便利屋68:2 死神はどこで眠る   作:まーろう

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4 黒星

 階段を慎重に登る間、誰も口を聞かなかった。空間に満ちている静寂を唯一誤魔化してくれるのは、全員の足音だけだった。先頭を征くハルカは臨戦態勢を全く崩さなかった。アルはハルカの小さくも頼もしい背中を見ると、出会って間もない頃の彼女を思い出した。小動物のように何かに常に怯えていた彼女も、今では先の分からない階段を誰よりも前に立って進んでいる。アルは娘の成長に感動する母親のような心境になっていた。

 

 便利屋一行は何に遭遇することもなく、階段を登った終点にたどり着いた。終点には便利屋全員を見下すように扉が鎮座していた。道幅と天井は一枚扉の枠ほどに縮んでおり、すれ違いには苦労しそうなくらい狭かった。

 

 ハルカが扉の取っ手をゆっくりと捻りながら押し込むと、隙間から風が勢いよく飛び込んできて、思わずアルは目を瞑った。肌を掠める冷たい風が表面から体温を奪い去っていった。ハルカによって開かれたままの扉は、風が奇妙な音を立てている。この先に待ち受ける危険を知らせる警笛のように異様に甲高い音だった。

 

 今ハルカは外の様子を確認すると、丁番が外れそうな勢いで扉を開けて外へ躍り出た。風が耳元で音を立てて、薄く滲んだような夜空が見えた。

 

 慎重に扉を出た先は開けた屋上だった。動きを遮るものがなくなり、夜の嵐が所構わず飛び回っている。建物の角に当たる部分には、小さなカラーコーンのような警告灯が置かれて微妙な赤い光を放っている。辺りを見回すと、東の方にジオラマのようなキヴォトス中心街の夜景が見えた。

 

 最後尾にいたカヨコが屋上へ出てくると、下を向いていた拳銃がぱっと上がって正面を睨んだ。鋭い目を細めて、闇に紛れている人物の姿を捉える。

 

 後に続く形で銃を構えたアルは、ここで初めて目の前の人物に気がついた。気の強さを表すように仁王立ちをしている彼女は、組んでいた両腕をゆっくりと降ろす。手から肘までをすっぽり覆うように右腕に取り付けられた鉄の筒のような武器が、アルの目を引いた。先端は拳のような大穴が開いていて、肘に近づく程に少し太くなっている。アルもあんな武器は見たことがなかった。それに彼女は夜そのものと言っても良い程に、全身が黒で統一されていた。光を吸い込むような黒髪を後ろでひと括りにまとめており、肩にかけた短いマントの下から覗くぴっちりとしたアクアラングのようなスーツと黒革のベルトは、裾に金色のアクセントが用いられている以外は暗色のものだった。鋭い爪先の靴まで黒色で、総じて今日のような暗い夜には高い偽装効果を持つものばかりだった。

 

 頭を上げてわざとらしく一息吸うと、アルの頭上の辺りを見ながら口を開いた。

 

「こんばんは、便利屋68」腹の底から響くような声だった。「良い夜だな」

 

「誰?私はあなたに会った記憶はないのだけど」

 

「……ブラックスター。そして私はブラックリスタ」

 

 アルはここでピンときた。ブラックスター!アルは再び出てきたこの名前を、腹の中で復唱した。

 

「なーんだ、やっぱりこんなことだったんだ。それで?どこからがあなたのいたずらなの?」

 

 ムツキが呆れたように聞くと、リスタはにやりとした。

 

「助けを求めたメッセージからだ。お前たちの想像してたようなことは何も起こっていない。お仲間はアカウントの乗っ取りに気づかず、今頃自室のベッドの中だろうな」そう言うと身を屈めて、側にあった銀のアタッシュケースを持ち上げて見せた。「招待に応じてくれて感謝するよ。私の目当ての物は手に入った。あとはネオ・チャレンジャー基地占拠事件の残党を葬り去れば、全てに片がつく」

 

 アルの筋肉が緊張で強張った。ずっと忘れていた記憶が揺さぶり起こされたようだった。こいつはどこまで知っているんだ?アルはただ沈黙を貫き通すことしか出来そうになかった。

 

