蒼白な顔をして、アルは人混みをかき分けながら、なんとか施設の外までたどり着くことが出来た。途中ムツキの手が離れて危うく見失いかけたが、草の間を進む蛇のような動きで人混みを抜けて再びアルの手を取ると、いち早く正面入り口から脱出したのだった。人の波は小さな正面入り口で詰まっており、もうしばらくは追手が来ないと分かると、アルとムツキは事前に落ち合えるよう決めた戦闘機の模型が飾られた広場へ向かった。ガラスを通して見えた電光案内板には、”全便運転見合わせ”とあった。その下には流れる文字で、大規模システム障害が起こった事へのお詫びが述べられていた。
ライシスとの通信は、先ほどから途絶えていた。アルの耳に入った無線機は、確実にブラックライシスとブラックレイジの短いやり取りを伝えていたが、最後に短い呻き声が聞こえたきり何の応答もなくなっていた。アルは無事を願う一心だった。あとはディスクの行方も気がかりだった。ブラックライシスはちゃんと破壊してくれただろうか?もしかして追手に奪われてしまったのか?
アルは一度建物を振り返ると、また駆り立てられるように走り出した。ここまで来たんだ、せっかくうまくカヨコを助け出したんだぞ!懐かしい彼女の元まで、あと二百メートル!右手には空港を利用する客たちの色とりどりの車たち、左手には背の高い緑の金網ごしにだだっ広い滑走路と巨大なジェット機、そして運動場のような倉庫。晴天の青空の元で、滑走路からエンジンの静かな唸りが聞こえてくる。整備員の青いつなぎを着た人々が、あくせく動き回っていた。
ここでアルは戦闘機の模型の前に立つ二人の人影に気づいた。一人はいつもの黒のパーカーに短いスカートで、細い尻尾をひらひらさせていた。二人がこちらに気づく。輝くばかりの赤い目、整った顔は日光で白く照らされ、静かな微笑を浮かべている。
二人はそばに走りよると、左手でアルの右手を取って、さらに右手で挟んだ。
「社長」──興奮混じりの透き通った声だった。「社長、ムツキ。大丈夫だった?あいつらは倒したの?」
「カヨコ」アルは目の奥に熱いものを感じた。「カヨコ、良かった。無事で本当に良かった。辛かっただろうし、寂しい思いもさせてしまったわ。でも、本当に良かった」
アルには、それしか言葉が見つからなかった。また四人無事に揃う事ができるとは!ムツキとハルカも合わさって、少しの間だが感動の再開でカヨコはぎゅうぎゅうにされていた。
カヨコはアルの肩を持ってしっかり立たせた。アルは気を取り直して、少しの焦りが混じった声で言った。「皆、ブラックスターを追うわよ。本当はここからすぐに逃げ出す予定だったけど、ディスクが奴らに奪われてしまった。ここで決着をつけないといけないわ」急に質問が浮かぶ。「カヨコ、奴らが何を話していたか覚えてる?捕まっている間に、奴らはこの後の段取りを何か相談とかしてたかしら?」
「ごめん、分からない。少なくとも私の前では、ブラックレイジを寄こす以外の事は何も言ってなかった。基地は用が済めば爆破するって言ってたけど」
全員の表情が最後の言葉で固まると、そこで急に滑走路の方から地響きが伝わってきて、サイレンがけたたましく騒ぎ始める。
