蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~ 作:サークル『熊の巣穴』
央暦1970年3月18日
長坂
葦原連邦空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』
志村“Chase”良介二等空尉
ようやく場が一段落して、状況を理解する権利が与えられた。
権利が与えられたとなる辺り、やはり幕府軍───もとい、葦原連邦には問題があると言わざるを得なかった。
最もタチが悪いのは、現公が葦原連邦の発起人なので、葦原連邦はクソであると言いづらい点である。
そう、大政奉還の儀を終えて幕府は統治権を朝廷───
つまり次の帝の第一候補である春川親王もとい、現公に返上した。
ええい、名前が変わりまくっていて、ややこしいな。
その現公が葦原連邦樹立を宣言したのだ。
ただし、帝は政治をしない。
君主を頂くが、絶対の存在ではないという立憲君主制という奴である。
幕府から帝に統治権を移しても、施策としては一時的な解決にしかならないのが明白であるためだ。
さらに変革は統治権に留まらなかった。
武士をはじめとした、身分制度の廃止も匂わせていたのだ。
基本的に根回しは済んでいるものの、根回しの必要性を感じなかった場所からの反発が予想される。
今はまだ情報が行き渡っていないか、飲み込みきれていないかのどちらかだ。
「つまり。幕府は解体されて葦原連邦に。
急な話だからしばらくは幕府の面子が政治するけど、停戦中に連邦として各藩……
各地域から代表立てて連邦制の政治をするって話だろ?」
「リョースケからしたら本当に急な話なのに、適応が早いね。
やっぱり空戦じゃ、適応の早さが生死を分けるからかな?」
良介らペンギン隊に状況を説明したのはなんと───
合衆国の代表エラ・アーロンに、かつての征夷大将軍大和利信。
そして元幕府空軍総裁、現葦原連邦空軍大佐の松平宗治郎であった。
「ひとりだけ格が低くない?」
「こらっ、良介っ」
「ははっ、気にするな。俺も、ようやく将軍の兄という肩書きが消えるんだ。
改めて、前線勤務が出来るというものだ」
「……弟としては、無茶はして欲しくないのだが」
「そうはいかん。部下を死地に送りながら、自分は後方に。
そんな現状に飽き飽きしていたのだからな」
という具合に、旧幕府の面子は繋ぎとして短期間だけ政治を行う。
一方で旧幕府軍のポストは書類上の名前こそ変わった事になっているが、大半の運用はそのままである。
仮にも内戦中の葦原連邦、政治関係者の顔ぶれを変えるだけでも手一杯なのだ。
軍内部の大規模人事など、出来るはずがない。
その中でも例外は、空軍総裁松平宗治郎である。
征夷大将軍が幕府を解体するにあたって、将軍もまたその地位から降りた。
葦原内戦そもそもの原因が幕府、ひいては将軍の求心力低下によるもの。
せっかく看板を変えるのにトップはそのままなどと知れ渡れば、民心掌握など夢のまた夢。
故に将軍、大和利信は少々リッチな一般武士に降格したのだ。
さらに、葦原連邦意思決定層から将軍色を一掃する必要があった。
幕府空軍最後の総裁が将軍の兄であるという事実は、忘れている人間が多いだけで秘密でもなんでもない。
葦原政府がそんな隙を見逃すはずがなく、不和の芽にされてはたまらない。
というわけで宗治郎も幕府空軍───連邦空軍大将の位を捨てたのだ。
ついでに政治の混乱を利用して自分の適当な罪をでっち上げて自分の名義で降格させ───
幕府空軍でいう飛行頭、大佐クラスとなったのだ。
これは空軍パイロットが現場に出られるギリギリの階級だ。
「というわけで、鈴木一佐。お前とはこれから
これからもよろしく頼む」
「……なんで、こんな事になったのやらだ」
やれやれだ、と言わんばかりの口調だったが。
そう語る彼の表情からは、嬉しさが溢れていた。
「でも、将軍が将軍を辞めちゃったら、どうするんだ?」
「……実を言うと、私は将軍を辞した後も
連邦政府に顧問という形で関わるつもりであった」
「お前っ、そんな事を考えていたのか⁈」
兄である宗治郎は珍しく感情を露わにして驚いた。
それも当然だ。
操り人形を政治の表舞台に立たせ、自分は裏から制御する。
かつて政治の中枢であった元将軍という存在が顧問として関われば、決定的な影響力を持つと言ってもいい。
幕府を終わらせるというお題目で発足した葦原連邦。
もしそんな事をしたとすれば、裏切りだ。
「それ、院政って奴だろ? 歓迎出来ないな」
「ああ。春川親王殿下にその計画を打ち明けたところ、叱られてしまったよ。
だから、今のところはひっそりと葦原のためになる事をさせてもらう。
しかし将来、葦原が落ち着くことがあれば……国民に信を問うとするよ」
「ちゃっかり野心だけは持ってやがる……」
この内戦中は大人しくするのであれば、好きにさせてもよかろう。
利信の行いが評価され、民衆の代表として選任されるのであれば、血筋抜きに為政者たる資格があるという事。
もちろん選任されたとして、次の選挙で落選すればそれまで。
悪政者を選任してしまうリスクはあるが、血を流す事なくその地位から引きずり下ろすことが出来る。
武装して内戦を起こす必要や、首を刎ねて大衆に晒す必要はない。
政権交代のために、経済や人命を危険に晒す必要はない。
民主主義とは、そういうものである。
まずそもそもの話、民衆の代表として選任───
つまり、選挙で当選する必要があった。
「で……葦原連邦じゃ各地域、各藩から代表を選出するんだろ?