「知らないふりをしても無駄だぞ。調べはついてるし、基地にいた仲間からお前たちのことはすっかり聞いた。便利屋68はネオ・チャレンジャー事件の生き残りだ。あの基地でお前たちはスペクトルの四人を倒した。そしてロケットの軌道を変えてCLGに墜落させた。全てネオ・チャレンジャー号の秘密を独占するための破壊工作だとな」リスタはこちらを指差すと、語気を強めた。険しい顔は前髪と影で黒塗りののっぺらぼうのように見えた。

 

 場に再び沈黙が漂う。しかし二度目の沈黙は便利屋側の困惑によるものだった。

 

 そうだ。確かに間違ってはいない。スペクトルを倒したのは事実だし、ロケットの件もそうするしかなかったのだ。墜落云々は結果論でしかなかったし、最後に至っては誤解だ。事実と事実誤認が混ざることほど始末が悪いことはなかった。最適な返答が浮かばないことが、沈黙を作り出していた。

 

 リスタは再び頭を上げる深呼吸をすると、口調も落ち着いたものになった。

 

「奴は──オアは旧友だった」懐かしむような声で続けた。「だが勘違いしてほしくないのは、これは弔い合戦ではないということだ。お前たちが邪魔なことに変わりはないからな」

 

「あなた、オアとどんな関係だったの」

 

「この場で答えるつもりはない。私はお前たちの始末のために、わざわざこんな辺鄙なところまで出向いたんだ。私には時間がないからあっさり殺してやるしかない。時間が許すなら、冥途の土産に話してもよかったんだがな。厄介事の種をただ見てるわけにもいかなくなった」

 

 声はここで途切れた。ほんの一瞬だったが、垂れ幕のような前髪から覗くぎらぎらした一対の瞳と目が合った。

 

 夜の嵐は一層激しさを増してきて、屋上のコンクリートの隙間から塵をまき上げた。一晩中曇りの予報だった空から星が覗き、鈍い赤色だけだった屋上がじんわりと明るみだして、ブラックリスタの人相を少しずつ浮かび出した。

 

「覚悟はできたか?」

 

 アルは微動だにしない敵に必死に意識を集中させた。収まらない心臓のやかましい鼓動を落ち着けようと、腕を動かしてスナイパーライフルの位置をたびたび調整した。銃を握った手から汗が染みて、手袋の中が少し蒸れる感覚があった。

 

「冗談じゃないわ」

 

 オレンジと白色の炎が視界の右に広がった。”じゅっ”という音──何かが瞬間的に焼け焦げて黒炭になったような音──だけだった。いきなり肌に巨大なエンジンの排熱気を食らったような鋭い炎を感じると、脊椎反射で上体が左へ飛びのいた。直撃はしなかったが、思わず手で触れて肌や髪が焦げてないか確認してしまった。すぐ左にいたハルカが驚いてアルの名を叫んだ。

 

 すぐ後ろの扉にいきなり巨大な穴が開いていた。扉を貫通した穴はそのまま奥の鉄筋も同じ軌道で撃ち抜かれていた。円の形にくりぬかれた穴からは白い煙が立ち昇り、ところどころに赤い焼け跡が残っている。

 

 巨大なパンチで穴が開けられたようだった。続いて扉がゆっくりと折れ曲がると、天井部分のコンクリートが一気に右側へ滑り落ちた。それから奥の鉄筋、左右の壁という順番で溶けた瓦礫がばらばらに垂れていって、内部との連絡道は埋まってしまった。

 

 便利屋全員の思考が今の一幕で止まってしまった。アルと同じく至近距離で熱線を受けたムツキも驚いてカヨコの方へ倒れ込んでいた。カヨコも何が何だか分からないといった感じだった。

 

 ブラックリスタの筒のような右腕は、ストーブの中身のような赤い二重線が先端から根元まで三本伸びており、拳のような穴からは薄い煙が立ち昇っていた。

 

 アルはここで初めて罠にかかったという実感が湧いた。そして罠の口は閉じたのだ。ゲッコウのメッセージも何もかも、全てこいつが仕組んだことだった。罠であることを知りながら飛び込んで、そしてまんまと罠にかかったのだ。しかも先手を許して、退路まで断たせてしまった。何より目の前のブラックスターと名乗ったこいつはただのごろつきや傭兵じゃない。近いものを挙げるなら、殺し屋だ。明らかに規則違反の武器がその証左だった。

 

 アルは今度は猛烈な悪寒に襲われた。正体の分からないものに対する恐怖と、もう一つは嫌悪だった。

 

