STALKER:Fox Hunt   作:abubu_nownanka

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13節:屍の川

グレブは洞窟の冷たい地面に両手をつき荒く息を吐いた。背中に鋭い痛みが走り息が詰まる。撃たれた──その事実は即座に理解したが追撃は来なかった。これが致命傷を負って死にゆく過程なのか、それとも防護服の防弾構造が銃弾を食い止めたのか判断する余裕はない。考える間もなく、グレブは長椅子に立てかけていたライフルに飛びつき、勢いよく身を翻した。

 

洞窟の中は壁に埋め込まれたアーティファクトの鈍い光で、ぼんやりと照らされていた。赤、青、紫。幻想的な輝きが不気味な静寂に拍車をかける。

 

そこに襲撃者がいた。壁にもたれるようにして立っている。何故追撃しないのか、こちらの反撃を予期していないのか。視認もままならぬままグレブは引き金を引いた。

 

マズルフラッシュが空気を裂き、発砲音が岩肌の空間に反響する。銃弾は襲撃者を捉え、漆黒の装甲が火花を散らした。ゴツゴツとしたシルエットから、それが防護服ではなくエグゾスケルトン──動力機構を内蔵した強化外骨格の類だと分かった。

 

グレブは構わず追撃を加える。遮蔽物のない膝立ちの銃撃は数発で相手を無力化できることを期待してのものではあった。

 

だが、倒れない。瞬間の焦りがグレブを支配し、フルオートの銃撃を浴びせ続けた。そいつは身を縮め左腕で頭部を庇いながら反撃を受け流している。右手を身体の後ろに回しているのは手にした銃を弾丸から守るためか。

 

ついに弾倉が空になった。三十発近い5.56mmの徹甲弾は襲撃者をよろめかせるのみで倒すに至らなかった。いくらエグゾスケルトンの堅牢な防弾装甲と言えどあり得ないことだ。

 

ならば、装甲ではない。グレブが腰につけている放射線を無力化するアーティファクトと同様に、敵は飛翔体の速度を低下させ着用者を銃弾から守るアーティファクトの力を借りているのだ。

 

失敗を悟った瞬間、襲撃者の拳銃が向けられた。直前で銃口がわずかに下を向き、二発の銃声が洞窟に響いた。胸に強い衝撃が走り、グレブは仰向けに倒れ込んだ。自身の防護服が背後からの不意打ちを防いでいたことはこの時点で確信していたが、それでも耐えがたい痛みが骨まで響く。必死に息を吸おうとするが肺は従ってくれなかった。

 

それでも首を持ち上げると、襲撃者のシルエットが近づいてくるのが見えた。だがその動きは妙にぎこちなく、時折咳き込むような仕草を見せる。周囲のアーティファクトの光に浮かび上がる黒い装甲は至るところが綻びており、動力アシスト機構も半ば機能を失っているようだ。先ほどの徹甲弾の一部が効いたのかもしれないが、グレブは別の事実も理解した。

 

恐らくこいつはキツネの住処を覆っていた障壁を無理矢理越えてきたのだ。常人が踏み込めば即死するであろうアノマリーの拒絶を力ずくで捻じ伏せたのだろう。拳銃しか持っていないのはその際にライフルを喪失したからかもしれない。

 

襲撃者のヘルメットに内蔵されたナイトビジョンの赤いレンズが、グレブを冷たく見下ろしてきた。襲撃者はこちらのライフルを掴み、奪い取る。反射的に取り戻そうとするが、指が言うことを効かなかった。更には襲撃者はこちらのマグパウチから新しい弾倉を抜き、無駄のない動作で装填した。グレブの防護服にはエグゾスケルトンとアーティファクトの合わせ技が見せたような常識外れの防弾性はない。5.56mm徹甲弾などという代物で至近距離から撃たれれば終わりだ。

 

しかし、襲撃者はトドメを刺さなかった。そればかりか銃を構えたまま背を向ける。こちらのPPKに手を出さなかったのは、今さら低威力の.22LR弾など問題でないからなのか。そして、聞き覚えのある籠った声を残して視界から歩き去った。

 

「グレブ、邪魔するな。」

 

その瞬間、襲撃者の正体が自分のよく知る熟練のスタルカーであることが分かった。

 

身動きの取れないまま幾度かの呼吸を経て、ようやく肺の動きが戻ってきた。胸と背中、肋骨のどこかが悲鳴を上げる。恐らくは骨折、それより酷いのかもしれない。グレブは呻きながら上体を起こし、ようやく周囲の状況を認識した。

