蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~   作:サークル『熊の巣穴』

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107 世博展示飛行「THE DEMON LORD’s CIRCUS」

央暦1970年3月18日

長坂 万里(ばんり)山 葦原世界博覧会会場

西国(せいこく)毎朝(まいあさ)新聞社

四谷(よつや)

 

 今日遂に、また蒼い機体が見られる。

 内心で沸き立つワクワクを胸の内に押し留めながら、あたしは世界博覧会の入場待機列に入った。

 

 地元欄の取材のために、ご老体方の生活に合わせた経験がここで役に立つとは。

 日付が変わって2時間、未だ真っ暗な世界の中であたしは待機列に並んだ。

 

「最前列……のはずなのに」

 

 あたしの目前では既に、数十人規模の待機列を形成しているのが見えた。

 信じられない、丑三つ時にもう並び始めるなんて……

 こいつら、日付が変わる前から徹夜してるんじゃないの?

 

 確か開場2時間前が入場待機の時間だったはず……

 連中は明らかに決まりを無視していた。

 ぶっちゃけ、あたしもその内のひとりだけど。

 

「でも、待つしかない……

最高の場所を確保して蒼い機体の展示飛行を納めなきゃ」

 

 開会式の展示飛行は、開場から2時間後。

 その頃には開場中に人が散らばって、見晴らしのいい場所は抑えられてしまう。

 

 誰かに取られる前に、あたしが取らなきゃ!

 

◆ ◆ ◆

 

 空が白み、日が昇り、白みがかった青空が頭上を覆った。

 少し日差しが鬱陶しいけれど、飛行機を撮影するには最高の天気だった。

 

 時刻は開場間近、背後では遅れてきた(・・・・・)連中がぎゅうぎゅうと押し合っていた。

 辺りで座り込んでいた連中も立ち上がり、いそいそと準備を始める。

 あたしもそろそろ、動く準備をしないと。

 

 射影機のファインダーを覗き込み、レンズの状態をチェック。

 フィルムの装填と予備の確認。

 足の調子もよし。

 

 準備は万端だ。

 

「これより、葦原世界博覧会を開場します!」

 

 拡声器で係員が叫んだ。

 直後、最前列の連中が駆けだした。

 

「走らないでください! 走らないでください!」

 

 さすがのあたしも、ここでは走るほどがめつくはないけど……

 やっぱり田舎者はそうもいかない。

 

「しゃあっ! 合衆国館にいっけぇっ!」

 

 などと叫びながら、入場口に突貫していった。

 周囲の田舎者の攻勢をかわしながら、あたしも入場口に到着した。

 

「お願いしまーす」

 

「はい。ようこそ、世界博覧会へ!」

 

「おら早くどけっ!」

 

「おおっと」

 

 荒っぽい田舎者の腕をかわし、会場の中へ。

 あんな奴に構っている暇はない、最高の場所を確保しなくちゃ!

 

 開会から数日、この会場を歩いて目星はつけていた。

 見晴らしがよくて、変な通行人が出にくい場所。

 

 世博アリーナ、イベント用に造られた屋外広場だ。

 展示飛行を開会式の演目にする都合で、天井のないここが選ばれた。

 

 中から撮影するのも一興だけれど、そこは先輩たちにお任せ。

 あたしはこのアリーナ外周、裏口に近い場所にある広場に目をつけていた。

 

 ここは会場の端っこで人通りが少ない上に、背の高い建物は少ない。

 蒼い機体を撮影するのに最高のスポットだ。

 

 問題は警備員がいて一般人が入れないところなんだけど……

 あたしには秘策があった。

 

「どもー、報道でーす」

 

「お疲れ様でーす」

 

 あたしが首から提げた報道の名札。

 別に許可を受けたわけではないけれど、堂々としていれば意外とバレないものだ。

 関係者以外は立ち入りが禁じられた空間へ。

 

 というわけで実際にたどり着いてみると……やっぱり、ここ以上のポジションはない!

 

「よしよし、他に誰もいないし……ここしかない!