 ブラックリスタが口を開いた。威厳のある声には自信も過分に混じっていた。

 

「こうすればぐだぐだ話す手間が省けるな。これでも私はちょっとした仕掛けの達人でね。荷電粒子を活性化させて放つプラズマビームだ──周りの空気からエネルギーを貰って撃ちだすんだよ。まさに夢の兵器だろ?」

 

 ブラックリスタの問いかけに答えたのはハルカのショットガンだった。振り向きざまの一撃は右手のアームキャノンに遮られて、激しい金属音を立てる。アルが気が付いたときには、ハルカはまっすぐ駆け出していた。

 

 雲が動いて隙間から月明かりが差し込むと、ブラックリスタの鈍い翡翠色の瞳が見えた。歯をむき出して笑みを浮かべると、スイッチが入った電球みたいに翡翠色の瞳がパッと点灯した──点灯という表現はこの上なく的確なものだった。アームキャノンがオレンジ色に発光し始めて、虫でも払うように左へ振り払うと再度熱線が放たれた。出遅れた三人が身を翻して回避する中で、ハルカは自分の背丈を超えんばかりの跳躍で飛び越えると、力強く握った左拳で自分を狙うアームキャノンを殴り落とす。くるりと回って衝撃を吸収したブラックリスタは空いている左手で応戦しようとした。ハルカの左足の鋭いキックが脇腹に命中すると、体勢が変わるより早くショットガンが二度火を吹く。至近距離から放たれた二発とも胴体に命中して、ずどんと重い音がする。少し間を置いて、三発目をお見舞いしようとしたショットガンは飛び出たリスタの左手に払われた。

 

 ムツキとカヨコの銃が同時にブラックリスタに狙いを定めた。攻撃を見越したように下から振り上げたアームキャノンから炎の斧がびゅんと吐き出される。狙いは中断された。後ろに攻撃をさせまいとハルカがぱっと立ち上がると、脳天目掛けて鋼鉄のアームキャノンが振り下ろされる。横にしたショットガンで最初の衝撃を受け止めると、二度目の衝撃──アームキャノン自体の重量とブラックリスタの筋力による押しつぶしが来る前に左側へ滑り落とす。ハルカは懐へ飛び込んだ。槍のように突き立てたショットガンを鳩尾に突っ込むと、込められた弾丸がなくなるまで乱れ撃ちにした。怪物は顔色を少しも変えなかった。右足が飛び上がるとお返しとばかりに腹部に命中して、ハルカは無理やり引きはがされる。アームキャノンが赤くなった。アルは注意がそれたブラックリスタの背後に走り込んでスナイパーライフルを向けた。この距離なら片手でも問題なかった。ハルカの体の転がる音に混じって、彼女の狙撃銃の吠えるような発砲音。怪しくうごめく翡翠色の一対の光以外が爆発で隠れた。駆け寄ったムツキがハルカを起こすと、カヨコの拳銃と同時に機関銃を煙の中へ撃ち込む。挟み撃ちのようだった。ほとんど全ての弾が命中して、奥へ逃げていく銃弾はなかった。だが、怪物はそれでも知らん顔のようだった。煙の上から飛び出すと、今度はアルの脳天にアームキャノンを振り落とす。アルはハルカのようにスナイパーライフルを横にして受け止めようとした。銃が折れてしまわないか?アルの脳裏にふと心配が浮かぶと、爆発に似た音が轟いて、すぐに想像以上の重さが銃を伝って両腕にのしかかった。象に踏まれたような重さだった。思わず立っていられなくなり仰向けに倒れ込む。すぐに第二の衝撃が来た。アルは象の全体重が鉄の右腕一本に集中しているように感じられた。

 

 ブラックリスタは背後ががら空きだった。今がチャンスじゃないか?誰かがこの隙に煙の中から飛び出して、こいつの首の付け根辺りに一撃を見舞えないか?アルの考えに呼応するように完全に晴れない煙幕からカヨコが音もなく躍り出た。ブラックリスタの姿に隠れて、ちらりと姿が見えた。いつの間にかサプレッサーが外されている。アルは目をつむり衝撃に備えた。カヨコは一歩踏み出して、かがみこむ姿勢のブラックリスタの首に触れそうなくらい拳銃を近づけていた。この光景を煙幕の切れ間から見たムツキは、次の瞬間には凍り付いたようにそこから動けなくなってしまった。

