシス寮に来てくださらないのよ!? まさか、あんたが気に入らないからって入居拒否したとかじゃないでしょうね!?」

 

 リコリス反乱の元凶であり、現在のファレノプシスにおいてもリーダー格を担っている少女の怒鳴り声が私の耳に突き刺さりました。

 ここからは彼女が代表として私と交渉するつもりのようです。

 

『大声を出さないでくださいまし! それは千束さんがワタクシに頼るまでもなく複数のセーフハウスを所持しているというだけの話ですわ!』

 

 千束さんは何らかの契約によりDAから多額の金銭を支給されているようです。

 給料を与えられている立場を自覚しているのか、反抗的な態度を取ることはあっても業務上の最低限の指示には従うファレノプシスの少女たちのように、千束さんもお金で従順になってくれたら色々できたのに……いえ、やっぱりそれはそれで嫌かもしれません。

 お金で繋がる関係に愛なんて感じられませんし、仮に千束さんがお金に目を眩ませるような普通の人だとしたら、きっと私は興味を失ってしまいます。

 

『とにかく! あなたたちがファレノプシスの業務時間以外をどのように過ごそうとも基本的に自由ですが、唯一絶対の例外として千束さんへの干渉だけはいついかなる時も認めませんわ! 文句があるならあなたたちの身柄をDAから買い上げるために払った費用をワタクシに返済してから言いなさい!』

 

「横暴だわ! あんな安月給じゃ十年は先になるじゃない!」

 

 むしろ返済しようと思ったら十年で終わるくらいの給料を与えていることに感謝して欲しいものです。

 

『だから別に返済は必須ではないと言っているでしょう! 返済しなくても千束さんへの干渉禁止以外の制限はないのですから!』

 

「それが一番の問題なのよ! 動画でお顔を拝見するだけじゃ物足りない! 直接会ってお話したい!」

 

 チサが千束さんの偽物であることにすら今なお気付けていない分際で何を言っていますの?

 あなた方が恩人だと思っている存在は動画の中にしか存在しませんわ!

 滑稽ですわね!

 ……なんて怒鳴ってしまいそうになりましたが、どうにか寸前で言葉を飲み込みました。

 売り言葉に買い言葉で怒鳴りあっていては話がいつまでも終わりません。

 私は長話をしていられるほど暇ではないのです。

 

『……仕方ありませんわね。ワタクシから少し譲歩して差し上げますわ』

 

「リコリコの住所教えてくれるの?」

 

『それは駄目ですわ。というか知っていても行くんじゃありませんわよ。あなたたちはDAの関連施設に出入り禁止なのですから、千束さんは大丈夫でも、あなたたちがリリベルの標的にされたらどうなるかは理解しているでしょう?』

 

 本来はファースト・リコリスでなければ知るはずのないリリベルの存在を、ファレノプシスの少女たちはチサから教えられたようです。

 最低限の銃の扱いを習得しただけの女子では、軍人のような戦闘訓練を受けた男子と敵対するのは危険であると、彼女たちはしっかり理解しています。

 そのおかげで例の事件の時にDAを崩壊させられるのにしなかったのは道連れ目的でリリベルをけしかけられると厄介だからというチサの後付けの誤魔化しがすんなりと受け入れられたらしいです。

 

「ちっ、楠木め……じゃあ譲歩って何してくれんのよ?」

 

 先程も言いましたけど、今は十二月の半ばです。

 それはつまり、私があの国の神社を購入した時の条件のひとつである、年末年始の催事の準備をそろそろ始めなければならないということです。

 

『近日開催する神社の催しに千束さんをお招きしますわ。その日あなたたちはアルバイトの巫女となって、神社の各所を巡る千束さんのおもてなしをしてくださいまし』

 

 夏の催事の時はひとりで全ての準備をしたので本当に大変でした。

 

『ただし、面倒な事前準備に関与することなく催事の当日だけ千束さんのお顔を拝みに来るなんて不届きな行為は一切認めませんわ』

 

 しかし今回は自由に使える人員が百人以上います。

 ファレノプシスの少女たちに神社の催事関連を任せて、その間に私は本国の王族業務を片付けます。

 そして何としてでも二日連続の休日を確保して……年末年始は千束さんと年越しデートです!

