スナイパーライフルの狙いを逸らさぬまま、アルは半開きの口から「は?」と短く聞き返した。狭い機内は、少しの間エンジンの唸りが聞こえるだけになる。アルはこちらを狙うライオンのような目つきの敵の本心を探ろうとした。明るい機内では、動かない両目が宝石を埋め込んだようにみえる。ブラックリスタは、私の動揺を誘おうとしているのか?考えられなかった。オークション会場でディスクを手に入れてから、空港でブラックレイジに渡す間に何の細工をしていないことは、自分たちが一番よく分かっている。彼女はこんな分かりやすい
ブラックリスタはこちらが巧妙な手口でデータを隠したか消去したと思っているのだろう。データがなければ、奴の計画もここまでだった。そうなるとブラックスターの次の手は?
「答えられないか?」
リスタは静かな声で聞いてきた。自分はやってないと言って、果たして信じてくれるだろうか?そんな言い訳は通じないだろう。いざとなったら、この身と武器だけで高度一万メートルの世界から脱出できるだろうか?アルは頷くしかできなかった。
「そうか。ところで機内にそんなものを持ち込んでどうしようというんだ?少しでも手がぶれて、機体に穴が開いたらどうなるか分からないか?」言いながら、彼女はこちらのスナイパーライフルを指さした。
この距離で弾を外すことは考えられない事だった。だがリスタは目を離さずに訴えかけてくる。
「引き金を引く瞬間に、乱気流で足元が揺れたら?それがないという保証はどこにある?人生は何が起こるか分からないぞ。一寸先は闇、という諺があるくらいだからな。次に何が起こるのかは予知能力でもない限り当てる事は難しい事だし、私にすら分からない。意外なことで計画が狂ったり、予期せぬ結末に至ったことは、お前にはないのか?本当に?」
アルにとって計画外なんていつもの事だったが、今回はいつもの事で済まない気がした。行きつけのラーメン店の意図せぬ爆破事故、依頼人が黒幕だったことによる報酬未払いなど挙げればきりがない。
アルの脳に苦い記憶が横切った瞬間を、リスタは逃さなかった。
姿勢を低くして一気に距離をつめると、右手の義手でスナイパーライフルを掴み、左手の手刀をアルの顎にそえて斜め後ろに押し出した。突然の奇襲で且つ心理的防御が働いた事により、アルは引き金を引けずに銃から手を放してしまった。背中から床へ倒されて起き上がろうとする数秒の間に、リスタは奪ったスナイパーライフルから弾倉を外すと中の銃弾まで抜き出した。役立たずになった長物を遠くへ投げ捨てると、リスタは憐れむような目つきでアルを見下していた。
飛び掛かってやろうとアルが座席のひじ掛けを掴んで立とうとすると、すぐさま脇腹に鋭い蹴りが飛んだ。あばらと骨盤のちょうど真ん中に靴の固い爪先がめり込むと、アルは空気を吐き出して膝からくずおれる。脇腹が弛緩するまで、口が開いたまま何か話すこともできなくなり、ただ呻くしかなかった。
このどうしようもない状況になって、嫌な寒気を伴う危機感が体中を走った。探るようにひじ掛けに手を伸ばすと、今度は手首が鉄の鉤に掴まれる。いつの間にかリスタに上を取られると、空いた左の拳で続けて激しく殴られた。後で取れるか不安なくらい耳にいれた通信用のイヤホンが床に抜け落ちる。鉄拳という言葉通り、彼女は本当に皮膚の内側に鉄でも仕込んでいるんじゃないか、とアルは一瞬だけ思った。痛みを歯を食いしばって耐えて見上げると、あれだけ強く殴ったリスタの拳はまったく赤くなってなかった。
リスタは無理やりアルの耳にイヤホンを押し込むと、胸倉を握って無理やりアルを立たせる。
「お前の断末魔を仲間に聞かせてやる」
それだけ言うと、座席がぎゅうぎゅうに詰まっている場所に向かって、信じられない力でアルの体を放り投げた。危うく天井にぶつかりそうになると、アルの体は座席の頭上から落下した。背もたれのてっぺんに後頭部、腰の上、腿をほぼ同時に打ち付けられると、中心の座席の開いた空間へ転げ落ちる。再び体の三、四か所を同時に痛めると、最後に狭い足元へ力なく一回転して倒れた。体中が激しく痛んで、呼吸もままならなかった。
