蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~ 作:サークル『熊の巣穴』
央暦1970年3月18日
長坂
葦原国大和幕府空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』
志村“Chase”良介二等空尉
開かれた装甲バスの後部ドアから、眩い光が差し込む。
幻惑される明るみで最初に見た顔は、この世界の大政奉還と聞いて真っ先に想起される男であった。
「志村二尉。鈴木一佐。松代飛行頭。空知飛行隊士。それに四谷記者。
ここまでよく来てくれた」
恐らくこの
幕府空軍のトップである空軍総裁にして、幕府の長である征夷大将軍の兄
「あんたのお望み通り、ここまで来てやったぞ」
良介のかなり生意気な態度に、付き人の赫助は不快感を露わにしたが───
感情が言動から出る前に、宗治郎が制した。
「先の展示飛行での騒ぎ、下から見せてもらった。
あの
「ちぇっ、言うに事欠いてそれかよ」
大層な肩書きを持つ男だが、本人曰くそれ以前に性根が戦闘機乗りだという。
自称に違わぬ空戦バカぶりを垣間見せた彼に従い、ペンギン隊+1名は世界博覧会会場南出入り口に出た。
空から見ていたのでわかる。
この出入り口は先ほど、良介の挑発で逃げ出した國男が利用した出入り口だ。
車両の乗り入れ口の路面には、急発進したタイヤの黒い摩擦痕が残っていた。
「さっきの騒ぎ見てたなら知ってると思うけど……
あれ、怒らないの?」
「そうだな……後ほど始末書を書いてもらう事になるだろう。
しかし痛快だったぞ。
あの無責任野郎が、血相変えて逃げ出す様を見ていたんだからな」
とても来賓を案内しているとは思えない早足で進み、一行はアリーナの関係者で入り口に入った。
「あ、あの……総裁閣下。質問をしてもよろしいでしょうか?」
「構わん、話すといい」
ゆきがおずおずと、宗治郎に尋ねた。
恐らくその質問とやらは、良介含めた全員が抱く疑問の代弁となるだろう。
「我々は、どちらへ向かっているのです?」
「無論、世博開会式の壇上だ」
「そっ、そこで一体何を……?」
「愚問だな……我々大和幕府は世界博覧会という場で、政をお返しするのだ。
次なる帝である、春川親王殿下にな」
たまげた、たまげてしまった。
このタイミングを考えれば、十二分に想像が出来た。
大政奉還を、世界博覧会で行うと。
しかし想像出来たところで現実とは思えなかった。
まさか開会式の
「言っておくが、これは世界博覧会に参加する……そうだな。
列強と呼べる諸国は承知済みだ。それに、弘山親王殿下もな」
「弘山親王殿下……賊軍に祭り上げられた殿下も?」
「殿下は遊覧飛行がお好きでな……特に葦原海の空がお気に入りだそうだ。
公海上であるため我が幕府空軍の機体も、何度かすれ違っている。
軍用機ではなく、先の帝の遺児がお乗り遊ばれる御料機……
攻撃する理由は皆無だ」
妙に政府側───いや、弘山親王派閥の近衛兵団が協力的な理由が明らかになった。
弘山親王は独自に幕府側と連絡を密にしていたのだ。
「うむ。弘山親王殿下の御料機は我が兄、松代信繁が機長を務めている」
ここで意外な人物が口を挟んだ。
真田藩現藩主にして、ペンギン隊3番機のあくりだ。
いつ頃から参加したのか定かではないが、この大政奉還。
真田藩も一枚噛んでいると見るべきだろう。
「……宗治郎さんよ。あんた随分、大きな絵画を描いてたんだな」
「ああ、大きな絵画だ。この絵画は、俺達兄弟だけではない。
先の将軍から描かれ続けた、2代に渡る絵画なのだからな。
横から入ってきた連中に、随分と狂わされたが」
葦原における武士の歴史は1000年にも及ぶとされている。
大和幕府の歴史だけでも数百年に及ぶのだから、終わらせるには並大抵の覚悟と準備では失敗する。
長い時が大きな既得権益を生じさせ、既得権益が変化を潰してしまう。
そうやってズルズルと続いてしまった大和幕府という時代遅れな組織。
これを終わらせるには親子2代という時を要し、帝という将軍とは別の権威を挟む必要があり。
そして事情を知らぬ新政府という横槍が入りながらも、ここまで漕ぎ着けたのだろう。
「……葦原政府って、この件に関して完全に外野なんだよね?」
「無論だ。血を流さぬように、親父と弟は裏で根回しを進めていたのだ。