本番の前に、何枚か撮って確認するか」

 

 肝心な本番で、予期せぬ問題に直面したらたまらない。

 射影機の確認のため、あたしはファインダーを覗き込んだ。

 青空の色味、会場を歩く人々、アリーナを見上げる。

 

 吐き出された写真を見て……よし、問題なし。

 

「よーしっと。それじゃあ今度は、映像だ」

 

 あたしは伊達に、新聞社に記者としてお呼びが掛かったわけじゃない。

 カメラを用いた映像とは比較にならないけど、射影魔法で映像と音声の収録も出来る。

 品質としてはテレビやラジオで流せるほどではないけど、確たる証拠や記録程度になら実用に耐えるものだ。

 

 魔力の流れを変えて、視覚と聴覚に接続する。

 あとは手のひらで包んだ記録魔石にあたしの見聞きした情報が記録される。

 カメラと違って映像の品質は悪いけど、手のひら大の荷物で全部完結するのが射影魔法の撮影で最大の利点だ。

 

 ぶらりと辺りを歩いてみる。

 会場内の大半では人がごった返しているのに、この空間だけは人々の喧騒を遠くに感じるばかり。

 やはり関係者以外立ち入り禁止という看板は、とても強い。

 

 改めて、記録した映像を脳内で再生する。

 問題は……なさそうだ。

 

「えっ……神機隊って負けちゃったの?」

 

 ふと、どこかで聞き覚えのある声があたしの耳に届いた。

 記者としての勘が、今は動くべきだと囁いた。

 

 映像の記録を開始して、角の向こうを覗き込んだ。

 

「ご、ご存じなかったんですか? 夷俘海峡で幕府軍の神兵に負けたとか」

 

 その声の主は、知っているなんてもんじゃなかった。

 毎朝のようにテレビやラジオ、新聞で顔を出している男。

 今最も葦原で有名な個人、伊邪哭國男最高神祇伯だった。

 

 彼は秘書らしき男と共に、煙草を吹かしていた。

 

「えーっ……マジかぁ……えー、そんなに強くなかったんだぁ。

無駄だったなぁ、あれ彫ったの」

 

 最高神祇伯、彫刻、神機隊。

 頭の中で単語が絡み合い、ひとつの答えを導き出した。

 

 政府のパビリオンでは、國男が自分の彫刻を展示していたはずだ。

 テーマは……神機隊。

 

 呆れた。

 まさか、推し(・・)ている部隊が負けたからといって、手のひらを返すとは。

 それもずっと前に起きた件を今さら知るなんて。

 

 元からあたしは若櫻の田舎者に期待なんてしていなかったけど……

 なんだかすごく、肩透かしを受けた気分になった。

 

 でもその点、蒼い機体は連戦連勝。

 手のひらを返す必要なんてなかった。

 

「あれ? でも、その幕府の神兵っていうの。

確か展示飛行に来るんじゃなかったっけ?」

 

「ですからぁ、来るって言ったじゃないですか。

私は何度も確認してましたよ!」

 

「あっれー、そうだったっけ……

あっ、これいい機会じゃない?」

 

「へ?」

 

「ちょっと、通信機出して」

 

 深い意図はなく手慰みに始めた盗撮だったけれど……

 何だか話が、危険な方向へ向かっている気がする。

 

 秘書から魔力通信機を受け取った國男は、周波数を操作して……

 語り出した。

 

「もしもし? あ、俺だけど。展示飛行に神兵ってのが来るんだよね?

あれさぁ……この機会にやっちゃおうよ!」

 

「じっ、最高神祇伯っ⁉ なにをっ⁈」

 

 は?

 い、いやいやいやいやいや……

 イベントの展示飛行にやって来たよそ様を、攻撃する?

 

 通話先が誰かなんて、わかりっこないけど……

 相手が誰であろうと、冗談で済まないのは確実だ。

 

「だからぁ……撃墜しちゃえばいいんだよ。この機会に!

敵の最高戦力を!」

 

 言った……言った言った言った!

 肝心要(かんじんかなめ)の一言を!

 

 信じられない。

 軍の急進派がこの間、暴走して蒼い機体含む将軍と向こうの親王を攻撃したばかりなのに!

 自ら顔を出して、その暴走を陳謝して舌の根も乾かぬうちなのに!

