TSウミガメのスープ 作:AJT
放課後の部室は、いつもと変わらず静かだった。
窓際に楓が座り、持ち込んだアイスコーヒーを飲みながらノートPCにスープの記録を入力している。私はその向かいで、メモ帳を広げて考え事をしていた。部活動というよりも、ただの空き教室を借りた自主ゼミ、みたいな空気だ。
カツ、カツ、カツ――
廊下から近づいてくる足音がした。軽やかで、どこか浮いたリズム。ドアが音を立てて開く。
「やっほー、まだ活動してたんだねぇ、後輩ちゃんたち」
現れたのは、ゆるく巻かれた栗色の髪に、焦げ茶のカーディガンを羽織った三年生の女子、葛西しおり先輩だった。
「しおり先輩……!お久しぶりです」
思わず立ち上がると、先輩は片手をひらひらと振った。
「いやぁ、顔出せなくてごめんね〜。最近ずっと過去問添削と模試続きでクタクタ〜。部室、久しぶりだよねー?今日は添削もらった帰りにちょっと寄ってみたんだ」
「相変わらず、ゆるいのか忙しいのかわかんないですね」
楓が片眉を上げながら言うと、先輩はにこっと笑って答える。
「両方だよぉ、楓ちゃん。人は複雑な生き物なんだ〜」
先輩はそのまま空いている席にゆっくりと腰を下ろした。持っていたファイルを机の上に置き、深いため息をつく。
「はー、やっぱこの部室落ち着く~。この埃っぽい本棚とか、妙に硬い椅子とかさ。後輩ちゃんたち、最近どんな活動してるの?」
楓と顔を見合わせる。言えるはずがない。
──頭の中に突然ウミガメのスープが出題されて、それを現実の事件と照らし合わせている、なんて。
「えーと、まぁ、いつも通り。小説読み合わせしたり、謎解き問題作ったり、ネットで見つけた事件を調べたり……」
私は曖昧にごまかす。
「ふふーん?ほんとかなー? なーんか、面白そうな匂いがするぞ?」
しおり先輩はじっとこちらを見た。茶色の瞳は私を見透かすような、けれどとても柔らかい目だった。
「……気のせいです」
私は視線を逸らして答える。
「言いたくなったら、教えてよ〜?。私、けっこう秘密は守るタイプなんだから」
しおり先輩はそう言って、ファイルを開きながら鼻歌を歌い始めた。昔から不思議な人だと思ってたけど、今はその“ゆるさ”が少しだけ、ありがたく感じた。
放課後のミステリ研。今日も三人だけの部室に、夕焼け色が差し込んでいた。
「ねぇねぇ、蒼ちゃん、楓ちゃん」
ついに堪えきれなくなったのか、しおり先輩がファイルを閉じながらこちらをのぞいてくる。いつもの間延びした声。でも、その目つきは、やっぱり鋭かった。
「ふたりともさぁ……最近、なんか秘密の会話してない~? こう、こそこそっていうか、ふたりだけの話題って感じ?」
私は一瞬、言葉を詰まらせた。
楓も、手を止めてこちらを見る。
「警察犬?鼻効きすぎでしょ、しおり先輩」
楓がぼそりと漏らすと、
「はぁ~ん? 誰が犬だってぇ~?」
しおり先輩はわざと語尾を伸ばしながら、机にぺちんと手を置いた。怒ってる……フリだ。顔はぜんぜん笑ってる。
「ねぇ楓ちゃん、それって先輩に向かって言うセリフぅ? 部長にむかって“犬”だって~、ひど~い!」
「だって実際、ちょっと喋ってるの横で聞いてただけで勘づくの、おかしいって」
楓がむくれたように言うと、しおり先輩は満足そうににへらと笑った。
「ふふ~ん、私、なんだかんだでこの部の部長だからね~。部員の秘密をこっそり見守るのも、部長のつとめってやつ?」
それから、するりと立ち上がると、私たちの椅子の間にぬるりと割り込んできた。先輩の腕が私の背中にまわされて、ぐいっと距離を詰められる。
「蒼ちゃん、なんか匂い変わったぁ? 柔軟剤? しおり先輩に教えてみ〜?」
そう言って、先輩がくんくんと私の肩あたりに顔を寄せてくる。
「や、やめてくださいってば……」
顔が近い。というか、近すぎる。“前”は有り得なかったその距離感に、急速に顔が熱くなっているのを感じる。こんな先輩だが、3年生の中では高嶺の花らしいのだ。
楓がすかさず椅子をずらし、先輩を私から引き剥がす。
「それセクハラ。先輩、マジで距離感って知ってます?」
「えぇ~? 親愛の証だよぉ? ほら楓ちゃんも~」
先輩はお返しとばかりに楓の頭をぽんぽんと叩く。軽く肩にも触れて、「わたし、ふたりのこと大好きだからさ~」と、なんでもないみたいに言ってのけた。
本当に、どこまでバレてるのか。
私は目を逸らしながら、スープの中身までは知られていないことを祈った。
先輩の声は、いつもどおりのんびりしているけれど、目の奥だけは、ちゃんと鋭い。
……どうしよう。全部話すつもりはない。でも、完全に誤魔化すのも無理がある。
私は、一拍置いてから、言った。
「実は、楓とよく“ウミガメのスープ”をやってるんです。ちょっと変なやつを集めてて……、先輩知ってますか?」
「えぇ~? 知ってるよぉ、もちろん。私、水平思考ゲーム大好きだもん」
しおり先輩は、嬉しそうに椅子に座り直した。
私はノートの隅にメモしていた、現実とリンクした問題のうち、比較的“無害そうな”ものを選ぶ。
「じゃあ……これはどうですか。
『ある男は、友人の名前を聞かれて、答えに詰まった。なぜか?』」
「うーん……はい、じゃあ、質問してもいい?」
「もちろんです。YESかNOで答えられる質問でお願いします」
「ふふー……じゃあ、友人は実在の人物ですかぁ?」
「YESです」
「青年は、その友人の名前を本当に知っていましたかぁ?」
「YES」
「じゃあさ、その友人が……名前を隠して活動してたとかぁ?」
「YESです」
「ふふ……わかったかも。友人はネットで活動してる匿名の人で、リアルで名前を呼んじゃいけない立場の人だったとか?」
私は、笑ってうなずいた。
「正解です。“VTuber”として活動していた友人の名前をうっかり呼びそうになって、詰まった──というオチでした。流石ですね」
「わぁ~、今っぽい問題~。でもこれ、普通にありそうだねぇ。ねぇ蒼ちゃん、この問題……もしかして、実話だったりする?」
その言葉に、私はまた、息を止めた。図星だ。この出題は私の友達伝に聞いた話を若干ぼかしたものだから。
しおり先輩の顔は、穏やかで、何も知らないふりをしている。でも、きっと本当は、もう少し踏み込めるだけの何かを感じ取ってる。
「さぁ……どうでしょうね。ウミガメのスープって、真実とフィクションの間がいちばん面白いじゃないですか」
「それ、半分言ってるようなものだよ〜」
先輩は満足そうに目を細めて、再び椅子に沈み込んだ。
私は視線を伏せながら、心の中でそっと呟いた。
――危ない。けど、もう少しだけ、隠せそう。