蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~ 作:サークル『熊の巣穴』
央暦1970年5月14日
真田藩 真田空軍基地
葦原連邦空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』
志村“Chase”良介二等空尉
「うーん……」
何かを、忘れている。
良介は朝起きてから、そんな感覚に支配されていた。
「うーーーーーーーん……」
すごく重要な───しかし、何故か危機感が湧かない。
部屋の音楽プレイヤーを消し忘れたかもしれないが、どうせ部屋にいる時は付けっぱなしなので大した問題に感じない。
そんな感覚だった。
「ぬーーーーーーーーーーーーーん……」
「うるせぇよ! どうしたんだよ急にっ!」
同じくアラート待機中のボスが遂に痺れを切らした。
そうだぞ、良介。
うんぬんうるさいぞ、お前は。
「なーんか、忘れてる気がするんだよなぁ」
「なんか、とは?」
「それがわかんないから、気になってるんだよ」
超曖昧な発言に、ゆきも怪訝な表情を浮かべるしかなかった。
何かを忘れたが、何を忘れたのか忘れたと言われても、困るのは当然である。
「お前なぁ、30にもなってないのにボケ老人みたいな事言うなよ」
「だってさぁ……」
待て。
今、ボスはなんと言った?
───ボケ老人? あのおやぢ、俺様をボケ野郎だとぉ?
自分の方がボケ老人一歩手前の歳してる癖に!
ち、違う。
もう少し前だ。
彼は今、30にもなってないと言ったな?
───ああ、言ったよ。それがどうしたんだよ?
お前、今いくつだ?
───28だろ?
今日は何日だ?
「……あ、今日って俺の誕生日だ」
そう、お前は今や29歳。
晴れて
「あ、そうだったんですか。おめでとうございます」
「良介。言ってくれれば、席を用意したというのに」
「おうおめでとぅ、29歳」
「い、いや……でも、違うんじゃないか?」
部隊の仲間から受けたせっかくの祝いの言葉だが、良介は食い下がった。
30歳目前という事実を、認めたくないがために───
「……? 何が違う?」
あくりも、良介の発言に困惑の声を発した。
「おいしむすけ、見苦しいぞ。三十路手前を認めろ。
生きていたらいずれ通る道だ、受け入れろ」
「ち、違うって。西暦だったらそうかもしれないけど……
この世界は
まあ、言わんとしている事はわからんでもない。
西暦と央暦、暦はもちろん世界が違う。
時の流れにどれほどの差異があるのか、よくわからないのだ。
「と言ってもなぁ、俺らがこの世界に来たのは央暦1969年5月11日。
この世界で1年間を過ごしたのは、紛れもない事実だぞ?」
ボスの仰る通りである。
この世界で過ごした時間を考えれば、ほとんど29歳のようなものだ。
「いーや。俺様は永遠の18歳だ」
「おいおい。11年も鯖読むなよ」
とまあ、例によってバカ話なのだが───
「そういえば、良介さん。ボスさん。あなた方がこちらの世界に来た時。
そちらの世界は……えっと、せいれきの何月何日だったのですか?」
「えっ?」
「ん?」
不思議な間が、アラート待機所に流れた。
もちろん、言えて当然である。
航空自衛官、その中でも演習に参加している戦闘機パイロット。
演習実施日時を忘れるはずがない。
ましてや、こんな異常事態に巻き込まれた記念日。
忘れる方がどうかしている。
そう───どうかしているのだ。
良介はどういうわけかボスと顔を見合わせてしまった。
彼も、恐らく良介と同じ表情を浮かべている。
困惑だ。
「えっと。もちろん。西暦2031年……」
そこまでは、言える。
2031年、良介が青春の夏を過ごした10年後。
これは間違いがない。
「何月、何日だ?」
あくりが呈した疑問。
その月日だけが、どうしても浮かんでこなかったのだ。
「あ、あれれ……? ボス、あれ何日だったっけ?」
「……どうやら、俺のボケが始まったわけじゃなさそうだな」
良介とボスがこの世界に来た正確な日付。
どうしても、それが思い出せないのだ。
まるで、そんな出来事などなかったかのように。
「ど、どうしたんですか? おふたりとも……?」
「うーん、どういうわけかその日付が思い出せないんだ」
「ああ。あの演習中、雲に入った事は思い出せるんだ。
だが、どういうわけか日付がよくわからん」
戦場の極限状態から来るストレスが、記憶障害に陥らせたのか?
それにしては、いやにピンポイントかつ集団的だ。
「……良介、ボス。お前達、何か変な薬を投与されたか?」
あくりの言葉は、要するに葦原連邦や他国から何らかの薬物措置を受けているのではないか。
といった危惧だろう。
神兵の存在は、この世界にとって何らかの強い影響をもたらす可能性が高い。
薬漬けにして手元に置いておきたい、そう考える恐れもある。
しかし───
「いや、そういう感じはしない」
「俺も同じく。まあ、わからなくても別に困らないしな」
「うんうん。俺様は俺様、ボスはボスだ。
飛ばされた日時がわかんないくらいで、死ぬ訳でもないしな」
い、いや待て。
何でお前ら、そんなに軽く受け入れられるんだ?
明らかにおかしいだろう?
二人組が同時に、演習の実施日時を綺麗すっぽり忘れてしまうなんて?
確かに薬物投与されたにしてはおかしいが、どう考えても異常ではないか!
───でも、なんか凄くどうでもいいんだよなぁ。
全く気にならないぞ。
それはお前が───
いや、この点に限って言えば、ボスもおかしいのか。
んんん?
