便利屋68:2 死神はどこで眠る   作:まーろう

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25 透き通る青空へ

「アル。ここまでディスクを運んでくれただけでなく、拷問まで肩代わりしてくれて本当に恩に着る。おかげで私は汗一つかかずにディスクにありつくことができた」

 

 面白くもなさそうな冷ややかな声だった。彼女はイヤホンの音量をいくらか下げると、自分が座っていた簡易的な椅子をアルの目の前まで引いて腰かけた。軍人かぶれの顔が、ちょっと前かがみになっている。深海のような紺碧の目が、冷然とこちらを向いている。小さくため息をつくと、どこから話そうか迷った末に切り出した。

 

「オアがブラックリスタに手紙を送っていたのは、まったく予想外だった。しかも手紙からブラックスターはDAの情報まで掴んでしまっていた。おまけにCLGのディスクはネオ・チャレンジャー基地崩壊の混乱に乗じて、ヘルメットライダー団のくだらない下っ端が持ち出してしまっていた。つまりDAは危うく全世界に拡散しかけていたんだ。まさに終末直前だった。我々の努力も水の泡と化してしまうところだった」

 

「……何ですって?」

 

「DAの拡散を防ぐには、秘密を知ったブラックスターを始末するしかなかった。無論ディスクを持ち出したヘルメットライダー団もな。私はスペクトルの残党としてブラックスターに拾われ、ブラックリスタをけしかけてヘルメットライダー団を壊滅させようとした。後はブラックスターだけだ。しかし、いくら私でもブラックスターの相手は骨が折れる。そこで便利屋68、お前たちに賭けてみることにした。兵器運用会社ユニバーサルにお前たちの売り込みをしたのも、ディスクの片割れを入手させて分断するためだった」

 

「一体、何を言ってるの」アスは黙殺した。

 

「発電所でブラックライシスを開放したのも、計画の一部だ。ブラックスターの兵力を削いで、お前たちと戦力の均衡がとれるように仕向けたんだ。ブラックスターは我々の思惑通り、交渉に乗り出してくれた。空港ではどちらが勝とうが構わなかったんだよ。空港のシステムをハッキングして、大規模な通信妨害と停電を同時に仕掛けた。結果的には、ブラックリスタがディスクを回収してきてくれたな。後は」アスは立ち上がると、パソコンを置いていた机の裏からトランプケースほどのハードドライブを取り外した。「こいつにディスクの中身をすべて移すだけで事は足りた。ブラックリスタはお前たちが変ないたずらをしたと思い込んでくれた」

 

「すべて、最初から仕組まれてたの?私たちとブラックスターを争わせるために!」

 

「そうだ。だが全て我々が仕組んだと思われては困るな。既にお前たちは、()()によって仕組まれた戦いに巻き込まれているんだよ、あの雪山からな。もしやここまでブラックスターに食らいつけたのは、自分たちの才能だと思っていたのか?」

 

 アルは泣き腫らした目で、アスをまくし立てた。ここまでの一連の悪夢が、こいつによってもたらされたのだ。ゲッコウの名を騙った連絡が来たあの時から、全員がアスの手中で踊っていただけだった。

 

「アス。あなたは、何者なの?」

 

「とにかくこれでディスクのデータは両方回収できた。あとはジェット機が落とされる前に退散させて貰うだけだな。そろそろお前が飛行機に仕掛けた時限爆弾が炸裂する頃だ」

 

「どうしてそれを」

 

「ブラックリスタは地雷の事を知らない。私だけだ。しかしお前はここまで随分頑張ってくれたから、少しだけ手心を加えてやる」

 

 アスは奥から銀のナイフを一本取ってくると、アルの簡易テーブルの前に置いた。最後にアルの頭をぐいと上げると、息がかかるくらい顔を近づけて言った。

 

「便利屋68。もしまた会う事があっても、私は別に驚かないね」

 

 掴んだ手を離すと、さっさと後方へ行って、ガシャンとドアがしまった。

 

 

 

