砂漠の嫌な熱気が全身を包んでいた。どうしてラーメンを食べに来ただけなのに、こんなことに巻き込まれるんだ?この場を引き受けた以上やるしかないが、ところでアビドスの子たちはどこへ向かったんだろう?アルが振り返ると、アビドス高校の生徒たちに囲まれた人物が目に映った。砂漠の砂嵐は流れが強いが、頭一つ抜けた身長で、私たちのような生徒にも平等に接してくれる、頼れる大人の姿が見えた。嵐が強くなり、砂のカーテンで視界が遮られる。追いかけようとして、重い砂に足を取られた。周りが何も見えなくなる。あの大人を私は知っている。あの人は……
「起きるんだ、陸八魔アル」顔面にコップ一杯の水がかけられると、アルはようやく目を少し開いた。半開きの口から、野獣の呻きを思わせる声が洩れる。ブラックリスタは左手に持ったコップを、アルの前に出た簡易テーブルに置いた。右手には、あのビームウェポンを装備している。
アルは少しずつ意識を覚醒させながら、自分の体の状態を確認した。狭い座席に収まるように座らせられていて、手足は縄できつく縛られていた。愛銃は一つ席を開けたところへ、立てかけてあった。少しだけ手足をもぞもぞ動かす。どこも折れてはなかった。段々と視界が鮮明になってくる。目も問題なかった。ただ全身のいたるところから、ずきずき、がんがんと止まらない痛みを感じる。口の中は、頬の内が切れているのが分かった。頬や額の傷は、水がしみてひりひりする。
リスタはまだ意識がはっきりしない様子のアルを見て、ため息をつくと左手に持った長棒を右肩に叩きつけた。肩に触れた一瞬の間に、静電気が発生した時のような音がすると、アルは悲鳴にも似た声をあげて身をよじらせた。うなだれてしまうが、痛みでかえって意識がはっきりした。しっかり目を見開くと、すぐに状況を理解してリスタの顔を睨んだ。
リスタは私を深い意識の底へ逃がす気はないようだった。電流が走る。今度の電流は、アルの脳から神経を流れるものだった。今は何分だ?アルは気が朦朧としている間に、時間の感覚がなくなっていた事に気が付いてぞっとした。腕を見る。時計はついていたが、基盤が腕の下に隠れて見えなかった。リスタは椅子に縛り上げて、すぐに目を覚ましてくれただろうか?ここで責め苦を受けている間に、地雷が爆発してしまわないか?おろおろするふりをしながら、周りに目をやって時間が分かるものがないか探した。ふと自分が吐いた血が床についているのを見つける。血はまだ固まってない。これしか経過時間が分かるものはなかった。
「お前に良いニュースがある」リスタは興味なさげに言った。「このジェット機を追ってくる小型飛行機が見えた。お仲間は揃ってお前を助けに向かっている」
リスタはアルの耳にあったイヤホンを、簡易テーブルの上に置いた。イヤホンはラジオほどの音量に調整されて、仲間の声や銃声を拾って伝えている。かなり雑音が入って聞き取りにくいが、ところどころで聞き覚えのある声がした。何か叫んでいるムツキ。同じく大声で話すハルカ。何か指示を飛ばしているらしいカヨコ。指示に応じる返事をするライシス。あとはとめどない銃声と、激しい風の音。何かと戦っているようだった。
「撃墜に戦闘機を向かわせたが、予想よりも抵抗している。やはり、しぶとさだけは一級品だな」
リスタは話しながら、片足を落ち着きなく動かし続けている。相当いらいらしているように見えた。
「そこでお前にもう一度ディスクの事を聞こうと思う。さっきの一撃で状況は分かっていると思うが、お前はもう助からない。このジェット機が巨大な棺桶になるんだよ。海上要塞も近づいてきているから、そろそろ話して貰いたいな。そうすれば、あとは薬を飲むだけだ。ふかふかのベッドでぐっすり眠りに落ちるようにして、この苦痛から逃れられる。拒むなら、お前の地獄への道を出来る限り苦しいものにしてやるつもりだ」
リスタは左手で杖をひらめかせた。話を聞く間に、体に意志の力がまだ残っていることを確認する。返事は決まっていた。
「いやよ。あなたに話すことなんて何もない」
返事を聞くと、リスタは待っていたと言わんばかりにあくどい笑みを浮かべる。目の前の敵をいじめたおす口実が欲しいようだった。わざとらしく感心するような声を出すと、極刑を言い渡す裁判官のような口調になった。
「お前の断末魔を仲間に聞かせると言ったな。だが、やはり仲間の断末魔をお前に聞かせる事にしよう。お前はその後にゆっくり楽しませてもらおうか」
アルははっとした。ちくしょう!そんなことか!私を助けようと向かっている仲間を人質に取るのか。
