銃声が聞こえること自体が異常だった。この十数分の一幕での殺し屋の責め立てに対して、対抗するのは三人の声しかなかった。意識が薄れかけていたアルには、その音の正体が良く分からなかった。しかし次の瞬間には、いきなり完全な意識をほぼ半分まで取り戻した。急に周りが見えるようになって、呼吸もできるようになった。発電所内に反響する銃声の残り香と、それに続く静寂もはっきり理解できた。ブラックライシスがゆっくりと顔を上げるところも、その目に浮かんでいた純粋な表情──何が起こっているか理解できないといった表情──が見えなくなると、ヘルメットの額に第三の目が出来ていたところも理解できた。第三の目は、両目からちょうど同じ距離で額のど真ん中にできていた。小さくて黒い目の周りには、まつ毛のようなひび割れが広がっているだけで眉毛もなかった。
アルの目の前でブラックライシスの両手が喉から離れると、続いて最初からある二つの目がぐるりと回って夜空の方を向く。重い頭部が後ろへ倒れていき、地面にぶつかると第三の目から縦にひびが伸びて、ヘルメットはぱっくりと二つに割れた。それ以外の動きは一切なかった。
ライシスが動かなくなったことを見届けると、思い出したようにアルの肺が締め付けられるように痛んだ。急いで肺に空気を送ろうとして、喉ががさがさになりそうだった。力が抜けて倒れ込む上体をなんとか腕で支えたが、肘と膝で四つん這いになってうずくまると、嗚咽しながら何度も咳き込んだ。危うく握り潰されるところだった喉元に熱が広がると、背後から駆け寄る足音が聞こえて背中に二人分の手が触れた。ハルカはすっかり取り乱してこちらの名前を呼んでいる。ムツキも呼吸を落ち着かせようとしてくれていた。三人とも、生きている。死の恐怖と社長としての責任と仲間を案じる気持ちで、アルの脳はぐちゃぐちゃだった。
つづいてアルの耳は、背後から悠然と近づいてくる人物を捉えた。強くかぶりを振って頭をすっきりさせようとするが、酸欠で指揮系統が麻痺していて視界は端にいくほど歪んだままだった。開きっぱなしの口から唾液が伝い落ちて、地面に黒いしみをつくった。
アルの背に触れていた手が少し浮くと、歪んで見えたムツキの足が後ずさった。アルは背後で何が起こってるのかを読み取ろうとしたが、見えたのはこちらに近づいてくる黒のブーツだけだった。ハルカは震えるのが手で伝わってきて、上ずった「あああっ」という声しか出てこない。背中から手が滑り落ちると、膝に置かれた。ようやく呼吸が正常になってきて、自分を落ち着けるとアルは意を決してゆっくりと振り返った。
一瞬の静寂。それから──
「アス」
その名前は、吐息にも似た音と共に発音された。その名前は、他になにも言う必要がないかのように、きっぱり断言する口調で発音された。最後の説明の言葉だ。すべての締めくくりの言葉だった。
長い金髪の束は、月光を受けてきめ細かく輝いて見えた。手に持った拳銃からは青白い煙が立ち昇っている。銃口を口元へ運ぶと、息を吹きかけた。煙はもやになって消えていった。
「生きてたんだ……」ムツキが消え入るような声でつぶやいた。
「助けて、くれたんでしょうか」ハルカはまだ目の前にいる人物のことが信じられないようだった。ハルカからは足元のブーツの辺りが薄くなって、それこそ亡霊のようにでも見えたのかもしれない。
アスはふんと鼻で返事をすると、面白くもなさそうに言った。「手元が狂った──とでも言っておこう」
拳銃を降ろすと、悠然と近づいてぼろぼろの三人を見下した。
「ブラックレイジとブラックライシスはよくやってくれた。おかげでお前たち三人は体力も弾薬もすっかり消耗しきっている。私はこの機会を待ってたんだよ。そろそろ本題に入ろうか」
やっぱりそんな事か。聞きたいことは山ほどあったが、友好的に答えてくれそうにはなかった。
「どうやって生き延びたの?という質問はなしだぞ。私は長ったらしい説明を二度もするのは嫌なのでな」
「カヨコちゃんにも同じ話をしたんだろうね」ムツキが言った。
「正解だ、相変わらず鋭いなムツキ。今の私はスペクトルではなく、ブラックスターだ。お前たちの仲間はまだ無事だよ」
それを聞いてアルは気持ち安心した。カヨコの無事は保証されたのだ。しかし今は目の前の問題を解決することが先決だった。こいつからどうにか逃げおおせねば、助かるものも助けられないのだ。アルは一か八か先ほどもろく崩れ去った策に頼ることにした。
「あなたも私たちを殺しにきたの?」
