蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~ 作:サークル『熊の巣穴』
央暦1970年6月17日
道奥藩 智台空港
葦原連邦空軍第1航空団『彰義隊』第1中隊『ペンギン』
志村“Chase”良介二等空尉
首都武揚を解放する戦い、その前日。
「良介、もう消灯時間だ。とっとと寝ろ」
良介が作戦前日の最終点検をしていると、機付長がやって来てそう告げた。
暗くなったと思っていたが、もうこんな時間になっていたとは。
腕時計に視線をやると───確かに、午後11時を回っていた。
空軍が兵舎代わりにしている奥葦原飛行学校、そこのほとんどの窓では煌々と光が灯っていたが。
「……あれれ、もうこんな時間か」
「残りは俺らに任せろ。それが仕事だ」
「機体を完璧に飛ばすのも、こっちの役目だからさ」
機体システムのチェックを終了すると、良介はコクピットから這い出た。
結局到着直前に逃げ出してしまったが、今日も千里基地への攻撃を企図する敵航空部隊の迎撃に向かっていたのだ。
戦闘もなく帰投したため、今回はこの程度のチェックで済んでいる。
「悪いね、機付長」
タラップから降りる最中、良介は機付長に謝罪した。
「なんだ、急に。気色悪ぃな」
「娘さんの話だよ。なるべく早く会えるようにするって言ったのに。
結局ひと月掛かってる」
なるべく早く、鳴田藩にいる家族と会わせる。
千葉親子へそう約束したというのに、この有様だ。
不本意とはいえ、結果的には不義理だ。
だからといって、駄々をこねて周囲を困らせるほど、良介もガキではないが。
「気にすんな。この程度、なるべく早くの範疇だ。
……マジモンの戦争が、
個人の感傷で動くほど甘いモンだなんて思っちゃいねえよ」
作業に移りながら、機付長は静かに返答した。
その表情に感情はなく、ただ疲労だけが浮かんでいた。
「……機付長、平気か?」
「他人よりテメェの心配してろ。明日命を賭けて戦うのはお前らだろうが」
「その命賭けて戦う乗り物整備してるのは、そっちじゃないか」
疲れ切って機体に
パイロットも機体の点検をするが、ほとんどが表面的なもので、機体奥深くでトラブルを起こされては調べようがない。
生きるも死ぬも、整備員次第なのだ。
「整備隊も、明日は千里基地で一日中仕事だ。
ちゃんと休みなよ?」
「……ああ、ちゃんと寝るよ。それと。
同じ事を空戦姫にも言ってやれ」
良介は飛行学校前の駐機場に佇むYP-27へ視線をやった。
その傍には、風に揺れる艶やかな黒髪。
空戦姫こと、松代あくりの姿があった。
「そうするよ」
整備隊にF-2を任せ、良介はYP-27のもとへ駆け寄った。
静かに佇むあくりの隣に立ち、その顔を覗き込むと───
彼女は硬い表情のまま
「……つんつん」
こら、相手が見ていないのをいい事に、ノータイムで悪戯をするんじゃない。
あくりの頬を指先で押すと、人肌の温もりと柔らかさを感じた。
彼女からの反応はない。
「うーん、反応がない……
もしかして、立ちながら寝てたりして?」
「起きている」
今度は頬をつまんでやろうと両手を構えた良介に、ようやくあくりは言葉を返した。
その上で、良介は実行した。
「……りょほすへ」
「ごめん」
ようやくあくりは瞼を開き、恨めしそうな表情で睨んだ。
流石の良介も、ここまで来ればやめるしかなかった。
「急に何をする」
「寝てるのかと思ってさ」
「起きていると言ってからやっただろう、お前は」
「顔が強張ってたからさ。
力み過ぎちゃ、かえってうまくいかないだろ?」
確かに彼女の表情は強張っていたが───
どう考えてもその場のノリで変な事をして、咄嗟に言い訳しているだけだろう。
「ふむ……良介には、そう見えていたか?」
どうやら、納得してしまったらしい。
これ幸いにと、良介は誤魔化す言葉を並べ立てる。
「故郷が心配なのはわかる。
でもその前に、あくりちゃんがいなくなったらみんな悲しむぜ?
