開けた中庭のど真ん中で、決闘屋のようにブラックライシスとハルカは向かい合って立っていた。アルは最後に二人の頭を撫でると、狙撃に最適な地点まで走っていった。その間もハルカはショットガンを抱えたまま動かなかった。何か小声で呟いているのだけは聞こえたが、何を言ってるかはムツキにも聞き取れなかった。
ブラックライシスはコートを脱がず、かといって腰にさした銃を手に取ろうともしなかった。本当に拳の力だけで勝つつもりなのかな。ムツキは単なる冗談であってほしいと思っていた。ここまで戦ってきた二人──ブラックリスタとブラックレイジは、どちらもあまりに人間離れした能力の持ち主だっただけに、今度の尊大な自信も何かの前触れに感じられた。まるで中身の分からないびっくり箱だ。こいつは何を隠し持ってるんだろう?
ブラックライシスは一度息を大きく吸うと、それまで何の表情も見られなかった目元に微笑を浮かべた。嫌な余裕の表情だった。脇を少し開けて、腰を落として腕でも足でも出せる体勢をつくると、少しずつハルカににじり寄ってきた。静かに、遂に始まったのだ。ハルカはショットガンを向けると、不気味なプレッシャーを放つライシスから一定の距離を保ったまま横に歩く。ムツキも狙いを定めたが、それだけで撃ちはしなかった。お互いに相手の出方を窺っている状態だ。一歩、ライシスが進む。すると一歩、ハルカは横へそれる。社交ダンスをやってるようなリズムで、ライシスとハルカの静かなにらみ合いは続いた。
静寂を破ったのは、ライシスに向けて空から撃ち込まれた炸裂弾の轟音だった。いきなりブラックライシスが黒煙に巻かれると、今度は火の手が上がる。だが敵を捉えたハルカの目線は、舞い上がる煙から頭上を越えて、後ろに着地したライシスを逃がさなかった。着地の瞬間を見計らって、ショットガンが火を吹いた。顔の前で交差した腕に命中すると、少し後ろへぐらつく。ハルカはすかさず飛び掛かった。ショットガンで頭を割ろうという勢いだったが、ライシスは銃床を右手で受け止めると腰を反らせながらも踏ん張ると、のしかかるハルカの体を肩で抱えて近くの壁に放り叩きつけた。
ムツキは目いっぱい機関銃を乱射したが、ライシスはすぐに反応して跳びあがった。後頭部まで上げた右手が着地に合わせて振り下ろされると、機関銃が上部から折れかねない威力ではたき落とされる。銃口が下を向いて、すごい力で押さえつけられると、ムツキの顔に左拳が伸びた。咄嗟に銃を手放して回避したが、ライシスは機関銃を奪い取ると装填されたままの銃弾帯を掴んで、帯の途中で分解してしまった。
ライシスを機関銃を離すと、横目で空を確認してから、すぐに側転で逃げた。ほとんど同時に、先ほどライシスが立っていた場所へ銃弾が撃ち込まれる。アルは小さく文句を言うと、すぐにライフルを抱えて場所を移しに走った。なんで避けられるのよ!アルはどうしようもなく叫びたかった。
ハルカはすぐに立ち上がると、側に落ちていた鉄パイプを拾い上げて突き付けた。またライシスと見合っての膠着があったが、ライシスの後ろに壁が来るとハルカは目いっぱいの瞬発力で突っ込んだ。鉄パイプはひらりと躱された上に手刀で叩き折られた。驚くハルカに対して、ライシスは微笑を崩さなかった。二人は互いに手を伸ばせば相手に触れられるほどの距離にいた。ハルカは反射的に折れた鉄パイプを持った手で力いっぱい殴ったが、止められると肘を逆から押さえられたまま壁に押し付けられる。手から鉄パイプが落ちて金属音。ライシスは今度はハルカの腕を押さえたまま、力いっぱいに投げ出した。よく磨かれた床の上を、ハルカは滑りながら倒れ込む。その間もゆっくりと近づいてくるブラックライシスから目を離さなかった。
アルは中庭上部を囲うように設置された足場を移動しながら、ハルカとライシスの戦いを見ていた。ハルカがライシスの打撃を躱して右腕を取ると、今度は逆に壁に叩きつけたが効果は薄かった。余裕の表情を崩さぬまま、開いている方の手でハルカの背中に手刀を見舞うと、ハルカは上を向いて肺から空気を吐き出した。腕を掴む力が緩むと、ライシスは床から突き出た円柱にハルカを突き飛ばした。”ごん”という音が鈍く響くと、ハルカは肩で息をしながら円柱に寄りかかっているのが見えた。
