TSウミガメのスープ 作:AJT
ミステリ研を出て階段を下り、昇降口へと向かう途中、私はふと、昇降口近くの掲示板に貼られたポスターの前で立ち止まった。
「進路相談週間」と印刷されたその文字が、日常を装ったまま、無関心にそこにある。けれど今の私には、それすらどこか不気味に見えた。
こんな“日常”の中に、あの問題が投げ込まれている。
透明な水に毒が垂らされたかのように、気づかぬうちに沁み込み、誰かを蝕んでいるかもしれない。
――しおり先輩。
真っ先に浮かんだその名前に、私の心は跳ねた。
無意識にスマホを取り出し、画面を開く。けれど、メッセージアプリに彼女の名前を打つ手は止まる。送る言葉が見つからない。
「先輩、気をつけてください」――そんな唐突な警告、何の裏付けもないまま送ったところで、きっと笑われるか、心配させるだけだろう。
私は、確信が欲しかった。
そのとき、脳裏をかすめたのは、あの「赤ペンプリント」のことだった。
――進路希望調査の裏に、びっしりと書かれた、誰かの感情の痕跡。
しおり先輩のファイルに、紛れ込むように挟まれていたそれは、たしかに異質だった。
赤インクの筆圧は異様に強く、ところどころ紙がめくれ、破れている箇所もあった。
「“言えなかった”……“伝えられなかった”……“でも、ずっと見てた”……?」
その文面の断片が、なぜか頭の中に残っていた。今思えば、それこそが、出題と地続きにある“兆し”だったのではないか。
ある女は、男に想いを伝えられなかった。なぜ?
もしも――仮に私以外の誰かにもこのスープの“出題”されていて、それを自分にしか見えない啓示と誤解し、それをもとに行動を始めていたとしたら?
「……ただの妄想、だったらいいのに」
私は、校門を出てなお、自分の靴音を疑うように聞きながら歩き続けた。
その音が、現実から遠ざかるリズムのように感じてならなかった。
交差点を曲がると、スマホが震えた。画面を見ると、楓からのメッセージ。
>「今日、ミステリ研のアカウントにちょっと変なDM来てたんだけど、見てくれない?」
電柱の影に身体を避けるようにして、私は立ち止まった。通学路の脇道は、夕暮れに染まるオレンジ色の光に満たされている。楓からのメッセージは、短く、しかし確かに不穏な空気を孕んでいた。
普段の彼女なら、こんな曖昧な言い回しはしない。
何か“違和感”を覚えたから、私に共有したいと思ったのだ。
その“違和感”こそ、今の私たちにとって最も大事なシグナルだった。
私はすぐに返信を打ち、通話をかけた。
『……あんた、すぐ出たわね。びっくりした』
「楓、DMって、どういうの?」
『言葉で言ってもアレだから、今スクショ送るわ。Twitterの捨て垢っぽいやつから。先輩たちの代が載せてた集合写真に反応してたみたい』
間もなく画像が届く。
画面を開いた私は、一瞬で息を呑んだ。
> 『彼女の後ろ姿が美しいと思った。
でも、それを口にすれば、壊れてしまいそうで。
だから――ただ、見ている。ずっと。
あのファイル、まだ彼女は持っているだろうか?』
背景は黒。ユーザー名は記号を羅列したもの、アイコンは真っ白なシルエット。
投稿はこの一件だけで、アカウントもすでに消えていた。
「これ……」
「怖いでしょ? しかも、“あのファイル”って、たぶんしおり先輩のことだよね。進路相談の……例の赤ペンの紙が挟まってたファイル」
脈が、喉の奥で強く跳ねた。
「“ずっと見てる”っていう文面、あのスープの出題と一致してる。『想いを伝えられなかった女』……あるいは、それを見てた“男”の側の話かも」
まるで、誰かが――いや、“何か”が――私たちの手に乗るように、言葉と状況を綿密に設計しているようだった。
意図的に、感情を扇動するように。推理ごっこをさせながら、その裏で現実を操作しているように。
「……楓、このアカウント、もう凍結されてるよね?」
「うん。開いたときには既に“存在しないユーザー”って出てた。通知だけが残ってて」
それもまた、不気味だった。
意図的に“誰か”がミステリ研部員を狙って接触し、そして即座に痕跡を消したということだ。
まるで自分の行動が“発見される”ことまで計算していたかのように。
私は、思わず口をつぐんだ。
いや、もう確信している。
“あのスープ”は、私だけのものではない。
むしろ私たちが“解いてきた”と思っていたそれらの出題は、既に“別の誰か”にも届き、“解釈され”、“実行に移されている”可能性がある。
しかも、それが“現実の選択”に結びついているとすれば――
「……私たち、今、ほんとうに事件の中にいるのかも」