 

          ◯

 

「千束ならいないぞ」

 

 この日は今年最後の日。

 必死に仕事を終わらせて、やっとの思いで確保した休日にリコリコを訪問した私を待っていたのは、そんなミカさんの無慈悲な宣告でした。

 

「……では、お帰りになるまで待たせていただきますわ。いつ頃になりますの?」

 

「予定では明後日だな」

 

「困りますわ!」

 

 それではせっかく千束さんと楽しむために張り切って準備した神社の催しが終わってしまいます!

 

「また厄介な仕事ですの? それならワタクシがお手伝いして、すぐに終わらせて差し上げますわ」

 

「いや、千束はプライベートで登山ツアーに行ってるだけだ」

 

「どうしてそんなものに!?」

 

「そこに山があるからな」

 

「わけがわかりませんわ!」

 

「ははっ、冗談だ」

 

 ……この私に冗談を言えるとは。

 危ないことをリコリスに任せ切って自分たちは安全な場所から指示を出しているDAの大人たちは私のような危険人物と対面するとどうしても恐怖心を抱いてしまうものです。

 それは司令である楠木さんでさえもそうでした。

 それなのにミカさんのこの余裕……どうやら甘く見てはいけない人物らしいですね。

 急激に冷静になった私は、声音を落ち着けてミカさんに問います。

 

「……千束さんがどちらの山に向かわれたのか、教えていただけませんこと?」

 

「この国で一番の山だ」

 

 ミカさんは答えをぼかしているようで、ほぼ明確に示してくれました。

 外国人なら分からないとでも思ったのかもしれませんが、私には祖国の死刑執行官として雇い入れたお侍さんという情報源があるので、ミカさんが思っているほどこの国に無知ではないのです。

 

「感謝いたしますわ。では……」

 

「待ちなさい」

 

 リコリコを出ようとした私の背後からミカさんが呼びかけてきました。

 

「君は今生身だろう? あの山は素人が不用意に踏み込むには危険だぞ」

 

「ご心配どうも。ですが愛する者に会うためなら、その程度は障害となりませんわ」

 

「……そうだな。だが、あれほど巨大な山で人ひとりを探すのは無茶だ。何か千束を見つける手段でもあるのか?」

 

 今度は私の手札を探りに来ましたか。

 とはいえ別に隠すほどのものではないので、教えてあげることにしました。

 

「私が自作した蜂型ドローンを使いますわ。AIによる自動操縦のものを一万機ほど持ち込んでいますので」

 

 正確にはドローン自動製造装置を前にこの国に来た時に持ち込んでいて、現在の製造数がおそらくそのくらいという話です。

 私の神社の敷地内に侵入してくる蜂やゴキブリ等の害虫を駆除する目的で持ち込んだものですけど、設定を変更すれば人探しにも転用できるはずです。

 

「一丁の拳銃にすら神経質なこの国に一万機も……君はやりたい放題だな」

 

 苦笑いを浮かべるしかない様子のミカさんを不思議に思って、私はつい口を滑らせます。

 

「他者を気遣ってやりたいことを我慢する人の気が知れませんわ」

 

          ◯

 

 色々なことを悪く考えてしまい、好きなはずの映画を見てもすっかり楽しめなくなってしまった千束は、とびきりの特等席で昇る朝日に照らされれば沈んだ気持ちも晴れるだろうと考えて、山の頂上で初日の出を見るツアーに参加した。

 そして現在、千束を含めたツアー客たちは遭難している。

 

「はーん……それじゃズブの素人がプロ騙った結果がこれってわけね」

 

 登山ツアーの一行は急な悪天候や雪崩といったトラブルによって遭難したのではない。

 登山のプロを名乗っていたツアーガイドのおじさんが、実は趣味で何回か標高の低い山に登った経験しかないのに上級者になれたと勘違いしていたアマチュアで、彼が玄人感を出すためにあえて整備されていない危険なルートで登ろうとした結果、普通に道がわからなくなったのである。