老中連中すら、この件は知らんのだからな」
「政治担当無視して、こんなサプライズ仕込んでたのかよ……」
「何だかんだ今まで世話になったあいつらには悪いが、
あいつらは政を回している身の上。
既得権益を得ている最たる者だからな。確実に頷かん。妨害する側に回るだろう」
世襲と階級で無理矢理維持しているような社会なのだ。
例え
「……で。
まさか一瞬の伝説をやるためだけに、こんな事してるわけじゃないよね?」
「うむ。大政奉還は、次へ移るため避けられない場に過ぎん」
次。
幕府が政治を帝に返して、次に行う事と来れば───
───今、考えるのはよそう。多分、明るい話じゃない。
確かにな。
仕掛け人である宗治郎の表情は、大きな絵画が完成する直前とは思えぬ険しいもの。
この次に待ち受けるものを、覚悟した上で場に臨んでいるのは明白だ。
開会式の喧騒が足を踏み出すたびに近づき。
やがて、その目前で一行は止められた。
「よし、猶予はあるな。皆、合図で俺に続くように」
「俺らはどうすればいいんだ?」
「細かい事は春川親王殿下と
貴官らは言われた事に頷いて……そうだな、志村二尉。
それっぽい事を多少口にするくらいは構わない」
「なんで俺を名指しするんだ?」
「言われなくてもわかってるだろ、出しゃばり野郎」
ボスから背中を小突かれ、当然のツッコミを受ける。
「じゃあ、ヘルメットは? どっかに置いておいた方がいい?」
どういうわけか、良介達ペンギン隊は帰還した直後の装備のままここへ連れられて来た。
飛行中に身につけるヘルメットすら、小脇に抱えているのだ。
流石にこのような場には、相応しくないだろう。
「いや。そのまま抱えておくように」
「でも……俺のとか、デカール貼ってあるんだけど」
良介のヘルメットには、ペンギン隊の象徴であるブサイクペンギンのデカールが貼られていた。
一方のボスは、以前からエンブレムのデカールを貼っていなかった。
代わりに今のTACネームであるボスのデカールを、以前のTACネームであるスネークの上に貼っていた。
葦原現地のゆきとあくりも、それぞれの原隊とペンギン隊のエンブレム、それとTACネームのデカールを貼っている。
ゆきなら竜司、あくりなら大助という具合に。
お堅い場へ持ち込むには、ドレスコード違反ではないだろうか?
「それがむしろ、都合がいいのだ」
「都合?」
「報道陣は貴官らを遠目に撮影するが、彼らにしてみれば本物という保証がない。
ペンギン隊の印があれば、一目でわかるというものだ」
なるほど、戦闘機乗りの顔を知るものはわずか───
中でもほぼ要人のような存在である良介の素顔など知る者はいない。
エンブレムを身につけている人間こそが、ペンギン隊というわけか。
遠い場所からの撮影、というわけだから人相も大衆に広まりはしない。
「あ、あのー……あたしはどうすればいいんでしょー?」
と、ここで四谷が口を挟む機会が出来た。
世博開会式に参加だの、大政奉還だの、彼女にとっては寝耳に水だったに違いない。
それは良介達にも言える事だが。
「そこな記者、こちらへ」
「あ、はいはい」
困惑していた四谷を呼び寄せたのは、馬廻衆の井伊飯釜であった。
さすがに彼女もペンギン隊の一員として扱う気はないというわけだ。
しかし───彼女もこの場に連れて来た理由がわからない。
ジャーナリストはアリーナに集まった報道陣で十分なはず。
ペンギン隊の飛行を間近に捉えた記者を別で呼びつける、その理由とは?
なにか、見落としているような気がしていた。
「松平公、間もなくです」
「うむ。皆、殿下達の
古臭い連中に、どのような因縁をつけられるかわからん」
「もちろんです」
「ああ、覗かぬよう努力する」
「別に、男に興味はないし……」
「……本当か?」
「顔を隠した男の素顔なんて、興味ないから」
良介の言葉に、宗治郎は怪訝な表情を見せた。
ふたりの親王ということは、ふたりの男という事。
女の子であれば、話は別になるだろうが───
───なっ、なっなっ、な……ならないよ?
嘘こけ。
ここでひとつ、御簾について思い出しておこう。
いざ現物を目の当たりにして、混乱するといけないからな。
時代劇などに登場する貴族などが囲われている
パンピー如きが、神聖なるお方のおツラを拝もうとはお無礼お千万!
