TSウミガメのスープ   作:AJT

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『ある女は、男に想いを伝えられなかった。なぜか?』

しおり先輩がまた部室に顔を出すようになってから、二週間程過ぎ。私はまた屋上に来ていた。

学校の屋上には、決まった風が吹く。

湿気を含んだ春の風。少し埃っぽい。けれど、陽射しの香りもして、たまに本気で深呼吸したくなるような日もある。

私はその風に髪をなぶられながら、ベンチに寝転んでいた。屋上に生徒の姿はなく、ちょうど昼休みの終わりが近づいて、チャイムが鳴る少し前の時間。

もうすぐみんなが戻ってくるのに、私はまだ、体を起こす気になれなかった。

 

脳裏には、またひとつの「スープ」が浮かんでいた。

 

『ある女は、男に想いを伝えられなかった。なぜか?』

 

直球の恋愛モノが出て、少し戸惑う。

もっとこう、最近の傾向であるサスペンスをひねった形式かと身構えていたのに。

だけど、そんな肩の力が抜ける脱力感と同時に、嫌な引っかかりがあった。

出題者は、私の“考えていること”を読んでいるようにスープを投げてくることがある。あるいは、未来を読んでいるかのような出題も。

 

まるで、私の周囲で何かが起こるのを待っていて、それに合わせてカードを切ってくるような――。

 

「……考えすぎ、かな」

 

自分に言い聞かせてみても、ざわつきは収まらなかった。

 

とりあえず、このスープを何とかしないといけない。

 

「男は、その女が恋していたことに気づいていなかったのか?」

『YES』

 

「男には他に好きな人がいた?」

『YES』

 

「女は何かを代償にして、黙るしかなかったのか?」

「YES」

 

「実際に起きた出来事ですか?」

『NO』

 

「その女は口がきけなかったのか?」

『YES』

 

「女はそもそも人間?」

『NO』

 

「なにかの創作ですか?」

『YES』

 

私は質問をやめ、ふと頭の中で像を結ぶひとつの物語に辿り着いた。

 

(……まさか。これは――)

 

「おーい、あんた、また寝転がってるの?」

 

屋上の扉がギイと開いて、茶色のロングウルフが風に流れる。

楓だ。リボンもつけず、制服のネクタイを緩めたまま、ふてぶてしい歩き方でこっちにやってくる。

 

「昼休み終わるっての。戻ろ」

 

「もうちょい。さっき出たやつなにか引っかかってて」

 

「……またやってんのか。最近はやけに女絡みの問題多くない?前も“浮気がバレなかった理由”とか“指輪を捨てた理由”とか」

 

私は返事をしなかった。楓もそれ以上は追及しない。

むしろ私が口を閉ざした時こそ、彼女は何かを感じ取っている気がする。

 

そんな沈黙が続いた後だった。

楓が、不意にぽつりと呟いた。

 

「ねえ……しおり先輩さ。最近、ちょっと変じゃない?」

 

「……変?」

 

「変っていうか、来てなかったじゃん。ずっと部室。受験だから仕方ないって思ってたけどさ、昨日のメッセで“体調戻ったから顔出すかも”って書いてたのに、来なかった。しかも……」

 

言葉を切る。

私は顔を上げた。楓の表情に影が差している。普段なら、「ま、気にしすぎか」って笑い飛ばすようなことも、彼女がこうやって躊躇うと、逆に本気に見えてしまう。

 

「“最近、誰かに見られてる気がする”って言ってた」

 

「……誰か?」

 

「知らない男だって。家の前の電柱に、毎日立ってるんだって。遠くからこっち見てるって。でも、近所の人かもだし、気のせいかもって……」

 

楓の言葉は、段々と小さくなっていった。

私は屋上の柵を見つめたまま、手に持っていたプリントを無意識に丸めた。

 

しおり先輩。

あの、間延びした声と、妙に鋭い観察眼。

先輩がいつも使ってる柔らかい石鹸の香りが、ふと記憶の中から立ち上がった。

 

『ある女は、男に想いを伝えられなかった。なぜか?』

 

まさか。

 

いや、それはまだ早い。

だけど、私の中でひとつの可能性が形を持ち始めていた。

このスープは、ただの問題ではない。

誰かの妄想であり、願望であり、暴走のきっかけだ。

 

……もしも私以外にもスープが出題されていて、その誰かが、このスープを「導き」として信じていたら。

それを曲解して現実だと思い込むとしたとしたら。

 

