STALKER:Fox Hunt 作:abubu_nownanka
「金が入ったそうだな。」
グレブが武器工房に入るなり、武器を売る方の男が立ち上がって鉄格子越しに出迎えた。まさかこんな歓迎を受けるとは思っていなかった。というのもバラノフカに来て以来、弾薬の調達にはこの店を利用していたが、この男が椅子から立ち上がるのを初めて見たからだ。
新入りがキツネと狩りに出て金を掴んだ話は今やバラノフカの半数以上が知り及ぶ噂の一つであり、この男の耳に入っていても別段不思議はない。どちらかと言うとその噂に出て来るスタルカーの"グレブ"という名前と自分の顔とを一致させていることに驚かされた。不愛想な男とだけ思っていたが、案外商売人らしく目敏いところもあるようだ。
「そうだが、コイツの下取りはできるか?」グレブは肩にかけていたAKS74Uをカウンターに置いた。
ゾーンに入って初めて購入した中古の自動小銃。日々のメンテナンスは欠かしていなかった。しかし耐久性の面で抜群の知名度を誇るAKシリーズの血族であるこの一丁も、ゾーンという過酷な環境下で酷使されことで兵器としての寿命を迎えようとしていた。
「ふん、ボロいな。」男は手慣れた動作でAKを分解すると顔を傾けて機関部をしばし凝視する。「まぁ、部品取りくらいにはなるな。こいつの処分は任されてやってもいい。で、お前は代わりに何を買うんだ?」
グレブはガンラックに並ぶ一丁に視線を向けていた。
『IMI Tavor TAR-21』。ブルパップ式の5.56mmアサルトライフル。
そのコンパクトな設計は野戦と狭い地下道や廃墟での近距離戦に柔軟に対応している。動作信頼性が高く、合成樹脂とアルミニウム合金を多用していることから、重量もグレブが使っていたAKS74Uと同程度に抑えられている。この自動小銃はゾーンでも普及しており、実際バラノフカで何度も見かけていた。
当然ながら、この武器商人は支払い前の品物を客に触らせるような生温い商売はしていなかった。グレブはそれなりの紙幣の束を人質としてカウンターに差し出し、一時的に男から銃を"借りた”。
ライフルを軽く構えてみる。肩に吸い付くようなストックと手にしっくりと馴染むグリップ。共にゾーンの荒野に立ち向かう相棒として悪くない選択だ。
少し前の話であるが、グレブはAKS74Uの後継としてTAR-21を選ぶことに若干の躊躇があった。使用弾が5.45mmから5.56mmに変わってしまうからだ。パブロが持つAK-74M、そしてオレグのAN-94、仲間たちの銃は共に5.45mmを使用している。同行するスタルカー達との使用弾薬の共通化は、万が一探索中に弾薬が尽きても弾薬を融通し合える利点がある。
これは探索においてはかなりの強みだ。さもなくば、チームでの行動中に自分一人だけ弾丸を撃ち尽くしでもしたら、後は一発も撃てないお荷物に成り下がってしまう。スタルカーにとって──というよりは男にとって──恥辱である以上に、全員の生存性にも関わる問題だ。先輩である熟練スタルカーが彼にそう指導していた訳ではなかったのだが、グレブとしてはそれなりに考慮すべき要素として捉えていたのだ。数日前までは。
グレブの考えも知らず、パブロが新調したライフルを見せびらかしてきた。
南米男が紹介した新しい相棒は強力な7.62x51mm NATO弾を使用するバトルライフル。酒と博打でちびちび浪費しているとばかり思っていたが、意外と計画的に金を貯めていたらしい。あるいは外の世界に借金の重みを抱えていないスタルカー故の金銭的アドバンテージか。こうなってはグループ内での弾薬共通化の利点は既に半減しているし、オレグの方も特に口を挟むことはせず、素知らぬ顔でウォッカの入ったグラスの縁を撫でていた。
その席でグレブは誰にも聞こえない程度の溜息を洩らし、ようやく踏ん切りをつけた。
「こいつを買うよ。」
元より二名のルーキーが熟練スタルカーに見出されたのは偶然の産物であったし、グレブがオレグに同行することに決めたのも"ルーキー村"の雑貨商の圧制から逃げ出したい思惑があってのことだ。いずれ何か不都合があればチームを解消し、一端のスタルカーに倣い単独での探索を始めることも止むを得ないと思っていた。ならば装備の選択も、臨機応変に対応するまで。
