天才音楽少女は恋愛が下手 作:りん
高校生にして一人暮らしをしている若者というのは、中々珍しい存在なんじゃないかと思う。
少なくとも、周りの友人には俺のようにそこそこ大きい一軒家に単身で住んでいる人間は一人としていない。
友人達曰く、両親や兄弟と住居を共にすることは所謂『普通』であるらしいのだが、俺にはその『普通』がよくわからない。
職業柄、世界各地を飛び回る両親は滅多に家に帰ってこず、小学生の頃なんかは幼い我が子を一人で家に残すことに抵抗があったのか、両親の内のどちらか片方は家に残ってくれていたものだが、中学に上がる頃には二人揃って家を空けるのなんて日常茶飯事になった。
逆に二人ともが家に残り、つまりは家族三人で生活を送った記憶は物心がついてからはない。
幼い頃は、そんなバラバラな家族の在り方に寂しい思いを感じることも少なくはなかったが、耐えられないほどではなかった。
時間と共に両親がいない生活に慣れていったというのもあるし、何より俺には家族同然の存在がすぐ隣の家に住んでいたからだ。
宵崎家──母親同士が友人関係ということもあり、うちと宵崎家は昔から家族ぐるみで親交があった。
俺が一人で寂しい思いをしている日には、度々家に招いてもらい、随分世話になった。
両親との思い出が少ない俺にとっては、むしろ宵崎家こそが家族を感じさせてくれる場所だったと思う。
宵崎家の一人娘である奏は俺と同い年で、昔からよく一緒に遊んでいた覚えがある。
物静かで大人しい奏と、今でこそ立派な陰キャだが、幼い頃はそこそこ活発だった俺は、性格こそ正反対だったが、なぜか不思議と馬が合った。
さて、突然話は変わるが、可愛い幼馴染と同棲──という言葉面だけ聞けば何とも甘ったるそうな言葉をどう思うだろうか。
アニメや漫画、ライトノベルなんかではありふれた設定だろう。
今まで幼馴染としてしか見ていなかったあの子を、ひょんなことから異性として意識してしまい、数々の煌びやかで甘酸っぱいイベントを経た末にようやく結ばれる恋の物語──そんなとこだろうか。
何とも甘酸っぱいストーリーだよな。
ただ、それは双方に恋愛感情が存在していた場合に限る。
なら、どちらか一方にのみ、恋愛感情があった場合はどうなるか。
答えは、『辛い』だ。
いくら何でもシンプルすぎる答えだと思ったか?
まあ、詳細を語れば、確かにその一言では済まないんだが、総合的な結論を下すとなると、やはり『辛い』というシンプルな言葉が一番しっくりくる気がするのだ。
お前は一体どの立場で語ってるのかって?
それは勿論、俺が『可愛い幼馴染と同棲』なんてフィクションじみた話の当事者であるからだ。
厳密には、その幼馴染が俺の家を勝手に本拠地にしつつあるだけで、同棲というのは少し違うかもしれない。
現に今もリビングのソファに座る俺の隣にちょこりと腰を下ろしている。
何をするわけでもなく、時折、こちらを横目でちらりと見たり、かと思えば焦ったような顔で急に視線を逸らす幼馴染──宵崎奏が何を考えているのかは俺はまるで見当がつかない。
何かを期待しているのか、はたまた訴えたいことがあるのか。
沈黙を貫く奏の意図は謎だ。
ただ、個人的な感想としては、奏が隣に来てくれてすごく嬉しい。
「お、おう。来てたんだな、奏」
「うん......今日も来たよ」
「......そうか」
なんだよ、この会話。
何一つ進展しない、事実確認だけの言葉のやり取り。
中学の頃はもう少し内容のある会話をしてた気がするんだけどな。
「えっと......お腹減ったなら、なんか適当に作るぞ」
「ううん、空いてないかな。でも、ありがとう」
沈黙が苦しくて、適当な話題を振ってみたものの、またも一瞬で会話が終わる。
ありがとう、と感謝を述べてくれた奏の笑顔が可愛いだけだった。
これは話題選びをミスった俺が悪いな。
「その、ユニットの活動はどうなんだ?」
「いい調子だと思う。今週中には一本アップロードできそう」
「そ、そっか。良かったな」
「うん......えと、良かったら聴く?MVはできていないけど、曲自体は完成してるから」
「いいのか?先取りで新曲を聴けるなんて、ニーゴファンにちょっと申し訳ないな」
「しゅ、柊太は特別だから。はい」
そう言うと、奏はスマホに接続されたイヤホンの片側を渡してくれる。
左は俺、右は奏といったように二人でイヤホンを共有して、曲を聴く感じだ。
ソファで横並びになって一緒に同じ曲を聴くなんて、何ともカップル感のある触れ合いにも思えるが、悲しいことに俺と奏の間にそんな甘ったるいものは存在しない。
今までの経験から、奏が俺のことを異性として見ていないのは知っているし、何なら奏には既に意中の男性がいるらしい。ネット上での繫がりか、もしくは奏の通う定時制高校の同級生かはわからないが、まあどっちだっていい。大事なのは、奏目線から見た俺がただの幼馴染に過ぎないってことだけだ。
まあ、ただの幼馴染って関係性でも俺は十分すぎるほど満足してるんだけどね?