い、一体どういう訳なんだ?
「お二人とも、それは……」
「……異常だぞ、どう考えても」
ほら、現地人のゆきとあくりの両名もおかしいと思っている!
この状況に違和感を抱くべきだぞ!
「そうかもしれないけど、さあ?」
「わかったところで、別に解決策もないだろ?」
完全に他人事みたいな反応!
うーん、どういう訳か良介とボスには何らかの───
超自然的な措置が施されているに違いない。
我々の世界であれば鼻で笑っただろう。
しかしこの世界には魔法やら神様やらがいる。
神兵には魔法が通じないというが、サトリの能力は通じるのだ。
何らかの、干渉があるに違いない!
───別に、何かするつもりはないぞ?
くそ、どうなっているんだ?
自分の頭では脅威を感じているのに、身体が全く言う事を聞かない!
このままでは、何の対策も出来ないではないか!
自己批判の精神が解決策へ思考を巡らせていると───
待機所の扉から、人の気配を感じた。
「ふーん。やっぱり、ふたりもそういう感じなんだ」
扉を開いて現れたのは、場違いなドレスに身を包む耳長の女性。
エラ・アーロンだった。
合衆国建国の英雄にして、数多くの神兵───
良介らと同じく、異世界から来た兵士と出会っている。
やはり、前例があったのだ。
「そういう感じって……」
「異界の奴らは自分が西暦何年のどこにいたのかはわかるんだけど、
何月何日なのかは曖昧なんだ、みんな」
エラは良介に歩み寄ると、傍らのテーブルに小さなカップケーキを置いた。
ご丁寧にも、蝋燭が一本突き立てられている。
魔法で指先から火を生じさせたエラはそれに灯した。
「ハッピーバースデー。これを言えたの、あなたで4人目だね」
「……それ、褒めてる?」
「言えなかった人数を考えれば、間違いなく褒めてるよ」
蝋燭が一本きりなのは、彼女が蝋燭の意味を知らなかったのか、用意が出来なかったのか───
とはいえ、女の子の厚意にケチをつけるのはナンパ野郎のやる事ではない。
違うか?
「ありがとう、エラちゃん。ふーっ……」
蝋燭の火は、一息でかき消された。
志村良介、29歳児の誕生だ。
「おめでとうございます、良介さん」
「おめでとう、良介」
「ああ、おめでとう。良介」
改めて、ペンギン隊の面々から受ける祝いの言葉。
この歳になると、誕生日は記念日というより老いと向き合う日になってしまうが。
まあ、悪い気分ではない。
「ああ、ありがとう……」
仲間達に礼を告げると、ずいとエラが顔を寄せた。
まさか、この機に乗じて彼女は
固唾を飲んで、次の対応を伺っていると───
「リョースケ。あなたに何があったとしても、
私を助け、多くの葦原人も助けた。その功績は本物。
そして、あなたの抱いた想いもまた間違いなく本物。
あなたは紛れもなく、本物のリョースケ・シムラだ。
それは絶対に変わらない」
「な、なんだよ急に……なんか、怖いぜ?」
やたらと本物を強調した───励ましの言葉?
時折エラはよくわからない事を言うが、今回は一際よくわからなかった。
「別に。ただ、私にとっての事実を口にしたまでだよ」
口腔から放たれる甘い香りが鼻口をついた。
彼女が普段キセルで吸っているのは、タバコとは違うもの。
錬金術で錬成されるものらしく、煙臭さのない特製のフレーバーだとか───
「おふたりともっ、近過ぎますっ!」
などと考えていると、ゆきがふたりの間に割って入ると遠ざけた。
確かにあの距離感は少々、雰囲気が強過ぎた。
「おっと。刺激してしまったかな? ごめんね」
「むー……」
一触即発、と言ったところか。
良介、自覚があるなら解消したらどうだ?
───か、解消って言ったってどうすればいいんだよ?
状況を作るだけ作って静観か。
素晴らしい処世術だ、クズめ。
───ひ、酷い事を言うな……エラちゃんはともかくとして、
ゆきちゃんとはそういう関係じゃないだろ?
私が察しているのなら、お前も察しているのだろう?
口にしていないだけで、彼女がお前に向けている感情。
いくらお前が精神年齢14歳児だとしても、理解出来ないほどガキではあるまい?
「……えーっとさ」
「おーいペンギン組、交代だぞー」
良介が仲介しようとしたところ、
次のアラート待機のシフトに入っていた、新選組の鉄之助達であった。
そういえば、交代間近だったな。
「それと、松平殿から。召集だってさ」
「……作戦室でいいな?」
「ああ。俺らは呼ばれないって事は、新選組はお留守番だろうさ」
真田藩は連邦軍支配地域の中では、かろうじて陸続きの部分があるだけでほぼ飛地だ。
長い間守りを薄くするわけにはいかず、作戦規模次第では結構な数の彰義隊が真田基地に残る。
先の艦隊攻撃は、攻撃艦隊の規模があまりにも大規模だったための総出撃だ。
あれは例外である。
「……よーし! それじゃあ、ちゃっちゃと行ってくるか!
行こう行こう!」
仲裁してどちらか───あるいは双方の
半ば現実逃避気味に、良介はカップケーキを片手に席を立った。
「じゃ、ケーキありがとう! このあと食べるからさ!」
礼を告げると、颯爽と待機所を後にする。
やーい、逃亡犯。
「……ま、別にあなたの事はどうだって良いんだけどね」
「私だって、どうだって良いんです!」
その遠くから聞こえてくる言葉は、少しだけ恐ろしかった。