 アスが出て行ってから数秒の間、アルは目の前に置かれたナイフを食い入るように見つめていた。頭を一振りすると、すぐに仕事にかかる。ぐずぐずしている暇はなかった。

 

 アルはテーブルの方に頷くようにして、縛られた体をゆすぶってナイフへ近づける。

 

 数秒後に、アルは何センチメートルかテーブルに近づくと、肩甲骨を寄せて胸を張り、出来る限り顔をテーブルに慎重につけた。唇にナイフの柄が触れるとくわえて、ガチッという音を立てて歯でくわえ直す。舌で触れた部分は冷たかった。

 

 中身の詰まったずっしりしたナイフで顎が割れるのではないかと思ったし、歯の神経がやめてくれと悲鳴を上げていたが、彼女は少しずつ首筋に力を込めて九十度に曲げて、ナイフの波打つ刃が腕を縛っている縄に届くようにした。

 

 慎重に首を動かして少しずつ縄を切っていくが、がっしりくわえた歯の間からナイフが滑ると慌てて口に力をいれる。顎の筋肉がミシミシと音を立てて、ここまでの疲労も加わって息遣いも荒くなっていた。

 

 しかしそれも終わった。切込みの入った縄は一本一本外れていき、急にアルの右腕が自由になる。アルはその手で口元からナイフを奪い取ると、頭をがっくりと仰向けにして、血の巡りを良くしようとした。

 

 その間にも、左手が自由になると、両足も自由になった。すぐに時間を確認する。一時八分だった。

 

 アルは自分の愛銃を手に取ると、イヤホンを強く耳に押し込んだ。そうだ、おそらくこれしか脱出の術はない。アルはまっすぐ進むと、操縦室から機内のあらゆるところを見回したが、探している物は見つからなかった。アルは体の中で時を刻んでいた。

 

 あと九十秒だ。

 

 これ以上探している時間はなかった。急いで機内通路を突っ切ると、後方のドアから荷物格納室へ移ると、自分が破った布をくぐって尾輪格納室へ。地雷はまだそのままだった。ところが巨大なタイヤはすでに部屋に収まっていて、蓋は固く閉じられている。

 

「ああ、もう!」

 

 アルは短い悪態をつくと、荷物室へ飛び込んだ。天井の辺りを探ると、壁に手足を引っかけるくぼみがあり、その上に丸いハンドルのついたハッチがあった。

 

 痛む腕に鞭打ってひねると、ハッチは上に開いた。すぐさま狭いトンネルに入ると、頭上に二重のハッチ。隙間からは遠く空気の音。この蓋が外と接しているに違いない。

 

 足元のハッチを閉じると、すぐに上のハンドルを回し始める。

 

 五秒、十秒、十五秒、二十秒。

 

 地雷の爆発まで、あと三十秒しかない。

 

 ハッチが少し浮いた。最後の力を振り絞って、鉄のハッチを押し上げる。すぐに冷たい空気が吹き込んで、やかましくなった。仲間はどうなった?リスタはどうした?アスはどこへ行ったんだ?アルは身を乗り出す間に熱心な祈りをささげた。神様、どうか皆を助けて。

 

 急に無線機が振動したのに気が付いた。

 

「聞こえる、アルちゃん。今どこにいるの!」ムツキが慌てて叫ぶ。と、すぐに大きな雑音が耳に流れた。

 

「もう時間がないから飛び降りるわ、皆!頼むから捕まえてちょうだい!」

 

 今ではアルは、すさまじい嵐と轟音の舞台へ出ていた。眼前には澄んだ青空。そして尾翼の辺りに、マントをはためかせる黒い影。

 

 影が振り返ると、翡翠色の目がこちらを捉えた。

 

 一度、ちょっと止まった。アルは眼下に広がる大海原に向かって、機の上を飛ぶように突き進んでいく。

 

 あと二十、十五、十。

 

 畜生!アルは肚の中で怒鳴った。とうとう来た。濃青が見えてくると、あらゆる不安がどっと押し寄せる。衝撃に備え、激しい恐怖で判断力を失わないように、全身の筋肉をこわばらせて、最後に仲間の姿を探した。

 

 眼下左下を飛ぶ、白い機影が見えると、アルの足はジェット機の体を蹴った。今度は身を縛るものがまったくなくなると、海がぐるりと頭上に回って、ジェット機の腹が目に入る。手足をなんとか動かしても、空気が指の間を通るだけで、雲をつかもうとしているみたいだった。スノーボウルの中に入れられたように、自分を中心に天地がぐるぐると入れ替わる。アルはやっとの思いで息をした。死んでたまるか!本の知識を思い出して。四肢を伸ばして滑空の体勢をつくれ!