リスタが座席の間から近づいてくる。立ち上がらなければいけないと本能は警鐘を鳴らしたが、すでに体に力が入らなくなっていた。
喉元にシャツが食い込むと、そのまま上体が持ち上げられる。リスタは首の後ろの襟を掴んで、アルを無理やり座席の足元から引き上げた。
「殺すのか?」パソコンの前から体だけ向けて、アスは尋ねた。
「当たり前だ。だがその前にディスクの情報を吐かせる。口をつぐんで拒否するなら、口を開いて許してくれと懇願するまで痛めつけてやる。私に大変な手間をかけさせた罰だ。それにオークション会場では、あのユニバーサルの性悪幹部とどうやって知り合ったのか、ブラックライシスをどうやって懐柔したのか──そんなようなことも、泥を吐かしてやる」血に飢えたような響き。アルがあえぐような息をしながら目を開くと、顔面に狂気的な笑みを浮かべているリスタの顔が見えた。白い歯をむき出しにして笑うと、異様に発達した犬歯が覗いた。「それに、久しく鳴りを潜めていた狂気が抑えられそうにない。アス、私がこいつを殺しそうになったら止めてくれ」
アスは短い返事をすると、すぐにパソコンに向き直った。アルは僅かな時間でもリスタの手が止まった時間がオアシスのようにありがたく思えた。同時に、この後の世にも恐ろしい結末を想像すると、体の奥からぞっとした。
目の前によく見えるように義手が出てくると、鋼鉄の鈎が閉じて拳のようなものを作る。アルが無言のメッセージ──歯を食いしばれ──を理解すると、義手が視界の下に消えた。突然腹に大砲でも打ち込まれたようにして、体中の空気が吐き出されると真空になった体は自動的に前傾になる。すかさず顎を突き上げる追撃。舌をかみ切りそうになった。
よろめいて後ろにもたれると、今度は義手の拳が顔面に飛んだ。皮膚の感覚が残っていた左手拳と比べて、鋼鉄の拳は重い鈍器で殴られたように感じた。持続する鋭い痛みが額からとれないうちに、サンドバッグでも殴るように次々と拳が飛んできた。震える腕を上げて必死に頭部を守ろうとしたが、間を縫うように拳が襲って来たと思うと、逆に腕を狙った一撃が来る。腕を上げているだけでも、火がついたように痛んだ。
打たれるたびに出ていた苦悶の声が弱々しくなると、リスタはようやく手を止めた。その場から指一本動かないで、アルの肩の動きや体の震えを仔細に眺める。しゃくりあげるような短く浅い呼吸が続いた。やがて呼吸が今までより少し深くなった瞬間、鉄の右手が電光のように腹に飛び込むとアルの体が苦痛と衝撃で折れ曲がった。震えながらも立っていた体がついに折れて、床に両手をついてうずくまる。むせるような息をして、床を舐めるように顔が近づくと、垂れる唾に赤いものが混じっているのが見えた。正体を感じ取ると、すぐに額に生暖かいものが滴るのも分かった。
すぐ目の前にリスタの磨かれた黒い靴があった。アルはもう大した思考をする余裕もなかった。リスタの足元に手を伸ばし、寄りかかってうずくまるような格好で立ち上がろうとした。なりふり構う余裕はとっくになかった。足を掴んでいた手は、探るようにして手首に移る。
「違う考えになったか?」リスタは調子を抑えて尋ねた。ろうあ者が何か必死に訴えてるように見えたのだろう。
アルは命乞いをする気はなかった。先程まで何か言ってた無線機から、別の飛行機で追いかけていると連絡があった。アルが口を開かない限りは──もっともディスクの秘密なんてこれっぽちも話せないが──こちらへ向かっている仲間もいるし、設置した地雷もある。
首を横に振ると、義手が手から離れて肩甲骨の間に激しく振り下ろされた。がくんと頭が上を向くと、また床へへばりついてしまう。もう自分で立ち上がれる気がしなかった。早く気を失ってしまいたかった。傷ついた獣のように、頭をがっくりとうなだれると、口の中で血の味がした。
「立つんだ、意気地なしめ」リスタが襟の後ろを掴んで持ち上げると、アルはぼろぼろの人形のように手足を投げ出したままだった。ぼんやりと目を開けてはいるが、アルの視界には赤いもやがかかっていた。リスタの呼びかけが頭に嫌な響き方をする。後で分かったことだが、アルは半分気を失っている状態だった。リスタは肩をすくめると、死にかけの魚のように動かなくなったアルの襟元を掴み、アスの元へ引きずっていった。