というわけで、顔どころかシルエットすらも隠すというものである。
有力者が衆目に晒されると、神通力が落ちるという迷信が葦原にはある。
現代的な技術を備えるこの世界の央暦1970年でも、幕府という封建社会。
未だ、やんごとなき方は隠れなければならないのだ。
「四谷記者、目立たぬよう続くように」
「わ、わかりましたー……」
良介達に先立って、四谷がステージへと向かっていった。
歌舞伎でいう花道のような通路があり、中央の舞台に続いているらしい。
そうして間もなく、ステージから聞こえて来る喧騒が静まった。
ステージを照らす眩い照明がスッと消え、吹き抜けの天井から差し込む日差しだけが光をもたらしている。
向こうの様子を伺っているスタッフが、宗治郎に視線をやった。
「よし、後に続け。御簾を見ぬようにな」
良介は改めて、ペンギン隊の面々を振り返った。
ボスはいつもの如く、冷静な様子で頷く。
あくりは凛々しく、緊張などないかのような面持ちで首肯。
ゆきは───彼女だけは、緊張と不安を表情に滲ませていた。
しかし、もうキャンセル出来るような状況ではないと自覚はあるようで。
少しだけ遅れて、口に出した。
「はいっ」
「行くぞ」
台本なし、リハーサル皆無。
完全一発撮りの本番大舞台。
流石の良介ですら、心臓が高鳴った。
───……なんで俺、異世界でこんな場に出てるんだろう?
さあな、私にもわからん。
最善を尽くした結果───なんか凄い場に呼ばれたとしか言いようがない。
───俺、こんな場とは無縁だと思ってたんだけどなぁ。
お世辞にもお行儀の良い人間ではないからな。
こういった場といえば、裁判所の被告人が一番近いか。
───うるせぇ。
前方を歩く宗治郎が頭を伏せているのを見て、良介は御簾の件を思い出した。
厳密には、身体に適応させた。
しかしやはり、反射神経と無意識は制御し難いもので。
良介はステージ中央に意識を向けてしまった。
そこに人を覆うものなど、どこにもなかった。
「あれれ? 御簾なんてないぞ?」
小さな独り言だったが、宗治郎の耳に届いたらしい。
彼は驚いたように顔を上げ、ステージ中央を見やった。
中央のど真ん中にふたつの椅子、ふたりの人影。
側面には見覚えのある、派手なドレスにも見える衣装の女の子と、その取り巻き。
そして、あの
「……どういうことだ」
実の弟ならば、この距離でもわかるという事だろう。
「……なるべく見ないようにっ」
あとで検証される可能性を考慮して、良介は中央の人物を意識に留めてしまう前に顔を伏せた。
なんであれ、この景色は報道陣によって撮影されているのだから。
───でも、親王ふたりを隠す御簾はない……
なにやら想像以上に───宗治郎の想像すら超えるほど、この大政奉還は大きな場となるらしい。
自分達に向けられたカメラのフラッシュ量から、良介は理解した。
花道のような通路を歩いてしばらく。
どうやら到着したらしい。
視線の先には四谷と飯釜がいて、歩み寄る良介達ペンギン隊を撮影していた。
ある程度移動に関しての裁量もあるらしく、彼女は背後へと回った。
恐らく、ペンギン隊と親王を同じ画角に収めるため。
どう考えても、人相が写真で伺えるほどの距離感だった。
「ひざまずけ」
宗治郎にならって、ペンギン隊は片膝をついた。
下が畳ではないので、洋風にやるという事らしい。
良介とて、ここで反抗するほど愚かではない。
俯いたまま、じっと待つ。
「幕府空軍、松平宗治郎。幕府空軍、ペンギン隊」
良介達が呼び掛けられた。
───あれれ? 男にしては、妙に高い声だぞ。
それに変声期前だとしても、やけに女の子っぽいような?
それもあるが、この声。
明らかに聞き覚えのある声だぞ。
この動揺が、特に命の危険がないという確信が、良介から集中力を奪い取った。
良介のようなナンパ野郎が例え守備範囲外だとしても、
何事か話し終わると、前方で椅子から立ち上がる気配を感じた。
周囲からどよめきが上がる。
これが予定にはない、慣習では考えられない事態だと見える。
立ち上がった気配はゆっくりと、かつ確実に歩み寄り。
やがて良介の視界に一対の足が入り込んだ。
「……私は、もう会えないと思っていた唯一の肉親と再会できました。
共に語らい、戦うと誓い合えました……良介さんのおかげです」
彼女は、現公はそう囁いた。
まったく、もっと早くに気付くべきだったな。
武士に姫武者という慣習があり、男の名を名乗る女がいる社会なのだ。
なぜ公家や帝のような人間にも、同じような慣習がないと思えるのか?
なぜ親王ならば女の子だと断言出来るのか?
我々の知る現実と似通った、
なぜ全てが一緒だと思えるのか?