空港の影の向こうから灰色の煙が積乱雲のように立ち昇ってくる。灰色のヴェールの向こうで、白いぴかぴかした翼に樽のようなエンジンを抱えたジェット機が一機だけ、滑走路に頭をぐいっと傾けようと動く姿が見えた。青い整備員が何か怒鳴っている。機体の下に見える太い灰色の前輪の行く手を、荷台を五つほど繋げたトラックが横切るように走っている。トラックに随伴している人間が、赤い光る棒を振って巨大な機械の竜に必死に存在を知らせているようだった。ジェット機はエンジンを大きく回転させると、そのままトラックの腹に突っ込んだ。激しい警笛の音。そっと慎重に、ジェット機の前輪はトラックの荷台に触れた。恐ろしいガシャーンという金属音と共に、荷台はウエハースか何かのようにつぶれてしまった。トラックは底を見せて横転してしまっている。そのうちに尾輪が近づいてきて、とどめの一撃と言わんばかりに荷台の上を踏みならして行った。ジェット機は知らんぷりして、まっすぐ滑走路へ向かって進み続けている。
「あれよ!」
アルは叫ぶと、金網にしがみついた。意図をくみ取ったムツキがすぐさま爆弾を金網へ転がす。信管が達する数秒も、アルには惜しかった。やがて目の前の金網が吹き飛ぶと、アルはまだ火の手が止まぬうちに金網を抜けて走り出した。顔をこわばらしたアルは、今まさに飛び立って逃げようとするジェット機を追って、あたまの中には復讐の一念しかなかった。
アルは、全てを見ていたのだった。つなぎ姿の整備員が腰を抜かして悲鳴を上げるところも、何が入ってるかも分からない銅色のコンテナが粉々に踏みつぶされたところも、随伴していた人間が危うく踏みつぶされそうになったところも、無実のトラックがガシャンと横倒しにされたところも……
その場を走りすぎる時、アスファルトに散らばるコンテナの残骸を認めて、アルの心に最後の不気味な光景が焼き付いた。これだけの事故で奇跡的に倒れるだけで済んだトラックは、甲高い警告音を鳴らしている。空港の轟くようなサイレンと合わせて、空に逃げようとしている犯人を誰か捕まえてくれと叫んでいるようだった。
では、目の前で殺人未遂が行われたのだ。もっとも意図があったかは不明だが、少なくとも整備員たちの命などなんとも思ってなさそうだった。今ではアルは、ジェット機に乗っているのがブラックスターだと確信していた。ブラックスターは便利屋68に宣戦布告してきたのだし、アルたちがそれを知っても平気だというのだ。つまり、ブラックリスタは明確な犯罪者だ。これは何よりも海上要塞RAXAにとって間違いない危険を表している。アルにはそれだけで充分だった。滑走路の近くまで出ると、ジェット機の後ろ姿がどんどん大きくなって見えた。左手でスナイパーライフルを構えて、狙いをつける。最後の戦いは始まったのだ。なんとかしてジェット機を止めなければならない。
アルはジェット機の胴体下の巨大なまるまるとしたタイヤを狙って撃ち始めた。距離はわずか百メートルだし、全弾が命中しているのがはっきり分かった。だがなんの効き目もない。ソリッドゴムなのか?ジェット機のエンジンがやかましく鳴り始めた。すぐさま弾を入れ替えて、今度は尻に狙いをつけて撃つ。だがジェット機は知らん顔だった。両脇の巨大な樽に隠されたミキサーのような刃が、不気味な音を立てて回転を速めた。後から追いついた仲間たちが一斉に銃を撃つが、機体にはねかえされてしまっている。恐ろしい唸りが高くなると、とうとう前進し始めた。逃げられる!