今は選挙どころじゃないから、揉めないような地域の顔役って具合に。
ならやっぱり、真田藩は……」
良介はあくりを振り返った。
すごく綺麗で凛々しい顔で、あくりはVサインをした。
「無論だ。私が現藩主として……と言いたいところだが。
今でさえ軍のお役目だけで手一杯なのに、地域の代表として動くのは無理だ」
「だ、だよねぇ……」
「故に、刑期を務め上げた父上が代表となる」
そういえばあくりの父親は有罪判決とはなったものの、一年の懲役で勘弁されていたはずだ。
従来ならば反逆罪で死罪となるはずが、極めて異例の措置と報道では驚かれていた。
連邦制への移行と、代表となる事を前提とした量刑であることは明白だ。
しかし、それはそれで懸念がある。
「うーん。疑うわけじゃないんだけどさ、裏切らない?」
「そうだな。葦原連邦が葦原政府が如き体たらくならば……
私は保証出来ない」
「さ、先が思いやられる……」
「まあ、その辺は安心していいよ。
なにせ147年……世界で一番長く連邦制やってる合衆国が
バックアップするからね」
葦原連邦成立には、残念ながら外国勢力の関与があった。
それがマランス合衆国である。
今まで大和幕府のみならず、葦原政府にすら手を貸していた合衆国だ。
我々の歴史から鑑みても、
並大抵の理由でなければ、信用なぞ出来ない。
しかし良介は既に、その疑問の答えに辿り着いていたはずだ。
「東の果ての海……
もしエラちゃん達合衆国の言う管理者、神とやり合う可能性があるなら。
真っ先にぶつかるのは、まず葦原だ」
「その通り。私達は開拓し尽くされた土地に興味なんかない。
最大の脅威と未開拓地が広がる、果ての外にしか興味はない。
葦原が安定して、話の出来る良い国になってくれれば、合衆国の益になる。
疑い深い人でも信用出来そうな言い方をすると、
万が一の時に備えて壁が欲しいんだ。
並大抵の攻撃じゃ割れない、強い壁がね」
かっ、勘違いしないで!
これはあんたのためじゃないだからね!
自分達の盾を作るためで、その盾を強くするためにやったんだからぁ!
ツンデレ風に要約すれば、こうなるだろう。
───なぜ、ツンデレ風にするんだ。
露悪的な表現は脳が疲れる。
優しい表現を見て癒すのだ。
───言うほどツンデレって優しい表現か?
少なくとも、お前の好みではないのか?
元カノののぞみなんてその典型───
いや、お前の好みはどうでもいいのだ。
「納得頂けたかな?」
「……はい」
エラはずっと浮かない表情をしているゆきに問い掛けた。
ゆきは頷いて見せたが、その表情に変化はなかった。
「これは後で発表があるけど、合衆国のバックアップは政治だけじゃない。
軍事面でもやるよ」
「……今以上に?」
「果ての外の証明が国際的に成されたんだから、
さすがに、軍事同盟結んでるわけじゃないから直接的なのは出来ないけど……
自分の退路を塞いだんだよ、合衆国も」
「俺は帰るって言ってるのに……」
「帰還に失敗した時の、バックアップね。
リョースケが食いっぱぐれないように」
と言うエラだが、そのバックアップの使用を合衆国が確信しているのは明白だ。
さもなくば、さらなるの介入を決断などするわけがない、していいわけがない。
どこまでの強度かは明言されず、本人も今この場でする気はなさそうだが───
少なくとも、人員の派遣は行うだろう。
兵器や
その先にあるのは泥沼の戦争だ。
葦原連邦としても、だからといって負ける訳にはいかないのだが。
「それにケツゴウを持ち出されたら、
「ケツゴウ?」
「アーロン様。その話は」
将軍自ら、エラの言葉を制した。
どうやらこの内戦には、まだ何かが潜んでいるらしい───
「……私は、リョースケを信じてる。
でも信頼出来る人間も、無意識に情報を漏らす事がある。
今の私みたいにね……だから悪いけど、今のは忘れて欲しい」
それが口を滑らせた側の言葉か?