ゾーンという魔境に挑むのであれば、 生き残るために最終的に必要なのは仲間に頼ることではない。 個々の装備と個々の力で生き延びる術を持つことだ。スタルカーたちにそれが求められていることは疑いようが無かった。
グレブは所持している現金の約半分を、この新しい相棒と4倍率固定式プリズムスコープと5.56mmの弾薬箱、そして二発の破片手榴弾に変えた。銃弾のオプションには徹甲弾、あるいは炸薬量を増やして比重の重い弾頭を飛ばす強装弾などもあったが、グレブには差し当たり通常仕様の弾で問題ないように思えた。徹甲弾や強装弾は通常の弾頭で撃ち抜けない標的に対処するための弾だ。つまり、厚い防弾装甲に守られた"人間"などを。
武器を売る方の男は満足そうに小さく頷くと、再び椅子に座って端末に視線を落とし、客としての役割を終えたスタルカーを無視する作業に戻った。
グレブはふと、腰のPPKを思い出す。お守り代わりの貧弱なサイドアーム。キツネと出会ったあの地下道でミュータントに真っ先に弾き飛ばされてしまい、結局グレブがこれの引き金を引くことは無かった。それでももう少し強力な拳銃を下げていればAKの残弾が尽きかけた段階で何かやりようがあったのかもしれない──。
しかしグレブは直ぐにその考えを取り下げた。今このとき、スタルカーは新しいライフルを手にしたことで武装に関しては満足してしまっていた。あるいはそれは彼の"驕り"であったかもしれない。
次は防護服だ。
装備を売る方の男は依頼品の修繕作業をこなしながら一連のやり取りに注意を払っていたらしい。グレブがライフルの精算を終える頃には作業の手を止めて立ち上がっていた。鉄格子の壁際にある出入口を開放して、工房──ガンラックが並ぶ一角と工房はまた別の格子で仕切られている──の内側に客が足を踏み入れることを許したのは少々意外だった。
これまでの修繕品のやり取りがそうであったように、格子に穿たれた受け渡し口を介して行われるものとばかり思っていたからだ。確かに試着の手間を考えるならいちいち受け渡し口を介するのは煩わしくもある。単に新しい防護服を購入する客に向けた通常の手順なのか、それとも職人なりにこの新入りのことを信頼してくれていたのか。
いちいち真相を問うことはしないが、グレブは防刃ベストを含む全てを手早く武装解除して職人の後へ続いた。
「丁度いいのが入ったところだ。ゾーンの大抵の場所へ行ける。それこそ中心だろうとな。」彼は棚に置かれていた真新しく重厚な防護スーツを引っ張り出した。
黒地に赤の表面素材が電灯を受けて鈍く光る。ヘルメットと一体型となった科学防護服。十分な防弾処理も施されており、戦闘にも対応した高級品だ。放射線はもちろん、アノマリーがもたらす炎、稲妻、酸からも着用者を護る本物のスタルカーの"鎧"。
グレブもスーツを目の前に思わず胸が高鳴る。価格は今の所持金ならなんとか手が届く範囲だ。ゾーンの中心、アーティファクトの宝庫であり死の坩堝であるその場所に挑むなら、まさしくこんな装備が必要だった。だが、すぐに冷静さが戻った。
「…高すぎるな。価格がこれだとメンテナンス代も相当だろ。」
防護服はスタルカーの命を守る生命線と言えるが、当然ながらその維持には金がかかる。ゾーンの脅威に耐えるような高品質な防具は使用されている素材からして並みの装備とは異なっている。特殊合成繊維、超高分子マイクロフィルム、果てはゾーン探索専用に開発された試作的な防御デバイス──。ヘルメットの一体型仕様は隙間なく放射線や有毒物質から着用者を保護してくれるが、破損すれば全交換が必要だ。
大金をはたいて憧れの高級装備で身を固めたスタルカーがランニングコストで首が回らなくなり、泣く泣く着古した旧式装備に戻る。ゾーンではよくある話だった。
職人が例の噂話からグレブの懐を推し量ったのだとすれば、高級装備を持ちかけたのもあながち的外れではない。だが彼はグレブが外の世界に抱える借金返済で常に資金繰りに追われている事情までは知る由もなかった。
「となると、この辺りか。」
男は棚の奥から別のスーツを取り出す。緑を基調とした旧式。現在の新型が出回る以前にスタルカー達に広く普及していたモデルだ。古参の中には今なおこれを愛用する者もいるらしい。何箇所か修繕された箇所が見て取れるあたり新品ではないようだが、旧式ともなれば新品を見つける方が困難な話ではある。