「だろうね。しおり先輩のストーカー、直接手を出してきてないけど……これはもう、事件だよ。」
楓の声は、平坦で落ち着いていた。でも、それが逆に怖かった。彼女がどこかで、冷静にこの状況を“分析”しようとしている証拠だったから。自体の深刻さを意識せずにはいられなかった。
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翌日、6限終わりの私と楓だけの教室は、まるで人の気配を吸い込むように静かだった。窓際の席に置かれたカバンに手を伸ばしながら、私はふと、頭の奥に――ぬるりとした、異質な“感触”を覚えた。
心臓が、一瞬で跳ね上がる。
『放課後、彼は一線を越えた。なぜ?(7)』
スープだ。あの脳内に響く出題。明確に“殺意”や“歪み”の気配を含む、重い問いがまた投げかけられた。
今回は、今までと違っていた。
出題の末尾に、見慣れない「(7)」の文字。
最初、それが何を意味するのか理解できなかった。だが、直感的に嫌な予感がした。問いの中に何かの“制限”が含まれているのではないか。あるいは、この数字がゼロになったとき、何かが“起きてしまう”のではないか。
そのとき、隣の席に腰かけていた楓が、唐突に顔を上げた。
「……あんた、今また来たんでしょ?」
私はごくりと喉を鳴らし、無言のまま頷いた。
「出題、内容は?」
「『放課後、彼は一線を越えた。なぜ?』」
「……しおり先輩のこと?」
楓の視線が鋭くなる。その目に宿るのは、驚きよりも“疑念”だ。
「まだ、違う」
私は小さく息を吐き、教室の窓に目を向けた。まるで現実を遠ざけるように。
「これは……“彼”ってある。つまり、男の生徒が“何かを起こした”。で、その行動が“一線を越えた”って表現されてる。誰かへの暴力か、ストーカー的行為か、あるいは――」
「告白……未遂とか?」
楓の言葉が、私の考えと重なる。
「うん、想いが届かなくて、何かが歪んだ。それを“行動”に移した……でも、それは自己完結的で、相手には一方的な“害意”として現れた。たとえば、つきまといとか……」
その瞬間、楓の顔に影が落ちる。
「……あのアカウント。しおり先輩を見てたやつ。あれの主?」
私は頷くしかなかった。
状況証拠しかない。でも、状況は整いすぎていた。
「質問できる?」
「うん。でも――たぶん、回数制限がある。今回、“(7)”って数字が付いてる。おそらく、質問するたびに減っていく」
「20から減らして7の扉ってこと?……7回でダメだったらどうなるわけ……?」
楓の言葉が重く響く。
答えに辿り着かなければ、現実に何かが“発生”してしまう、かもしれない。今まで正解にたどり着かなかったことはほとんど無い。だから、これまで何も無かったとはいえ、仮に正解を見抜けなければ、しおり先輩に危険が及ぶ――いや、“既に何かが起こっている”可能性だってある。
私は、そっと目を閉じた。
頭の中にある“スープ”へ、意識を集中させる。まるで沈黙の空間に問いかけるように。
──教室の空気は、静かだった。
蒼の手のひらには、問いが入力されたメモアプリの画面。
そこに浮かんだ数字付きの新たな出題が、じわじわと私たちを縛っていた。
『放課後、彼は一線を越えた。なぜ?(7)』
何気ないようで、どこか不穏な一文。
まるで結末だけが提示されたバッドエンドを逆算するような感覚。
「まず確認だけど、“彼”って誰?」
楓が腕を組み、唇を尖らせながら訊く。
「いまのとこ、情報はゼロ。でもしおり先輩に関係あるかは、最初の質問でYESだった。つまり、彼女の身近な誰か……?」
「そういうこと。じゃ、直接面識があったか聞こう」
「わかった、“彼”は、しおり先輩と直接面識があった?」
『YES』(残り6)
「YESだって」
「やっぱりね。じゃあ部活関係か、同級生か、あるいは――後輩」
蒼は指で数字をひとつ折りながら、言葉を絞り出す。
「それなら……一線を越えたって、どういう意味?」
「物理的な線ってより、比喩表現っぽいよね。“何かをしでかした”って意味に見える」
「なら確認しよう。“彼”の一線を越える行動は、しおり先輩に対して何らかの接触を伴った?」
『YES』(残り5)
──ここで、分岐が生じた。
蒼は僅かに息を飲む。
「……接触あり。ってことは、しおり先輩に物理的に触れた?」
「うわ。だったら結構ヤバいやつじゃない? それこそ、痴漢とか、誘拐とか……」
楓は眉をひそめる。私も、自然と両腕を抱きしめていた。けれど、どこか、引っかかる。
“接触”って、直接的な手触りだけを指すのだろうか?