 

先ほどまで見ていた穏やかな草原、青空、白い家──そのすべてが消えていた。洞窟の開けた空間。岩肌に埋め込まれた無数のアーティファクトが星々のように暗闇に輝き、山のように積み重なったガラクタがその光に浮かび上がる。

 

鉄の欠片、潰れた缶、機械の部品。いつか少女が引きずっていた白いボロボロの袋。グレブが座っていた長椅子もあったが、古びて朽ちかけていた。壁際には立てかけられた木のドアと白い板切れ、棚のようなものがあった。あれらを"家"と錯覚していたのか──。

 

ブカブカの迷彩服に包まれたキツネの小柄な身体が、エグゾスケルトンの襲撃者によって引きずられているのが視界の端に映った。

 

漆黒のスタルカーは辺りを見回しながら、何かを探すように洞窟内を歩き回っていた。フルフェイスのヘルメットの内側でぶつぶつと何かを呟いているが、その声は籠っていて聞き取れない。キツネは抵抗もせず、されるがままに小さな足を地面に擦らせているようだった。

 

「……オレグ。」グレブは呻くように咳き込み声を絞り出した。人影は止まらない。息を吸い、もう一度叫んだ。「オレグ!」

 

スタルカーが足を止めた。赤い視光がグレブを捉える。

 

「まだ居たのかグレブ。見逃してやる。アーティファクトを拾ってさっさと帰れ。」

 

それは普段通りの落ち着いた低い声だった。まるで探索中のルーキーに指示を与えるかのような口調。たった今、銃弾の応酬を繰り広げた相手とは思えない。

 

「……何をしてるんだ?」グレブの脳は混乱の嵐に呑まれ、間の抜けた言葉しか吐けなかった。

 

「お前には関係ない。分かるはずもない。たかが金の為にゾーンに入り込んだ余所者め。お前のように自分が何に釣られてきたのかもわからんような奴らが、土足で深淵を踏み荒らすんだ。」オレグはキツネの腕を掴んだまま、赤く光る双眼をグレブに真っ直ぐ向けている。

 

「狂人の戯言だと思うか?いや、お前はもう少し見込みがあったな。じゃあもっと分かりやすい現実の話をしてやる。ルーキー村を思い出せ。ろくな覚悟も目的も持たない奴らが、後先考えずゾーンに足を踏み入れている。ただ雑貨商にぼったくられるためにな。放射性の池に落とした自分のライフルすら拾いに行けず、稲妻のアノマリーに囲まれて自力では抜け出せず泣き叫ぶ救いようのない素人ども。弾代と酒代に日銭を溶かし、干乾びたパンを齧りながら酒場でくだを巻く。今やここはそんなクズどもの吹き溜まりになり果てている。かつてのように、曲がりなりにもゾーンに信念を見出す者達が覇を賭けて争うこともなくなった。うんざりだ。」

 

言葉に熱がこもっていた。だがそれは怒りというより深い倦怠のように感じられた。

 

「グレブ、助けてー。」

 

無邪気にクスクスと笑う声が闇に反響した。澄んだ水面に石を落としたように、その音はゆっくりとグレブの意識を波紋のように揺らしていく。震えた。心の奥底から。言葉が、仕草が、笑顔が──あまりにも楽し気だったのだ。

 

両手を胸の前で合わせ、三角の耳がピクピクと動き、ふさふさの尻尾が感情のままに跳ね回る。その仕草はまるで、お姫様が悪者に攫われ正義の騎士の助けを心待ちにするごっこ遊びか何かのようだった。即ち、この異形の少女はこの状況を心の底から“楽しんでいた”。

 

オレグも同じことを想ったのか、キツネを見下ろして深いため息を吐いた。「まさか助けるつもりじゃないよな? そこまで馬鹿じゃないだろう。」その声は皮肉でも挑発でもなく、ただルーキーに現実を言い聞かせるものだった。「ワシリーの言った通り"これ"に関わってもろくな事にならない。現実が見えているつもりなら理性に従って動け。下らん衝動に惑わされるな。アーティファクトを拾って、外の世界へ帰るんだ。」

 

「……どうする気だ?」問いかけた相手が襲撃者だったのは、異形の少女と言葉を交わすことを無意識に恐れたからかもしれない。

 

エグゾスケルトンの装甲が軋む音。オレグはしばらく黙っていたが、やがて低く地の底から湧き出るような声で答えた。

 