グレブはこの旧式スーツに少々不格好な印象を受けたが、見た目より性能を重視すべきなのは言うまでもない。現在のスタルカー達の装備の水準から相対的にこの防護服を評価するなら、"中級モデル"と言ったところか。深淵に挑むには心許ないが、取りあえずグレブが求める最低限は何周りかクリアしている。ヘルメット一体型ではないこともむしろありがたかった。
職人の手を借り、グレブはこの新しい鎧の試着を試みる。ストラップを調整しジョイントを締めていくとズシリとした重量感が肩にのしかかったが、足を踏みしめた感触は悪くない。関節部の可動域はしっかりと確保されており、肘も膝も思った以上に自然に動かせた。過去のスタルカーたちがこれを愛用した理由が分かる気がした。
防護服に合わせてガスマスクも新調する。職人がグレブに手渡したのは気密性が高い軍用モデル。旧式スーツに似合いの実戦向きの装備だ。グレブはマスクを顔に押し当てた。フィルターから吸い込む呼気の感触を確かめ、額のベルトを締めて顔面への密着度を微調整していく。
「どうだ?気に入ったか?」問いかける声がマスク越しに籠って聞こえた。
グレブは無言で頷く。
マスクの下、誰にも見えない場所でスタルカーは僅かに獰猛な笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◆
かつては緑豊かな平原だったに違いない場所。荒野は度重なる光熱放射に晒され、爛れた大地が無残な傷跡を晒していた。岩盤が内側から膨れ上がったように歪な隆起が点在し、背の低い色褪せた草木が放射性物質を含んだ風に揺れる。
半ば崩れたアパートメント、崩落した変電所、車両基地の骨組み──。点在する廃墟はこの土地が正常だった頃の名残だ。彼らはコンクリートの肌を放射線に焼かれながら、それでも崩壊を拒むように踏み留まっている。そして時に避難場所を求めて駆け込むスタルカーたちを、空を駆け巡る死の熱線から守っていた。
荒野を往く影が五つあった。全員が防護服を着こみ、頭には重々しいガスマスクを装着している。五人のスタルカーは自然と陣形を組み歩調を崩さず、ライフルの銃口を油断なく周囲に向けている。
時折、岩陰や崩れた壁から歪なシルエットの獣が襲い掛かる。ねじくれた脚と裂けた顎、皮膚はまるで焼けただれた植物繊維のようだ。先頭の一匹が跳躍しようとした瞬間、重い発砲音と共に胸に二発、肩に一発着弾する。体をねじらせ叫びすら発することなく崩れ落ちたが、更に複数の影が跳ねるように後に続く。
スタルカーたちは怯まない。AN94を持った一人が指示すると、隊列の両翼が素早く広がり射線を確保。複数の発砲音が重なり、銃弾を浴びた肉塊が荒野に崩れ落ちていく。もちろんリロードの間隙を突かれるようなことはない。一人の弾倉が空になれば別の者が抜かりなく援護し、獣たちの襲撃は瞬く間に阻止されていった。
陣形の中央にはもう一つの影があった。ブカブカの迷彩服を着た少女。彼女の頭から突き出た三角の耳と、ふさふさの尻尾、そしてただ一人だけガスマスクを被らず素顔を晒していることが同行者たちとの相違を物語っていた。
探索からの帰還の途上だった。今回はかなりの深部にまで食い込んだがグレブは奇妙なほどの余裕を感じていた。
アノマリーを嗅ぎ分けるキツネの嗅覚は言うまでもない。出発時には懐疑的だったセルゲイやヴィクトルでさえ、アノマリー地帯を巧みに回避する道案内には舌を巻いていた。それにもし、真の危険が迫ったときはキツネがまた超常的な力で助けてくれる──。命を落とす恐れを感じないゾーン探索とは、これほどまでに気楽なものか。
それ以上にグレブを驚かせたのはオレグの指揮能力だ。パブロを含む三人で行動した際はそこまでの実感はなかったが、こうしてセルゲイとヴィクトルを加えた五人で動くとその統率力がよく分かった。いずれもルーキーの域を脱しつつあるとは言え、彼らが有能な指揮官のもとで統率されればチーム全体の戦闘力は熟練の集団にも匹敵し得る──そんな手応えすら感じられた。
戦闘指揮だけではない。この爛れた地域に足を踏み入れる際、オレグは全員の足を止めさせ線量計を注意深く確認した。そして全員の装備水準を踏まえた上で、放射線環境下での許容探索時間を正確にはじき出したのだ。グレブは改めて彼の知識の深さに敬服した。