「酷いな……こんな近くにいたのに、黙ってたなんて」
「お返しです。あの時の」
良介が幕府の八咫烏、チェイスであると黙っていた。
あの初対面の話である。
「それを出されちゃ、責められないな」
良介は声に笑みを含ませて答えた。
お互い言えない事情があったのは間違いないが───この手の冗談に堅い事は言いっこなしである。
パシャっ。
今度は真横で、シャッターを切る音が聞こえた。
四谷が記者として仕事をしているのだろう。
彼女も偶然の成り行きとはいえ、とんでもない事に巻き込まれたものである。
姿を晒せば、神通力が落ちる。
この迷信を否定するという、とんでもない重責が課せられたのだから。
「皆さん、お顔を上げてお立ちください」
「いいの? 神通力、飛んでいっちゃうぜ?」
「今更です。それに……私にとっての力は、あなた方なのですから。
制約ばかりで何の意味もない力など……いりません」
違いない。
御簾のない現状、このアリーナの観客は既に現公の姿を目撃している。
さらに報道陣や四谷によって、彼女達の姿は拡散されるのだから。
───制約ばかりで何の意味もない力、か……
実際、帝の権力で内戦は止められなかった。
その後、引き裂かれた姉弟が持つ権力も、帝の血筋という看板ばかり。
どう扱うか、どう扱えるかは周囲の大人次第。
本人達には、何の力もなかったのだ。
───こんな子に、こんな悲しい事言わせやがって。
ある種、自分達の血の否定だ。
そう言わせてしまうほど、葦原内戦は現公の心を傷つけたのだ。
改めて、良介は頭の中で整理して───
目前の現公と顔を合わせた。
「これで私達は……対等です」
「俺はいつだって、そうするつもりだったけどね」
澱みない本心を口にすると、現公は良介の胸に何かを引っ掛けた。
これは───勲章か?
まだ現公の手にあったそれを見ると───
蒼と黒の、F-2の海洋迷彩を想起させるリボン。
それに葦原の国旗である碁盤の目と、葦原の
日本の国旗である日の丸。
そしてペンギン隊のブサイクペンギンを模った
意匠についてはともかく、幕府軍に勲章という制度は存在しない。
これは新しく作られた勲章だと確信出来た。
「これは?」
「幕府軍に代わる、葦原が持つ軍隊最初にして最高の勲章……
葦原連邦空軍、八咫烏勲章です」
良介、この叙勲を
現公───春川親王は未だ確定していないが葦原の帝。
日本で例えるならば天皇陛下に近い。
陛下が直接
それこそ、戊辰戦争の錦の御旗はそのものだ。
お前は葦原の帝から勲章を授与された。
それも葦原と帝室、それに日本の国旗が象られた勲章だ。
志村良介、お前は帝の刃そのものとして扱われるのだぞ。
国内外にアピールさせて、揺るがぬ事実と喧伝されるのだ。
なにか、行動が必要ではないのか?
「こいつ、カラスじゃないんだけどな……」
そんなツッコミはどうでもいい!
合衆国に続いて、大和幕府までお前を囲い込みに来たんだ!
───わかってるけど、断るのも無理じゃないか。
俺も複雑な気分だけど、受け取るしかないぜ。
くそ───その通りだ。
しかし問題はまだある。
彼女はさっき、なんと言った?
葦原連邦空軍、葦原連邦と言ったのか?
「葦原連邦?」
「ごめんなさい。仔細は、この後に……」
それもそうだ、今は式典の真っ最中なのだ。
現公の邪魔をしないため、良介は発言を控えた。
そのまま現公は宗治郎、ボス、あくり、ゆきへ。
良介のものと同じ八咫烏勲章を配ると。
再び、あの場へと戻った。
今度は椅子に座るのではなく、対等に。
自らの足で立ったまま。
「……再び、宣言します!」
弟と並んで立ち、マイクを持った現公は高らかに声を上げた。
力などないと嘆いていた、初対面の頃とは大違いの姿で。
「幕府による治世は幕を閉じ、次の世が始まります!
葦原連邦、それぞれの地域の代表が意見を募り、政治に反映させる……
まやかしの民主主義ではなく、本当の民による治世が!」
場は静まり返り、カメラのシャッターを切る音ばかりが会場に響き渡っていた。
これは白けているのではない。
誰もが、この発表をどう受け止めていいのか迷っているのだ。
世界博覧会会場の長坂は、あくまで葦原政府の勢力圏。
下手な反応をすれば、政府がどう過剰反応するか───
この場では、葦原連邦がどう受け止められるのか。
それを知ることは難しかった。
しかし確かなことがふたつあった。
ひとつは、この場に伊邪哭國男がいなくて色々な意味で良かったこと。
ふたつは───良介がとんでもなく、自分の世界に帰りづらくなった事だ。