「……俺は彷徨い過ぎたんだ、グレブ。あの日"声"が聞こえなってから、過去の記憶も細切れになった。彷徨い続け、同胞は死に絶え、ついには死に損ないの最後の一人になってしまった……。もう我慢の限界だ……。」ライフルがゆっくりと、小さな異形の頭に向けられた。

 

「コイツが“声”を聞いているのは確かだ。何故だ?何故、こいつには聞こえる?この耳か?いや、そうじゃないだろう。答えるまで何度でも殺してやるぞ、ミュータントめ。ここにあるんじゃないのか、モノリスが──。」

 

"子供に銃が向けられている"。再び目にしたその光景が、グレブの何かを激しく掻き立てる。喉の奥から説明のつかない叫びが込み上げ、身体が立ち上がろうとする。助けなければ──。だが、別の何かがそれを押し留めた。

 

"キツネが死んでもまた新しいキツネが生まれる"。そんな打算的な状況判断というよりも、もっと根本的な畏れ、迷い、疑問が筋肉を鈍らせた。それは他ならぬ、ゾーンそのものに対するグレブの猜疑心であったかもしれない。

 

「どこにある!」洞窟に響く妄執の狂信者の叫びは、懇願であるかのようだった。

 

しかし異形の少女はそれを意に介することなく、ただ無垢であどけない笑みをグレブに向けていた。

 

「ねぇ、グレブ。ゾーンって、楽しいよね?」

 

銃声。

 

小さな身体が、ガラクタの山に崩れ落ちた。パイプの間に細い腕が引っかかり、尻尾がゆっくりと後ろに垂れる。揺れる三角の耳が最後にぴくりと跳ねて静かになった。

 

時間が止まったかのように思えたのは、一瞬の錯覚だった。

 

突如として洞窟全体が低く唸りを上げながら鳴動を始める。ガラクタの山がガタガタと揺れ、積まれた鉄くずの隙間からネジやボルトがばらばらと転がり落ちる。壁に散らばったアーティファクトが、断続的に明滅する光を放ちはじめた。

 

喪失感を覚える間も許されず、矢継ぎ早に状況への対応を求められる。グレブはよろめきながら膝に手をついた。筋肉に力が戻ってきている。胸と背中の痛みと不快な息苦しさに顔を歪めたが、なんとか立つことはできた。

 

エグゾスケルトンの狂信者は銃を構えたまま、まるで機械仕掛けの像のように油断なく周囲を警戒している。スタルカーはホルスターのPPKに手を伸ばしかけるが、握ったところで敵の分厚い装甲に対して何になるとも思えなかった。

 

それよりも暗闇が広がっていくような感覚が神経を冷たく撫でていた。まるで身体が夜の底に沈んでいくかのようだ。そして狂信者が地面を凝視しているのに気付き、グレブも引き寄せられるように自らの足元を見下ろす。

 

足元には散乱するガラクタの堆積、鉄の欠片、朽ちた家具と何かの部品──。だが、そこにはまるで地面を透かし見るかのような不可思議な透明感があった。光はあるはずなのに目の前のものが徐々に色と形を失い、やがて意識の裏側へと落ちていく感覚。視界にもう一つの像が重なり、滲みながら交錯していった。

 

地の底に何かが“在る”。

 

深く、果てしなく深い場所に何かがある。最初に見えたのは細い筋のような光の線だった。それが徐々に太くなり、はっきりとした“流れ”となっていく。

 

それは"川"だった。地下を静かに走る水脈のように、遥か地の底にゆるやかに、途方もない広がりをもって流れていた。無数の枝分かれが網の目のように拡がり、ところどころで結ばれ、また離れ絡み合っている。グレブの足元には、その大きな本流の一部が垣間見えていた。

 

輝く光の筋。それこそがキツネが語った、ゾーンに生きるものを、あるいは死んだものを繋ぐ"川"なのだと、グレブは直感で理解できた。

 

──しかし何かが違っていた。

 

イメージが鮮明になるにつれ川は赤く染まっていることが分かった。血のような錆のような赤黒い光。単なる水の揺らぎかに思われたものの形も見えてくる。無数の“何か”が這い、歩き、蠢いていた。

 

グレブは見てしまった。川底を進む影、その群れと行列を。

 