ここでアルの耳は、もう一つのエンジン音を捉えた。後ろからV型ツインエンジンを小刻みに震わせながら、黒い鉄の馬が走ってきた。騎手はヘルメットを被ってたが、アルには正体がすぐに分かった。前輪を斜め四十五度に曲げると、横滑りをさせて完全に止まらないうちに騎手が叫んだ。
「アル社長、乗れ!」
アルは一気にバイクに駆け寄った──ブラックライシスが無事だった事と、ここまでバイクを走らせてきてくれた思い付きに感謝したかった。エンジンの轟音が仲間たちの言葉をたちまちかき消すと、後輪が空滑りして煙を飛ばしながら、たちまち動き始めた。ライシスはぐんぐんギアを上げて、自分を追跡モードにセットした。アルが置いてきた仲間の方を振り返ると、ライシスのバイクを追ってヘルメットライダー団の一軍が滑走路に飛び出してきた。ムツキ、カヨコ、ハルカはこちらに背を向けて、迫りくる軍団に銃を構える。すぐさま背後で銃撃戦の音がしたが、アルはそれ以上振り返らなかった。今は目の前の大物に集中するべきだ。
バイクを走らせて、ぐんぐんスピードを上げて滑走路を疾走すると、エンジンが耳をつんざくような苦悶の悲鳴を振り絞る。エンジンの回転数はどんどん上昇して、スピードメーターの針は時速百八十キロを超えて、二百キロに達しようとしていた。
ライシスは妙案を思いつくと、力いっぱい叫んだ。
「アル社長」拳銃の銃声のように鋭く言う。「準備をしろ」
アルはすぐさまライシスの腰から手を離すと、振り落とされないように背もたれの柱を掴んで、膝でしっかりとシートを挟んだ。
「尾輪の近くで速度を合わせる。動きやすいように準備をして、社長はシートの上に立って、尾輪の主脚に追いついたら、向こうに飛び移れ。こっちはぎりぎりまで近づけるから、危ないことはないだろう。社長は柱に掴まって耐えるんだ。尾輪が格納されたら、格納室から機内に入れるはずだ。落ちないように用心しろ。分かったな?それに、うまくやれよ!」
ライシスがハンドルを限界まで絞ると、尾輪は二十メートル先で、バイクは一気に尾輪を追い越した。胴体の下はエンジン音が反響して、頭をくっつけても会話を出来そうにないほどやかましい。バイクのリアが、二つ並んだ巨大なタイヤの間に来ると、主脚の下にもぐりこむくらい、一気に近づいた。
ブラックライシスがハンドルをひねる。「今だ!」バイクの進路をゆるぎなく安定させると、裸足になったアルがシートに立ち上がってリアバンパーに足をかける。髪は巻き込まれないように編み込んで、コートはライシスの腰に巻き付けた。テープで背中にしっかりしばりつけた吸着地雷があらわになる。スナイパーライフルを落ちないように、背中に回して固定した。
一飛びでアルは主脚に飛び移り、主脚にしがみつく。ライシスは限界までバイクを加速させると、タイヤの隙間から飛び出して、右にそれた。ゆっくりと速度を落として、ジェット機の胴体下から離脱した。エンジンのすさまじい熱風で、目が焼けそうだった。
離陸直前のジェット機の速度は、ゆうにバイクの時の二百キロを超えていた。アルはすさまじい風圧を受けて、必死にしがみつきながら目を開けているのがやっとだった。地平線まで伸びた黒い滑走路の真ん中を、白線が弾丸のように過ぎ去っていく。アルは恐怖を軽減するために、本能に従って叫ぶしかなかった。少しでも体が横へずれたら、すぐにたくましいタイヤに巻き込まれて一貫の終わりだ。
やがて全身が持ち上げられる感覚がすると、尾輪は地上と最後の長い接吻を終えて、宙に浮きあがった。急にいくらか静かになると、耳に聞こえてくるのは空気とエンジンの唸りだけになった。黒い滑走路が途切れると、緑に覆われた小山を飛び越える。サッカー場の何倍も広く見えた滑走路は、すぐに普通の道路になると、黒い定規になり、黒いケーブルまで細くなった。仲間たちは米粒よりも小さくなると、とうとう肉眼では見えなくなる。噴火のような煙を上げていた空港は、火が付いた小さなシガレットケースのようになった。