ハルカが危ない!アルは今いる場所でしゃがむと、ライシスのヘルメットに狙いをつけた。スナイパーライフルが轟くような銃声を立てる。爆発する直前、ライシスはこちらを見ると同時に右正拳を突き出した。拳から広がった爆発は全身を包むが、突き出た拳は空中で静止したままだった。煙にショットガンを向けるハルカは、爆発の中でも無事だったライシスを見て驚いた。ライシスは正拳の構えを解くと、火のついたコートを脱ぎ捨てた。
ハルカはすかさず撃ったが、雑に振り払われる。すぐさま排莢操作をしようとしたが、走り出したライシスはショットガンの銃口をはたいて狙いを反らすと、ハルカの心臓目掛けて腰を入れた正拳を振るった。
アルからは空手の達人が生身の相手で鍛錬をしている光景に見えた。ハルカが寄りかかっていた鉄製の円柱にめり込むと、亀裂から水が勢いよく噴き出した。ハルカが反射で苦悶の声を上げると、力が抜けたように膝が折れる。ライシスはハルカを受け止めると、振り向きざまに爆弾を投げるタイミングを窺っていたムツキの方向に放り投げた。
ハルカはムツキの足元近くまで滑るように投げ出された。
「ハルカちゃん!」心臓の辺りを押さえて苦しそうにするハルカに、ムツキは駆け寄った。額に玉のような汗が浮かんでは、顎から垂れている。これまでハルカの頑丈さをたびたび見てきたムツキは、ハルカが近接戦でここまで押されるのが信じられなかった。ブラックライシスを近づけまいと弾をありったけ撃ったが、ここでさらなる不運が襲った。
かちり。
それまでけたたましく吠えていた機関銃が、情けない音を立てると銃撃が止まった。ムツキはすぐに分かった。弾切れだ。オークション会場からの連戦で、弾が底をついたのだ。ライシスは足を止めると、こちらの窮地を悟ってゆっくりと近づいてくる。万事休す、ムツキが舌打ちをして機関銃を降ろすと、今度はハルカが立ち上がった。
「ムツキ室長、爆弾は、まだありますか?」荒い呼吸だった。
「爆弾はまだあるよ、でも足りないかも」ムツキは手榴弾を二つ取り出した。これが最後の手持ちだった。オークション会場に入場する際に、武器の持ち込み制限に引っかからないように数を抑えてきたことを、ムツキはここで激しく後悔した。
「私も、もう数発しか残ってません……ど、どうしましょうか……」
二人は目の前に迫る強敵に思考を割きながら、打開策を巡らせていた。そしてそれはアルも同じだった。再びポジションを変えながら、アルはムツキの銃弾がなくなったことをすぐに察知した。二人の動きが止まった。もう武器がなくなってしまったの?すると二人はどうなる?アルは空の弾倉を取り出すと、自分の残弾数を確認した。
もう炸裂弾はなく、普通の銃弾が一発分だけ残っていた。オークション会場を飛び回るブラックレイジを追って、やたらに弾を撃ってしまっていたことが思い出される。
アルは少し考えると、おもむろに立ち上がった。これであいつに一体どれだけ抵抗できる?たった三発の弾だけで!アルはここまで登ってきた階段に向かう。この後どうなるかは分からなかったが、アルの頭は仲間を助ける以外の事は考えられなくなっていた。
ムツキは手榴弾を背後に隠すと、安全ピンを抜く動作を見られないようにした。あとはタイミング次第だ。ライシスは腰を少し落とすと、ショットガンと向き合う。黒い口の中で赤い火が輝く瞬間を見逃すまいといった眼力だった。ハルカの引き金にかかった指が少し動く。あそびはなくなった。十数秒のにらみ合いが、ムツキとハルカには三十分にも思えた。
ムツキは前に一歩踏み出すと、手に持った手榴弾を野球投手のようにまっすぐ投げた。
ブラックライシスはそれに反応して、横に跳んだ。すぐさまハルカのショットガンが叫ぶ。当たらなかった。二人を照らしていた月光が、とたんに暗くなる。ライシスは二人の背後に着地しようとして、足元に転がってきた黒いレモンが目に入った。あれはなんだ?何かの部品が外れたのか?ムツキが何か落としたのか?ここでライシスは、だしぬけに事実に気が付いた。空に爪を突き立てて、速度を落とそうとする。効果はなかった。黒光りする物体にぐんぐん近づいていく。カワセミのような速度で突っ込んでいく。その手榴弾に!