「楓……放課後、部室にしおり先輩を呼んで話そう。スープのことじゃなくてもいい、なんか……今のうちに」

 

楓は目を見開き、それからすぐに頷いた。

 

「……わかった」

 

チャイムが鳴った。

 

屋上の風は、さっきよりも冷たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後のミステリ研の部室には、うっすらと紙の匂いが漂っていた。

夕陽が差し込む窓のそばで、背筋を伸ばして座っていたのは、しおり先輩だった。

 

「あ、来てくれたんだ。先輩」

 

「やっほ~、蒼ちゃん、楓ちゃんに呼ばれたら飛んでくるよぉ」

 

間延びした声。

だけど、声の奥にあるものが、少しだけ張っている気がした。

 

先輩が来るのは久しぶりだったはずなのに、部屋の空気はすぐにあの頃のままに戻っていた。

いや、戻っているように“装っている”だけかもしれなかった。

 

しおり先輩の目元には、いつもより濃いアイメイク。肌も少しやつれているように見える。だけど本人はそれを隠すように、いつもよりおどけてみせる。

 

「久しぶりに来たらさ~、机の中に“赤ペンでぐっちゃぐちゃにされたプリント”があって、誰か添削してくれたのかな~って思ったけど、わたしこんなの出してないし~」

 

「え?」

 

机の上に無造作に置かれたA4サイズのプリント。

赤ペンでぐちゃぐちゃに書き込まれたその紙を、しおり先輩は一瞬だけ迷うような目つきで見つめてから、そっとファイルに挟んだ。

 

「それ、なにかの問題ですか?」

 

私が何気なく聞くと、先輩はいつもの調子で、のんびりとした笑みを浮かべた。

 

「んーん、ちょっとした謎解き。……みたいな、ね」

 

そう言ってはぐらかしたけれど、手元のプリントには、はっきりと赤でこう書かれていた。

 

『ある女は男に想いを伝えられなかった。なぜか?』

 

そこだけ活字印刷されていて、他はすべて手書きの殴り書き。

何度も書き直された「失恋」「告白」「失語症」などの単語、

乱雑に線が引かれた文字列。

それは、まるで自分の中にある混乱を紙の上にぶつけたような――そんな印象だった。

 

先輩は何事もなかったように笑っていたけれど、ファイルを閉じるその手が、ほんのわずかに震えていたことを、私は見逃さなかった。

プリントをファイルにしまい込んだ先輩はそのまま別の封筒らしきものを出した。

薄い茶封筒。宛名も差出人も書かれていない。

中身は、部誌のゲラ。いつか誰かが書いた、数年前の、部員が考えた架空の推理問題とその解答が書いてあるもの。だけど……それは「ウミガメのスープ」ではなかった。

 

「しおり先輩、これは、どこにあったんですか?」

 

「こっちはポストに入ってた。こないだ家のね~。でも、わたしんちの住所、部誌には載せてないしぃ……」

 

ぞわりと、背中を冷たいものが撫でた。

 

私の中の警報が鳴り始める。

先輩の“誰かに見られている”という話。ポスト投函された封筒。赤ペンで修正された部誌のコピー。

あまりに不自然で、あまりに個人的。

そして、それを見た先輩の顔が――ほんのわずかに、引きつっていた。

 

「――それ、内容見てもいいですか?」

 

私が尋ねると、しおり先輩は一瞬ためらって、それから笑った。

 

「ん~、“ある女は男に想いを伝えられなかった。なぜ?”っていう問題だったかな。答えを知ってる人が居ないから解けなくて困っちゃうよね〜」

 

私は目の前がぐらりと歪むような感覚を覚えた。

それだ。それが、今朝私の頭に浮かんだ“スープ”だった。

しおり先輩は、自分のもとにそれが届いていたことを知らないはずなのに。

 

「……先輩、それ、誰が送ってきたんですか?」

 

「知らないよぉ。消印もないし。ま、ファンレターってことで?」

 

先輩はそう言って笑ったけれど、私には見えていた。

彼女の左手が、机の下でわずかに震えていたことに。

 

その手が握っていたのは、ついさっきまで読んでいたと思われる赤ペン。

そして、すでに解かれた“答え”が記されたプリント。

 

でも、あのスープの答えは――

 

 

……これは、誰かの妄想だ。

そしてその“妄想”に、しおり先輩が巻き込まれようとしている。

彼女を見ている“誰か”がいて、その誰かはスープを“現実に適用しようとしている”。

 

そして、それは今夜、もしくは近日中に――

 

私の中で、確信に近いものが芽を出し始めていた。

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