「20分で探索し、20分で引き返す」それが熟練スタルカーの提案だった。
現代において、人間が放射線に抱く恐怖心というものは前時代のそれとはかなり異なっている。ゾーンが人類にもたらした成果の一つ。それが画期的な"放射線除去薬"の開発だった。
グレブもお守り代わりに一本持っている「RAD AWAY」と書かれた官給品のそれは、ゾーン深部の極限環境下で生きるミュータントの生体を解析して作られたものであり、従来的な放射性物質の体外排出を補助する類のものではなくもっと踏み込んだ代物だ。
放射性同位体の生体内半減期を劇的に短縮させるよう設計された合成微生物。放射性セシウム137やストロンチウム90などのイオンを選択的に捕捉し、細胞外に輸送・封入する能力を持つ。生体内での活動時間はわずか数時間だが、その間に体液中を高速で巡回し、特定の金属イオンに結合して分子構造を再構築、腎臓や肝臓で速やかに排出される。
さらに、この合成微生物たちは放射線によって破損した宿主のDNAを検知すると、限定的な修復プロセスを起動する機能を持っている。完璧な治療とはいかないが、深刻な染色体異常や細胞死を未然に防ぐ程度の補修は可能だった。やがて仕事を終えた微生物たちは組み込まれた自己消滅プロセスに従い、宿主の免疫系に捕捉される前に静かに死滅するのだ。
二十年に渡ってゾーンで生き抜いた例の老スタルカーが放射線障害に苦しみながらの余生を過ごしていない理由も頷ける。とは言え、この特効薬とていくつも買い溜めできるほど普及している訳でもない。致死量の放射線を浴びたのであれば微生物たちの働きを待たずして命を落とすことになるだろうし、「放射線などウォッカを飲めば中和できる」などとのたまう酔っ払いも微生物たちと同様の末路を辿るに違いない。
放射線量の見極めはゾーンを歩む者達にとって依然として重要事項だった。
そして探索時間として定められた20分。キツネはほぼ直行に近い道のりで一行を先導し続け、およそ18分でアーティファクトの発見に至った。
少女が指さしたその場所には、アーティファクトが地面の起伏に隠れるようにして微かな唸りながら宙に浮かんでいた。青い燐光を放ち、微妙に形状を変化させ続ける黒い金平糖のような立体物。記憶が確かならそれはゾーンのさらに深部で生成される希少度の高いものだった。パブロたちが思わず歓声を上げる。
この時ばかりは熟練スタルカーが驚く様子が見られるのではないかと、グレブはガスマスクのレンズ越しにオレグの目を盗み見た。だがそこに浮かんでいたのは予想していたものとは違った。得体の知れないものを前にした時のような、冷たく曖昧な光をたたえた瞳だった。
やがて一行は青空の元へと戻ってきた。爛れた大地は終わり、再び活き活きとした草木が風に揺れる。
放射能に侵されず淡い緑を保つ野草が緩やかな丘陵に広がっていた。遠くには朽ちかけた廃墟が夕日を背に黒いシルエットを刻み、空は燃えるようなオレンジに染まっている。バラノフカの鉄条網まではまだ数キロほどの距離だ。夜道を歩くことになりそうだが、五人分のフラッシュライトは十分に暗闇を切り開いてくれることをスタルカーたちは知っている。
拾ったアーティファクトを格納容器に収める栄誉を託されていたグレブは、背嚢の重さを感じながら一行と共に歩を進めた。売却した額を五人で分け合う取り決めのため目減りはしてしまうが、それでもかなりの利益が見込める筈だ。パブロ達は新しい装備の頭金にするつもりかもしれないし、グレブは弾薬の補充以外は借金の返済に使うつもりだった。いずれにしても、今夜の酒場では上等な酒が飲めるだろう。
大物を手に入れた帰りとあってスタルカーたちの足取りは目に見えて陽気だ。誰もがようやく煩わしいガスマスクを外し、ゾーンの空気を直接吸い込む。ほんのりと泥と苔の匂いが混じる、汚染されていない風が心地よかった。
「ありがとよグレブ。おかげで儲けにありつけた。」前を行くセルゲイが顔を向けてきた。
「デートの邪魔しちまって悪いな。」ヴィクトルがからかうように続けグレブの肩を軽く叩く。──火傷の痕が目立つのがセルゲイで、頬が痩せているのがヴィクトルだ。
グレブも笑いながら肩をすくめる。