でも、その一抹の違和感は、すぐに思考の渦に呑まれた。
「“彼”は、しおり先輩に想いを伝えようとした?」
『YES』(残り4)
「これもYES」
楓が「あー」と納得するように呟いた。
「やっぱ告白系だね。でも、その“伝え方”がアウトだった?」
「かも。じゃあ、しおり先輩に拒絶された?」
『YES』(残り3)
「YESだ」
「失恋した男が、衝動的に“越えた”ってことか」
「……思い込みが激しい人、いるよね。ちょっと笑顔で話しただけで運命とか決めつけるような……」
楓の表情がどこか硬い。
私も、この体になってからすぐの頃に同じような経験があるからわかる。興味のない男性から言い寄られたときの、あの得体の知れない恐怖。
「“彼”は、しおり先輩が自分に好意を持っていると誤解していた?」
『YES』(残り2)
「これもYES」
「あちゃー、完全にストーカー犯決定だね」
そう言いながらも、私は胸の奥に、妙なざわめきを抱えていた。
なにかが違う。答えは、もっと遠くにある気がする。
けれど質問回数は限られていた。
「“彼”の勘違いのきっかけは、しおり先輩の言動によるもの?」
『NO』(残り1)
「え?、NO??」
「……じゃあ、なに? 周りの噂? それとも何か外部の要因……?」
楓が混乱したように呟く。
残り、1問。
「じゃあ最後に。“彼”は、しおり先輩に会いに行った?」
『YES』(残り0)
「YES……だって」
そして。
その瞬間、質問ができなくなったことを理解させられた。頭に浮かぶ
『質問終了』の文字。
それだけで、出題はフェードアウトしてしまった。
答えは与えられない。エフェクトもなければ、警告もない。
だけど――
違和感が残る。
それは、むしろ静かすぎることに由来する沈黙だった。
「ねぇ、これ……終わったの?」
「……うん、たぶん」
でも、言い切れなかった。
なぜだろう。いまの問いの重さが、他のどのスープよりも、質量を持って感じられていた。
まるで、誰かの未来がその問いの中に織り込まれていたかのように。
「……未解決で回数なくなったけど、ペナルティとかないの?」
楓がぽつりとつぶやいた。
たしかにそうだ。
あの“最初のスープ”だって、質問ができなくなっただけで、“不正解”ではない。
スープが出始めたばかりの頃、不正解だった時のペナルティについて考えていた。疑似的な痛みだったり、なにかの制限だったり、直接的でなくても“代償”らしきものがあるのではと身構えていたこともある。
でも今回は……ただ、何も起こらなかった。いいことのはずなのに、何も起きない。それが逆に恐ろしかった。
「……このまま、ほんとに“何も”起こらないのかな」
「……わからない。今回は、はじめて“正解”にたどり着かなかったから……」
「とにかく、しおり先輩のところに行こう」
「そう、だね」
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教室の窓から差し込む夕陽は、すっかり橙から深紅に染まっていた。
時計の針は午後五時をゆうに過ぎている。
それでも、私と楓、そしてしおり先輩は部室に残っていた。誰の言葉でもなく、なんとなく「この時間までは」と決めたような、張り詰めた沈黙が漂っていた。
しおり先輩はというと、鞄の中からお菓子の小袋を取り出して開けていた。
「ふたりともさぁ、さっきからずーっと落ち着きないよ? まるで護衛付きの要人扱いなんだけどぉ~?」
苦笑交じりの間延びした声。でも、先輩の目はどこか不安げだった。気づいているのかもしれない。私と楓の間で流れる、説明のつかない緊張感に。
「……もうすぐ帰宅時間だし、何もなければそれでいいんです」
私は笑ってみせたが、内心では針の上を歩いているような気分だった。
(放課後がいつまでか分からないけど……。本当に、なにも起きない?)