だって、さっき特別って言ってくれたし?
恋人には遠く及ばないとしても、好きな子から特別って言ってもらえることは間違いなく素晴らしいことだ。
幼馴染、大いに結構だ。
一過性の恋愛感情によって成立する恋人関係に比べれば、古くから積み重ね続けた幼馴染という深い関係こそ本当に尊ばれるものに違いないだろう。
そんな言い訳じみた考えを頭に浮かべながら、奏が手ずから手掛けた曲に俺は感謝の念を浮かべながら、ゆっくりと意識を傾ける。
──今回の曲は、だいぶローテンポだな。
ゆったりとしたリズムで奏でられる重低音が体の芯に染み渡っていく。
まるで深海の底にいるような、そんなイメージが頭の中に浮上する。
奏のように天性の音感を俺は持っていないが、この曲が並々ならぬ力強さと高次の音楽性を秘めていることだけはわかる。こんな曲を同い年の16歳の女の子が作ってると考えると、ゾッとする。
小学生6年生の頃に行われた合奏会で、リコーダーがあまりにも下手すぎて、クラス中からの非難を浴びた結果、強制的に大太鼓に転身させられた俺とは大違いだ。しかも、大太鼓に転身してなお、リズム感の無さから、結果として合奏会を荒らしてしまったのだから、もう救いようがない。
心優しい奏ですら、慰めの言葉が思いつかず、少し困った顔でやんわりと微笑んでいたくらいだ
おっと、いけない。
つい苦い記憶を思い出してしまった。
今はただ、奏の音楽に浸ることに集中しよう。
瞼を閉じ、二人掛けのクリーム色のソファにゆっくりと背を沈める。
──三分弱の曲のはずなのに、随分と長い時間、曲を聴いていたような不思議な感覚。
それほどまでに深く引き込まれていたのだろう。
改めて、奏の才能に脱帽する。
当の本人はというと、ジャージの裾をきゅっと握りながら、少し不安そうな表情でこちらを窺っている。
心の中ではおそらく、「大丈夫かな......気に入ってもらえなかったらどうしよう」なんて的外れな考えを浮かべているはずだ。
そんなこと、あるはずがないのに。
もっとこう、「どうだ、私の曲は!」みたいな誇らしげな感じで胸を張っていいはずくらいだ。
実際、ネット上では、『天才的な音楽性』を持っていると高い評価を得ているのだから。
「最高だったよ。やっぱり、奏は凄いな」
「......そ、そっか」
素直な気持ちを伝えると、奏は嬉しそうな表情を作ってから、恥ずかしそうに俯き加減になる。
普段、表情変化が少なく感情が読み取りづらい奏だが、褒められたりすると、今みたいにわかりやすい反応をしてくれる。
でも、不思議なことにコメント欄で奏をべた褒めするコメントを見つけても、そこまで嬉しそうな顔はしないんだよな。
画面越しに賞賛されるより、やっぱりこうして生の声を聴いた方が嬉しいのだろうか。
そう考えると、俺は奏の数少ない知り合いとして、十分役に立てているのかもしれない。
俺も奏の作った曲をいち早く聴くことができるし、正しくウィンウィンの関係だ。
「今はこうして、横並びになって奏と一緒に曲を聴いてるけどさ。この先、奏と離れることになった時、音楽を通じて、奏のことを近くに感じられるんだろうな」
未だ余韻が抜けていない俺は、柄にもなくロマンチックな言葉を呟いてしまう。
でも、これは紛れもない本心だ。
奏の曲には、誰にも模倣できないような独自性が秘められている。
聴けば一瞬で、奏が作った曲だと確信できる。そんな素晴らしい独自性。
唯一無二だからこそ、『K』は天才と崇められているし、ニーゴは凄まじい勢いで知名度を伸ばし続けているのだ。
今の呟きでキモいと思われていないか心配になった俺は、横目で隣の奏を窺う。
すると──。
「............」
な、なんかすごい落ち込んでない?