今回、キツネとの狩りに彼らを同行させるに至った背景には、降って湧いた幸運をグレブが独占していると思われることへの警戒心も、多少なりあった。「次にキツネと行く時は俺らも連れて行ってくれよ」などとパブロには軽口の延長としてせがまれていたし、このゾーンという環境、拠点の外には脅威しか存在しない状況下で周囲の人間の嫉妬を不用意に買うのは、往々にしてろくな結果を産まない。ただ、この南米男や熟練の先輩がその手の感情を自分に対して抱くとも思えなかったし、あと2回も探索をこなせば全ての目的を果たせるかもしれないと期待しているグレブにとっては、他者の嫉妬もそれほど警戒度の高いものでもなかった。
グレブが気にしたのは、むしろ"装備"の問題。一挙にすべての装備を更新してしまったので、慣れない状態でゾーンに挑むことに若干の不安があったのだ。
無論、銃の試射なら弾丸数十発を消費して済ませていた。バラノフカの外、外壁に面する一角の窪地は誰が決めたでもなくスタルカーたちの試射場と化している。主な標的は斜面を背景に並ぶ軍用トラックだ。長い年月、数千、数万の弾丸を浴び続け穴だらけの残骸となり果てたそれは恨めしげに佇む亡霊のように見える。
期待通りTAR-21はグレブの手によく馴染んだ。グリップの握り具合、反動の制御、5.56mm弾がトラックの鉄板を穿つ手応は中古のAKS74Uより遥かに素直だ。動作に問題はない。それでも咄嗟の場面でまごつく可能性は拭えなかったのだ。
特についでに新調しておいた検知器に至ってはアノマリーの近くまで行かなければ確認しようがない。そのような事情も相俟ってグレブの新装備のお披露目は"仲間達とのアーティファクト狩り"に落ち着ついたのだ。
グレブの視線は後方にいたキツネに向けられる。彼女は道に沿って続くガードレールの上を猫のような──むしろ狐のような──軽やかさで歩いている。
ブカブカの迷彩服とふさふさの尻尾が風に揺れていた。金色の目が夕日を映して、つかの間輝く。その少女の様子にぼんやりとした気がかりを感じている。二人で狩りに出たときに見せていたような無邪気な笑顔も柔らかな身振りも今は影を潜め、どこかよそよそしい空気を纏っていたのだ。
『狐の巣』でシチューを食べている彼女と再開した時はこうではなかった筈だ。グレブを見つけるや否や、あの子は笑顔で手を振り、また狩りに行こうと声をかけてくれた。アーティファクトの光で焼けただれていた手も、あの科学者の言った通り元の滑らかな肌に戻っていた。その小さな手を取り安堵の表情を見せるグレブに、少女は耳をはためかせ気恥ずかしげな仕草を見せたものだった。
その口数が少なくなったのはオレグやパブロ、そしてその場に居合わせたセルゲイ、ヴィクトルらと合流し、探索へと出発した辺りからか。思えば拠点のゲートで仲間たちを紹介した時、キツネは唇を尖らせて呟いた。
『人が多いとつまんなくなっちゃう…。』
その場では笑って流してしまったが、彼女の機嫌を損ねるのはあまり良いことではないかもしれない。相手が謎めいた超常の力を持つ異形の存在であれば尚のこと。
そしてオレグ、熟練のスタルカーは一行の先頭を歩いている。これはキツネがアノマリーの匂いを嗅ぎ分けて進んだ行きとは正反対の配置であった。検知器がアノマリーの警告音を発する回数は普段の彼よりも格段に少なく、それはこの男が行きの経路を正確に記憶していたことを意味している。
"脅威的な嗅覚を見せる少女への熟練者としての無言の対抗心"。グレブ以外の三人はそう感じていたかもしれない。だがグレブには彼が始終キツネからなるべく距離を放して歩いているような、ゾーンで七年生き延びた男が異形の存在を本能的に忌避しているような──そんな印象を受ける。
それら二つのことが頭に引っかかっていた。
「おーい、キツネ、キツネちゃーん? 良いもんあるぜ。」パブロが足を止め、ポケットをまさぐり何かを取り出した。
ミハイルがキツネに渡していたのと同じチョコレートバーの包み。彼女のために抜け目なく菓子を用意していた──というよりは日頃からその手のものを探索の最中に齧っている男ではあったので、単にあのやり取りを見てチョコレートに気が向いただけかもしれない。
スタルカーは陽気に笑いかけ、少女に向けてチョコバーを放る。だが彼女は一瞥しただけで受け取りはしなかった。銀色の包みがガードレールを越え、地面に虚しく落ちる。