昇降口に並んで靴を履き替える。コンクリートにこもった熱気が、夕暮れの風に押し出されるようにして、空へと放たれていく。
「はぁぁ~、なんだかんだ無事だったねぇ……よかったぁ」
しおり先輩が大きく伸びをした。背筋をぐっと反らせて、気が抜けたように笑う。
「……はい、ほんとに」
その声を出す自分が、少し信じられなかった。声帯の震えが、どこか遠いもののように感じる。
(終わった……のかもしれない)
結局、しおり先輩の付近に件のストーカーらしき影はなかった。周囲を見回しても部活終わりと思しき運動部の生徒達がチラホラ見えるだけ。
脳裏をよぎる「問い」。あれだけ警戒していたのに、何も起こらなかった。杞憂。たまたま、今日じゃなかっただけで、放課後とは、未来の話なのか。
「じゃ、今日は解散でいい? 蒼ちゃんも楓ちゃんも、ほんとありがとねぇ~」
鞄を片手に、先輩が校舎を背にして歩き出す。赤みを帯びた陽光が彼女の髪に透け、揺れる影を長く伸ばしていた。
楓が小さく息を吐くのが聞こえた。その声が、いつもより少しだけ深かった。
――安心、しかけていた。
そして、ふと空を見上げた瞬間。
フェンスを越えた先の、屋上からゆっくりと倒れてくる黒い影。
あまりにも滑らかに行われたそれに、私の思考は停止していた。
空気を裂くような音が、頭上から落ちてきた。
いや、音だけじゃない。人影が――空から、人間が、降ってきたのだ。重力に従って、淡々と。まるで、自分の死が“答え”だったかのように。
「――っ⁉」
咄嗟にしおり先輩の腕を掴み、後ろに引き寄せる。ギリギリで、その影が先輩の目の前――わずか一歩先のアスファルトに、叩きつけられた。
瞬間、空気が震えた。何かが砕けた音。何かが潰れ、弾ける音。
あぁ、人間の四肢が曲がらない方向に力を加えるとこんな音が鳴るのか。
耳の奥で何かが反響する。
黒い制服。赤い液体が、濃く、ぬるりと地面を這っている。
顔が――見えない。
もう、それが誰だったのかなんて、きっと見ても分からないだろう。
「…………ぅ……あ、あ、あ……ぇ?」
酸鼻をきわめる事態を直視し、しおり先輩が喉を詰まらせたように声を漏らす。その手は震え、唇が青ざめている。
「しおり先輩ッ!!!」
駆け寄ってきた楓は、まばたきもできない状態のしおり先輩を“それ”から遮るように抱きしめる。
脳裏を、過去のフレーズがいくつも蘇った。
――“言えなかった”……“伝えられなかった”……“でも、ずっと見てた”
――解けなかったら、なにか起きるの?
――“答えられなかったら、どうなるの?”って――思ったり、しない?
そして、今になって聞こえる、聞きなれた機械音声。
『解答:彼は、女子生徒の目の前に飛び降り自殺をした。』
『“一線を越える”とは、命を絶つことの比喩である。』
吐き気を催すような、背骨を撫でる冷気。
「まさか、答え合わせ……?」
思わず漏れた声が、乾いた空気を震わせる。
私は自問する。
私は……これを止められたのか?
“質問”を……ちゃんとできていたら?
“答え”に……たどり着いていれば?
本当に?