 リコリスが駆除するのは凶悪犯だけなので、このような警察が対処すべき悪徳業者は野放しとなっているのだ。

 そんな元凶のおじさんはツアー参加者の荒っぽい外国人観光客たちに殴られて胃液と一緒に全てを吐いた。

 千束は私刑には混ざらなかったが、止める理由もないので少し離れて眺めていた。

 

「ファッキュー! オマエ、モウイラナイ! ノタレジネ!」

 

「ミンナ、上ニ向カオー!」

 

 ズタボロになったアマチュアおじさんを放り捨てた屈強な外国人観光客の男たちが山の形状的に斜面に沿って上を目指せばいずれ山頂に到達できるだろうからガイドなしで登山を続行しようと他のツアー参加者たちに提案した。

 自信に満ちた二人の外国人観光客の姿には説得力があり、千束以外のツアー参加者たちが彼らの提案に頷く傍らで、千束だけは拙い片言で話す姿に夏祭りの日のカリスを思い出してぼんやりとしていた。

 あの時は、彼女と仲良くなれると信じて疑わなかった。

 それなのに今の千束は、その人の潜在意識を反映するとされる夢の中で、カリスを……。

 

「ヘイ、プリティガール? ダイジョーブ?」

 

「ひっ……」

 

 カリスとは外国人という一点しか共通点のない外国人観光客の男に声をかけられて、千束は思わず身を引いてしまった。

 そんな千束に対して男が腹を立てることはなく、先程の暴力行為で怯えさせてしまったのだろうと考えて頰を掻いた。

 

「オウ、ソーリー。ビックリサセタネー」

 

「バット、僕タチ怖クナイヨー」

 

「……こちらこそごめんなさい。悪いのはあいつで、あなたたちは悪くないのに」

 

 なぜかリコリスは育成過程で複数の外国語を習得させられるため、千束は相手の言語に合わせることもできたのだが、この場ではそこまで気が回らなかった。

 

「山、登ル、デキル?」

 

「運ブ、イル?」

 

「あ、いえ……私は大丈夫です。運べるなら、私よりあの人を……」

 

 千束はずたぼろになって立ち上がれないアマチュアおじさんを指差した。

 

「アイツ、悪イ馬鹿。ココデ死ネ、違ウ?」

 

「だっ、駄目! 悪い奴でも、殺しちゃ駄目だよ! 法律とかあるし、後で問題になっちゃう!」

 

「ウーン……ソウダネ」

 

 そう、ほとんどの国家において殺人は法律によって禁止されている。

 法による罰則の存在は人が人を殺したくないと思う大きな理由のひとつで間違いない。

 しかしこの国はリコリスである千束に殺人を許可している。

 殺す相手が凶悪なテロリストではなく小悪党の詐欺師だったとしても……あるいはそれこそ一般人であったとしても、千束が法の裁きを受けることは絶対にない。

 仮にこの場でアマチュアおじさんを見殺しにして、後でそれを問題視した警察が介入してきたとしても、千束が居合わせたことを知ればDAが必ずなかったことにしてくれるだろう。

 それなのに今、千束がアマチュアおじさんを助けようとしたのはなぜか。

 なんとなく嫌な気分になるから?

 救世主は人を殺さないから?

 ……それが理由なら、カリスは?

 カリスを殺せば、この嫌な気分から解放される。

 カリスを殺せば、カリスに殺される人たちの救世主になれる。

 だから、殺そう?

 

「嫌だ」

 

 どうして?

 

「……わからない」

 

 救世主になりたい?

 

「なりたいよ」

 

 じゃあ……殺せよ。

 

「嫌だって言ってんだろ! もう黙れ!」

 

 千束が耳障りな幻聴に怒鳴ったその瞬間、地響きが起きた。

 

「……えっ?」

 

 そして千束が顔を上げた時には眼前に真っ白な津波が迫っていた。

 千束ですら回避のしようがないそれは、崩れた雪が広範囲を一気に飲み込む雪山特有の自然災害……雪崩であった。

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