アルはすっかり固まって動けなくなってしまった。尾輪が少しずつ格納されていくと、アルを駆り立てるように機械の唸りが一段と強くなる。潮時だった。アルはうっかり滑り落ちないよう慎重に主脚をよじ登ると、匍匐で入れそうな入り口を見つけた。ほっとすると、力いっぱい手で押したが、固く閉ざされていて開きそうになかった。その場でもぞもぞ動くと、スナイパーライフルの銃口を入り口の蓋に向ける。引き金まで腕を背中に寄せると、反動で動かないようにしがみついたまま乱射した。白い正方形の蓋がでこぼこにへこむと、アルを機内へ招くように開いて、アルは頭からなんとか機内へ侵入できたのだった。蓋の向こうは、薄暗い金属製の小部屋だった。
格納室だ。アルは生命の危機から逃れることができた安心感で胸を撫で下ろした。
腕にはめた時計を見た。十二時四十分。吸着地雷を背中から外すと、一緒に持ってきた信管の中から三十分のものを選んで、地雷に装填した。他の信管は尾輪が収まりきらず蓋が開いたままの底から、機外に捨てた。
金属体に吸い付く地雷を慎重に格納室の死角になる壁に貼り付ける。静かについた。高性能の地雷で、これ一発で巨大な船も沈めることができるという代物だった。かなり前にムツキが奮発して買ったが、使うのがもったいないとの理由でずっと物置でくすぶっていたものだ。カヨコを助け出すために、ムツキが寄こしてくれたのだ。
地雷は三十分を刻み始めた。計算が正しければ、時が来たらこのジェット機の後ろ半分は吹き飛ぶ威力だ。アルは飛行機の目的地が、ブラックリスタの海上要塞と分かっていた。正確な位置は分からないが、要塞として機能させるには、沿岸ではなく離島のような場所が望ましい。地雷は飛行機が海に出てから、要塞に到着する間に爆破させなければならなかった。無用な二次災害は避けたかった。それにアルはディスクを破壊したら、ぐずぐずしないで飛行機から脱出しなければならない。処刑時刻は一時十分ぴったりだ。地雷さえうまくいけば、敵に望みはまったくないのだ。ブラックスターはいずれ倒れることになると知っているだけでも、この状況では救いになった。
髪をおろすと、スナイパーライフルに弾丸を詰め直す。時間は限られていた。準備を整えると、アルは金属部屋の中で唯一布が貼ってある箇所をびりびりに破く。布には”立ち入り禁止”と赤文字で書いてあった。布の向こうはがらんとした空間だった。本来は客から預かった荷物をしまう部屋なのだろう。まっすぐ進むと、間にゴムを挟んだドアがあった。把手をそっと降ろして、手前にドアを少し引いてみた。機内は青いシートが所狭しと並んでいる。真ん中に開いた通路は、一人通るのが限界だった。機内前方に目をやると、人影が二人。その中に、アルがずっと追ってきた人物がいた。
「隠しファイルは?」
「解析ツールを使ってます。やはり……」
パソコンは影に隠れて狙えない。あと少しでもドアを開けば、たちまち見つかってしまうだろう。なんとかここからディスクだけでも壊してやりたかった。
「そこにいるのは分かってるぞ、陸八魔アル」
ブラックリスタの力強い声がした。アルは驚いたが、すぐにドアを蹴り開けて、銃口をリスタに向けた。パソコンの前にはアスが座って、何か操作をしている。リスタは彼女の脇に立っていた。あの熱線を撃つ武器は装着していなかったが、初めて会った時と同じ黒のマントとアクアスーツを身に纏っていた。アルはリスタに狙いをつけたまま、五メートルまで近づいた。
「ちょうどいいタイミングだ。お前に答えて貰うことにしよう」
翡翠色の目が、険しくアルを睨んだ。鉄製の義手は獲物を求めて、開いたり閉じたりしている。白い墓石のような歯をむき出すと、ため息にも似た発音で言った。
「ブラックレイジがデータの存在を確認していた。あの場では確かにデータは入っていた。だが、今このディスクには何の情報も入ってない。空だ……アル、データはどこへやった?」