「ちぇっ、気難しいガキだな……。」パブロは憮然とした顔でそれを拾いに行く。土を払うと包みを解いて自分で齧り始めた。
「お前の髭面が気に入らねえとよ。」セルゲイが軽口を飛ばし、ヴィクトルが低く笑った。
やはりだった。この狩りに出てからキツネが言葉を交わしたのはグレブだけで、他のスタルカーを無視している。パブロの明るい呼びかけにも彼女は振り返らない。彼らはキツネに気に入られていないからか?こうなると「デートの邪魔をされた」という線もあながち間違いではないのかもしれない。
あの科学者が差し出すチョコバーをキツネが頑なに受け取らなかったのを思い出す。あるいは自分が手渡せば受け取ってくれるのかもしれない。
生憎、グレブの背嚢には子供が喜びそうな気の利いたものは入っていない。缶詰、干し肉、恐ろしく固い無味の食物繊維ビスケット、軍の横流し品の戦闘糧食、ビタミン剤、抗生物質──危険な荒野で人間を動かし続ける必要最低限の物資ばかり。『狐の巣』では温かい食事にそれなりの楽しみを見出しているグレブだが、探索では話が別だ。
背嚢の中で甘味のあるものと言えば、青と銀のパターン模様に『NON STOP!』のロゴが張り付いた、外の世界でもありふれた"エナジードリンク"だ。
主に一日18時間ほどPCモニターと向かい合う人間の活動を補助し、ついには生活習慣病に陥れる飲料だが、ここゾーンにおいても人知の及ばぬ魔境を探索するスタルカーの活動を補助している。そしてやはり生活習慣病にも陥れている。
熟練スタルカーにこれを勧められたとき、ルーキーはそのアドバイスの俗っぽさを奇妙に感じたものだが、実際、あの単独探索ではこれに助けられた。疲労と睡魔に襲われたグレブの意識を一度ならず引き戻してくれたのは確かだ。そして砂糖とカフェインを最大限添加したそれは、あくまで成人男性の神経と代謝力を想定したものであり、子供に渡すべきものではなかった。
グレブは密やかに心に決めた。またキツネとゾーンを歩む時に備えて自分もバラノフカの雑貨屋で何か調達しておこう。
パブロがチョコバーを齧りながらグレブに向かってわざとらしく声を潜めた。「おめぇ、あのガキ、どうやってたらし込んだんだ?」
「さあな、たまたま気に入ってくれたみたいだ。」笑ってそう返したが、おかしな懸念が一瞬頭を過り冷や汗が出た。何か噂に良からぬ"尾ひれ"がつきそうな──。
それは、シャレにならない。
◆ ◆ ◆
「バイバイ、またねグレブ。」
ゾーンの夜闇に鉄条網と工場のシルエットが浮かぶ。スタルカー達が丘の上からバラノフカの明かりを見下ろした頃、キツネが軽やかな声で別れを告げた。去り際、今日会った時のような笑顔を見せてくれたことに少し安堵し、グレブは頷いてキツネを見送った。
「おいおい、お前本当に一人で帰れるんだろうな?」パブロは子供が夜のゾーンをうろつくことを気にしてか、歩き去る少女に声をかける。
彼女からの返事はない。そして南米男の方もやはり宝を金に替えたい気持ちが逸っているのか、小さな背が闇に溶け込む前に自らもバラノフカへ向かって丘を下り始めた。
グレブとしては、仮にキツネを引き留めたところで彼女が寝泊まりできるような場所がバラノフカにあるとも思えなかった。あるとすれば宿舎の個室か、科学者の宿舎くらいかもしれないが、かと言ってあの教授の部屋にキツネが泊まるのはかなり問題に思える。
一行は無事にバラノフカの正門に帰り着いた。帰還の足取りを見ればそのチームが宝を掴んだか否か分かるのか、拠点の門番達はニヤついた顔でグレブ達を迎える。
彼らの軽口と酒場の窓から漏れる喧騒を聞きながら、五人の足は口に出さずとも同じ場所へ向かっている。鑑定士の店だ。夜のバラノフカの通りの奥に佇むコンクリートの壁に囲まれた無骨な建物。グレブがブザーを押すと、シャッターが緩慢に軋みながら上がった。
五人のスタルカーが入り口にぞろりと並んでいるのを守衛の大男がうんざりした顔で睨んだ。
「三人だけだ。」短く言い放つ。
無愛想なその一言にパブロが舌打ち混じりに文句を言いかけるがオレグが手で制す。確かに入店前に武装解除させるとはいえ、防犯を気にする店が五人もの人間を一度に入れるはずがない。実質的なリーダー格のオレグ、キツネに気に入られた功労者であるグレブ、そして自分も立ち会う気満々だったパブロが入るということで後の二人は納得した。