と、思わんでもないが───
口が滑ってしまうほどに、良介の事を信用していると考えるべきだろう。
「うーん、自信過剰な面が見受けられる……だけど、わかった。
この様子じゃ、生きてれば知る機会に恵まれそうだしな」
「……ありがとう。この内戦が終わった後に、その機会が来るから」
発言から推測出来るのは、何らかの兵器だろう。
合衆国本土まで影響の及ぶ兵器。
───
核か、化学か、生物学か。
少なくとも、この世界における原子力技術は未発達だ。
厳密には、代替されるクリーンエネルギーとして魔力が用いられている。
過去に神兵と交流した合衆国は研究しているが、そこまで重要なものと見ていないというのがエラの言だ。
核兵器の線はない。
となれば、同等クラスの破壊力を持つ爆発物か。
───それはどうだろう?
精密爆撃の技術がないなら、超長距離攻撃の精度なんて到底望めないぞ。
精度を求めなければ、不可能ではないだろう。
現に、葦原政府軍は三式弾を先湊の市街地に向け投射した。
精度もへったくれもない、あの滅茶苦茶な攻撃だ。
三式弾、播磨型の主砲50センチ砲が持つ投射能力は尋常なものではない。
───でもこの間の現公ちゃんを狙った砲撃は
ちょっと内陸部へ行っただけで射程外だった。
合衆国の守りをすり抜けて、そこまで迫れるかな?
確かに、合衆国本土をヤバく出来るものではないな。
馬鹿みたいな火力と、アホみたいな装甲を持つ戦艦も、攻撃を受ければ沈むのだ。
なによりあの巨体が、合衆国の哨戒網をすり抜けて投射可能な距離まで迫れるとは思えない。
もっと別な、何かだろう。
良介の、日本人の発想では思い浮かばないタイプの。
───……今さっき、エラちゃんがこの内戦で使われるフラグ立てたような?
言うな、縁起でもない。
さて、今のうちにやれる事をやるべきだろう───
控え室に用意されていた水を含むと、良介は宗治郎に直談判した。
「思い出したんだけどさ。うちの3番機、
この次のフライトで用途廃止らしいんだけど、代替機ってどうなるの?」
宗治郎とはちょいちょい会っているが、今のうちに答えを引き出しておいた方がいい気がしていた。
当の本人であるあくりは、遠慮しているのか何も口を開かないのだから───
「あ、そうだった」
「そっ、そうだったってさぁ……」
どうやら、本人が忘れていただけだったらしい───
それはまあともかく、なおのこと良介が尋ねたのはタイミングが良かった。
「P-104だな。あの鉛筆も、世に出て結構経つからな……
アーロン女史、確かP-104はあなたの会社の製品だったな?」
「バジャーワークス、群島連合の開発部門だね。
あいつら、いつも私のカナードにケチつけてくるんだよね……
重い! とか、空力的に邪魔! とか……
で、P-104だけど。合衆国空軍が運用やめちゃったし、
需要も多くないからパーツの製造は終わっちゃったよ」
「そう、なのか……」
「予備とかないの?」
「もとより、真田藩は財政が厳しい方だ。P-104も導入当初は30機ほどあったが、
今や大多数が共食い整備に使われ、六文銭の機体が最後の稼働機だった。
……その5機も、今や残っていないがな」
幕府へ寝返った時の、鉞作戦だったか。
あの作戦で真田藩空軍のP-104はあくりの機体以外は戦闘で喪失していた。
「タイミングが悪いな……在庫は確か、他の運用国に供与したんだったかな。
サナダ・ドメインの空軍じゃ小口契約だから、声掛けなかったのかもね」
「……30機が小口契約?」
思わず、良介は口を挟んでしまった。
レシプロの時代ならまだしも、これほどの技術が用いられた第2世代戦闘機だ。
30機は、まとまった数と言ってもいい。
「うん。普通は100機単位で導入するものだから」
「ひゃっ……⁉」
ボスと共に、良介は絶句してしまった。
下手な国の空軍を遥かに凌駕する空軍戦力ではないか。
「……どおりで、葦原の空から戦闘機が消えないわけだ」
ジェネレーションギャップならぬ、ワールドギャップ。
今まで、政府軍は本気を出していないと何度も聞いていたが───
この停戦が明ければ、その100機単位で導入される戦闘機が戦場に上がってくる。
嫌になる現実だ。
驚愕の事実はさておき、あくりの搭乗機の問題だ。