それは亡者が紡ぐ屍の川だった。うつむく人間達、歪んだ動物、異形のミュータントも。赤黒く汚れた迷彩服はスタルカーか、ゾーンで命を落とした軍の兵士か。身体の一部が欠損した者、手や脚が不自然な方向にねじ曲がった者、終わりなき沈黙の中を、ただ川の流れに沿って彷徨う亡魂たち。その数は果てしなく、ひとつの方向へ、ただひたすらに終わりなき沈黙の中を進んでいく。

 

 

【挿絵表示】

 

 

グレブとオレグは洞窟のガラクタの上に立ち、そして同時にこの屍の川のほとりに立ち、その地獄の光景を目の当たりにしていた。恐怖などとっくに麻痺してしまったのか、ただ逆立つような不快感が手足から這い上り、動けなくなった。

 

赤い流れの中で小さな一部分が隆起するのが見えた。何かが掬い上げられるようにして、水面を破ってゆっくりと宙へと登っていく。周囲の亡者たちがそれに気付いた。彼らもまたそこから逃れたいのだろうか。縋るように手を伸ばしてしがみつくが、力尽きて川に落ちていく。やがて小さな塊だけが、ゆっくりと洞窟の現実の地形に浮上してくるのが見えた。

 

グレブにはそれが何であるのか分かったような気がした。

 

「おお……そうだ……。」オレグの呟きが微かに震えて聞こえた。彼の中で何かが崩れていく気配がした。

 

「ここに、あったのか……。」漆黒のエグゾスケルトンは重い足音を響かせ、赤い水面に向けてぎこちなく歩み出す。

 

「おい、よせ──!」かつて熟練のスタルカーに感じた敬意の残滓か、グレブはようやく川から視線を逸らし、敵対者に声をかけていた。

 

だが届かなかった。オレグは赤い川の中へとその足を踏み入れる。膝まで、腰まで、胸まで──川がその身を呑み込んでいく。彼は振り返ることなく、亡者たちと同じように顔を伏せて前へと進む。やがて全身が沈み、音もなくその姿は流れの中へ消えた。

 

平行するもう一つの視点もまた、グレブの意識を揺さぶる。洞窟の鳴動が更に強まり、アーティファクトの光が明滅しながらガラクタの山が震わせていた。

 

オレグの姿はどちらの視界にもなかった。あの川の底へ消え、最初から存在しなかったかのように掻き消えていた。洞窟に居るのはやっとのことで浅い呼吸を保つグレブ一人。キツネの小さな亡骸はガラクタの上に横たわったままだ。ブカブカの迷彩服を血に染めてピクリとも動かない。

 

そして洞窟の中央。空間が裂けたように歪み、空中に何かが形成されていくのが見えた。脈動する赤い塊を中心に細い糸のような筋が絡み合い引き絞られ、ゆっくりと形を成している。それは骨だった。細く、小さな四肢、肋骨、頭蓋。骨格は明らかに人間のもの。

 

目を背けたくても視線が離れない。ゾーンが何かを産み出そうとしている。そしてそれが"小さな子供の骨格"だと分かったとき、グレブは耐えられなくなった。吐き気と戦いながら視界を振り払うようにして目を閉じる。現実に戻れ。ここは洞窟だ。

 

『アーティファクトを拾ってさっさと帰れ。』

 

熟練のスタルカーの的確な指示が脳裏に蘇る。視線がガラクタの中に埋もれる白いボロボロの袋に留まった。即座、グレブは転がるように袋を掴むと岸壁に駆け寄り、埋め込まれた手近なアーティファクトを力任せに引き抜いた。

 

青く輝く結晶を袋に放り込むと、次は黄色く淡いつるりとした球体。白く捻じれた円筒形。棘の生えた貝殻。表面がグツグツと泡立つ緑色の粘土。その中にはかつてグレブが手にした『月光』もあった。近い物から手あたり次第を壁から剥ぎ取り、狂ったように袋に詰め込む。徐々に袋は光に満ちていく。青、黄、赤、まだらに輝く結晶と塊が溢れている。

 

その間にも、グレブの背後では“それ”が作られ続けている。骨格の形成は終わり、赤い糸が筋肉組織となり白い表面を覆い始め、脈動が洞窟の鳴動と共鳴する。もう間もなく、新たな"生命"がこの世界に産み落とされるのだろう。

 

──ここまでだ。

 

グレブは袋を肩に引きずり上げた。ガラクタを蹴飛ばし、尖った岩を避けながら出口へと続くはずの通路に身を投じた。

 