表情には出ていないんだが、何というんだろう。悲しみの感情が奏からじんわりと漏れ出ている。
どうしよう。『奏のことを近くに感じられる』って表現が気持ち悪かったのだろうか......
まあ、そうだよな......俺って、付き合いが長いだけのただの幼馴染だしな......
その程度の存在が、近くに感じられる、とか思い上がりも甚だしいよな。
......い、今から謝ればまだ間に合うか?
仲の良い幼馴染という関係から転落しても、せめて知り合い以上友達未満くらいの関係には留まっておきたい。
おそるおそる奏に謝罪を切り出そうとした時だった。
「......柊太は、わたしから離れたいんだ」
「え......?」
奏の言葉の意味がわからず、固まってしまう。
そんな俺の態度を肯定と受け取ったのか、奏は更に言葉を続ける。
「わかってる。いつかは離れることを見据えているから、離れることになった時──なんて仮定の話をしたんだよね」
「ま、待て。奏。よくわからないけど、俺の言葉を変な風に解釈してないか?奏と離れたいなんて、俺は言って──」
「ううん、大丈夫だよ。わかってるから」
絶対にわかっていないのに、奏は悟ったような顔で悲しげに笑った。
離れることになった時──何気なく発した言葉の一部が切り取られ、奏をここまで悲しませてしまうことになるとは......
どうにか奏の誤解を解こうと、焦りながら言葉を選んでいると、ふいに奏がソファから腰を上げた。
「今日はもう帰るね......学校から帰ってきたばかりで疲れてるはずなのに、付き合わせちゃってごめんね」
申し訳なさそうな顔でそれだけ言って、ふらふらとした足取りで玄関口に向かおうとする──のを止めて、俺は奏の体を捕まえて、再びソファに引き戻す。
そんな俺の強引な行動に奏は意味がわからないといった表情を浮かべて。
「な、なんで......?わたし、帰るから」
「いや、待てって。帰ってもいいけど、それは俺の言葉を聞いてからにしてくれ」
再び逃げようとする奏の小さな掌を握って、引き留める。
少しの間、逃げようとする奏と、逃がさない俺の応酬が続いた後、諦めた奏がようやくソファに腰を下ろした。
「も、もういい?」
「まだ何も喋ってないんだけど」
「柊太の目が言ってるから。わたしと離れたいって......」
「なら、こうして引き留めたりしない」
「う......」
そう返してやると、言い返せなくなったのか、困った顔で奏が黙り込む。
「まず、最初に言わせてもらうが俺が奏と離れたいなんて思うはずがないだろ」
「で、でも──」
納得できないのか、反論をしようとする奏の言葉を遮り、俺は言葉を続ける。
「それになんだ。『疲れてるのに、付き合わせちゃってごめんね』だったか?」
「うん......ソファでゆったりしてるところにわたしがきて......こ、困ったでしょ」
目を伏せていた奏が少しだけ顔を上げ、不安げに訪ねてくる。
「そんなわけあるか。むしろ、全身の疲れが吹っ飛んだわ。奏がきてくれたのが嬉しすぎて」
「う、嬉しい?よく......わからない」
好きな女の子と一緒にソファに座るとか、嬉しくないはずがない。
たとえ、その女の子には思いを寄せている男がいて、自分に対して恋愛感情なんて欠片も抱いていなかったとしても、やはり嬉しいものは嬉しい。恋が成就しないことがわかっているという辛さも、もちろんあるけどな。
「わからなくていいよ。ただ、俺が奏と一緒に入れて嬉しいと思ってる気持ちは信じてほしい」
「......わかった、信じる」
数秒間考えた後、奏が俺の言葉に頷く。
それから、意を決したような顔をした奏が伏せていた顔を完全に上げ、こう言った。
「だけど......そんなこと言うと、毎日来ちゃうけどいいの?」
「大歓迎だ。合鍵だって渡してるし、いつでも好きな時にきてくれ」
「う、うん......毎日来るね」
照れたように奏が言う。
奏の言葉に安心した俺は、ふと先ほどから奏の手を握ったままになっていることに気づく。
慌てて離そうとするが、さっきとは立場が逆転し、奏の方から強く手を握られる。
「奏......?」
「離したら、さっきみたいに逃げるよ......?」
「......そっか。なら、離したら駄目だな」
奏の可愛らしい言動と行動に少し笑みを零した俺は、再びその小さな手を握りかえす。
ほんと、思わせぶりなことをしてくれる。
奏に好きな相手がいると知らなかったら、つい勘違いしてしまうところだ。
幼馴染という境界は決して超えることはできないだろうけど、もうしばらくはこの寂しがりやで思わせぶりな女の子の隣で、幸せな時間を噛み締めることにしよう。