「うーん……結局中古を買っても持て余してる連中もいるから、
二度手間になるだろうけど、調べてあげよう」
「かたじけない」
あくりはエラに一礼した。
珍しい組み合わせだが、どうやらゆきほど相性は悪くなさそうだ。
頭を下げるあくりを見たエラは、思いついたように口を開いた。
「……リョースケのウィングマンって事は。
それなりに出来るんだよね、この娘?」
「ああ、保証するよ。高速飛行に関してはピカイチだ」
部隊長である良介は即答した。
エースコンバットのようなゲームでは、高速飛行において気にすることは地形との衝突くらいだ。
しかし現実には、もっと気にするべき点が多い。
エンジンの過熱や機体構造の限界。
機体制御も不安定なものとなり、少しでも強く操縦桿を倒し過ぎれば空中分解する。
例え機体が耐えても、旋回時にかかる
あくりはその限界ギリギリを突いた飛行を得意としているのだ。
Gに対する耐性も高い。
そういった点では、良介以上の能力を感じられた。
「……良介、照れるぞ」
「じゃあ、ひとつ提案。中古の口利きとは別なんだけれど……
私はあんまり意味がないと言ってきたんだけど、
最近エンジン強化のアテが出来たのもあって
P-104導入国向けのアップグレード機の開発が進んでるんだ」
「マルヨンのアップグレードっ⁈」
なぜかあくりではなく、ボスが過剰な反応を見せた。
場が一瞬のうちに白けかえり───
彼が咳ばらいをすると、話は戻された。
「あっぷ、ぐれーど?」
「強化版、ってこと」
P−104のアップグレード機───
あれほど極限まで研ぎ澄ませた刃のような機体に、強化する余地があるのだろうか?
良介の視界の隅で、何故かボスがワクワクしているのが見えた。
おっさんの興奮している姿など気持ち悪いので、意図的に良介は視線を逸らした。
「どう、興味ある?」
「うむ。共通する面が多いのであれば、是非に」
やはり長年搭乗し続けた機体、ノウハウが活きるのであればその方がいいだろう。
中身そのまま、お高くなって再登場!
といった話でなければ良いのだが。
「じゃ、話はつけておくね。請求は葦原連邦にしておくから」
「P-104の発展型か……俺も興味があるな」
空軍の最上位ではなくなった事もあってか、宗治郎は無責任に言った。
そう、彼はもう空軍の予算に頭を悩ませる地位ではなくなったのだ。
空軍といえば、ひとつ良介の記憶に引っ掛かっていたところがあった。
「そういえば彰義隊が近衛軍に編成されるって話、どうなったの?」
少し前に、彰義隊が近衛軍───現公を守る軍隊に編入されるという話があった。
結局幕府空軍は葦原連邦空軍になってしまったが、あの話はどうなるのだろうか?
この疑問に答えたのは宗治郎だ。
「本来はそうなる予定だったんだがな。
昨日の土壇場で、親王殿下から頼まれたんだ。
貴官を殿下の守りに縛り付けるのは、違うのではないかと」
近衛軍は、春川親王もとい現公個人を守るための軍隊。
信用ならない幕府陸軍に代替する陸軍戦力を編成するため、連中に口を挟ませないためにひり出した理屈だ。
実態は単なる
別の意図があるのか、あるいは現公の優しさか。
「近衛軍もどうなるんだ?
連邦陸軍に統合? それとも、別組織として存続するの?」
「名目上は別組織だ。幕府陸軍は連邦陸軍に。近衛軍はそのまま。
そうだな……そう遠くないうちに、統合される事になるかもな」
言葉を濁した宗治郎の表情で、良介は裏を察した。
何せ、幕府陸軍の多数派は夷俘島各地で乱暴狼藉を働く有様だ。
かつての最大派閥は京からの脱出で少数派に成り果て、陸軍総裁は多数派の顔色を伺わなくてはならない。
そんな連中が果たして、変革にどう対応するか。
これから、ボスの別行動はさらに増えるだろう。
会話が一段落すると、エラが秘書から書類を受け取り───
良介に手渡した。
F-2の修理進捗に関するレポートである。
残りは合衆国から送られてくる部品の取り付けだけだ。
「F-2の修理は明後日に完了するよ」
「1週間か……意外と早く終わったな」
「私も協力して、マックススピードで終わらせたからね。
それと、修理が終わったら可及的速やかな帰還をお勧めするよ」
「どうして?」
「……あのねぇ、リョースケ。自覚あって聞いてる?