 

 腰に巻かれた黒と金のベルトの前後についた黒いバックルのような部品が、いきなりカヨコの立っている場所と仰向けでこらえていたアルの双方向に向かって、共にオレンジの黒い白い焔をどうっと吐きだしたのである。ぱっと視界が赤くなると、微かな悲鳴。それもすぐに止んでしまう。すさまじい熱気で半分も目を開けていられなかった。黒い何かがすぐ横を通り過ぎる。すぐに後ろの瓦礫にぶつかって止まった。

 

 後ろを振り向いたムツキは、すぐに通り過ぎた者の正体に気づいた。カヨコだった。拳銃を握りしめたままの手や足や顔は、火傷で赤くなっている。瓦礫にぶつかった場所が良くなかったのか、ぐったりと頭を垂れてこちらの呼びかけに答えなかった。

 

 火の粉が舞う中立ち上がったブラックリスタの翡翠色の瞳はまっすぐムツキを見つめていた。ムツキはカヨコの前に立ちふさがるようにして、まっすぐに睨み返す。鮮烈な赤色に光るアームキャノンと、湯気のような煙が洩れる銃口を見た。気絶しているだろうアルのことを考える──爆発で床が崩れたためかアルの姿は見えなかった。おそらく一階か二階下まで落ちてしまっているだろう。体の節々にカヨコと同じ火傷跡があるはずだ。すぐに自分も同じ様になるだろう。瞬間的な激痛に思わず声が洩れるだろうが、それも一瞬だ。アームキャノンがこちらを向いている。思わず後ずさりをしそうになると、すぐそばにいたハルカがひどいショックを起こしているのに気が付く。上ずった声でアルとカヨコの名を繰り返しつぶやいていた。

 

 ムツキは言った。「大丈夫だよ、ハルカちゃん。私のそばにいて」

 

 ムツキは肚を決めた。今の自分にできることは末っ子のような彼女を落ち着かせてやることだけだった。無理をして勇ましくあろうとした事の反動が来たんだ。いつもなら逆上して敵に向かうのはハルカだが、この時ばかりはムツキが飛び出したい気持ちだった。だが肝心の体が動かず、頼れる課長と親愛なる社長は戦闘不能、ハルカも戦えるような状態になかった。絶体絶命だった。頑丈なキヴォトス人の中でも、これよりひどい殺され方をするのはいないだろう。

 

 ブラックリスタはこちらに赤い銃口を向けたまま、静かに近づいてくる。ハルカを後ろに隠して、機関銃を向けようとしたが急に重くなったようで下を向いた銃を持ち上げられなかった。だんだん距離が縮まる。ムツキは無意識に一人の人物を思い出していた。以前アビドスとの戦いの際に、指揮を取っていた人物だった。常に気高く、優しく、そして生徒のために本気になれる人物の顔が走馬灯のように浮かんだ。

 

「……先生」

 

 思わずつぶやいた名前に反応したブラックリスタの歩みが止まった。少し考えるそぶりを見せてから、こちらに銃口を向けたまま口を開いた。

 

「先生?お前たちは先生とつながりがあるのか」少しだけ声に興味の色が出た。

 

「……あなたには関係ないでしょ」

 

「ふん、そういうことか。よし。そうしよう」

 

 何か良いことが浮かんだようだった。左手で背中側のベルトの部品を少しいじくると、銀色の手錠を取り出した。手錠をムツキの胸元に向けて放り投げると、偉そうに指示を飛ばしてきた。

 

「そいつをハルカと片手ずつつけるんだ。やりずらいだろうから銃は降ろせよ。それから付けたら、ゆっくりとそこから横へ歩くんだ。ムツキの方にだぞ。妙な真似をしたら、今度は体が残っているかも分からないからな」

 

 ムツキは素直に言う通りにした。自分の左手に手錠をはめると、力の入らないハルカの右手を取った。取り付ける間もムツキは小声でなんとか励ましの言葉をかけてやるので精いっぱいだった。手錠をはめた手同士をつなぐと、自分を奮い立たせて屋上に開いた穴の方──ブラックリスタのすぐ傍──に歩き出した。ジュンと焼け落ちる音。ムツキの足元の床がシューシュー言いながら黒い口を開けていた。

 

「そんなにびくつかなくてもいいよ。あなたにやられたアルちゃんを確認するだけだから」

 