 

 うつ伏せの姿勢になると、世界が安定する。背後がピカッと光ると、すぐに耳がつぶれそうな恐ろしい爆発音が轟いた。アルの体は熱風の強烈な一撃で、青銅色の大海原へ押し出される。振り返ることはなかった。

 

 青い絨毯の上を白い翼が近づいてきて、アルはそれが仲間の飛行機だとすぐに気づいた。プロペラのバラバラという音が聞こえてくる。畜生、こうなってはあの翼にしがみつくしかないぞ!出来るだろうか──いや、やらなければならなかった。これがアルに残された唯一の望みだった!アルは両脇を閉じて、頭を足より下にするとスピードを増した。窓からカヨコが身を乗り出して、こちらに大きく手を振っている。飛行機はアルの真下に来るように動いていた。アルはのしかかるように近づいていた。すぐ下、百メートルに迫っている飛行機が、急降下を始めた。カヨコが何か叫ぶ。機体はほぼ垂直になって、海へまっすぐ突っ込んでいく。距離がぐんぐん迫るスピードが、少しゆるやかになった。分厚い翼の上を通り過ぎる直前、機内でカヨコの足を抑えるムツキとハルカがちらっと見えた。今だ!アルは翼の縁に触れると、右手をカヨコに思い切り伸ばして掴んでもらう。耳にすごいプロペラの音。

 

「社長!」手がすごい力で引っ張られると、機体がアルとカヨコをすくい上げるように右に大きく傾いた。激しく体が機体側面にぶつかると、どうしようもない力で押し付けられる。やがて、腕が機内に入ると、アルは頭から機内へ神輿のように担ぎ込まれる。担ぎ込まれながら、アルは機内の至る所から、名を呼ぶ声を聞いた。

 

 まだ極度の興奮状態のままのアルがムツキとハルカの間に収まると同時に、鉄片や火のついた座席の一部やガラスの破片が、気味の悪い雨になって機体や周囲に降ってきた。アルは酔ったようにして、周りを囲む仲間にジェット機の様子を確認した。頭を出して上を見たカヨコは「すぐに分かる」とだけ言った。すぐに巨大な何かが近づいてくる音が響いてくると、頭上を通り過ぎた。左の割れた窓から、高性能爆薬の臭いと燃える燃料の臭いがして、潮の香りを一気に上書きする。大型のジェット機は後ろ半分がすっかり吹き飛ばされて、黒々とした煙と火炎の尾を引いている。半分ほどにへし折れてしまい、左右二枚の翼だけで、へろへろと滑空していた。その軌道の先には、海から顔を出す六角形がつながったような建造物が見えた。ブラックリスタの姿は、今はもう影も形もなかった。しかし鉄片の雨に混じって降ってきた、黒い布の切れ端が飛行機の翼に引っかかってもいた。

 

 アルは腫れあがった目で、海上要塞に向けてだんだん堕ちていく廃物を見つめていた。

 

 やがてムツキが胴にしがみついて、アルは我に返った。

 

 目の前で叫び声がした。アルは顔を上げた。

 

 カヨコだった。彼女の赤く光る瞳が、白い横顔の上に見えた。操縦桿を握るライシスも、この時ばかりはこちらに横目で笑いかけた。右隣からハルカも、色々と叫びながらアルにしがみついていた。

 

 気持ちの良い潮風が機内に吹き始めて、太陽は青い水面に光を投げかけている。

 

 アルの桃色の目に、これまでと違う安堵の涙が浮かび、やつれた頬を伝い落ちた。

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