アスはまた鼻で軽く笑った。「殺す?今や風前の灯火のお前たちを?自分たちの命にそんな価値があると思っていたとはめでたい限りだ。お前たちの生き死になんて、土砂降りの中で水没した蟻の巣くらいこれっぽちも興味ないね。私の目的はあくまでディスクだよ。お前たちが守り抜いてくれたディスクだ。さあ、分かったらとっとと出すものを出して貰おうか」
アスは拳銃をひらめかせて言った。アルはアスの発言をしっかり分析して、これで通せそうだと確信した。少しでも相手が油断すればいいと考えて、立ち上がろうとしてふらついてみせた。ハルカがとっさに肩を貸してくれようとしたが、私は大丈夫だと言い聞かせた。
「カヨコと引き換えなら考えても良いわ」アスの形相が険しくなると、飛び出した銃弾がアルの足元の地面にめりこんだ。
「どうやら自分たちの立場をよく分かってないらしいな。さあ、出せ」
「壊すわよ。ディスクが壊れてしまえば、あなたたちの目論見も全部ぱあになるわ。取引材料はなくなるけれど、カヨコは自分たちで取り返して見せる。あなたは目的のディスクを手に入れられないまま、お仲間の元へ返ることになるわよ」
「それはどうかな」アスは至って落ち着いていた。「それならそれで考えがあるさ。今この場で全員撃ち倒して、無理やりディスクを奪うまでだ。十数え終えるまでに差し出せ。何かおかしな動きをしたりすれば、瞬きする間に全員の頭に撃つ」
アスの左手がもう一丁拳銃が収められたホルスターに添えられた。声には自信がみなぎっている。おそらく真実を語っているのだろう。
「一」アスが言った。
十以上、私たちに時間を割く気はないらしい。すでにこちらへ向けられた銃口は新たな第三の目を作れる喜びで、大きく開きっぱなしだった。今、銃はアルの額に向けられている。
「二」
いや乗ってきなさいよ!アルはやはり叫びたくなった。何故どいつもこいつもまともに交渉しようという気にならないんだ。ブラックスターは、何か欲しいものがあれば暴力に訴えかける集団なのか。アルの心の中で、ブラックスターはよくいるいじめ集団の認識になっていた。
「三」
アルはアスの目を見た。藍色の瞳が期待で輝いている。さっさとディスクを差し出すのを待っているというより、少しでも不用意に動いて早撃ちをする口実が出てくるのを待っているようだった。西部劇やマカロニウエスタンを愛する者にありがちな症状だった。
「四」
アルは最小限の動きでムツキとハルカを見た。二人とも挟み込むようにして、アルの方を見ていた。この場の行く末は、アルの一声にかかっているようだった。
「五」
なんと返事をするべきか、アルは迷っていた。素直に渡せば見逃してくれるのだろうか?いや、そんなはずはない。スペクトルの血に飢えた怪物のような性質を思い出すと、その系統である彼女がただで引き下がるとは思えなかった。しかし渡す以外の選択肢もなかった。
「六」
とうとうアルは覚悟を決めた。ここはおとなしく渡そう。それで油断した隙を見て、奪い返すしかない。か細い可能性だが、それに賭けるしかなかった。何としてもここでディスクを失うわけにはいかなかった。
「七」
アスの眉がぴくんと上がった。アルは深く深呼吸すると、ゆっくりと口を開こうとした。
アスとアルの間にいきなり影が現れた。文字通りの影だった。長く伸びた髪から手足の先まで影のように濃い黒だったので、アルは助けを求めるあまり幻覚が見えたのかと思った。だが影はぱっと立ち上がると、アスの拳銃を構えた腕を突き上げて、がら空きの脇腹を一気に押し出した。何歩かよろめいた後、アスは影の正体を見るとひどく驚いたようだった。
「貴様、馬鹿な!電磁パルスで神経回路を麻痺させたはずだ。立ち上がれるはずがない!」
アルとアスの間に飛び込んだ彼女は、便利屋を隠すように立ちはだかると、振り向きもせずに叫んだ。
「早く逃げろ!」
言葉を真っ先に直感で理解したムツキに手を引かれて、アルは走り出した。ハルカもアルの後ろに続く。突然降ってわいたような助けに対して、礼の一言を言えないのが気残りだった。
「死にぞこないが!」アスが拳銃を二丁構えると、一方を影に向けて、もう一方をアルの背中に向けて引き金を引いた。
影の彼女は一気に跳びあがると、アスとアルの導線上に立ちはだかった。ジャブを二発放って、銃弾をはじく。
「ここは任せろ!」
少し振り向いた横顔が見えると、ふわりと舞い上がった黒髪の間から黄金色の目が光った。
「恩に着るわ!」短く、それだけ言うと三人は発電所内を一気に駆け抜ける。激しい銃声が段々と遠くなっていった。
門を抜けると、誰かに倒されたと思われるヘルメット団たちが伸びていた。好都合だ。三人はすでに限界まで酷使した体に鞭打って、夜の街に消えていった。