「先にミハイルの店に行って飲んでてもいいぜ?」と笑うパブロに対し、ヴィクトルは「オメェが金を持ち逃げしねぇようにここで待ってるよ。」と返した。
三人分の武装と背嚢が通路脇のカウンターの上に目一杯に並ぶ。律儀にシャッターが再度締められ、三人が武器から十分離れたところで店側の鉄扉が重々しく開錠された。
ゾーンの歪な彫刻を並べた骨董店のような内装、相変わらず店内には妙な甘い匂いを感じる。鷲鼻の鑑定士はカウンターの奥から顔を上げ、眼鏡越しに値踏みするような視線でスタルカー達を迎えた。
「アントン、今日はすげぇお宝だぞ。なにしろあのキツネと狩りに行ってきたんだからな。」
格納容器を抱えるグレブの隣でパブロは自慢げだ。鑑定士は新入りに気安く話しかけられたことにあからさまに疎まし気な表情を浮かべたが、脇に立つ熟練が特に訂正しないことを見て興味をそそられたようだ。
「ほう…見せてもらおうか。」
容器の蓋が開かれカウンターの金属板にアーティファクトが置かれた。青い微弱な光を断続的に放つ黒い構造物。
アントンはそれを一瞥し、すぐに眉を顰めた。カウンター脇に並ぶ検査機材──放射線計、波形解析器、スペクトル分析装置──から一台を手に取ると、ゆっくりとアーティファクトに向ける。ビープ音が低く響き、小さなディスプレイの波形が揺れるのがグレブの位置からも見えた。だがアントンは一通りデータを確認すると鼻で笑い、椅子に背を預けて三人を見上げた。
「はしゃいでるとこ悪いが、こりゃ大した額にはならんぞ。」
「あ?何を言ってんだよ?」パブロがカウンターに手をかけて身を乗り出した。「こりゃ『星の魚』だろうが!ケチつけようってのか?」
グレブもパブロと同意見だった。ゾーンの深部、キツネが導いた宝が偽物だなどと言うことが有り得るのか?
「ケチ以前に別物だ。慌てたスタルカーが稀にやらかす紛い物さ。『星の魚』じゃねえ、『蛍の欠片』だ。らしくねえな、オレグ?目が鈍ったか?」鑑定士は眼鏡を押し上げ、いやらしくニヤついた表情を熟練スタルカーに向ける。
新人たちも彼を見るが、三人に注視された男はいつになく険しい顔をしていた。
「…本当か?」オレグが呟く。グレブはこの男の自信が揺らぐ姿を初めて見た気がした。
両者はカウンター越しに視線を交わしていたが、先に動いたのは鑑定士の方だった。「分かった。証拠見せてやる。…おう、お前、落ち着きな。」
鑑定士が声をかけたのはいつの間にか店内に入っていた守衛の男に対してだった。守衛はAKを握り、緊張した様子でオレグたちを睨んでいた。口がわずかに開き、顔が紅潮しているようにも見える。揉め事を起こしそうな三人のゴロツキに警戒しているのだろうが、もしかすると案外小心者なのかもしれない。
「間違ってもカウンター乗り越えて来るなよ。そいつが引き金引いちまうからな。」彼は指を差して念を押すと店の奥へと向かった。店内に陳列されているような"インテリア"ではなく、大物クライアントの元へ送られるのを待っている"本物"たち──ゾーンの秘宝を保管する大金庫の前へ、だ。
金庫の重い扉が開く音が店内に響く。グレブは身を乗り出して覗き見たい好奇心に駆られたが、守衛のAKの銃口は既に上がっていた。仕方なくグレブはこの小心者に要らぬ誤解を与えないよう直立不動を貫くことにした。パブロも同様に腕を組んで低く唸り、オレグは無言でカウンターに視線を落としている。
しばらくしてアントンが格納容器を抱えて戻ってきた。保護手袋で慎重に中身を取り出すと"紛い物"の隣に並べる。
「これが本物の『星の魚』だ。好きなだけ調べてみろ。」アントンは波形解析器をオレグに渡した。
オレグは無言で両者を比べ始めた。だが既にグレブの目にも違いは明らかだった。確かに形状は似ている。それでも並べられるとその差は歴然だ。『星の魚』の表面は室内の景色を液体の鏡のように反射し形状が緩やかに変化する。そして時折、神秘的な青みがかった発光が迸り、あまり直視すべきではなさそうな残像を瞳に刻んでいくのだ。
オレグは解析器を置き静かに頷いた。「…分かった。話を進めろ。」
「くそくらえ!」パブロが吐き捨てカウンターから離れた。守衛の銃口が用心深く彼を追っているがパブロにはそんなものも"くそくらえ”らしい。「キツネは宝を嗅ぎ分けるんじゃなかったのかよ?」彼の声が店内に虚しく響くが、グレブは彼の反応をあまり深刻には捉えていなかった。カード勝負で負けた時に口にするタイプの"くそくらえ"だったからだ。