でも、遅かった。
あの問いに向き合ったのは、すでに彼が、屋上への階段に足をかけた後だったのだ。
ウミガメのスープは、現実や物語をなぞった水平思考ゲームだ。
だけど、受け取った人間が、その“意味”を読み誤れば――
それは、思考を歪め、人を追い詰める力になる。
『ある女は、男に想いを伝えられなかった。なぜか?』
――この出題の答えは『人魚姫』だ。
海の王国に住む人魚が、助けた人間の王子に恋をして、声を代償に人間の足を得る。
けれど想いは伝えられず、王子は結婚を諦めていた想い人と結ばれ、失恋の代償に彼女は泡となることを受けいれて海に消える。
“昨夜、このスープの出題にひっかかりを感じていた私は、人魚姫の童話を唐突に思い出し、あっさりと正解を導き出した。
────『解答:女とは人魚姫のこと。海の王国に住む人魚姫は、助けた人間の王子に恋をして、魔女から声を代償に人間の足を得る。しかし声は出せないため、想いは伝えられなかった』────
「……そういうことか」
童話そのものをなぞった問題。出題に「人魚姫」と明記されているわけではない。けれど、手帳の記録を読む限り、出題された男子生徒は、人魚姫に辿りつかないまま、繰り返しスープの中の問答を続け、答えを探そうとしていた。
そして、不幸にも人魚姫と王子の関係と、彼としおり先輩の関係が噛み合ってしまっていたらしい。手帳の質問メモを見るに、どうやら彼は幼い頃に、市民プールで溺れかけていたところを小学生のしおり先輩に助けてもらっていた。それをそのまま質問したところ『YES』と返されてしまったことで、思い込みはさらに加速した。彼との短い接触では、しおり先輩が思い出すことは無かったのだろう。
(つまり、このスープを見た“彼”は、自分を王子に。しおり先輩を、人魚姫に。答えが分からないままに重ねた?)
蒼は手帳の端に、震えるように書かれた一文に気づいた。
『彼女は声を失って、それでも想いを伝えたかったんだよね』
彼はしおり先輩に想いを抱いていた。だが、想いを伝える手段を持たなかったのは自分だと思い込んだのではない。
「彼女は声を失っている」――そう“彼”が解釈したのだ。
さらに、直接出題の答えとは関係の無いはずの、物語の後半部分に関して“スープ”は質問に答えていたらしい。
『人魚姫の想いは伝えられず、王子は修道女と勘違いし結婚を諦めていた他国の姫君と結ばれる。人魚姫は失恋の代償に泡となることを受け入れて海に消えた。』
その上で、出題の中で“女”が死ぬ、という事実がYESと返された時。
“彼”の中で、しおり先輩が“そのうち泡のように消えてしまう存在”になってしまったのだろう。
そして、彼なりに必死に考えた“彼女を救う手段”が――
(……物語を終わらせることだった)
泡になって消える前に、自分と共に“消える”ことで、物語を終わらせようとしたのだ。結局、しおり先輩は巻き込まれることなく、彼女の目の前で、自殺することで、彼は永遠に“記憶”されることになった。
悲劇の前に、自分が先回りして物語を壊す。
滑稽で、身勝手で、でも――あまりにも哀しい。
「しおり先輩……」
私は拳を握り締めた。
彼の行為を肯定するつもりは毛頭ない。
けれど、その思考の過程が、たった一問のスープによって導かれたのだとしたら。
(これはもう……水平思考ゲームじゃない。スープは、ただの知的遊戯じゃない)
言葉の形を借りた呪いになりうる。
そしてそれは、受け取る人間次第でいかようにも変わる。
思い返せば、あの問いには妙な違和感があった。
『ある女は、男に想いを伝えられなかった。なぜか?』
誰が誰に想いを寄せているのか。誰が“語り手”なのか。
この問いの曖昧さが、彼の思考を歪め、現実を曲げてしまった。
そして、待っていたと言わんばかりの“答え合わせ”のこと。
ここまでされてようやく気づいた。
(これは……出題者の意図だ)
やはり、出題は無作為じゃない。ランダムでもない。
この問いが“彼”に与えられたのは、彼だからだった。
そして、きっと私も――
あの“最初の問い”へと繋がるなにかがある。
(……私は、まだきっかけにすら辿り着いてない)
赤く染まった校庭を見つめながら、蒼は静かに息を吐いた。
空は茜から、夜の色へと変わりはじめていた。