無線機越しに一部始終を聞いていた小型飛行機内は静まり返っていた。機内前方は、地平線から青い海が徐々に迫ってくる。もうすぐ大海原へ脱出しようというところで、機は前を飛ぶ巨大な尾翼を捉えていた。ブラックライシスの操縦桿を握る力が強くなる。マイクへ必死に呼びかけていたムツキは、俯いたまま黙ってマイクを睨んでいる。カヨコもハルカも考えている事は同じだろう。
ムツキは顔を上げると、無理ににやりとして見せた。「ライちゃん、私から話があるんだけど大丈夫?」ライシスが黙ってうなずくと、ムツキはもったいぶった口調で話しだした。「なんだか私も、あいつらが憎く思えてきたんだよね。あの小さいのが気に入らない。アルちゃんを虐めるように叩いた。それに空港で無理やり従わせた仲間を大勢見捨ててる。ライちゃんのアジトを使ったやり方も、卑劣極まりない。なんだか──とにかく憎いんだ」膝に置いた機関銃に手を添えると、申し訳なさそうに言った。
「一応だけど、伝えておいた方が良いと思ってね」
「よし、分かった」ライシスは言った。「それならこっちもやれるだけやってみよう。ジェット機に近づけるから、窓から爆弾でもなんでもお見舞いしてやると良い。ただし、あっちでアル社長が戦っている事と、吸着地雷が設置されている事を忘れないでくれよ」そう言うと、飛行機が少し上を向いた。日光を遮るものは何もなく、一行は目を細めた。
ガラス窓に移った薄い影を見て、真っ先に後ろを振り返ったのはカヨコだった。
「ライシス、気を付けて!ミサイルが!」
警告を聞いてすぐさま操縦桿を傾けると、遅れて機体が一気に右へ傾いて墜落にも似た飛行を始めた。煙を噴射しながら飛ぶ細長いミサイルは、こちらを追うように頭を下へ向ける。
ムツキは急いでベルトを外すと、機関銃を後ろの窓ガラスに向けて乱射した。ばりばりと音を立ててガラスが外へ飛び散ると、引き金にかけた指の力を抜かずに、こちらを撃墜しようと特攻してくるミサイルに照準を合わせる。
ぐわーん!ミサイルが恐ろしい爆発を起こすと、構成していた小さな部品が黒煙の尾を引きながら、遥か下の海へ落下していった。
機体は姿勢を立て直して、ジェット機を追う。後部座席に収まっていたムツキとハルカは、銃を構えたまま後ろを見ていた。機内は窓が破れたことで一気に気温が下がり、体が勝手に凍えて震えた。
爆発の後を睨んでいると、黒煙から鋭い灰色の鼻が出てきた。直後に、左右に半円ずつ胴体からはみ出るようなエンジン機構。刃物のような翼が煙を切り裂くと、灰色の素早そうな機体が飛び出した。翼の下に無数の穴が開いた大きな筒と、むき出しの長いミサイル、ひれのないホホジロザメのようなパイロンを搭載している。
二人はすぐに思い出した。あの真っ暗だった夜に突然現れた、我らを狙う黒い影。ヘルメットライダー団のアジトを、瓦礫の山にした死の翼。
戦闘機はぐんぐん距離を詰めてくる。機関銃で機体を狙うが銃弾は通らず、機のすぐ左をかすめ飛ぶ。一瞬見えたコックピットの中には、誰も乗っていなかった。では、あれは無人戦闘機だ。空を切る轟音が過ぎると、ライシスとカヨコにも追い抜いて旋回する姿がはっきり見えた。
「まずい、フライングライドロンだ!」機体を見たライシスが叫ぶ。戦闘機は大きく左に弧を描きながら旋回し終えると、再び機の遠く後方から迫ってくる。
ライシスが操縦桿を引くと、機は角度をつけて上昇していく。ムツキとハルカは後ろから落ちないよう、席に張り付いていた。
「皆、いいか良く聞いてくれ!この機は武装がないから、あいつと突き合わされたら勝負にならない。爆弾はあるか?……ようし、一か八かだがそれであいつを落としてくれ。私は蜂の巣にされないよう全力を尽くす。頼んだぞ!」
常識外れの無茶な要求を飛ばすと、ライシスは操縦桿を強く握りしめた。ムツキは背もたれを銃座代わりにして狙いを安定させる。ハルカはボストンバッグから手榴弾を取り出した。
「来るよ!」
ムツキが機関銃を構えて叫ぶ。真後ろに戦闘機が来ると、すぐに翼から新たなミサイルが打ち出された。