 

 蒼い機体を、撃墜させようだなんて!

 

「あのさ。俺は軍の総司令官なの。抗命(こうめい)とか、出来ると思ってる?

それともなに、戦闘機1つに負けると思ってるの?

リールランド製の兵器をくれてやったのに。武揚を陥としたのに!」

 

 話し相手も異論を唱えているらしい。

 軍事の素人であるあたしだって、こんなの論外だってわかる。

 

「あのさ。あいつの肩書なんて、ただの名誉職。実権なんかない、ただのガキ。

はぁ? 当たり前でしょ? そんな事もわからない?

従うべきがどっちか、わかるでしょ?

それともなに、南方出身の軍人って銃殺刑にでもならないと理解出来ない?」

 

 ただの思い付きだというのに、恐ろしく強い圧力がこの距離でも伝わってきた。

 全てが薄っぺらいと知っているはずなのに、苛立ちを孕んだ声が響くだけで思わず身体が震えてしまう。

 さすがは口で葦原の半分以上を動かした男、とんでもない迫力だった。

 

「ちっ……お前さぁ! なに、あんな血筋だけの……」

 

 國男が苛立ちを声だけでなく動作で表しはじめた。

 その動作で彼は振り向いて……あたしと、視線が合った。

 

 数秒、互いに硬直する。

 國男の視線があたしの目から、少し下に降りた。

 

 あたしの目、顔の少し下。

 首にあるのは、報道の名札。

 

 報道の人間は基本的に、射影魔法の使い手であることが多い。

 もちろん、映像の記録だってピンキリとはいえ出来る。

 

 これは周知の事実だった。

 実際今もなお、あたしは自分の視聴覚を記録している。

 

 國男の表情がさっと変わり、映像や紙面の向こうにある笑みに変じた。

 表情の裏にあるその心は……知りたくなかった。

 

 踵を返して、あたしは駆け出した。

 

 まずい。

 まずいまずいまずいまずいっ!

 

 記者としてのほんのわずかな好奇心が、とんでもない瞬間を捉えてしまった!

 あんなに油断して、堂々と放言していても知られたくない事実なのは確実!

 

 政府は民衆の後押しが背景にあるとはいえ、幕府側の要人の首を要求する手合いだ。

 この首は比喩ではなく、文字通りの生首だ。

 

 彼らに捕まったら?

 そんなの……想像もしたくない!

 

 背後から追いかけてくる気配はない。

 それでも、この会場に留まるべきではないのはわかる。

 

 さっき通った警備員の間をすり抜けて、人のいる場へ。

 

「え? 背の低い……ちょっと君、待て!」

 

 予感は的中した。

 警備が通信機越しに命令を受けて、あたしを捕まえようとしてくる!

 

 あたしも伊達に記者をやっていない。

 人込みにあえて飛び込んで、背の低さを活かして退場口へ向かう人の陰に潜み……

 

「い、いない……? 追われてない……?」

 

 背後を確認しつつ、前進。

 警備員らしき姿はなし、従業員らしき人間もあたしを追う気配はない。

 

 ならばよし。

 問題は、退場口で……

 

「おいチビ」

 

「ひっ……」

 

「先輩、どう……なんだ、四谷さんじゃないか」

 

 正面から呼び止められ、思わず硬直しちゃったけど……

 思い返してみれば、聞き慣れた声だった。

 

 皮のハンチング帽を被った、先輩だった。

 既に正規の報道として、世博開会式の取材許可を得ているこの人は、開会式に合わせてゆっくりと入場すると聞いていた。

 

 そうか、もうそんな時間なんだ。

 つまり……蒼い機体が危ない!

 

「お前、展示飛行の撮影に集中するって話だったよな?

なにしてんの?」

 

「そ、そのっ……あたしは……」

 

「まさかサボるつもりじゃねぇだろうな?」

 

 話すべきか?