「そうか。いきなり撃って悪かったな。安心しろ、死んではいないさ。ただ当分は起きないだろうがな」

 

 言葉に少しも悪びれた感じはなかった。ブラックリスタはムツキとの間に距離を開けながら、少しずつカヨコの方へ近づく。ムツキはアルの姿がぎりぎり見える位置で立ち止まった。白目で大の字になって下の階に倒れ伏していた。

 

「カヨコちゃんをどうする気?」出来る限り怒気を込めて言った。

 

「少し借りてくぞ」

 

 はっとしたようにムツキはカヨコの方を見た。ブラックリスタはカヨコを右腕で肩に背負うように抱え上げると、左手にはいつの間にかアタッシュケースを持っていた。

 

「ごめんハルカちゃん、走って!早く!」ハルカの肩を支えて何とか二人三脚のように機関銃の元へ走る。ブラックリスタはすでに屋上の縁すれすれに立っていた。

 

 そしてムツキの制止も聞かず、軽く跳ねると屋上の床に姿が隠れて見えなくなった。

 

 ムツキは空いた右手で機関銃を回収すると、ブラックリスタの飛び降りた場所へ近づこうとした。何を考えているのかさっぱりだった。このムツキの疑問に答えたのは、少しずつ聞こえてくる巨大な排気音だった。足を止めると、ゴーゴーと響く音が次第に近づいて、だんだん耳障りな轟音になる。

 

 まさか。いやそんなはずは!

 

 ムツキの嫌な予感は的中した。耳の中を埋め尽くす轟音と共に浮上してきたブラックリスタは、灰色の平たいものに乗っていた。やがて下からとがった鼻先と左右に大きく開かれた両翼。最後にこちらを照らすにはまぶしすぎるほどのヘッドライトが現れた。顔に当たる部分には分厚い透明なバイザーが装着された、鉄の燕のような怪物だった。両翼の脇からはミサイルの丸い頭部がちらちらと覗いている。空気の低い唸りを立てて、空中でこちらを睨みながら静止していた。

 

 ハルカが囁いた。「あ、あれは、まさか」

 

 ムツキは立ったまま答えた。「これは完全にやられたね。聞いてないよ、戦闘機を持ってるなんて」

 

 スピーカーのガーガーという雑音が響くと、ブラックリスタの声が聞こえてきた。

 

「悪く思うなよ!」あの鋭い靴はブーンと静かな唸りを上げながら接地面が青く光っている。かかとから爪先にかけてゆっくりと持ち上げると靴は戦闘機から離れた。その靴をまた戦闘機に近づける。鈍い青に発光する靴は一定以上距離が縮むと、吸い付く磁石のように底が張り付いた。

 

「さらば、便利屋68!ビルと共に沈め!」

 

 この号令と共に、戦闘機の脇に収まっていたミサイルの尾部が一つ点火した。推進剤を燃やしながら空中にぐっと飛び出すと、そのまままっすぐ廃ビルの上部へ突っ込んだ。同時にすさまじい爆発と揺れ。大地震のような衝撃に立っていられず、ムツキとハルカはもたれるように倒れてしまった。屋上の床が傾き、ひび割れ、崩壊し始める。ムツキとハルカのいた床もビルの中心部に向かってゆるやかな下り坂になった。

 

 ムツキは自分がビルの中へ滑り落ちているのに気が付いた。何かに掴まろうと必死に手を伸ばし、足を延ばして速度を落とそうとする。ブレーキとしての効果は全くなかった。穴はますます広くなっている。速度もどんどん早くなっていく。カヨコちゃんはどうなるの?アルちゃんは大丈夫?自分の体はもう支えられなかった。しかも坂は今、まっすぐ立つ壁になろうとしている!

 

 ムツキとハルカの体はくるりと空中で回ると、大穴へ投げ出された。時々出っ張っている瓦礫にたびたび体を打ち付けられる。だが速度は変わらず暗い瓦礫の中を地下にでも潜るように落下していく。遥か下は光が届かず全く見えない。地面か?地獄か?闇がまっすぐ迫ってくる。ムツキはとっさにハルカを抱きかかえた。ハルカもそれに返した。死ぬんじゃない!死んじゃだめだ!

 

 ムツキとハルカ、そしてアルを巻き込んだ廃ビルは底を抜かれたジェンガのように、眼下百メートルにも思える高さから轟音を立てながら崩壊していった。

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