蒼穹の魔王 ~F-2乗りのクソバカエース、異世界にて絶望的劣勢を覆す~   作:サークル『熊の巣穴』

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25 御料船団救出「FIRST PENGUIN」

央暦1969年5月30日

葦原国松後藩先湊沖 幕府海軍特設病院船氷室丸(ひむろまる)二等病室

大和幕府

"春川親王"現公(ありさと)

 

 かつて私は、この船に乗ったことがありました。

 当時は幕府海軍所属の貨客船で、父君や母君、そして弟と共に過ごした記憶があります。

 

 船員の皆さんや他の乗客の皆さんにはとてもよくして頂いて、幼心ながらによき思い出であった印象が強く残っています。

 

 でもやはり、当時は今よりも幼い時代。

 航海の退屈さが永遠に続くように思えた私は児童室を抜け出して、この二等食堂に忍び込んだこともありました。

 すぐに水兵さんに見つかって、送り返されてしまいましたが。

 

 ほんの少し、廊下と扉を通り抜けるだけの些細な移動。

 ですが、それだけでも私にとっては、古い時代の迷宮を探索するような大冒険だったのです。

 

 そんな時期でしたから、内装は記憶にあります。

 洋風で煌びやかな装飾をしていて、当時の私には一等食堂も二等食堂も区別がつきませんでした。

 

 でも今は……

 

 部屋一面に敷き詰められた畳に、染みついた血と膿。

 空気は淀み切っていて、鼓膜は常に誰かの呻きと鳴き声で揺らされます。

 

 私が思い切って冒険した安全な食堂は、最も死に近い空間になっていました。

 

 ここにいる人々は戦い、あるいは戦いに巻き込まれて瀕死の怪我を負い。

 もはや自力で歩くこと叶わず、ただ傷がよくなって痛みが和らぐか、あるいは黄泉からのお迎えが来るまで苦しむしかないのです。

 

「大丈夫、きっと良くなりますよ……」

 

「うぅっ……あ、ああっ……」

 

 声すら発することの出来なくなった方の手を、残っていた左手をそっと握る。

 包帯に覆われた彼の頭。その輪郭からは顔と呼べる形状が見受けられません。

 

「おいあんたぁ、そいつぁもう助からねぇ! 顔がもうない、

手の施しようもないってさぁ!」

 

 痛み止めで酩酊している方が、ぼんやりとした口調で私に言いました。

 

「死ぬ、死ぬ、死ぬ! 全員死ぬんだよぉっ! 幕府にいる限り、

政府軍は許しちゃくれない、葦原の民に殺されるんだよぉっ!

将も兵も、公方(将軍)もっ、この戦を始めた……」

 

「貴様ァッ! この方をどなたと心得るかッ!」

 

 私の護衛が肩を怒らせてその人に歩み寄ると、手に握った棒で乱雑に打ち付け始めました。

 何度も何度も、血が出て顔の形が変わるまで、何度も。

 

 私は、止めるべきだったんだと思います。

 でも……目の前で行われる、命を奪う暴力が怖くて、恐ろしくて、身体が固まって……結局、一言も発することが出来ませんでした。

 

 この暴力が終わった頃には、その人は動かなくなっていました。

 

片輪(かたわ)風情が図に乗りおって……殿下、ご無事ですか?」

 

「……」

 

 暴力、殺人、戦争……この戦を始めた。

 頭の中をその言葉だけが巡り始めて、何も考えられなくて……

 

「殿下?」

 

 護衛の方の言葉に正気を取り戻した時、近頃聞き慣れてしまった警報音が放送で響きました。

 

「後方より敵機! 総員、対空戦闘用意!」

 

「くそっ、捕捉されたか……殿下、こちらを!」

 

 促されるまま、私は鉄帽を被りました。

 洗浄はされていましたが、窪みと補修の跡が目立つ金属のヘルメット。

 誰かが使っていた戦争の跡。

 

「殿下、こちらへ! 避難しましょう」

 

 護衛の方はそう言ってくださるけれど、どこへ行くと?

 船が攻撃を受ければ、どこで隠れていても水底へ沈んでしまう。

 

「殿下? いかがされました?」

 

 ずっと我慢していた恐怖が、完全に溢れ出てしまいました。

 その一歩を歩むことすら出来ず、何一つ行動することも出来ず。

 

 私は、その場にうずくまってしまいました。

 

「殿下? 殿下ァ!」

 

 わからない、わからない。

 どうして私は訳も分からぬうちに戦の旗印にされて、実の弟と殺し合いをさせられているの?

 

 私には関係ない、周りが勝手に決めて、勝手に進めて……

 両手が血まみれになって、顔も名前も知らない人たちに罵声を浴びせられて。

 

 なんでこんなに怖くて酷い目に遭わないといけないの?

 私は何もやっていないのに、何一つ決められないなんて!

 

 ドンッ! と船が揺られました。

 食堂の窓を見ると、船の左側で船が爆発してブリッジがなくなっていました。

 

「炎上して、煙突もやられてる……あれはもう助からん」

 

 助からない。死んでしまう。この場にいる人々のように。

 そう思ってしまった私は思わず、駆け出してしまいました。

 

「でっ、殿下ァッ!」

 

 戦闘の混乱で護衛の手をすり抜け、廊下を走り、階段を昇り。

 気がつくと私は、外の甲板に出ていました。

 

 水兵の皆さんが駆けまわり、舷側(げんそく)の機関銃に取り付いて空に向けて銃撃する。

 ふらふらと、混乱した頭のまま甲板を歩くと。

 

 ゴウとジェットエンジンの爆音が響き、ドドドドッと銃撃され、私の目前を弾が通り過ぎていきました。

 先ほど機関銃を撃っていた水兵さんの欠片が甲板にぶちまけられて、目の前で散らばっていました。

 

 今まで私が見ていた傷病者の皆さんは、皆ガーゼや包帯でその部位が隠されていました。

 でもこの光景はそんな覆いの一切ない傷口で、死そのものの瞬間で。

 

 尻もちをついた私は、今度こそ本当に動けなくなってしまいました。

 

「もう、やだよぉ……」

 

 終わりなんだと思いました。

 

 この船が沈められて、全部おしまいなのか。

 爆弾が落とされて、それに巻き込まれて死んでしまうか。

 それとも、もっともっと酷いことが起きるのか。

 

 またジェットエンジンのゴウ、という音が聞こえて、強く確信しました。

 震えて、硬直して、見上げて。

 

 その時に初めて、私の乗る船が果ての雲からはぐれた雲に向かっていることに気づいて。

 そして、目にしてしまったのです。

 

 私たちにとって、終わりと破壊の化身である果ての雲から出て来た。

 あの紅の一つ星を抱える蒼い機体の姿を。

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