その必死の形相は錯乱したかのような有様で、ただ積み上げた行動様式が荒く濁った命令を四肢へと送り続けていた。曲がりくねった洞窟を這うように進むうち、背後でうねっていた鳴動が徐々に遠のいていく。静寂が戻るのに合わせ、スタルカーはようやく自分が暗闇の中にいることに気付いた。フラッシュライトの存在を辛うじて思い出し、震える手でスイッチを入れる。白い光が岩壁を切り取り長い影が壁を這う。再起動させた検知器はけたたましい警告音を洞窟に木霊させ、異常がすぐそばにあることを告げてくる。

 

抱えた白い袋の裂け目から七色の光が漏れる。揺れながら壁面を染め、まるで洞窟内を脈打たせているようだった。複数のアーティファクトを剥き身のまま同じ袋に詰め込むなど、どんな予測不可能な相互作用が起きるか知れたものではなかったが、それを気にするだけの余裕は残されていなかった。

 

やがて洞窟の出口に辿り着き、空気が変わった。湿った岩肌の匂いではなくゾーンの冷たい夜の風が顔を撫でる。目の前にはあの窪地の風景。巨大な空間異常のアノマリーに覆われたその内側にグレブは立っていた。

 

出られない──。障壁の際まで進んでみたが、波立境界面は何の反応も示さない。

 

オレグはエグゾスケルトンの装甲と強力な防御系アーティファクトを用いて突破した筈だが、それでも負傷は免れなかったようだった。自分がその真似をしたところでタダで済むとは思えない。

 

あるいは、無我夢中で袋に詰め込んだアーティファクトの中に何か突破口を見出せるかもしれない。そう思って袋を開くが、青、黄、橙、名も知らぬ発光体がぐちゃぐちゃに混ざり、互いに反発し、時に絡み合って混沌を形成していた。どれが何なのかも半ば空転した頭では見分けがつかなかった。

 

膝をついた。全身から力が抜けていく。袋の光が地面を虹色に照らし、空間異常が低い唸り声を上げている。地鳴りにも似た心音のようでもあるアノマリーの息遣い。静かだった。自分の呼吸と肺の痛みだけが現実だった。

 

その時だった。ヒタヒタと、背後から小さな足音が響いた。

 

ゾクリと背筋が凍る。確かな気配がすぐ後ろに迫る。まるで獣に追われる小動物のように、殆ど反射的に本能が身体を動かした。跳ねるように立ち上がり前方へ。袋が肩から滑り落ちそうになるのを掴み直す暇もない。グレブは空間の障壁に飛び込んでいた。

 

その瞬間。全身が捻じ曲がり、内蔵が裏返るような感覚。肉体の構造そのものが否定され、捩れ、縮み、圧し潰されていく。アノマリーに捉えられた誰もが死ぬ前に味わうであろう感覚。男はそれを今、感じていた。──終わりか。

 

歪んだ聴覚に、高い声が届いた。

 

『グレブ、危ないよ!』

 

捻じれが止んだ。グレブを避けるようにして障壁の一部が裂ける。裂け目の向こうには宵闇に包まれたゾーンの平原が広がっていた。

 

スタルカーは振り返らない。問いもしない。ただ裂け目を抜け、闇へ向かって走った。

 

◆ ◆ ◆

 

「──昔一人のスタルカーがこのバラノフカへやって来た。ルーキーを抜け出したばかりのような男だったが、筋は悪くなかったな。それに、抜け目なさと人一倍の"疑り深さ"を持った男だった。そんな男の何を気に入ったのかは分からんが、例のキツネはそいつと連れ立ってアーティファクト狩りに出るようになった。

 

"キツネに関わった奴は長生きしねぇ"ともっぱらの噂だったが、要は欲に目が眩んだのよ。もちろん最初の内は羽振りが良かったさ。お宝を仕留めて帰る日が続き、一人前のスタルカー気取りだ。調子に乗って上等な装備もあつらえて、それまで奴を生かしてきた慎重さも疑り深さも全部忘れちまった。ついには仲間を引き連れてキツネと狩りに出た。一丁デカい山を当てようってな。だがそれが良くなかった。

 

次第に、そいつはアーティファクトを見つけることができなくなっていった。それまでの狩りで得た金は減り続け、そればかりか仲間はアノマリーの罠にはまり、ミュータントに食われ、狩りに出るたびに一人また一人とゾーンで命を落としていった。キツネの気まぐれか、いやそれよりもゾーンの気まぐれに飲まれちまったのか。

 