 先輩に全部話して、助けを求めれば……

 

 いやダメだ、先輩の精神は小物そのもの。

 処刑も考慮している政府に逆らうような事なんて、絶対にしない。

 あたしは、警備員に突き出されるだろう。

 

 でも、退場口は間違いなく防御が固められている。

 ひとりで脱出は……無理だ。

 

 なら、頭を使わなきゃ。

 この状況を脱するために、搦め手が必要だ。

 

 意を決して、あたしは口を開いた。

 

「と、特ダネです。先輩」

 

「なに?」

 

「あたし、とんでもない特ダネ掴んじゃいました」

 

 少しだけ、先輩の表情が険しくなった。

 

「どんなだ?」

 

「幕府の……幕府館で……」

 

 あたしは慌てた様子で周囲を伺い、尾行の存在を匂わせる。

 幕府館、世博に関わるスキャンダルも匂わせて、世博運営と揉めている印象を与える。

 

 嘘を信じさせる時、事実を交えると真実味が出る。

 だから記事には9割9分の嘘と1分の真実があればいい。

 

 他ならぬ、先輩の言だ。

 

「……っし。オタク、付き合えや」

 

「ぼ、僕ですかぁ?」

 

「ったりめぇだ。チビ、こいつ被っとけ」

 

 先輩はあたしの首から報道の名札を放り捨て、自分のハンチング帽を被せた。

 逃げるのに手いっぱいで、人相や身分を隠すことなんて頭になかった。

 

「オタク、お前もだ。名札はポッケにしまっとけ」

 

「あ、はいっ」

 

 そのままふたりと一緒に、退場口へと向かう。

 

「どっ、どうやって抜け出すんですか?」

 

「なあに手はある……チビ、ぐったりとしろ」

 

「え?」

 

「手早く抜けたいんだろ? 急げっ」

 

 言われた通り、あたしは両脚から力を抜いてその場に伏せた。

 先輩は手を貸してくれなかったけど……

 

「おーおーおー、急病人だ! オタク運べ!」

 

「え、僕ですか⁈」

 

「そうださっさと病院だ!」

 

 非力なオタクくんが、ようやっとの思いであたしに肩を貸した……

 あたしは重くないんだけど、こいつが非力すぎるだけなんだけど。

 

 ともかく、体調を悪くした人間を装ってあたしたちは退場口へと向かった。

 道中では急病人と見られたらしく、警備員や従業員に咎められることはなかった。

 

 問題は、退場するその瞬間だ。

 

「そのっ、先輩っ。あたし、もしかしたら退場口で咎められるかも……」

 

「心配するな、手はある」

 

 珍しく、普段やる気のない先輩は自信満々にそう言ってのけた。

 先頭に立って、退場口に向かって歩く。

 

「失礼します。その子、どうなさったんでしょう?」

 

 やっぱり、咎められた!

 呼吸が荒くならないように、呼吸を緩やかに……

 

「ああいやね! こいつ人混みが苦手なのに行くって聞かなくて……

で、御覧の通り」

 

「医務室へご案内しましょうか? 休んでいかれた方がいいのでは?」

 

 心配している割には、警備員が続々と集まってくる。

 あたしに肩を貸しているオタクくんの反応からして、死角に相当集まっているらしい。

 

「あー……本当は話したくなかったんだが」

 

「? というと?」

 

「俺ぁ、こういうモンだ」

 

 先輩が懐に手を伸ばして……なにかの札を見せた。

 内容は……あたしからはよく見えない。

 

「……禁裏付(きんりづき)?」

 

 禁裏付は幕府が天下を取っていた時代、帝やその一族を守る役目を帯びていた組織だ。

 内戦で京が戦場となった時、幕府軍と違って政府軍に手を出さなかった。

 幕府の命令を無視して、脱出しそびれた弘山親王を守り続けた。

 

「悪いな、更新が間に合ってないんだ。

今は近衛兵団だ」

 

 近衛兵団は禁裏付の後継組織。

 政府軍に攻撃の意図を見せなかった事で政府は幕府に属していたことを不問とした。

 

 しかしそのまま同じ看板で続けることは許さずに、顔ぶれは同じまま幸彦藩の人間を編入させて近衛兵団という新たな組織で帝室(ていしつ)護衛を許した。

 もちろん、この幸彦藩の人間はお目付け役。

 頭数も権限もない、大したことが出来ないから放置されているだけの集団だ。

 

 先輩がそんなところにいるなんて、聞いたことがない。

 十中八九、ペテンだ!