鑑定士は新入りの癇癪を鼻で笑う。「ゾーンってのは気まぐれだ。キツネとやらも読み違いはあるんだろうさ。というか、現に宝は掴んだじゃないか。」彼は『蛍の欠片』を指差した。
言われてみればその通りではある。ゾーンの秘宝を掴んだという期待に舞い上がっていたが、グレブ達が見つけたものもアーティファクトには違いないのだ。
「金にはなるんだろう?これはいくらなんだ?」グレブはアントンに尋ねる。パブロも興味を取り戻したのかカウンターに戻ってきた。
「買い手はつくだろう。だが期待するほどじゃねえ。外の二人とも分けるんだろ?ならまぁ、酒場のツケを返して弾薬を買い足すくらいか。」
鷲鼻の男は電卓を叩き数字を三人に見せた。それは期待した額よりも大幅以上に少なかった。ゾーンの深部に食い込んだ成果とは思えない、パトロールのアルバイトよりはマシと言った程度のもの。パブロが大げさに肩を落とすが、もう声を荒げるつもりはないようだ。
「どうする?別の店に売りにいくか?」アントンの声には意地の悪い愉悦が滲む。普段はここまで嫌味な男ではないはずだが、熟練スタルカーの鼻を明かしたことが拠点に腰を落ち着ける商売人には愉快であるらしい。
「セルゲイとヴィクトルに話をつけてからじゃねえとな…。」パブロの言葉はもっともだったし、金に換えてしまう前に指摘してくれて良かったとさえ思った。寒空の下、期待に胸を膨らませて待つ二人に薄い札束を渡せば揉めるのは必至だ。
一先ずグレブとパブロは「金に換える」を主張し、オレグが「全員の決定に任せる」とした。外で待つスタルカーの"二人"を中に入れる為、中に居るスタルカーの"二人"は外に出ることになった。つまり、口の上手いパブロに後を任せることにして早々にこの場を離れることに決めたグレブとオレグの二人が。
この面倒な入れ替え作業に小心者の巨漢は軽くパニックを起こしかけていたが、それでも5.45mm弾を客に乱射せずに済んだのは、守衛としての最低限の務めを果たした証だろう。わざわざ敬意を示すような余裕はグレブには残されていなかったが。
カウンターに預けられた武器と背嚢を回収したグレブとオレグは、共にバラノフカの外気へ出る。吐息は白く、夜が肺に染みた。
「紛い物だった。詳しくは中で聞け。」とリーダー格に短く告げられ、セルゲイとヴィクトルの二人は動揺を隠さずシャッターの奥へと消える。
「先に戻る。」オレグはそれだけ言い残し夜の通りを一人歩いて行った。
まさかこの男に限って"アーティファクトを見誤ってしまったので居心地が悪い"などということはないだろう。グレブとしても彼に負うところは多いし、この程度の間違いで評価を下げるつもりはない。むしろこれは五人全員のミスだったと言える。
店の前でパブロ達を待つことにしたグレブは一人でシャッター脇の壁に背を預ける。そして出発の際、仲間達を紹介されたキツネの呟きを今更ながら思い出していた。
『人が多いとつまんなくなっちゃう…。』
今日の探索がキツネと自分の二人だけだったならどうか?あの少女がそれを期待していたのは明らかだ。道中で襲い来るミュータント達に一人で対処するのは厄介だが、グレブは新しいライフルで奴らを何体か何十体か仕留めたろうし、キツネもまた奇抜な策なり超常的な力なり見せたかも知れない。
そしてアーティファクトの売却金を独り占めできたなら、一度目の狩りほどではなかったにせよグレブも手応えを感じただろうし、弾薬費を差し引いた余剰分を借金返済に充てることができた。バラノフカのスタルカー達が受ける印象も「キツネに気に入られた新入りがまたしても金を掴んできた」という具合になっただろう。
目を閉じてそのように考えていると、自ずとカウンターに並んだ二つのアーティファクトが瞼に浮かぶ。『星の魚』の青白い発光と、『蛍の欠片』の鈍い輝き。形状の変化、表面の質感、迸る光の違い。もし次にゾーンで見つけたら間違えない。スタルカーらしい向上心がグレブの頭に両者の差をゆっくりと刻む。
その内に、また別の益体の無い思いつきも浮かんだ。
もしかしたら、あのアーティファクトを"静止画"でしか見たことがない人間なら両者を見間違えるかもしれない──。