とうとう仲間達は全員死んで、そいつ一人になっちまった。だが、それでもキツネの案内で狩りに行くのを止めようとしなかった。ワシを含め、バラノフカの連中は冷めた目で見てたもんさ。"欲かいて死にに行く馬鹿な野郎だ"ってな。ところがだ、そいつの抜け目なさ疑り深さはとっくに息を吹き返していたのさ。

 

奴は狙いを変えていた。何が拾えるかもわからんゾーン探索じゃなく、キツネが住処にアーティファクトをたんまり貯め込んでるだろうと踏んで、それを奪うことにしたんだ。奴はキツネに取り入り、宥めすかした。それこそチョコバーなんかもチラつかせてな。そしてとうとうゾーンの深淵にあるキツネの住処まで案内をさせる為、バラノフカを旅立った。

 

それから一週間後だ。とっくに死んだもんかと思われてたそいつが、真夜中になって戻って来たのさ。ボロボロになって這いつくばりながら、背嚢もライフルも無くして、アーティファクトをゴッソリと詰め込んだ袋だけを抱えていた。武器も無しにどうやってゾーンの深淵から戻ったのかはわからんが、たぶん、アーティファクトを上手い事使ったんだろう。その抜け目なさでキツネを騙しおおせたってことだけは確かだ。

 

そして、奴がキツネの住処で何を見たのかも誰にも分らん。深淵に潜む闇にでも当てられたのか、目は恐怖に見開かれ、誰とも口を聞こうとしなかった。ただ宝の山を売り払って金に換えると、休むこともせずに渡りのガイドを雇い、その足で外の世界へと去って行った。元々金だけが目当てでゾーンに来ていたのか、それとも他のスタルカーどもの嫉妬や、キツネの報復でも恐れたか……。とにかく、二度とゾーンへ戻ることは無かった──。」

 

老スタルカーは話を終えると、皮張りの椅子に背を預けた。皺だらけの顔、白髪交じりの髭、指にはアノマリーの酸で溶けた跡がある。自分に注がれる視線に満足したのか、老人は得意げな笑みを浮かべている。

 

バラノフカの酒場にざわめきが戻った。使い込まれた椅子の軋み、ウォッカを煽るグラスの響き、天井から投げかけられる照明の光を淡く包む煙草の煙。話に聞き入っていたのはいずれもバラノフカに来て日の浅い者達だ。彼らはこの与太話への興味、疑い、思い思いの言葉を口にしている。

 

そして一人の新入りスタルカーも彼らの中に居た。新入りはテーブルに肘をついて考え込む。

 

真に迫るような話しぶりは語り部としての見事な年季を感じさせるものだったが、肝心の内容は何とも評価し辛いものだ。

 

深淵から山ほどの宝を持ち帰ったスタルカー──。

 

この手の与太話はゾーンに有り触れている。宝どころか"全て"を手に入れたという伝説のスタルカー、かつてゾーンの中心にあったとされる願望機"モノリス"の行方、生物の集合無意識を繋ぐ巨大な"川"。いずれも新入りの自分がこの地へ密入域してから酒の肴に何度も聞かされたものだ。深淵など簡単に足を踏み入れられるものではないからには、真偽の確認のしようがない辺りも与太話たる由縁か。

 

だがその与太話の一部がつい先ほどカウンターに座っていたのも事実だ。ブカブカの迷彩服、三角の耳、フサフサの尻尾、金色の目。テーブル席からはよく見えなかったがあの異形は果たして本物か、それとも新入りをからかうためのやたら手の込んだ仮装か。案外、あの少女が耳も尻尾も無い普通の姿でバラノフカを散歩しているのを明日にでも見かけるかもしれない。

 

一つ気がかりだったのは、今テーブルの向かいに座っている男のことだ。自分をここまで導いてくれた熟練のスタルカー。彼はあの少女が酒場に入って来た途端に押し黙り、妙に鋭く、どこか恨めしそうにその小さな背中を凝視していた。

 

バラノフカの古参と思しきスタルカー達も用心深い視線を向けていたということは、もしかするとあの与太話は少なからず本当なのかもしれない。であれば、次に少女を見かけたら声をかけて確認するくらいの手間はかけるべきか──。

 

「なぁ、今の話はどこまで本当なんだ?」新入りのスタルカーは熟練の男に尋ねる。

 

既に陽気さを取り戻していたその浅黒い肌の男は、けたたましく笑った。

 

「あんなもんデタラメさ。与太話なんざ間に受けるもんじゃねぇよ。」

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