リスタはにやりとしながら、こちらの反応を楽しみにしていたようだった。ゆっくりと機体後方のドアを指差した。
「このジェット機は上部ハッチから外へ出られるようになっている。これから外へ出て、熱光線でお前の仲間を全員海底に沈めてやる。言っておくが本気だぞ。海上要塞まで追ってこられては面倒だからな」
嬉々として話すリスタを見て、アルは知恵を振り絞った。目の前の悪魔を説得できる見込みは限りなく薄いが、少しでも仲間から狙いを逸したかった。リスタはさっさと機体後方へ歩き出していた。
「待って」アルはとっさに顔を上げて呼び止める。返事はなく、遠ざかる靴の音だけが聞こえた。
「待ちなさい。分かった、分かったわ。降参するから、一旦止まって話しましょう。こっちの知ってる事は少ないけど全部話すから」
「なら答えて貰おうか。ディスクのデータはどこへやった?」
「……正直に言うと、それは分からないわ。でも本当よ。信じてほしい」
「随分軽く見られたもんだな」すぐに靴の音。
「待ちなさい!……ほ、本当なの。本当に何も知らないのよ。罰なら私が受ける。どんな扱いでも受けるから、だから仲間には手を出さないで」
少しの沈黙を挟んで、リスタはため息をついた。
「そ、そうよ!ブラックレイジがデータの確認をしたなら、彼女に聞けば良いじゃない!そうすればディスクのデータがなくとも」
「通信妨害と基地の爆破で、部下の洗脳は解けている。解除されたら、同時に電磁パルスで記憶を破壊する仕組みだ。変な噂を流されては困るからな。あいつの頭も、もう空っぽになってるだろうよ」
アルは考えた。まだ打開策があるはずだと、信じて疑わなかった。
「それに勘違いしないで貰いたいな。欲しいのはディスクの中身だ。私が罰を受ける?お前を叩いて情報は出てくるのか?来ないだろうな。なら私は、せいぜいどこかへ告げ口をされる前に、お前たち全員の口を封じなければならない」
「仲間に秘密は守らせるわ。私が言えば皆も口外しないはずよ。だから皆に手を出さないで」
返事はなかった。
「もしくは協力するわ。私達全員であなたに力を貸す。お金はいらないから」
「危険因子であるお前たちを仲間にしろと?お断りだな」
アルは歯を食いしばると、押し黙ってしまった。もう頭には、何の説得の言葉も出てこなかった。何か戯れ言が浮かんでは、すぐに自分で反論を想像して、そっと心の底へ仕舞うサイクルを繰り返した。
「哀れなものだな。お前たちはうっかり世界の闇の一部に触れてしまったんだ。そしてそれが苦痛に満ちた体験である事を身をもって学んだ。お前は本物の悪党を相手取る能力も準備もない愚かな子どもだ。分かったら、そこで仲間の最後を聞き届けてやるんだな」
足音が遠くなると、ドアを開く音がした。アルは消え入りそうな声で何とか言って引き留めようとしたが、ばたんとドアの閉まる無情な音がして、機内はエンジンの静かな唸りだけになった。
アルはとうとう目の奥の熱いものがこらえきれなくなった。不甲斐なさに打ちのめされて顔が下がる。「ごめんなさい」とくぐもった声でつぶやく。一度抑えが効かなくなると、ぼろぼろと涙が流れ出す。「私のせいで、本当にごめんなさい」しゃくりあげると、足に涙が零れ落ちた。頭を支配したのは、仲間の心配以上にどうしようもない無力感と後悔だった。事務所でのやり取りが脳裏をよぎると、アルは過去の自分を呪った。
これこそ憂慮していた事態そのままじゃないか。ムツキは廃ビルから命からがら助かった時点で先生を頼ろうとしていたのに、私ときたら先生に負担をかけることになるなんて言って、何故頼れなかったんだ?その挙句自分を信じてくれた仲間まで巻き込んで、避けようのない地獄に腰まで浸ってから気づくとは。
自分たちが投げ込まれた窮地を思うにつけ、アルのはらわたは煮えくり返った。
アルは目の前に置かれたイヤホンの複雑な音を聞いて、なんとか仲間を逃がそうとあれこれ言ったが、それだけで体力が底をついて、言葉はすすり泣きに飲み込まれた。絶望と自己憐憫の涙がこみあげて両目からあふれた。
背後で人の動く気配がすると、女性の声が話しかけ、アルにもその言葉がだんだん理解できてきた。相手はこちらを気遣うような事を言っている。誰だ?後ろからハンカチを持った手が伸びると、優しく目元からこぼれる涙を拭かれる。
視界の左端から人が通り過ぎると、全身が見える位置でアルに向き直った。
後ろで一括りにされた金色の髪に、眼帯を右目につけた顔の女が現れた。鋭い目が座席に縛り付けられた彼女の全身を眺めまわす。
やがて落ち着いた抑揚のない声で言った。「ありがとう便利屋68。おかげでディスクは二枚とも我々の元へ返ってきた」