それとも素で聞いてるの?」
「ははは……合衆国の頭脳から意見を
もちろん、自覚した上での質問である。
ただでさえ、良介は戦場で葦原政府のメンツを潰してきた。
それが今回、世界博覧会開会式という舞台で最高指導者のメンツを破壊したのだ。
最初に喧嘩を売ったのは向こうだが、メンツを潰された側には関係のない話。
いつ暗殺者がやって来ても、不思議ではないだろう。
「はぁ……あなたの顔、全部わかってそうだからやめておく。
そろそろ時間だからね」
そう告げたエラは席を立ち、控え室の出入り口へ向かった。
「じゃあリョースケ。明日は大人しくしてるようにね」
うむ、エラの言う通りである。
お前を狙う暗殺者が跋扈している以上、出歩くなど論外である。
「……おい、こら。返事をしなさい」
そうだ、返事をしろ。
ほら、いつものように軽い調子で。
美人に言われちゃ、仕方ないな───という具合に!
「ちょっと今回は、頷けないかな」
「こっ……こっ、こここっ、こいつはぁぁぁぁっっっ……!」
「ニワトリの真似?」
良介が軽口を叩くと、エラはわざわざ戻ってきて───
平手で頬をぶっ叩いた。
「勝手に死んでろ!」
と、かなり強い罵倒の言葉を叩きつけて、今度こそ帰ってしまった。
当たり前だろう、お前。
いつも通り、今回もお前が100%悪いぞ。
お前の意図はわからんでもないが、茶化す必要はなかっただろうに。
───和ませようと思ったんだよ……ちょっと失敗したな。
失敗してるのはお前の頭だ。
一から十まで、自己批判の精神のありがたい言葉に耳を傾けないからだ。
「志村殿。そなたが世博の会場に足繁く通っていると耳にしているが……
今まで良介との接点が少なかった利信は、おっかなびっくりに尋ねた。
噂に聞いていても、本当にやり始めて驚いたのだろう。
ましてや、平手打ちを喰らったのだから。
「うん」
「……そなたを狙う草の者は、至る場所に潜むだろう。
何故、そこまで?」
「約束だからね」
エラが乱暴に閉ざした扉は、うまく閉まらず半開きのまま。
そこから伺える隙間に、ひとりの女の子がいた。
「相変わらずバカだなー、しむすけ……
あたしとの約束なんて、すっぽかせばよかったのに」
彼女は、この部屋に入ろうとはしない。
将軍のような立場ある人間と同じ部屋に立ち入ることを許されていない。
言うなれば、卑しいとされる階級の人間であるためだ。
「利信、彼女を部屋に入れてもいい?」
「……どうぞ」
元将軍の赦しを受けて、彼女は姿を現した。
千代、元は良介を殺しに来た暗殺者。
サトリという超能力を駆使する葦原一の始末屋だ。
「……兄上、この女子は」
「前に話したろ?
「……頭が、痛くなってきたぞ」
何やら事実無根の噂話が耳に届いたが、良介は無視した。
今は千代と向き合わなければならないのだから。
「先約がいたのに、順番を前倒しにしちゃったからね。
そのお詫びもしないと」
「しむすけさ、病院行った方がいいよ? 頭の」
「前に行ったよ。手遅れだってさ」
おい、事実っぽい適当を抜かすんじゃない!
本当だと思われたらどうする!
それは、ともかくだ。
「ああ、やっぱり?」
「うん。だから俺は、堂々とデートに誘っちゃうのだ」
良介は躊躇いなく、そう告げた。
千代は破顔して、はにかんだ。
「よーし! 行っちゃおう!」
というわけで、暗殺者が待ち受ける世界博覧会でのデートが取り付けられた。
あの、私はお前と同一の存在なんだから───もう少し安全を考えてもらいたいのだが?
「こっ、これが、幕府の八咫烏……
兄上は、このような方の手綱を……?」
「あいつが握れるタマだと思うか?
俺には無理だし、握りたくもないな」
「隣でタマだの握るだの言わないでくれる?」
それからしばらく、開会式の騒ぎが静まった頃。
ペンギン隊と元将軍兄弟は別々に分かれて会場を後にするのだった。