 

 だけどただのペテンじゃない。

 世博開会式には弘山親王も参加予定だ。

 だから近衛兵団が会場で何らかの行動をしていても、不思議じゃない!

 

「世博に潜り込んだ不逞な輩を拘束したんだ、命令でな。

悪いが連れ出す必要もあるんだ。尋問を要する」

 

 場の空気が、困惑に変わった。

 

「……聞いてたか?」

 

「いや。近衛兵団の案件だったのか」

 

 警備員から、囁き声が聞こえた。

 

 しめた!

 國男は自分の醜聞を知った人間だと、警備には伝えなかったんだ。

 ただ、あたしのような報道を拘束しろと命令を受けただけ!

 

「じゃあ、ぐったりしてるのは?」

 

「大声じゃ話せないんだが……この細いの、魔術の使い手でな。

不逞な輩を麻痺させてる」

 

「え、そ、そうですっ!」

 

 い、一切打ち合わせもしていない嘘がポンポン出てくる……

 でも、間違いなくそれっぽい嘘だ。

 荒唐無稽(こうとうむけい)な嘘も、真剣な様子で話されると事実っぽく思えてしまう。

 

「さあて、魔力も無限じゃない。先を急がせてくれないか?」

 

「申し訳ないが、お待ちを。上に確認を……」

 

「いいか、事態は急を要するんだ!

確認してたら、連中が何をしでかすかわからん!

事前に防ぐため、一秒でも早くこいつを吐かせる必要があるんだ!」

 

 冷静な語り口調が突如として崩れ、焦りを表に出した。

 真実味のある演技に世博の従業員たちは気圧され……

 

「た、確かに。お気をつけて」

 

「ありがとう。みんなも、警戒を厳にするように。

ほら、行くぞっ。施設乙だ、急げっ」

 

「ひーっ、ひーっ……」

 

「オタク走れ、止まるな!」

 

 ありもしない施設の名を告げて、あたしたちは駆け足で離れた。

 退場口は遠ざかり、彼らの死角に。

 

「フゥッ! やっぱり、人生はヒリついてないと面白味が足らないな!」

 

 などと言いながら、先輩は心底楽しそうに笑ってみせた。

 笑い事じゃない、こっちは文字通り命の危機だというのに。

 

 だというのに、あたしはまだ自分の好奇心を抑制できなかった。

 

「近衛兵団の身分証なんて……

偽物だってバレたら処刑されちゃいますよ?」

 

「大丈夫さ、そんな事にはならない」

 

 そう言って、先輩は古びた身分証入れを懐にしまい込んだ。

 

「それよりチビ、これからどうする?」

 

「か、会場を離れます」

 

「じゃあバスがいいな。

いまバス会社の指令室は能力を超えた需要でまともに通信が出来ちゃいない。

指示が降りてきても、お前が潜り込んだって情報は現場に届かないだろうさ」

 

 なんというか、いつもの適当な先輩じゃないような?

 めっちゃイキイキしてるし、手際もいいし……

 

 なんて考えている間に、バスが来た。

 帰りのための、最初のバス。

 

「じゃあ先輩っ、ありがとうございましたっ。後でお礼しますんでっ!」

 

「ああ、期待しないで……っておいこら! それ長坂空港行きだぞっ!」

 

 もちろん、あたしは承知の上だ。

 あたしの目的地は地元の京じゃない。

 

 蒼い機体が宿にしているという、長坂空港なんだから。

 

「あれ? 開場したばかりなのに、もう帰るのかい?」

 

「宿に忘れ物しちゃったんで!」

 

「そりゃあ災難だったね」

 

 運転手さんに挨拶をして、席に座り込む。

 ふと先輩とオタク君の方を伺った。

 

 先輩は懐から魔力通信機を出して……何事か話している。

 あたしは記者だけあって、読唇術をかじっている。

 

 あの人の唇は、こう動いていた。

 

『よう、さいしょ』

 

 何のことだかさっぱりわからないけれど……

 なぜか気になった先輩の会話だけど、全貌を把握する前にバスは遠ざかってしまった。

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