時計の針が真上で重なった頃、早朝から不良の鎮圧に赴いてたヒナが『
──ただ一つ、執務室を除いて。
「ただいま、もう少し掛かりそうかしら?」
「ああ、先に帰っても構わんぞ」
「大丈夫、ここで待たせてもらうわ」
ヒナはソファに座ると肩に掛けていた愛銃の手入れを始める。マコトがペンを走らせる音だけが執務室に響く。言葉を交わさぬ2人だが、緊張感は無い。落ち着いた、心地良い静寂が執務室を満たす。
「どうぞ」
ヒナとマコトの近くにマグカップが置かれる。ちょうど、マコトが最後の書類にサインした瞬間だった。ヒナが振り向くと万魔殿の制服を改造したコートを羽織った給食部の部長、
「ハルナか、すまんな」
マコトは短く礼を述べ、マグカップを傾ける。ヒナも愛銃を横に置き、マグカップへと手を伸ばした。優しい甘みが口内にじんわりと広がる。ホットミルクだ。淹れたあと、少し冷ましてあったのだろう。温かいが、熱くはない。
「精が出ますわね、マコト書記」
「まったく、とんだ貧乏くじを引かされたものだ」
背もたれに体重を預け、笑うマコト。言葉に反して、その顔に不満の色は無い。ヒナもまた、口元に手を当てて笑っている。その表情は充実感に満ちていた。
「エデン条約、か」
マコトは机上の書類に目を落とし、呟く。元々は『雷帝』への対抗策として連邦生徒会長が発案した条約である。だが、イブキたちの手によって『雷帝』が失脚したことで無用の長物となってしまったのだ。
議長に就任したイブキは空中分解寸前の
「ともかく、仕事は片付いた。私は帰るが2人はどうするんだ?」
「
「私も、朝から動き回って疲れたわ」
執務室の明かりが消える。
* * * * *
「はっくしゅんっ!」
深夜、トリニティの政治の中心たるティーパーティー・テラスに淑女らしからぬ音が響く。
「もー、風邪でもひいた?」
「誰かが噂でもしているんじゃないか?」
「体調が優れないのであれば会議は延期いたしましょうか?」
非難の声は無い。皆が軍帽と軍服を羽織った客人の体調を気遣う。
「ううん! 平気だよ。セイアちゃんの言う通り誰かが噂してるのかも」
溌溂と笑う彼女の名前は丹花イブキ。ゲヘナ学園の議長だ。彼女はエデン条約の締結に向けた会議のため、トリニティを訪れたのである。
「……ふむ。独裁者への奇策を不可侵条約に再定義するとはね。よく思いついたものだよ」
「ええ。しかも、連邦生徒会やミレニアムまで巻き込むとは……」
「……もしかして、仲良くするのは嫌だった?」
「もー! ナギちゃんもセイアちゃんも顔が怖いよ。イブキちゃんが心配してるじゃんね」
「……角付きとの平和条約なんてごめんだ、と猛反対していたのはキミだと記憶しているが?」
呆れた様子で、だが何処か楽しそうにミカの変わり身を指摘するセイア。
「ミカちゃんがそんな風に思ってたなんて……」
「違う、違うから! 今はそんな風に思ってないから!」
「今? それは以前に抱いていた偏見を否定するつもりは無いということかい?」
「セイアさん、イブキさん。ミカさんを揶揄うのはそこまでにしてください……」
「……ふむ。キレたナギサがこの場に居る全員の口にロールケーキを叩き込む前に本題に入ろうじゃないか」
「セイアさん!?」
取り乱すナギサとむくれたミカをスルーしてセイアは議論に入る。
「さて、改めて内容を確認しようか。条約の骨子はトリニティとゲヘナの不可侵条約で間違いないね?」
「そうだよ。皆で仲良くしたいから」
「その意見には賛成です。ですが、一般生徒には受け入れていただけるでしょうか?」
「うーん、まぁナギちゃんが言えば何とかなるんじゃない?」
「エデン条約の概要については流布されている。強硬に反対する生徒には別途で対応すれば問題ないだろう」
「じゃあ、調印すればOKってことだよね?」
「そうなるな。後日、形式的に採決を行う必要があるがね」
「じゃあ、これで気兼ねなく遊びに来れるね!」
ミカと手を繋いで一緒にはしゃぐイブキ。ティーパーティー・テラスに年相応の笑い声が響く。
* * * * *
「おはよー!」
「おはようございます、議長」
「もー、議長呼びは堅苦しいよ! イブキちゃんって呼んでってば」
「……議長、下級生に無茶振りしないでください。同学年でも無いのに生徒会長を呼び捨てにするのは誰でも抵抗があるんです」
マコトはイブキを諌める。『雷帝』の失脚後、初めて進学してきた新入生たちが打ち解けるにはもう少し時間が必要なようだ。
「カスミとイロハだったな。議長とヒナ、私はミレニアムに用がある。何か分からないことがあればカヨコに訊くといい」
「わ、分かりました」
「じゃあねー! お仕事頑張って!」
ガッツポーズするイブキにヒナとマコトは諦めた様子で顔を見合わせ、溜息をつく。
「行きますよ、イブキ議長」
ヒナとマコトに挟まれて強引に連れていかれるイブキ。電車に乗り、ミレニアムで降車すると黒を前面に押し出した生徒、調月リオが一行を出迎える。
「ようこそおいでくださいました。セミナーの調月リオです」
事務的な社交辞令を一息に述べ、リオはクルリと反転する。そして、歩き出した。慌てて着いていく3人。マコトはイブキとヒナに視線を向ける。イブキは相変わらずニコニコしているし、ヒナは明後日の方向を向いている。マコトは溜息をつき、リオを呼び止める。
「おい、先導するなら適当に後ろを振り返れ。歩調が合っていないだろう」
「歩行速度の平均は4km/h程度なのだからついてこれるはずよ?」
「……お前、リオと言ったか。友達が少ないタイプだろ」
「友人は、居るわ」
「言い方が悪かった。他人の感情を解さないタイプだな?」
「そんなことは、……無いはずよ」
「図星なんだな、僅かに言い淀んでいるぞ」
イブキとヒナを追い越し、リオの横で話すマコト。理詰めで他人の感情を推測する方法をリオに教える。それを見たイブキが前を歩くヒナに耳打ちする。
「相性が良いみたいだね、楽しそう」
「……タイプが近いんじゃないかしら」
「マコトちゃん、ババ抜きとか強いもんね!」
「そうですね」
そうしてしばらく歩いていると会議室に到着する。
「有意義な時間だったわ、統計を用いれば感情は論理的に説明可能なのね」
「お前の言葉で言えばそうなるな。次は情報戦のやり方も教えてやろう」
「ええ、対価として私の知見も共有するわ」
「そうだな、会議の方もよろしく頼むぞ」
次に会う約束を取り付けつつ、根回しするマコト。一行は会議室へと足を踏み入れる。
二次創作で原作キャラの存在しない記憶を掘り下げるのに苦労しました。そもそも、過去回みたいなのが苦手なんですよね。
まぁ、もう少し続くんですが。