作戦の成功はもちろん、あくりちゃんも生きて帰らなきゃ」
「……お見通しか。その通りだ、良介。
戦に勝ち、生きて帰らなくてはな。
迷いがあっては、勝てる戦にも勝てん」
そのために必要な行動は明白だ。
ふたりは並んで歩き出し、飛行学校の建屋へ向かう。
「故郷を想う気持ちは迷いじゃないよ。
過ぎれば、弱点になるかもしれないけど」
「そう言うお前からは、
「湿っぽいのは趣味じゃないんだ……
もちろん、全くない訳じゃないぞ」
既にこの世界に来て一年以上が経過している。
日本では自分達はどのように扱われているのだろうか?
「帰れたとして、あの演習の状況からして……」
演習中、事故で乗機ごと行方不明か。
あるいは隣国による攻撃で撃墜され、戦火の始まりとなったか。
「……うーん。どっちにしても、凄く帰りづらそうな雰囲気になってそうだ」
「とはいえ、御国より賜った装備を持ったままだからな。
帰るに越した事はないだろう」
飛行学校の建屋が間近に迫り、空軍の残業続きであろう明かりがふたりを照らした。
あくりの表情が見えるほど世界が明るくなり、良介の脳裏にひとつの疑問が浮かんだ。
「あくりちゃんはさ、俺が帰っちゃってもいいの?」
彼女は万頭温泉にて、胸の内に秘めた想いを告白した。
良介がその告白を受け入れる訳にはいかない立場である事にも、理解を示している。
だとしても、帰るに越した事はないという言葉。
それを語る口は、あまりにもあっさりとしていた。
「良介。私が信じられないか?」
「そういう訳じゃない。ただ……」
「死別ではない。ならば、またいずれ会えるかもしれない。
お前にしては珍しく、考え方が後ろ向きだな」
死んでいないのならば、会える可能性はある。
まるで良介が、その場しのぎの励ましに使う言葉である。
「……いい考え方だな、見習いたいよ」
「私は、お前から見習った。
そういうところもまた、お前に惚れた理由だ」
立ち止まったあくりは、真っ直ぐ良介の目を見据えていた。
良介には───その視線に報いる権利があるのか?
また会えるかもわからない帰郷をする。
そう決めている男に、彼女の想いに答える権利があるというのか?
この、真っ直ぐな
この、
───自分の世界に帰れたら、もう会えないかもしれない。
だけど……ここで視線を逸らしちゃ、ダメだろ?
たとえ欺瞞だとしても。
たとえ叶わないとしても。
真っ直ぐ彼女の瞳を見据えて、不本意な言葉を唱えた。
10年前、18歳の頃ならいざ知らず。
今や責任を預かる身の上。
だからこの場では、大人な答えを出さなくてはならなかった。
「悪いな。答えられなくて」
「……全てが終わる時。
答えはその時の褒美として取っておく。
例え、
元よりそのつもりだ、気にするな」
あくりは良介の先を歩くと、飛行学校の扉を開いた。
「お互い、未だ死ねない身ということだ。
共に、この戦を勝ち抜こう。生きてな」
いつの間にか、お前の方が教えを説かれる立場になってしまったな。
いずれ、隊長の座も譲らなければならないかもな?
「ふぅ……もう少しで俺も、現役引退かな?」
「ふっ、バカな事を申すな。
向こう百年は、お前を超える戦闘機乗りは出て来ないだろう」
「百年? 千年じゃなくていいの?」
「その意気だ、良介」
まるで、学生が談笑しているかのように。
ふたりは笑い合うと、明日に備えるため敷居を跨いだ。