ムツキはハルカと同時に、爆発から身を守るため倒れるように飛び下がった。次にムツキが気が付いたのは、足元から全身から火がわっと上がって、ハルカと一緒に宙を舞ったことだった。固い地面に落ちて、その上に小石が降ってくる。ムツキは固くつむっていた目を開くと、目の前の惨状を見た。
周りの配管は折れ曲がったり、根元から折れたりしていた。シューシューと空気が抜ける音と水がこぼれる音がする。黒い煙が段々と白い蒸気に変わると、黒い影はそこにはなかった。
ハルカのショットガンにいきなり第三者の手がかかると、ハルカは反射的に銃を自分の方へ引っ張った。ムツキの視界の端で、ハルカの体がくるりと一回転したかと思うと、背中から叩きつけられる。ショットガンが遠くへ投げられて、固い音を立てた。
「つまらん」
そう言うとブラックライシスは不規則に咳き込むハルカをまたいで、這いつくばるムツキの右手を掴んで背中に捩じり上げた。
「ひどい気分だ。もう終わりにしようか」つぶやくように言うと、腕を少しずつ上げ始めた。ムツキの額からは、汗が吹くように流れ出した。腕を折られる痛みは一体どれほどのものなんだ?
ムツキはうつぶせのまま体を捩じったり、じたばたしたが、ライシスはすごい力で左腕を押さえつけていた。ムツキの顔に汗が噴き出した。思わず歯をむき出す。つのりくる痛みに、彼女は先ほどの爆発で壊れた配管から、水がちょろちょろ流れているのしか見えなかった。
右手は今、肩甲骨の上にまで届きそうなほど捩じりあげられていて、二の腕から取れそうだった。ずっと我慢していた、喉の奥から絞り出すような呻きが洩れた。
「そこまでよ」
聞きなれた声が制すると、腕を掴む力が少し緩んだ。ほっとすると、冷たい地面に頭を垂れた。
「ムツキから手を離しなさい」
アルちゃんはどこ?ムツキは頭を振ってみたが、自分の見える範囲にはいなかった。
「私はどうしても構わないわ。だから二人は開放して」
ここでムツキは、アルが銃を構えずに両手を挙げて出てきたことが分かった。私たちを助けるために?ムツキは焦った。自分たちのためにアルが痛めつけられると思うと我慢ならなかった。
「駄目だよアルちゃん!それなら私」
「ムツキ」静かに制する声だった。それ以上言ってはいけない。そう伝えているように感じると、ムツキは歯を食いしばって黙るしかなかった。
「あなたがディスクに興味がないことは分かったわ。ならこのまま二人は開放して。二人の分は私が引き受けるわ。大切な社員たちの未来は奪わせない」
ムツキもハルカも何も言えなかった。ブラックライシスはムツキの腕から手を離すと、アルの目の前まで跳んだ。ようやく自由になると、右腕が火がついたように痛んだ。アルは静かにライシスのヘルメットから覗く黄金色の目を見ていた。
「そうか」それだけ言うと、アルの白く柔らかい首筋を両手で覆い、喉元に親指をそえた。少しずつ力を込め始めると、アルの顔は少しずつ苦痛で歪み始めた。下へ下へと、ライシスの指がアルの動脈に食い込んでいく。アルは息をあえがせた。
「それは出来ない。私が受けた命令は便利屋68の抹殺だ。安心しろ、三人いるからお前はすぐに終わらせてやる」
ハルカはショットガンを向けるが、それ以上は出来なかった。ハルカの位置ではアルに攻撃が当たってしまう。よろよろと立ち上がろうとすると、ライシスの手に込める力が強くなる。アルの苦しみを少し増すだけで、ハルカの動きを止めるには充分だった。
ムツキはもう知恵を絞る事しかできなかった。どうすればアルを助けられる?武器のない自分に一体何が出来る?畜生!ムツキは力なく目をつむった。全身に恐怖がこもっている。起き上がろうとしたが起き上がれない。体中から汗が吹き出すのが分かる。ああ、これは、本当に現実なのか?そう思うと体中に悲しみが走った。涙が目をじーんと熱くして、頬を流れた。